《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (620)
日時:2016年03月03日 (木) 07時57分
名前:平賀玄米

 
 
          <果実を生み出す法則>

「この故に、吾汝らに告ぐ、何を食わんと生命(いのち)のことを思い煩い、何を着んと体(からだ)のことを思い煩うな。生命は糧にまさり、体は衣に勝るなり、烏を思い見よ、蒔かず、刈らず、納屋も蔵もない。然るに神はこれを養い給う。汝ら鳥に優るることいくばくぞや、

汝らの中誰か思い煩いて身の丈一尺を加えんや。さればいと小さきことすら能わぬに、何ぞ外のことを思い煩うか。百合を思いみよ。紡がず、織らざるなり。されど吾汝らに告ぐ。栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花に如かざりき。

今日ありて、明日炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装い給えば、まして汝らをや。
あぁ信仰うすき者よ。汝ら何を食い、何を飲まんと求むな。又心を動かすな。汝らの父はこれらの
ものの汝らに必需(なくてならぬもの)を与え給えばなり。

唯神のみ国を求めよ。さらばこれらのものは汝らに加えらるべし。恐るるな小さき群れよ。
汝らに御国を賜うことは汝らの父の御心なり」
                             (ルカ伝第十二章二十二〜三十二節)

以上のキリストのおしえに凡ゆる無限供給の原理は尽くされているのであります。
「唯神の御国を求めよ。さらばこれらのものは汝らに加えられるべし」であるのであります。
「神の御国とは「実在の国」のことであって現象の国のことではありません。多くの人々は現象の国の
金とか財産とか、物質的な現れそのものを以てそれを「無限供給」だと考えているのでありますけれども、決してそれは「無限供給」そのものではないのであります。
「無限供給」の反影に過ぎないのであります。

つづく

      <平成28年3月3日 謹写>  ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (634)
日時:2016年03月04日 (金) 06時25分
名前:平賀玄米


よくお考え下さい。「無限供給」そのものは「物質的かたまり」ではないのであります。
「物質的かたまり」というのは無限供給どころか単なる消耗品なのであります。それは消ゆるべきものなのであります。

例えばここに立派な美しい美味しいサクランボを一籠もらったとします。「あぁ無限供給が来た、有難い」と、ともすれば人々は喜ぶのでありますけれども、それは無限供給ではないのであります。それは無限供給のかげでありますから、じきに消えてなくなるのであります。

食べても無くなりますし、食べないでほっておいても腐って無くなってしまうのであります。
無くなるものは無限供給ではない。さらばサクランボそのものは無限供給ではないのでありまして、
たんに反影(かげ)に過ぎないのであります。

所がサクランボの樹に流れている生命は、そして又、果実を生み出す法則は、又来年も再来年も無限にながくサクランボを生み出すのであります。即ちサクランボの樹を流れている生命とか法則とかいうものこそ「無限供給」なのでありまして、形あるものは唯その影に過ぎないのであります。

つづく

      <平成28年3月4日 謹写>  ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (646)
日時:2016年03月05日 (土) 06時12分
名前:平賀玄米


肉眼には見えない神の「無限供給の流れ」これは目に見えない実在界に既にあるものでありまして、
それが即ち「神の御国」の富なのであります。この「神の御国」の富をわがものとしましたならば、物質に現れている所の供給の影は間断なく消えてしまいましても、間断なく神の無限供給はその影を現実世界にうつして来るのであります。だからキリストは「何を食らわんと生命(いのち)のことを思い煩い何を着んと思い煩うな」と教えているのであります。

現実世界のものについて思い煩い、色々と工夫しないでも、創造の本源である神の国をわがものとして置いたならば、必要なものは自ずから現われて来るのであります。と申しましても決して現象界のことは何もするなということではないのであります。

野の百合といえども養分を吸収し、同化作用を営み、澱粉を蓄積して百合根とし、時節に応じて花を開かせるのであります。それは自然に行われます。それは、こうしなければならないという様な取越し苦労や、持越し苦労や、我の力みで行われるのではないのであります。

自然に催して来る所の「そのまま」をそのまま素直に行じておれば、「美しき神の国の装い」は自然と現象界にその姿を現して来るのであります。現在の自分の経済状態がいかにともあれ、それについて取越し苦労をする必要はないのであります。

それは現在サクランボが実っておろうと実っていなかろうと取越し苦労しないで、目に見えぬ生命の世界に営みを続けておれば、自然にサクランボの果実が豊富に実って来る様なものであります。
目に見えない世界で営みを続ける、それを素直に実行しておれば、やがて形ある世界にはそれが
実現して来るのであります。

つづく

      <平成28年3月5日 謹写>  ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (651)
日時:2016年03月06日 (日) 06時00分
名前:平賀玄米

    
      <人類の通念を超えよ>

吾々が無限供給の信念を覆(くつがえ)す原因の主なるものは、所謂(いわゆ)る人類の通念というものであります。吾々が生活しているのは、人類全体の精神的波動の中に生活しているのでありますから、その波動の影響(かげ)を避けることは、余程の信念がなければならないのであります。

たとえば、保険外交員が保険の勧誘に行くと致します。するとその保険契約が二十軒訪問して一軒の割だという統計であります。それが人類の通念であります。その通念に支配されている間はそれ以上の成績を上げることは出来ないのであります。

広告ビラを新聞紙にはさめば百枚の中二枚だけしか読まれないであろうと云うのが共通の常識であります。その常識以上の成績を上げるには、その人類の通念を超えなければならないのであります。生命保険会社では人間の寿命の平均点数というものをとっているのであります。

そして人間の平均年齢はいくつである。「体重十五貫以上の者は何歳で死ぬ」と云うような平均年齢をとって、それを人類の通念としているのであります。その外に人類の通念となっている所の、吾々の力を制限する迷いは随分沢山あるのであります。

例えば寒い風にあたれば風邪をひくとか、不消化のものを食べれば胃腸を害するとか、経済循環の法則によって必ず不況時代が来るとか、それを、或る人は新聞で読み、或る人は書物で読み、ある人はラジオで聞かされ、ある人は友達から話され、そしてそれが暗示となってその人々の潜在意識に入り込み、それが人類の通念として恰も「自然界の法則」であるかの如く人間を支配しているのであります。

吾々が常人以上の働きを為し、常人以上の健康を維持しようと欲するならば、これらの人類の通念という暗示的力に縛られないように、それを飛び越えなければならないのであります。吾々は単に眼に見えるもの、読むもの、耳に聴かされるものによって暗示を受けるだけではなく、以心伝心という働きで、心から心へ、潜在意識から潜在意識へと、それらの共通観念を暗示されているのであります。だから、吾々はそれらの消極的な暗示から出来るだけ飛び越える様にしなければならないのであります。

つづく
      <平成28年3月6日 謹写>  ありがとうございます 合掌。

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (657)
日時:2016年03月07日 (月) 06時40分
名前:平賀玄米


      <業の循環を超越せよ>

現象世界は、宇宙の潜在意識に印象されたる「念」の連続的循環の世界でありまして、その念の力が「業の流転」の原動力となって動く世界でありますから、この業の流転を超える道を工夫しなければならないのであります。それには「先ず神の国を求めよ」とイエスが教えている様に、「業の循環」の世界を超えて、「神の国」即ち「實相の世界」に一躍跳入しなければならないのであります。これを佛教では、「懺悔せんと欲すれば端座して實相を観ぜよ」と教えているのであります。

吾々は現象のレヴェルを超えて「實相の世界」へ飛び込まなければならないのであります。
現象のレヴェルにある世界は、先にサクランボの実例を以て述べました様に、それは常に遷り変り、
「なくなる」世界であります。

そういう世界を見ながら現象上の物体が無くなったり減少したりする相(すがた)を見る度毎に「無限減少」の観念を起して實相の豊富なる有様を忘れてしまうようなことでは、「神の国の豊富なる相(すがた)」を地上に実際に現して来ることは出来ないのであります。

大体現象に現れている世界は、それは結果であって原因ではないのであります。原因というものは結果を惹き起こす所の原動力になるのでありますけれども、結果はやがて消えるようになっているのであります。

つづく
      <平成28年3月7日 謹写>  ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (664)
日時:2016年03月08日 (火) 07時11分
名前:平賀玄米


例えばサクランボの木の中を流れている生命原理は、原因でありますからものを生み出す力をもっているのでありますけれども、サクランボの果実は結果でありますから、それは唯「終結」であって、何ら吾々に「実在」を与えることは出来ず、ただそれ自身腐ったり、食べられたりして消滅してしまうのであります。

現象はこの様に結果でありますから、それ自身「おしまい」でありまして、吾々に「実在」なるものを与えることは出来ないのであります。それをおしまいだと思わず、それを原因として吾々が恐れますと、その吾々の恐怖心が「結果であるものを原因の位置へ持って来て」始動させることになりますから、原因結果がいつまでも循環して消えないことになるのであります。

だから、今現象に現れているものはすべて結果であるから、それで過去にとどめをさしたものであると、確信してしまって、新たに「神の国を求める」のであります。そうすると「神の国」が原因の所へ置かれまして、そこから結果が流れて来ることになるのであります。
即ち「神の国を求めたならばその余のものは汝らに加えられる」ということになるのであります。

つづく
      <平成28年3月8日 謹写>  ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (668)
日時:2016年03月09日 (水) 06時46分
名前:平賀玄米

   
    <現象に不幸があらわれたら原因たる心の業は消えた>

現象界の形あるものは皆結果でありますから、よきにせよ悪しきにせよ、それを実在だと思って執着してはならないのであります。それが即ち「汝のもてるものを貧しきものに施せ」と云う意味であります。

「よき現象」でさえもそれを実在であると思って執着している時には、その現象も影でありますから、結局滅びる時が来て、その時に生長の家も、くそもあるものかと失望落胆するのであります。

『甘露の法雨』に「如何なる健康なる力士も彼が肉体を実在と観、肉体即ち彼成りと観る以上は亡ぶるものにして真の健康に非るなり」と書かれているのは、この点を指摘したのであります。

又曰く、「真の健康は肉体に非ず、物質に非ず」と。その奥を流れている「實相生命」こそ実在なのであります。それなのに、吾々は肉体が健康になった時に、實相生命も健康になった様に思い、肉体が病気になった時に實相生命も病気になっている様に嘆くのであります。

實相生命は肉体の健、不健にかかわることなく永遠に健康なのであります。吾々は物質の一去一来に一喜一憂してはならないのであります。サクランボの果実が無くなった時に貧乏になったと思い、又サクランボが実った時に急に富んだと思うのは愚か者の迷いであります。

サクランボの果実があるときにも、無い時にも、サクランボの樹を流れている「實相生命」は永遠に無限供給であり豊かなのであります。

つづく
      <平成28年3月9日 謹写>  ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (673)
日時:2016年03月10日 (木) 05時58分
名前:平賀玄米


かくの如く吾々は現象を見て一喜一憂してはならないのであります。現象はすべて結果でありますから、結果を掴んで業の流転のサークルの上に載せてはならないのであります。
すべての現象を単に結果であり「おしまい」であるとしてそれを見ることは、賢き智慧であります。

そしてそれは結局結果であるから、それ自身では原因として次の結果を来すべく始動する力はないのであります。以上の事を深く信じて、「既にそれは終れり」として、心から放してしまい、新しきよきものを、「神の国」を心に描く様にすればよいのであります。

即ち「吾々の住んでいる国は神の国であって、霊的実在の国である。それは霊であって物質ではないのである。そして無限智慧が満ち満ちているのである。無限の愛が満ち満ちているのである。
無限の生命が満ち満ちているのである。無限の供給が満ち満ちているのである。」――と、その原因の世界を心の中に強く描いて、それを原因として此の世界を始動せしめるのであります。そこからキリストの行いたる如き五つのパンを恵んで五千人を養う如き奇跡を生ずるのであります。

つづく
      <平成28年3月10日 謹写>  ありがとうございます 合掌。



尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (707)
日時:2016年03月11日 (金) 06時55分
名前:平賀玄米


吾々は現象世界にはまだ現れてはいないけれども、すでに「神の国」(実相世界)にある所の無限の恵みを既に受けているのであります。吾々が自分で描いた迷いの結果の世界のみを見ないで、原因の世界(実相世界)の無限の恵みをみることが出来るならば、その無限の恵みに対して、本当に感謝の念が起って来ることになるのであります。

そこから実相世界の「原因的要素」を発動せしめて現象世界に循環顕現せしめる所の動力を起すことになるのであります。吾々は常に何かを欠乏していると思ってはならないのであります。
欠乏の感じが起るのは、「結果の世界」に心が捉えられているからであります。

「原因の世界」を先ず握りましょう。原因の世界は神の国であり、實相の世界であります。その
實相世界の恵みを讃嘆することは、「實相」を原因の世界に発動せしめて、結果の世界にその無限に完全なる有様を持ち来たらすことになるのであります。

詩篇第九十一篇にダビテのこう歌っているのがあります
「いと高きもののもとなるかくれたる所に住まうその人は全能者のかげに宿らん。・・・・
 エホバはわが避けどころ、わが城、わがよりたのむ神なりと云わん・・・・」

この全能者のいまし給う「かくれたる所」とは「實相の世界」であります。實相の世界に常に住する者は「汝恐るることあらじ、千人は汝の左に倒れ、万人は汝の右に倒るともその災は汝に近づくことなからん」とダビテは前記の詩篇の続きに歌っているのであります。

常に神を、そして神の国を、心に描いてそれのみの中に住む時には、自ずから神の国の善きものが、
現象世界に現れて来て現象界が良き姿に変貌するのであります。

つづく
      <平成28年3月11日 謹写>  ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (716)
日時:2016年03月12日 (土) 06時15分
名前:平賀玄米


       <實相の無限供給の世界を先ず観ぜよ>

現象界にいて實相をみるということが必要であります。實相をみるということは、唯實相世界を空想するということではないのであります。先ずすべて自分の周囲に現れて来る人、自分に接触する人、自分の活動の範囲に入って来る人、すべての出来事、すべての事物を神の御表現として祝福することであります。

即ち『法華経』に常不軽菩薩がすべての人を見るのに、「あなたの實相は佛様であります。完全円満であります。」と拝んだ様に相手の完全を拝み、それに愛念を送ることであります。自分の住んでいる此の世界は、肉眼にはどう見えようとも、それは神の国であり、完全円満であるのだと心に描いてそれを讃美しそれを祝福するのであります。

その實相完全円満の姿を常に心に描くのは、単に「自己暗示」という程度のものでなく、如実に
「實相を知る」と云う深さにまで貫き行かねばならないのであります。

つづく
      <平成28年3月12日 謹写>  ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (725)
日時:2016年03月13日 (日) 07時35分
名前:平賀玄米


吾々は「思うことが現れる」という心の法則を単に応用して幸福になろうと考える様な浅いことでは本当に幸福にはなれないのであります。そういう人は心の法則の応用法を誤り、ある条件を満たすことが出来なかった場合には「真理も私には効かない」と思って真理を罵る様になるのであります。心の法則を利用して浮世の反映を得ようとするが如きは、それは真理の入門に過ぎないのであります。

真理の入門の程度の境涯にいてさまようている人が多いのであります。そして現象界が自分の思う様にならないのは、自分の心境のいたらざることに気づかずして、遂に真理をそしる謗法の罪を犯すのであります。

吾々が真理の道に志した時には、心の法則を応用して現象界を支配するというような第一段の初心者の境地を一度は経るのでありますけれども、この境地は『法華経』に於ける「三車火宅」の例えにある所の「おもちゃの宝」を喜ぶ境地でありまして、本当の悟りではないのであります。

心の法則を応用して現象の利益を獲得するのが悪いのではありませんが、その境地は、現象を目的としていて實相の既に満足円満なる相にそのまま歓喜していない所に、境地の低さがあるのであります。吾々は現象の貧しさを克服するために、心の法則を応用するなどと考える境地より更に高く進んで、「すでにすべてのものが満ち足りている円満完全な實相」に随喜し感謝し法悦に浸る様な境地にならなければならないのであります。

つづく
      <平成28年3月13日 謹写>  ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (733)
日時:2016年03月14日 (月) 06時31分
名前:平賀玄米


かくて吾々は単なる末梢の心の法則などに頼ることなく心の法則が八方に拡がっているその中心である「實相」を掴むことになるのであります。かくて實相円満な姿を吾々が把握する時凡ゆる善きものが必要に従って恰も電話の中央交換局に通ずれば何処へでも自分の欲するものを呼び出して来ることが出来るかの如く、実相無限の供給が自ずから現象世界に現れて来るのであります。

「求める境地」をこえて、「求めざる境地」に入るのであります。「求める心」には尚「欠乏の感じ」があるのであります。そしてその「欠乏の感じ」が現象界の欠乏を導き出していることに気がつかない人が多いのであります。

吾々は求める心から一転して「与える心」に変わらなければならないのであります。「与える心」になっている者は、既に無限の供給があるという「実相の自覚」に到達しているのであって、「神の国」をわがものとしていることになるのでありますから、決して欠乏するということはないのであります。

吾々は現象に於いても、欠乏や不完全な状態を無くするために、「心の法則」を応用しているのだという様な、浅い境地であってはならないというのはその為であります。心の法則を応用するという境地にまだ騎手と馬とが一体になっていないで、騎手が馬を操っている程度であります。

その程度では本当にレースに優勝し得ることは出来ないのであります。鞍上人なく鞍下馬なく、馬と人とが一体である様に眞裡と人間と、実相と人間とが一体になってしまい、法則が自働して自然に結果を得る様にならなければならないのであります。

つづく
      <平成28年3月14日 謹写>  ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十一章 <致富原理の中心となるもの> (758)
日時:2016年03月15日 (火) 09時22分
名前:平賀玄米


吾々の生活分野が如何なる持場でありましょうとも、以上の様な境地になった時に、始めてその人の生活が「道」そのものになるのであります。

茶であれば茶道となり、花を活ければ華道となり、字を書けば書道となり、剣をふるえば剣道となり、生活をすれば生活道となるのであります。

「一芸に達すれば、万芸に通ず」といわれてのも、その人の生活が先ず「道」即ち「神の御国」に
則ればその余のものはすべて汝に加えられるからであります。

今回にて第二十一章は完、次回から第二十二章「繁栄の豊かなる流入」です。

       <平成28年3月15日 謹写>  ありがとうございます 合掌。


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』前章までのリンク (798)
日時:2016年03月17日 (木) 12時06分
名前:水晶

平賀玄米様

いつもありがとうございます。毎回楽しみに読ませていただいております。

前掲示板ではマリーゴールド様がリンクを貼ってくださっておりましたが、この掲示板では投稿されていらっしゃらないようなので、マリーゴールド様の前掲示板でのご投稿を元に、追加してリンクを貼らせていただきました。

善き人生の創造「目次・はしがき」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=90


善き人生の創造「第一章 善き生活の創造原理」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15378114


善き人生の創造「第二章 生命の不可思議」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15388555


善き人生の創造「第三章 幸福の門を開くには」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15411570


善き人生の創造「第四章 平和への第1か条」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15438445



善き人生の創造「第五章 大調和の生活」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15449068


善き人生の創造「第六章 “迷い”は無いと云うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15457932


善き人生の創造「第七章 健康のための心理学」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15462218


善き人生の創造「第八章 人間は何のために生まれたか」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15472518


善き人生の創造「第九章 根を培うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15477843



善き人生の創造「第十章 神にあずけて祈る心」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15482726



善き人生の創造「第十一章 女性の愛の力」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15489061



善き人生の創造「第十二章 常住の祈りと云うこと」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15501071




善き人生の創造「第十三章 人間は肉体ではない」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15512588



善き人生の創造「第十四章 業の浄化について」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15524152



善き人生の創造「第十五章 業を去り功徳をうるには」
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15535550


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十六章「あなたは本来罪がない」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=8


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十七章「自縄自縛からの解放」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=41


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十八章「わが魂の願いと祈り」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=77


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十九章「成功のための心理学」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=99


尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十章「繁栄を来たらすための信仰」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=113




水晶様 ありがとうございます。 (800)
日時:2016年03月17日 (木) 14時50分
名前:平賀玄米


水晶様 ありがとうございます。
マリーゴールド様のことは気にはなっておりましたが、以前からご多忙のお方と伺っておりましたので、その内と思っておりましたが、思い掛けなくも水晶様の御愛念でリンクを継承して頂き、深謝致します。

伝統様のお勧めで始めさせて頂いた謹写・投稿も、皆様の御愛念に支えられて今日に至っております。

時には感動し、時には涙しながら謹写させて頂いております。
これからも謹写を通して真理を学びつつ、投稿を続けて参りますので、
今後とも宜しくお願い申し上げます。
                        玄米 合掌再拝。



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