《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (778)
日時:2016年03月16日 (水) 14時11分
名前:平賀玄米


            第二十二章 <繁栄の豊かなる流入>

     <循環こそ万物供給の原理である>

トロワード判事はその著『隠れたる力』(Hidden Power)に於いて「霊は生命であり、宇宙全体に生命は充ち満ちて居り、それは吾々の肉体内部に於けると、太陽系統のあらゆる範囲内に於けるとを問わず『循環』ということが一切の現象を支配する終局的の真理であるのである。

循環とは間断なく流れめぐって来ることを意味するのであって、宇宙霊の豊かなる供給も、肉体の健康の法則も亦その例外を出でることは出来ないのである。」

又曰く「吾々は吾々自身を吝嗇家の戸棚の様に自分の利益の為にのみ蔵(しま)い込んで置く金庫だと考えてはならないのである。然し吾々は吾々自身をむしろ分配の中心と考えなければならないのである」と。

更に彼は比喩を借りて曰く、「もし吾々が出口をとざすならば流れはとどまってしまうのであって、流れを開くことによってのみ、豊かなる流入を得ることが出来るのである」とこれが即ち現代メンタル・サイエンスの幽祖であるトロワード判事の眞裡を穿った言葉であるのであります。

つづく

     <平成28年3月16日 謹写> ありがとうございます 合掌。  

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (799)
日時:2016年03月17日 (木) 14時22分
名前:平賀玄米

<富の本質は神からの供給である>

本当の富というものは地上の世界の物体自体ではないのであって、地上の世界の物体は神の豊かなる生命の流れの投影(かげ)に過ぎないのであります。それは神の生命と愛と智慧とが吾々に流れ入って影を映しているのであるから、それを受けたものは、それのよって来る所の本源たる神を愛し、神の為に働かなければならないのであります。

富を物体と見ずして神の恵みであると見、神は愛であるからその富を通して神の愛を実現せんがためにそれを豊かに最も有効な方法に於いて循環せしめなければならないのであります。それは本来神に属するものであるから、自分自身の快楽をそれから得ようと考えてはならないのであります。もし「物」からして自分の幸福感を得ようとするならば、それは却って得られないことになるのです。

吾々は幸福の流れを神に於いてえた時にのみ、本当に幸福になることが出来るのであります。それが本当にわかるならば、吾々の周囲の状態が如何に一変して自分の富がある時期に姿を消していしまっても、そんなことに失望落胆することはなくなります。

神が富の本当の本源であって、吾々の得ている富はその投影であるから、映画の第一巻が必ず終わらなければならないように、物質的な富は必ず過行くのであります。然し、第一巻が終えた後には第二巻が始まって来るし、或はその映画の前篇が終わっても、亦別の映画が自分の目の前に展開して来るのであります。

そして自分の目の前から消えた富は他の映画館に映写されて他の人が観覧して楽しんでいるように、その富によって楽しむ人があるのであります。そして自分には又別の富がやって来ます。
これが循環の富であり、今ある富は過ぎ去り、常に新たなる富が入り来るのであります。

つづく

     <平成28年3月17日 謹写> ありがとうございます 合掌。  


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (808)
日時:2016年03月18日 (金) 07時09分
名前:平賀玄米


      <神の愛の交換媒介としての貨幣>

もし吾々が富を肉眼で見える「物」ののみだと考え、それを固定したものだと思い、少しでも次へ渡したら損になったと考えるようでは丁度映画を廻転せしめずフィルムを停止して置いていつまでも同じ場面をみていたいと思うのと同じことであります。

かくの如き場合には、映画のフィルムは循環せず新たなるよき場面は展開して出て来ないのであります。吾々は今持っているものを放つことによってのみ、次のものを掴むことが出来るのです。

物質的富にのみ自分の愛着をつないでいる限りは何人といえども、本当に魂の満足を得ることは出来ないのです。何故なら物質は心情(こころ)なきものであり、経済界は変動しており、貨幣価値は始終動いており、物価は常に騰落するからであります。

形ある物質の富は何一つとして永続的なものはないのである。だからそれを固定化していつまでも放つまいと執着している限りは、富は悩みと悲しみの種になる外はないのであります。

もっとも物質の「富」そのものが悪いのではないのであって、それは、神の愛、人の愛、人の心づくしの投影であるから、その本質は尊く感謝すべきものであるけれども、その形あるところに執着する点に貪欲の罪があるのである。

人もし物質そのものを愛する様になるならば、その人は吝嗇(りんしょく)になり、利己主義になり、人格が汚くなり、奪い合う心になり、惜しむ心になり、凡ゆる醜き心の根源になるのである。

だから釈迦は印度の或る山を弟子を連れて歩いて居られた時に、王様がその山の岩かげに黄金をざくざくと隠していたのを弟子の阿難が発見して、それを釈迦に告げると、釈迦は「あれは毒蛇じゃ、危ない、危ない、近寄ってはならない」と仰せられたのであります。

自分が労せずしてただ形ばかりの富の形骸を愛するならば、結局それは却って自分を害する所の毒蛇の働きをする様になるのであります。

つづく

     <平成28年3月18日 謹写> ありがとうございます 合掌。




尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (817)
日時:2016年03月19日 (土) 06時37分
名前:平賀玄米


すべてのものは、時と、場所と、人との三相応を得た場合にそれが善となるのであります。吾々の持てる貨幣も、それ自身は善でも悪でもなく、それが適当な人に、適当な場所に於いて使用せられる時、神の無限供給の働きが出現するのであります。

貨幣が交換媒介の道具であるということは、結局神の無限供給の媒介となるということである。それが適当な媒介として用いられる時に、それは人間の力を呼び出し、愛を表現し、神の恵みを実現する所のものとなるのである。

それが適当に人と場所と時とに循環する時、神の愛と生命と供給とが、形を表して循環していることになるのであります。

つづく

     <平成28年3月19日 謹写> ありがとうございます 合掌。

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (825)
日時:2016年03月20日 (日) 10時03分
名前:平賀玄米

 
     <経済生活に於ける循環>

吾々は空気を呼吸する。すると植物はその中の炭酸ガスから炭素を吸収して果実や芋類等を造りあげて、又吾々に供給するのである。同時に炭酸ガスと変化し、そこから又炭素を植物に送ってやるのであります。

与えれば、与えられる事実は常に到る処に行われているのである。もし植物が吾々の吐き出した炭酸ガスを吸入するばかりで酸素を返してくれなかったならば、吾々は結局窒息して死んでしまうほかはないのであります。

経済生活に於いては流通貨幣というものは、吾々の呼吸する空気のようなものである。それは循環することによって吾々の経済生活を営ましめる。人間のこしらえた吾々の経済組織があるけれども、どんな制度を採用するにしても、「与える」と「与えられる」の二つの行為が循環されない経済組織というものはないのであります。

ただ経済組織ういろいろ改造しようと考えるのは、その人の色々の立場からして、より多く「与える」と「与えられる」とが完全に循環する様にならしめようとする努力の現れに過ぎないのであります。

つづく

     <平成28年3月20日 謹写> ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (836)
日時:2016年03月21日 (月) 11時38分
名前:平賀玄米


すべての生物の世界はこの経済界の法則と同じ法則によって行われています。植物は大自然が供給する日光、熱及び地中の養分を吸収するのである。それを受けることによって伸び、葉を茂らせ、花を開き、果を結ぶ。併してその結んだ果を再び大自然の土壌の中に返すのである。

その種を土壌の中に返すことによってのみ、これは再びその種族を繁殖さすことが出来るのである。種子のみならず、葉も枝も、幹も用事が終わったなら、それらは腐蝕して、やがて宇宙の要素に循環的に還元せられ、それが新しき種を育てる養分になるのであります。

この様に宇宙の凡ゆるものに行われている循環の法則は人間にも除外例となることはないのであって、吾々はすでに自分に於いて実った所の果実を社会のために捧げなければならないのであります。神に返すことによってのみ神から無限供給を与えられるのである。

人間は社会の恩恵によって生きているのであるから、社会に返すことによってのみ、社会から又恩恵を受けることが出来るのです。

大自然の経済的法則はすこぶる簡単であるのであって「種を蒔いた同じものを倍加して刈り取る」ということであります。一粒種を蒔けば一粒分の収穫があるのである。百粒種を蒔けば、百粒分の収穫を得ることが出来るのであります。

つづく

     <平成28年3月21日 謹写> ありがとうございます 合掌。

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (859)
日時:2016年03月22日 (火) 07時22分
名前:平賀玄米

吾々は人に深切をすれば自分が深切を返されるのである。然し単に心の中で深切の想いを起すだけでは足りない。それを「愛行」として実践しなければならないのであります。実践しない所の深切は唯それは虚栄であり、空想であり、魂の自慰作用であって完全な結果を得ることは出来ないのである。

吾々の持てる所のものを、神と、神の子なる人間とに適当に循環し与えるということであります。単に利己目的を以て富を蓄積するということは自分の性格を汚くし、魂を汚し、餓鬼道の様な心境にならしめるに過ぎないのであります。

餓鬼は決して富者ではないのである。如何に富が蓄積されていようとも、餓鬼の心境である者は、それは貧しき者であり、ただ蒐集狂の如く多くの物をかきあつめるに過ぎないのである。

彼は貨幣や、株式や、社債や、骨董品や、不動産をかき集める。そしてそれを失わざらんとして始終戦々恐々としているのです。彼らは常に貧乏の恐怖に襲われているのであって、決して富める人と云うことは出来ないのであります。

何故彼は貧乏の恐怖に襲われるかというと、現象の富だけを握っていて、實相の富−−即ち神の無限供給の本源を掴んでいないからであります。神を無限供給の本源として常に神より供給を受け、常に神にその一部分をお礼として返しているものには、常に無限供給の道が開かれているのであるから、かくの如き貧乏の恐怖に襲われるということはないのであります。

つづく

     <平成28年3月22日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (873)
日時:2016年03月23日 (水) 10時15分
名前:平賀玄米

      <ユダヤ人の什一献金の意義>

吾々の住む世界は「与える」と「与えられる」の互いに相補う法則によってバランスを得ているのであるから、もし吾々が意識的に吾々の受けたものに対して、それにバランスするだけの値を払わなかったならば、吾々の潜在意識はそれをバランスせしめようとして何処かに損失を招く様に出来ているのであります。

吾々は神様からおかげを得る時は、大抵「ありがとうございます」と感謝するのである。然し言葉だけで感謝して唯、口先だけで感謝しても、実際神様の喜び給う様な何事も為さなかったなら、実際神に対して感謝しているということは出来ないのであります。

仮に吾々が神に祈るとして、ある時期に於いておかげを得る。そして一時生長の家に熱心になっている。そしておかげの得られる時だけ「生長の家はありがたい」と考える。然しその人は何一つ神様にそのおかげに値する様な価を支払わないとしたならば、それは実際神様に感謝していると云うことは出来ないのであります。そういう人は神様から取り得になっているのである。或いはもらい過ぎになっているのである。

そこで、そういう人はやがてある時が来て、事業が失敗するとか戦災に遇うか、いずれも不幸の種類は異なるが、とにかく或ることで自分の取り得になっている部分を支払うことになってしまうのであります。

つづく

       <平成28年3月23日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (891)
日時:2016年03月24日 (木) 06時52分
名前:平賀玄米


その時に彼は「神も佛もあるものか」というかもしれない。神は無限供給であるが、その無限供給を得るには終始一貫した法則がある。電気には電気の法則がある。「法則」は永遠に存在し、少しも変らぬのであるけれども、ある人は法則に従って電熱器を通して熱を供給せられ、ある人は法則に従って電気冷蔵庫から冷たさを供給されるのである。
そしてその冷たさに驚いて「電気の法則などと云うものがあるものか。電気が通れば必ず温かくなると思っておったのに冷たくなった。」と放言するのは愚かだと云わねばなりません。

法則は完全である。自分の心の通りのものが供給されるのである。
ユダヤ人が世界の富の90何%を自由に支配しているのは旧約聖書に神の示された「自分の収入の
10分の1を神の御用に、宗教に、慈善事業に、社会事業に寄附せよ」という教えを守っているからだといわれているのは、神に感謝するということは心だけで感謝しているのでは駄目だ。

実際に神から頂いた所の一部分でも好いから、兎も角、それを神様に捧げるという行為によって眞にその恩寵が何処から来たかということをはっきり認めようと云う報恩反始の心の実践に其の源があるのであります。

社長から勤労の報酬以外に何か贈物を貰ったならば、社長に何かその10分の1位は「おため」とでもいうべき贈り物を返すであろう。それは社長から貰ったということをはっきり認めて感謝する心の表現であります。社長にものを貰いながらそれを社長以外の人に全部費やしてしまうのでは、何処からその供給が来たかということを行為の上では忘れていることにのであります。

つづく

       <平成28年3月24日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (916)
日時:2016年03月25日 (金) 06時59分
名前:平賀玄米

       <神をほめ讃えるのは光栄を神に帰すること>

吾々が神から無限供給を受けようと思うならば、先ず神に祈り、神に心の波長を合わせることが必要であります。そして神をほめたたえることが必要である。ほめたたえるということは、決して口で御追従をいうということではないのである。それは光栄を神に帰するのである。

「光栄」即ち(Honour)という文字はウエブスターの辞書によると、「適当の時に、受け且つ払うこと」と
書かれているのである。神に光栄を帰するということは適当な時に受け且つ払うということなのであります。即ちユダヤ人が、自分の収入の10分の1を神に捧げたということは神に光栄を帰したという事の実践であるのであります。

実践のない感謝は本当の感謝ではないのである。キリスト教が全世界の何10%かの人間を教化し得たのは、それは、自分が受けた恵みを神に返すためにその教えを他の人に伝えることを実践したからであります。

自分の受けたものを神の道、即ち愛の道に従って次に渡すという事は、即ち神に感謝し、神に受けた所の収穫を全部自分が握っており、一粒も次へ回すことを為さなかったら、結局、その次から芽が出ず実を結ばず、収穫は皆無ということになるのであります。
吾々が受けた所の一部分を神の道に使って神の用途に、即ち愛に捧げるということは収穫した種子を再び地上に蒔くことになるのであります。

つづく

       <平成28年3月25日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (925)
日時:2016年03月26日 (土) 07時16分
名前:平賀玄米


何故ユダヤ人は収入の十分の一を神の道に捧げることにしたのであるか。それはある人の説によると「十」という数は数学的に言えば完成の数であり、あらためて十一となって始まる所の数であるから、そこで十分の一を捧げることにしたのだといわれているのであります。

多くの宗教は寄附行為によって、維持されているのであります。それは宗教は神の道を伝えるものであり、神から恵みを受けたものがその恵みの何分の一かを神の道へ戻して循環し、他の人に渡して同じ福音を受けしめるための循環廻転の機能を営むものであるからであります。

然し神に捧げるのに、「神様、この捧げものに対してこれだけのお陰を頂きたい」というようでは、神の道に捧げるのではなくして、それは最も有利なる経済的投資をしようとするのであり、海老を餌にして鯛を釣ろうとするところの、最も狡い考えなのであります。そんな心持では神に捧げても神の「無条件の愛」の波長には合わないということになるのであります。


つづく

       <平成28年3月26日 謹写> ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (942)
日時:2016年03月27日 (日) 06時34分
名前:平賀玄米

   
      <働かさぬ実は腐る>

アメリカの光明思想家ジョールジャナ・ウエスト女史(Georgiana West)の云っている所によれば、「何故光明思想に触れながら、そして神を無限供給の本源だと認めながら、然も与えれば与えられるという法則を知りながら、何故多くの人はその収入の十分の一すら出すことを惜しむのであろうか。

それには二つの理由があるのである――即ち利己心(貪欲)と恐怖心とである。第一の場合には我欲の本能が尚強くて、自分が神から恵まれている自分でありながら、同時に神の恵みの分配者であるということを忘れしめているのである。

彼らは、神の無限供給は幾らでも引出すだけ自分のものになるという深き信念によってそれらの富を蓄積することが出来たであろうが、やがては旧約聖書に、モーセが荒野をさまようた時、天から降って来たマナと云う食物を惜しんで蓄えていたら、すべてそれが腐っていたように利己的に蓄えられた富はやがて必ずそれが腐ってしまって悩みの原因になるということを知るべきであろう。」と云うのであります。

女史のいう如くまことに然りであります。動かさず、与えず、使わずに持っていた富は、財産税、固定資産税、遺産相続税、利殖機関の破産というように次から次へとその姿を消してしまって、無一物になってしまうのであります。

つづく

       <平成28年3月27日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (960)
日時:2016年03月28日 (月) 13時57分
名前:平賀玄米


我欲の強い人間でない場合に於いて、収入の十分の一を献金するということを敢えてなし得ない人はそれは又恐怖心によるのであります。この種の人は表面の心では神は無限供給の源泉であると考えているのであるが、ただそう考えているだけでは自分自身を欺瞞しているに過ぎないのです。

この種の人は自分の持っている十分の一を出すのは自分の持ち物がそれだけ少なくなるから損だという潜在意識を持っているからであります。彼らの行為そのものが天の父の無限供給に信頼しているか、目の前の「物の力」に信頼しているかを説明しているのです。

もし水道の水が栓をひねればいくらでも出て来ると云うことを知ることが出来るならば、湯殿の水を思う存分出して入浴した後の浴槽を綺麗に掃除しないものはないでありましょう。若しその水を豊かに使わず浴槽の垢を流すのを惜しんでいる人があるならば、水道の水が欠乏して断水の恐れがあると思っているのであります。吾々が真に神から無限供給が流れ入って来るものだということを潜在意識の底の底まで自覚することが出来るならば、それを愛の道に従って誰かに寄与するために与える働きをすることであります。

つづく

       <平成28年3月28日 謹写> ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (967)
日時:2016年03月29日 (火) 06時44分
名前:平賀玄米

真に神を信ずる者には欠乏の恐怖もなく、不幸の恐怖もなく、病気の恐怖もないのであります。
もしそれらについて恐怖があるならば表面の心はともかく、自分の潜在意識の中にまだ真に神が無限供給であり、神が吾々の生命を守っており、神が無限の愛であると云うことを自覚しない所があるからであります。

かかる人は出来るだけ、他の時間を節約して真理の本を読み、必ず毎日神想観をして、「神吾の中に生き給う」という自覚を深める必要があるのであります。そして今尚現象的には欠乏が眼の前にあっても、それは自分の想念の影に過ぎないのであって、実相には既に無限の富は与えられているのであるから、それを心の内にはっきり受けて、常に「神様、無限の富を与えて下さって有難うございます」と感謝する様にするのがよいのであります。

今回にて第二十二章は完 次回から第二十三章「不景気に処する道」です。

       <平成28年3月29日 謹写> ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』(平賀玄米様御謹写)のリンク (971)
日時:2016年03月29日 (火) 09時28分
名前:水晶

 いつもありがとうございます。
 前回同様、マリーゴールド様の御投稿を元にリンクを追加して貼らせていただきます。

善き人生の創造「目次・はしがき」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=90


善き人生の創造「第一章 善き生活の創造原理」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15378114


善き人生の創造「第二章 生命の不可思議」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15388555


善き人生の創造「第三章 幸福の門を開くには」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15411570


善き人生の創造「第四章 平和への第1か条」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15438445



善き人生の創造「第五章 大調和の生活」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15449068


善き人生の創造「第六章 “迷い”は無いと云うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15457932


善き人生の創造「第七章 健康のための心理学」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15462218


善き人生の創造「第八章 人間は何のために生まれたか」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15472518


善き人生の創造「第九章 根を培うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15477843



善き人生の創造「第十章 神にあずけて祈る心」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15482726



善き人生の創造「第十一章 女性の愛の力」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15489061



善き人生の創造「第十二章 常住の祈りと云うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15501071




善き人生の創造「第十三章 人間は肉体ではない」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15512588



善き人生の創造「第十四章 業の浄化について」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15524152



善き人生の創造「第十五章 業を去り功徳をうるには」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15535550


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十六章「あなたは本来罪がない」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=8


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十七章「自縄自縛からの解放」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=41


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十八章「わが魂の願いと祈り」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=77


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十九章「成功のための心理学」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=99


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十章「繁栄を来たらすための信仰」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=113


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの>
  http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=159


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入>
  http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=199



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