《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1017)
日時:2016年04月05日 (火) 06時57分
名前:平賀玄米

         第二十四章 クラーク教授の「神に近づく道」

          <ひとに宿る内部の本質なる神を愛せよ>

    「吾往きて汝等に来るなり、言いしを汝等既に聞けり、若し吾に愛あれば父にわが
    行くを喜ぶべきなり、父は吾れよりも尚大なるに依る」(ヨハネ伝第十四章二八)

「吾往きて汝等に来るなり」とは人類すべてにキリスト(神の子)が宿っていると云うことであります。若しあなたが眞に具体的に神に近づかんと欲せられるならば換言すれば眞に生ける神を愛せんと欲するならば、何物も神があなたに来るのを妨げるものはないのであります。

唯それには神に対するあなたの愛が神の波長に本当に同調するかどうかと云う問題であります。
その資格としてグレン・クラーク教授の挙げた条件を次に説明致します。左の各条の資格に合格する事が必要なのであります。

第一、あなたが眞に神の實相、神の内部の本質を愛するかどうかと云うことであります。
親鸞聖人は「實相即ち法性、法性即ちこれ眞如、眞如即ちこれ一如なり」と浄土文類聚鈔(じょうどぶんるいじゅしょう)の中で云っておられます。實相一如の法性とは、佛の慈悲であり、愛の霊であり、同情の言葉であり、宥(ゆる)しの情であります。それはまたキリストが人類に対して「悩む者、重荷を負える者よ吾に来たれ。吾れ汝を休ません」と云い給いし所の抜苦与楽の愛の精神であります。

あなたが単に佛像を愛してそれにひれ伏しながら、佛の慈悲を実行しないならば、それは単に佛の偶像のみ求め愛しているのであります。かかる愛は絵に書いたキリストの像――羽根のように風に靡きつつ裾まで垂れている白衣を着て慈悲深き瞳をしている絵に書いたキリスト像――を愛しているに過ぎないのであります。

諸君はもっと具体的な釈尊を、そしてキリストを愛しなければならないのであります。
若し今日釈尊又はキリストが再臨して来られるならば、きっと印度の修行僧のような姿でもなければ、裾まで垂れた白衣をも着てはいないで、恐らく総ての人が着ているような普通俗人の着物を着てくるであろう。恐らく諸君が宗教的絵画や彫刻で見慣れているような立派な様子はしないで、全く普通人と同じような様子をしてやって来られるに違いないのであります。

諸君は釈迦のような仏像、観世音菩薩のような聖像、さてはソロモン王のような厳めしい宮殿の厳飾の聖座に座っている神を熱心に待ち望んでいながら、具体的に神が来られた時には、嘗てキリストを拒絶したユダヤ人のように、諸君も具体的な神々に取巻かれていながら、それを知らずに拒絶しているかも知れないのです。眞の神々は、普通の人間そのものだと云うことを知らねばなりません。
つづく
     <平成28年4月5日 謹写> ありがとうございます 合掌。

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1031)
日時:2016年04月06日 (水) 06時41分
名前:平賀玄米


 あなたが若し単にある人間の作った経典、或は教義の書物や仏像や神殿の前で朗読することだけを神に近づく方法だと考えられるならば、それは決して神を完全に愛する方法ではありません。
 
また某々教会で説く神のみを礼拝し、他の教団で説く神々を嘲笑したり、他の教団と争うことによって勝利を得んとせられるならば、あなたは形で宗教を信じながら、内容では神に遠ざかっているのであります。イエスは「われ旧約を毀(こぼ)たんがために来たれるに非ず、旧約を成就せんがために来たれるなり」と云っているのであります。

併し、その旧約の成就は単に説教することによって成就するのではない。説教するために彼は来たのではなく、生活に眞理を実証せんが為に来たのであった。彼は中空なる鐘の鳴る如く教義を説かんが為に来たのではなく、愛を実践せんが為に来たのであります。

「主よ主よと呼ぶ所の数千数万の人々が、本当にキリストが来た時にそれを如何に拒むかを思え。
何となれば彼等はキリストの内部精神を見ることを拒んでおり、唯キリスト教的な外部的装いを好んでいるからである」とグレン・クラーク博士は喝破しているのであります。

つづく
     <平成28年4月6日 謹写> ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1039)
日時:2016年04月07日 (木) 07時33分
名前:平賀玄米


 「即ち彼らはその教会的な信条に於いても、贖罪的な信仰に於いても、教会儀式の形式に於いても、ただ伝統と独断とによって定められた形式的なイエスのみを受けようと用意しているのであって、血の通った生ける救世主を受けようとはしていないのである。」まことにそうであります。

佛教に於いても同じことであって、親鸞がどう云ったとか何とか云って親鸞の本心を知らず、釈尊がどう云ったとか何とか云って釈尊の本心を知らない。

そして末法の世に於いて既成佛教が滅盡してしまった時に弥勒菩薩が下生すると云う佛教の予言があっても、その弥勒菩薩なるものは、黄金の佛像のような形態を備えて天からでも天降って来るかのように思っていて、生ける無数の菩薩が肉身を備えて市井の間に真実の愛を行じていてもそれに恐らく気がつかないのであります。

「宗教を愛する人よ、あなたは単にイエスの肖像画を愛するのですか。また銅や真鍮で作った佛像を愛するのですか。またあなたは単に歴史的存在としてのイエスや、聖書の中の記録としてのイエスのみを愛するのですか。」とクラーク教授は云います。

私は云いたい、あなたは歴史や佛画の中の釈迦のみを愛するのですか。それともあなたは釈迦、キリストの内部の本質に穿ち入って、生ける佛性又は「神の子」を実際に生きることによって神を愛しようとせられるのでありましょうか。

 若しあなたが歴史や記録や、雲の彼方や、西方の落日の彼方に神を見出し佛を見出そうとしないで、自己の内に、釈迦と等しき内部生命を見、内在のキリストを自覚することが出来るならば、神はあなたの内に来り給い、佛はあなたの内部生命となり給い、あなた自身が永遠に具体的な神となることが出来るのであります。これが生長の家人なのです。

つづく
     <平成28年4月7日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1045)
日時:2016年04月08日 (金) 16時50分
名前:平賀玄米


       <生活の実践の上で神を愛せよ>

 二、生活の実践の上で神を愛しなければなりません。
 多くのキリスト教信者は教会のステインド・グラスに描かれたキリストや、祭壇に安置されているキリストや、教会の奥の院に飾ってある十字架を空想的に愛するのであって、実践上に「汝等の持てる総てのものを売りて之を貧しき者に施せ。しかして十字架を負うて我に従え」と言った具体的なキリストを愛そうとはしないのであります。

彼等にとっては十字架は自分が信仰深いと云うことを表す虚栄のシンボルにしかすぎないのであります。什一献金でさえも真面目に実行する人が少ないのであります。彼らの中の如何に多くの人々が罪人と共に飲み食いしたキリストの本当の深い愛を実践したでありましょうか。

キリストは説教も無論しましたが、彼は天国の福音を説教した数よりも、病気を癒した数の方が多いのであります。しかも現代クリスチャンは、病気を癒す力がないことを誇りにして得々として、
ただ、空なる説教をするのに浮身をやつしている嫌いはないでありましょうか。

つづく
  
   <平成28年4月8日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1048)
日時:2016年04月09日 (土) 12時17分
名前:平賀玄米


 若しあなたが幾千万円を伝道の為に使ってもただ説教ばかりに興味を持っていて、而も家庭での子供のお守りや穢い裏庭の汗の出る雑役を喜んでしないならば、あなたは具体的に神に近づいていないのであります。キリストは弟子の足をすら洗われたのであります。

 若し宗教で病気が癒されると云う場合に、祈りに頼る病人を愚かなる者、宗教的気狂(きちが)いだと罵ったりするならば、釈迦やキリストの心を具体的に生きる者ではないのであります。
釈迦は一切衆生を観ること猶し一子ラゴラを見るが如しであると言われました。

 吾々が具体的にキリストを生きようと思うならば、キリストの如く祈りによって病気を癒さなければならないし、『阿含経』にある釈迦のように七覚支(七つの覚りに到る眞理)を説くだけで病人の病気が癒えなければならないのであります。「日に日に生くるが宗教なり」と生長の家では云っています。日常生活に愛を行じなければ吾々は具体的には神に近づくことが出来ないのであります。

 グレン・クラーク博士は云っています。「吾々が太平洋岸に住んでいるとして黒人の群れに交じって働くことを人からとやかく云われるかも知れないと躊躇したり、(註、民主主義の米国に於いても、黒人は差別待遇を与えられていて、多くの州では白人のホテルでは泊めてくれない)

 ニューヨークに住んで居る白人がユダヤ人と交際することを人から排斥されるかも知れないと遠慮したり、ロスアンゼルスに住んで居る白人が日本人と協同して働くことを不名誉とでも思って差し控えたりするならば吾々はキリストの総てを愛しているのではない」と。まことにもその言の通りであります。神を愛する者は、人から排斥されている者をも喜んで神の子として愛しなければならないのであります。

つづく
  
      <平成28年4月9日 謹写> ありがとうございます 合掌。

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1051)
日時:2016年04月10日 (日) 08時50分
名前:平賀玄米


 キリストは実際、娼婦や収税吏に対して愛を示したのであります。それは恋愛ではないのであります。本当の愛であります。若しマグダラのマリヤのような娼婦の如き女性が教えを求めて来た場合にも、静かにこれらの婦人と話し合っていたならば、信者の誰彼から悪評を受けるかも知れないと彼女を避けるならば、吾々は具体的に神に近づくものではないのであります。

 娼婦も救われなければならないし、収税吏も救われなければならないのであります。キリストはどんな卑しき姿をもって吾々の前に出て来るかも知れないのです。これを排斥することは、キリスト自身を排斥することになるのであります。

 宗教は抽象的観念上の救いをなすばかりであってはならない。具体的に憐れな者、汚れたる者に近づき、それに対して救いの手を伸べなければならない。そのためには何かその資金を得るための事業をする必要もあるでありましょう。若し吾々が何か事業に対して熱心に計画するならば世間の人が、彼は宗教家らしくないと批評するだろうと懼れるならば、その人はなお具体的に神に近づく者ではないのであります。

 もし娼婦や、罪人や、不幸なる人や、堕落せる人々の中に交って彼等を愛し、彼等に愛情を以って相談に乗って上げることを不潔なきたないことだと思って遠慮するようなことでは吾々は具体的に神を愛しているのではないのであります。

つづく
  
      <平成28年4月10日 謹写> ありがとうございます 合掌。

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1065)
日時:2016年04月11日 (月) 06時23分
名前:平賀玄米

  
     <汝の敵にさえも自分を売れ>

 三、あなたは敵をすら祝福しなければなりません。
 キリストは自分の敵に銀三十枚でその身を売ったのであります。その額は『申命記』に依れば多くの奴隷が売買される為の値段であると定められているのであります。「内在の神」を実現せん為には自己の肉体をあなたの最も厭う者に対してさえ永遠に与え切らなければならないのであります。常磐御前もこれをしたのであります。

 キリストは自分を捕えに来た兵隊の傷を癒してその兵隊によって縛られて往ったのであります。
タルソのパウロは喜んでキリストの奴隷となった。諸君は喜んであなたの敵を愛すると云う價いを払いますか。神は諸君に、神御自身を与え給うまでに、その價いとして、あなたの持てる最後の一銭までも払うことを要求し給うのであります。

 あなたは神をわがものとするためにあなたの財産の十分の一を喜んで什一献金として払うことを惜しいと思ってはいられないでしょうか。神は決してそんな物質なる献金そのものを望み給わないのでありますが、神が眞にあなたを自分のものとしょうと欲せられる時「一切を擲ってでも汝は神を愛するか」のテストとして更に更にその幾十倍ももっと要求し給うことがあるのであります。

その意味に於いて「神は嫉妬深い」とも云うことが出来るのであります。「手を鋤につけてのち後ろを顧みる者は神の国に適う者にあらず」(ルカ伝第九章六二)であります。神は神以外のものに未練を残すことを喜び給わないのであります。

 神はあなたに日常のあなたの最も愛する習慣をさえ止めてしまうことを要求し給うこともあるのであります。イエス言い給う「われ誠に汝らに告ぐ、神の国の為に、或は家、或は妻、或は兄弟、或は両親、或は子を棄つる者は誰にても、今の時に数倍を受け、また後の世にて永遠の生命を受けぬはなし」(ルカ伝第十八章二九)そのようにされるあなたこそ最も神に愛されているとも云えるのであります。

 神はその愛する人から、酒を奪い、煙草を奪い非常な親密な間にある愛人や友達からさえ遠ざけて、ただ独り神のみをあなたが愛する為に、旧き親しき人達との間に誤解が起こり、あなたがあなたの知人達から罵詈讒謗を加えられるのを耐え忍ばねばならぬと云うようなことを少なくとも或る時期には要求し給うことがあるのであります。

 釈迦もキリストも、親鸞も、日蓮も、實にかくの如き時期を通過して神を吾がものとしたのであります。併し此の時期を通過する時完全なる神の愛があなたの家を、妻を、兄弟を、両親を、子を眞の友達を神は再び戻して、前よりも一層深切なる協力者としてあなたの所へ帰して下さるのであります。

つづく
  
      <平成28年4月11日 謹写> ありがとうございます 合掌。

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1083)
日時:2016年04月12日 (火) 06時54分
名前:平賀玄米


          <毎朝必ず想念を神に全領せしめよ>

 四、あなたは毎朝必ず、祈りによって神に直接対面することを喜びとしなければなりません。
かくの如くして、神に近づこうとするとき、或る時期には人々から反対されるのであります。
イエスは「われ地に平和を与えんがために来たれりと思うか、われ汝に告ぐ、然らず分争なり」
(ルカ伝第十二章五一)とも云っておられます。

 これらの代価を支払うた後、なおあなたが具体的に神に近づくために支払わなければならない所の最上の且つ最も貴き代価は次のようなものであります。あなたは毎朝三十分間喜んで神想観又は
祈りによって心の世界で神と直接対面する為に時間を費やすことを少なくとも十年間は続ける事が出来ますか。

 若しあなたが毎朝こうして静かなる時間を作り必ず自分の想念の全部を神と神の造り給いし円満完全の世界とに向けるならば、あなたは神に祝福される神の愛子(めぐしご)の資格を勝ち得る
為の最初の最も貴き代価を払ったと云えるのであります。「二三年あの信者は顔を見せていたが、この頃はさっぱり顔を見せませんね」と云われるようなことでは価を完全に払ったと云えないのであります。

 私は和歌山県新宮での講習会の節、狼谷(かめたに)さんと云われる人から余興に素晴らしい手品を見せられ恍惚としたのでありますが、「人に見せるようになるには三十年間修業が要ります」と云われた。手品の報いを得るのでさえ三十年を費やさねばならぬのに「神」と云う最も光栄ある
尊い愛人の報いを受けるに、一年、二年で挫折してしまうようでは、小野小町の許へ百夜も通った
深草少将ほどの価をも払わないものだと云わねばなりません。

つづく
  
     <平成28年4月12日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1099)
日時:2016年04月13日 (水) 07時03分
名前:平賀玄米

   
      <喜んで他の人々に神を伝えねばならぬ>

 五、あなたは自分に与えられた福音を次の人に渡さなければなりません。
 かくてあなたは上記の如き價を払って、神をわがものとせられたとします。しかし神は、神をば自分のものに独占しておこうとすれば、今度扉を開いて見たら煙のようになくなっているものなのであります。

 あなたの得たる神をながくあなたのものとして確保する為には、貴方は喜んで貴方の出来得る凡ゆる方法によって他の人々に神を伝え渡さなければならないのです。阿弥陀仏さえ「十方の衆生吾が名字を聞いて・・・云々」と云われた願が四十八願中に八つもありまして名前のきかれることを望み給うているのであります。

 エホバもモーセに「汝、わが名は表さざりしにより約束の地に入ることを得ず」と云っておられます。だから、一旦得た神を永久にわがものとするためには神徳(おかげ)の体験を公に話し、互いに其のお陰を分かつと云うことが必要なのであります。「与えよさらば与えられん」の法則はここにも厳然と行われているのであります。

 お陰は取り得してはならない。得た功徳は神を彰わすために語らねばならない。それを自分自身の手柄にしてはならないのであります。すべてのお陰を神に帰せよ。そして貴方の毎日の生活に具体的な神を生きることが神を永続的に吾がものとする方法なのであります。そして貴方の生活の中に具体的な神を生き、その神が演じ給うた新しき最も重要なる意味に関しての証を為す(即ち体験談を語り合う)ことが必要なのであります。

 体験談を語り合う時には吾らは最も無我なカラッポな心が要求されるのであります。即ち自分の考え方によって他の人の体験談を低く評価してはならないのであります。神は無限相でありますからお陰は必ずしも一様ではないのであります。だから神を證している他の人の信仰体験を喜んで聴くと云う寛大さが無ければならぬのであります。他の人々が熱心に誠実に偉大なる信仰体験を語る結果、その傍らに置かれている自分の体験談が無限に小さく見えるような場合にさえも、素直に無我になってそれを聴き、他の人の喜びを自分の喜びとする雅量と寛容な愛とがなければならぬのであります。

つづく
  
     <平成28年4月13日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1113)
日時:2016年04月14日 (木) 06時46分
名前:平賀玄米


         <他の宗教を嫉妬してはならぬ>

 六、他の宗教で救われる人があったら共に喜ばなければなりません。『観無量壽経』には「佛心とは四無量心是なり」と書かれておりますが、四無量心とは慈悲喜捨の四徳であるが、憐れな人を見て慈悲の佛心を施すことは割合にやさしいのでありますが、愛する者すらも放つと云う「捨徳」と、人の喜びを吾が喜びとする「喜徳」に、眞にその人が佛心を生きているか否かのテストが行われるのであります。

 何となれば色々な信仰体験を話す人の中に交って何となく人にケチをつけたくなる心、こざかしき批評精神、比較して見て自分が負けたと云う感じ、人を容れがたい偏狭さ及び嫉妬心の如きものは、これを防ぐには中々修養が要るからであります。

例えば多くの既成佛教教団の人達にとって新しき佛典の解釈を聞いて、それを邪教だ淫祠だとして排斥するのもいと易しきことでありますが、これは自ら四無量心のなきことを暴露しているのであります。

つづく
  
     <平成28年4月14日 謹写> ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1123)
日時:2016年04月15日 (金) 08時08分
名前:平賀玄米


 また伝統的なクリスチャンが例えばメンタル・サイエンスやデヴァイン・サイエンスの如き近代的にイエスを解釈する宗教に対してそんな方法でキリストを観ることは異端だと頭から否定してかかることはまことにも易しいことであります。

 しかし科学も進歩するが宗教も進歩するのであります。「人間の救いの原理」は一つでありますが、救わるべき相手の精神状態や教養状態が進歩するに従って、それを救うための宗教も進歩するのは当然であります。

 新しい宗教が新しく人心を掴んで行くのを旧い宗教が喜ぶ事が出来にくいのは四無量心の中の
「喜徳」が欠けているために、他の喜びを喜びとする事が出来ないばかりか、自己の最も愛する
教義さえも時代に応じて捨てなければならないと云う「捨徳」が欠けていることを自己証明しているのであります。

 我れこそは人を救う使命を持つ宗教家だと自称する人々の教団又は宗教的グループが、他の同じ目的を持つ他の教団又はグループと闘争して、人を救うべきところの貴重なる時間を浪費してしまうと云うことは如何に愚かしきことでありましょう。

 人類救済の為に愛の共同戦線を張らなければならない時に、嫉妬と憎悪で他の宗教を悪しざまに
評することに時間を費やすと云うことは神に近づこうとする者にとっては、まことに相応しくないことなのであります。

つづく
  
     <平成28年4月15日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1136)
日時:2016年04月16日 (土) 10時00分
名前:平賀玄米


 以上述べた五つの条件又は方法こそ具体的に神に近づくに必要欠くべからざるものなのであります。即ち(一)自己に宿る神を愛すること。従って他の人に宿る神を愛すること。(二)単に教義や説法で神を愛するだけではなく生活の上で実践的に神を愛すること。

(三)自分の敵にさえも彼の幸福の為に自分の幸福を献ぐる決心をすること。神を得る為には最も大なる價を払う決意をすること。(四)毎朝必ず神想観に或る時間を費やすこと。(五)自分の受けた教えの恵みを次々へと人に伝えること。

(六)そして最後に喜んで何人にも、又如何なる教団にでも宗教的グループにでも、それが人を救う目的に於いて一致する限り、何らの嫉妬なく喜んで協力を与えると云う博大寛容なる愛を有(も)つこと

此の六つのやり方に於いて神を愛する時、具体的に吾等は神に近づくのであって、神は吾らに来たり給い吾等の魂の中に流れ入り給いて吾等の生活を具体的に祝福し給うのであります。

つづく
  
     <平成28年4月16日 謹写> ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1153)
日時:2016年04月17日 (日) 07時44分
名前:平賀玄米


 神想観中に次の聖書の言葉を繰り返し黙想するのに、自己の愛を具体的に深める方法として
グレン・クラーク教授の選んだ聖句は次のとおりであります。
「総て労する者、重荷を負える者、吾に来れ、吾汝等を休ません。吾は柔和にして心低ければわが
軛(くびき)を負いて吾に学べ、されば魂は休みを得ん。わが軛は易く、わが荷は軽ければなり」
                             (マタイ伝第十一章二八−三○節)
 
 その黙念を終ってから次の如く祈るのは、自我を滅し神を具体的に自己の内に流入せしむるに適
する祈りであります。
「私達の父よ。私達があなたに求めるのはこの世なるものの為に、又この世の誇りと栄を自分に得んが為に求めんとするのではりません。私達は唯あなたのみを求めるのでございます。あなたご自身の中にのみ私達の魂にとっての満足と豊かさとがあるのでございます。

 あなたに反する所の何物でも私の魂の内にありましたならば、どうぞそれを吾々の魂からお除き下さいませ。そしてあなた自身をもって私を満たして下さい。何故なら私達の魂はあなたの他の何物にも満足を得る事は出来ないからでございます。」

つづく
  
     <平成28年4月17日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1163)
日時:2016年04月18日 (月) 06時49分
名前:平賀玄米

 
         <天国の愛を地上に実現するには>

 あなたが愛する所の相手が、翻って復あなたを愛するのであります。これは永遠に渝(かわる)
ことなき眞理であります。愛は大いなる磁石的力であり、すべての吸引力の中で最大のものであります。若し諸君が人類を愛するならば、人類はあなたを愛するに決まっているのであります。

 具体的に神に近づくとは、具体的に神を愛することなのであります。具体的に神を愛するとは具体的に友を愛することであります。あなたが昨日これで充分天国の愛だと思っていたよりも十倍も多く今日からあなたの友達を愛するならば、あなたの友達も結局、あなたを十倍も多く天国の愛をもって愛するでありましょう。併し天国の愛とは決して、性的な愛ではないのであります。

 天国の愛は魂の愛であります。あなたはあなたの友の魂を愛しますか。それとも彼の外面だけを愛しますか。若しあなたが彼の颯爽たる容姿を、彼女の美しい顔形を、或は彼のバリトンの声を彼女のアルトの声を、或は彼の端正なギリシャ的な横顔を、彼女の中高な日本的な横顔を、或は彼の堂々たる体躯を、彼女のなよなよとした蜂のような腰をのみ愛して、そして唯それだけに終るならばそれは決して天国の愛ではないのであります。

 あなたが眞に彼又は彼女から愛されようと欲せられるならばあなたの愛は彼の肉体のみならず魂までに貫き透る愛でなければならないのであります。若しあなたが彼又は彼女の内面に深く湛えられている静かなる魂の底にある神性を拝むことが出来るならば、若しあなたが彼又は彼女の尚冷酷に見え、不良に見え、貪欲に見え、だらしなく見えるその奥に、尚目覚めていないその善さを「既にあり」として忍耐強く愛するならば、それこそ、あなたは真にその友に於いて神を具体的に愛していると云うことが出来るのであります。

 何人も凡ての人は神から与えられた異なる性質と人格と異なる過去の業を荷った魂とを持っており、それに依って無限相なる神の特殊の自己実現をなしているのであります。若し諸君が相手の内部に宿る實相の善さに貫き入り、眞にそれを愛するならば、今迄如何に敵と見えていた者も、あなたを愛する具体的な神となるのであります。實に具体的に神に近づくと云うことは、如実に「実際の人間に宿る神」を具体的に愛することなのであります。

つづく
  
     <平成28年4月18日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1170)
日時:2016年04月19日 (火) 06時29分
名前:平賀玄米

  
     <家庭生活に於ける愛の実践>

 キリストの教えに「眼に見える近いところにいる者を愛し得ないようなことで、眼に見えない神をどうして愛することが出来よう」と云う語(ことば)があります。多くの結婚が失敗するのは具体的なる神として良人、又は妻を愛しないからであります。

例えば一人の青年と娘とが恋に落ちて一時有頂天になって結婚したとする。そして間もなく絢爛とした夢から覚めると、その青年は何というだらしのない不貞くされた女と結婚したことだろうと思う。その娘はまた何という他愛もないドン・キホーテと結婚していたことだろうと思う。

 また事業や学問ばかりに熱中している冷血漢と結婚していたとか、全く女性を玩弄物(がんろうぶつ)と心得ている利己主義者の漁色家と結婚していたとか気が付いて失望するのであります。併しあなたが結婚したならば彼の又は彼女の實相を見るべきで、現象を見てはならないのであります。

 若しあなたが具体的に彼又は彼女に於いて神を見ようと決心し、だらしなく見えるその奥にある女性的な優しさを、不貞腐れと見えるその奥に實に眞に愛情深きものがある事を見、彼女の實相のみを喜んで受容れようと努められますならば、また彼のドン・キホーテのような性格の奥にある偉大なる勇気を見、彼の冷淡の奥にある事業や学問に対する熱心を見、その移り気の性格の奥にある霊魂(たましい)の寂しさを見るように努められますならば、お互いはよき所のみを残して悪しき処は完全に剥落してしまい、あなたの家庭に完全な具体的な天国浄土が実現するに相違ないのであります。

 まことに具体的な神は、あなたの家庭に於ける良人であり、妻であるのであります。これを眞に愛しないで、具体的に神に近づくことは出来ないのであります。空想的人類愛では眞實の天国の實を結ぶことは出来ないのであります。

つづく
  
     <平成28年4月19日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1188)
日時:2016年04月20日 (水) 06時52分
名前:平賀玄米


        <欠点ある人を喜んで愛せよ>

 具体的に神を得るには喜んで價を払わなければなりません。善き生涯の伴侶を得るための價は自分自身が眞に相手の生涯の伴侶となる行いをすることであります。吾々は價を払っただけの価値あるものを受取ることが出来るのであります。

 あなたに欠点があっても、神から又は人から愛されようと思う人は、欠点のある人を愛する事から始めよ。あなたの周囲には到るところに欠点だらけの人がいて誰からも愛されず、仲の良い友達もなく淋しく思っている人々が沢山いるのであります。

 そのような人たちを愛してあげる事こそ、例えば井戸のポンプに「迎え水」を注ぐと言われていることを行うのと同じ効果があるのであります。あなたが他の人が欲しているところの愛を先ず他の人に投げ掛ければ他の人の愛が又あなたに愛を投げ掛けてくれるのであります。

つづく
  
     <平成28年4月20日 謹写> ありがとうございます 合掌。

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1218)
日時:2016年04月21日 (木) 17時16分
名前:平賀玄米


       <自己の為のみに愛する人を利用してはならない>

 四無量心の第四は「捨徳」であります。具体的に神を得んが為には、あなたは喜んであなたの愛する者を自分のみに独占せず、それを放つことをしなければならないのです。逆説的ではありますが、愛を眞に放った時にのみ愛は本当に自分のものとなるのであります。

 換言すれば、あなたは自分の愛する人を自分自身の個人的の満足の為や、個人的便宜の為や、自己の快楽の為や、自己の陶酔の為に利用してはならないのであります。若しあなたがそのような目的の為のみに、愛する人を利用していましたならば、その愛する人が、恋人であろうと、良人又は妻であろうと、又自分の子供であろうと、友達であろうと、あなたに屹度飽きる時が来るでありましょう。それはあなたに眞實の愛がないからであります。

 これに反して愛する人を自由に放って、彼又は彼女を信じて、その行くところに任せきり、これ等の輝く偉大なる人達が自発的に自由に他の人に仕えんが為に、他の人を助けんが為に、思うままに行動し得るよう行かしめて置かれるならば、いつの日かあなたは、その人達が貴方の為に、貴方の仕事を自ら進んで推し進めていてくれることを見出す時が来るでありましょう。
そうして、その時、その人達はあなた自身の幾倍かに價する働きをしてくれていたことが判るのであります。これが即ち、「信じて放つ」ことの功徳であります。

つづく
  
     <平成28年4月21日 謹写> ありがとうございます 合掌。

 

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」> (1229)
日時:2016年04月22日 (金) 07時28分
名前:平賀玄米


 如何なる偉大なる人も自分一個では何事も成就し得ないのであります。自分ひとりで何事でも切り廻さねばならないと考えてはなりません。愛して信じて委(まか)す人がなければならないのです。
 愛して信じて任せて、その人の往きたいままに行く所に行かしめるとき、その人は到るところから大なる収穫を携えて貴方の所へ帰って来、あなたにしっかりと掴まって、永遠に離れることの出来ない魂の兄弟となってくれるのであります。

 これこそが眞に愛する人を愛するところの方法であります。これらの心の準備が出来た後にこそ、あなたは神にあなたを愛する協力者を与え給えと祈るだけの資格が出来るのであります。
 この資格を得た後にこそ、あなたは祈りの山の頂きに高く立ち、神に自分の意志を通ずるマイクロフォンの音量を大きくし、幼児の如き無邪気なる心もて「わが造り主なる神よ、どうぞ私に永遠の、時間なき時間の初めから、用意されております所の吾が伴侶吾が協力者を与え給え」と願うならばば、貴方の祈りは神の霊旨のまにまに完全なる順序に依って具体的に現象世界に叶えられることになるのであります。

今回にて第二十四章は完、次回から第二十五章「家庭幸福の心理学」です。
  
     <平成28年4月22日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』(平賀玄米様御謹写)のリンク (1231)
日時:2016年04月22日 (金) 09時54分
名前:水晶

 いつもありがとうございます。
 前回同様、マリーゴールド様の御投稿を元にリンクを追加して貼らせていただきます。

善き人生の創造「目次・はしがき」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=90


善き人生の創造「第一章 善き生活の創造原理」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15378114


善き人生の創造「第二章 生命の不可思議」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15388555


善き人生の創造「第三章 幸福の門を開くには」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15411570


善き人生の創造「第四章 平和への第1か条」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15438445



善き人生の創造「第五章 大調和の生活」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15449068


善き人生の創造「第六章 “迷い”は無いと云うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15457932


善き人生の創造「第七章 健康のための心理学」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15462218


善き人生の創造「第八章 人間は何のために生まれたか」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15472518


善き人生の創造「第九章 根を培うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15477843



善き人生の創造「第十章 神にあずけて祈る心」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15482726



善き人生の創造「第十一章 女性の愛の力」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15489061



善き人生の創造「第十二章 常住の祈りと云うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15501071




善き人生の創造「第十三章 人間は肉体ではない」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15512588



善き人生の創造「第十四章 業の浄化について」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15524152



善き人生の創造「第十五章 業を去り功徳をうるには」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15535550


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十六章「あなたは本来罪がない」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=8


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十七章「自縄自縛からの解放」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=41


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十八章「わが魂の願いと祈り」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=77


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十九章「成功のための心理学」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=99


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十章「繁栄を来たらすための信仰」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=113


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの>
   http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=159


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入>
   http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=199


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十三章< 不景気に処する道>
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=227


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十四章 <クラーク教授の「神に近づく道」>
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=235



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