《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

Página de Português/ポル語ページ
 

 

新たな宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」−私たちの根本信仰−に学ぶ (11783)
日時:2020年04月07日 (火) 10時17分
名前:破邪顕正


3代目総裁が率いる「生長の家教団」があるのに、何故、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、新たに宗教法人の取得を目指したのか。

一言にして言うならば、そこには、明確な信仰の違い≠ェあったからという他はありません。

新編『生命の實相』第37巻「常楽篇・参考篇」にあるご文章をもって、その違いをご説明させていただこうと思います(114〜116頁)。

《諸君はここに気をつけねばなりません。

諸君が自分の「本当の父」だと思っていたエホバ神は「本当の父」ではなく、戸籍謄本がいつの間にか書きかえられて、「ニセ物の父」が「本当の父」であるように公文書が偽造されているわけであります。

「創世記」第一章にある吾等の創造主なる父は吾らを「言葉」にて神の像に完全無欠に霊的実在として創造り給うたにもかかわらず、エホバ神は「お前はエロヒムの子ではない。俺の子だ。お前は完全なものではない、霊的実在ではない、物質で創造ったものだ。罪を犯すものだ」と吾らに言っているのであります。

そのエホバ神の言葉を信じて、「自分は…神そのままの像に完全に造られていると思っているのに、それは嘘であったのか。自分は土の塵(物質)の子であり、罪を犯すように造られ、そして罪を犯したら神に罰せられるように造られているのか」と嘆き悲しんでいるのが現時多くの信仰なきクリスチャンの現状なのであります。

私はこのような信仰を有っているクリスチャンを本当の信仰なき人間と言うのであります。

何故ならこのようなキリスト教徒は神を信じているように見えているけれども、「人間を神の像に完全無欠に創造り給うた本当の神」を信じないで、いつの間にか戸籍謄本を書きかえ、本親のような顔をして、「本来無罪の人間」を「罪あり」と脅喝している継親の神を本親だと思っているからであります。

信仰というものは、何でも彼でも信じさえすれば「信仰がある」というわけではありません。

本当の親神を信ずるのが本当の正しき信仰であります。》

最後の一行、誠に重要であります。

生長の家にとって「本当の親神」とは何でありましょうか。

それを間違ってしまえば、「本当の正しき信仰」とは言えなくなってしまうのです。

だからこそ、現総裁が、総本山のご祭神であった「住吉大神」を脇神とし、新たに「造化の三神」を付け加えたことは、まさに神を冒涜するも同然の暴挙であったと言わざるをえません。

上の引用文をもって例えるならば、「ニセ物の父」が「本当の父」であるように公文書が偽造され≠スと言ってもいいのではないかと思うのです。

そういうことを平然とやってのける総裁、並びに教団とどうして「和解」ができましょうか(それだけでありません、尊師の聖典を絶版にする等の様々なことをやってきていたのですから)。

かくなる上は、新たに「本当の正しき信仰」をもった宗教法人を造る以外に道はない、そう覚悟して、宗教法人の取得を目指してきたというわけです。

その長年の夢が、ようやく、この立教90周年の節目の年に叶ったのです。

こんなに嬉しいことはありません。

つきましては、この度の、私達の新しい教団の「根本信仰」をご紹介し、もって現教団との信仰の違い≠改めて明らかにしておきたいと存じます。


1.私たちは住吉大神を神とする信仰に起つ!

尊師・谷口雅春先生の御教えに生きる私たちの根本信仰の第一は、住吉大神を神とするということです。

住吉大神は、人類を救うために、尊師・谷口雅春先生に天降り、33の神示と神想観、聖典『生命の實相』・聖経「甘露の法雨」等の数々の神癒の教えを授け給い、「生長の家」立教へと導かれました。

尊師の御教えを正統に承け継ぐ者として、私たちは住吉大神を神とする信仰に起つものであります。


2.聖典『生命の實相』こそ吾らの神殿である!

その第二は、私たちにとっての神殿は、聖典『生命の實相』であるということです。

「聲字即實相の神示」の冒頭に

《吾が第一の神殿は既に成れり。

名付けて『生命の實相』と云ふ。

…吾れは道(ことば)であるから、吾が道を語るところに吾が神殿は築かれる。

吾が道を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。》

と示されていますように、私たちにとっては、聖典『生命の實相』こそが真の神殿であります。

現在この『生命の實相』が新編として続々と出版されていますが、私たちは尊師から託された神殿を大いに弘めるために、まず自らが聖典『生命の實相』を拝読、熟読、心読してまいりましょう。

そして、その素晴らしさをお伝えしてまいりましょう。


3.私たちは谷口雅春先生信仰≠ノ生きる!

三つ目に、私たちは、谷口雅春先生を「生長の家」の創始者として、教祖として、救い主として、尊師として心から仰慕するものであります。

今なお、仏教徒が3,000年にわたってゴータマ・シッダールタを釈迦牟尼世尊として仰ぐように、キリスト教信徒が2,000年にわたりイエス様を永遠の救い主として仰ぐように、谷口雅春先生のみ教えに導かれた私たちは尊師による永遠の救いを心から信ずるものであります。


4.「人類光明化・日本国実相顕現運動」の聖なる使命に生きる!

今を去る90年前、尊師は「今、立て!」との神啓を受けられ、「生長の家」を立教されました。

そして、その運動を「人類光明化・日本国実相顕現運動」と称されました。

「人間・神の子、本来罪なし、病なし、迷いなし」の真理は、人類を救う大いなる福音となりました。

また、宇宙の全ての存在には中心がある≠ニの尊師のお悟りをそのまま国家として体現しているのが我が祖国・日本であり、それを千万年安泰に導くのが生長の家の使命であるとして「天皇国日本」の実相顕現の運動を先頭に立って牽引してこられたのが、尊師・谷口雅春先生でありました。

私たちは、その尊師の御思いを意に体して、日々、神想観を厳修し、「世界平和の祈り」「日本国実相顕現の祈り」を実践して、全身全霊、尊師のお志実現のために、同志の拡大、組織の拡充に邁進したいと考えます。

以上の「根本信仰」は、月刊誌『谷口雅春先生を学ぶ』誌・5月号に同封された「真理(ひかり)は前進する」からご紹介させていただきました。

この「根本信仰」に共感、共鳴される方は、新しく誕生した宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生」にぜひ、ご入会くださいますよう、よろしくお願いいたします。


住吉大神を神とする信仰こそが「生長の家」の本当の信仰なり! (11789)
日時:2020年04月08日 (水) 10時43分
名前:破邪顕正


私が「和解」派の皆さんとのやりとりを通じて決定的に違うと思い、違和感を禁じ得なかったのは、総裁がご祭神を変えたことについて、その事の重大性について、あまりにも無頓着すぎはしないか(そう言って悪ければ)、軽視しすぎではないのか、ということでありました。

だって、それがために、今や教団では「宇宙浄化の祈り」が実修しえないでいるのですよ。

本来ならば、新型コロナウイルスが猖獗を極めている今こそ、徹底して「宇宙浄化の祈り」を実修すべきでしょうし、それを全信徒に向かって発信すべきでしょう。

ところが、こういう状況下にもかかわらず、現教団は、相も変わらず、「自転車、クラフト、菜園」の活動を提唱しているわけです。

それについては、さすがの「和解」派の方も批判していますが、問題の所在は、どうして、こんなことになるのか、という点なのです。

結局は、神様を変えたからなのです。

神様を変えれば、必然的に、運動路線も変わっていかざるをえない、そういうことなのです。

だから、再度、申し上げますが、神様を変えるということは、信仰上、最大、最重要の問題なのです

ご存じのように「住吉大神」のお働きは、鎮護国家、宇宙浄化にあります。

その神様を脇神にして外すということは、とりもなおさず、鎮護国家、並びに宇宙浄化の使命は果たさないと宣言したも同然ということを意味します。

穿った見方をすれば、現総裁は、鎮護国家が嫌い、だからそれを外すために、敢えて神様を変えたのではないかというのが私の見立てです。

その見立てに従えば、現総裁との「和解」などということはあり得ないということにしかならない…。

それが論理的必然ではないでしょうか。

以下に引用するのは、既出のものではありますが、生長の家の神様が住吉大神であり、その御神徳は何であるかを知る重要な資料でありますので、改めてご紹介させていただく次第です。

昭和38年「全国代表者会議」でのご結語での、尊師のお言葉です。

《何故 生長の家が出現したのか。

生長の家の神は住吉大神である。

その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に顕れ給うたのか。

そこが非常に大切なところである。

『古事記』に示される如く、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。

最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と顕われ給うたのである。

天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。

日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となると云うことである。

この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに顕われ給うたという、ここに生長の家出現の真意があるのである。

ただ単に、人間は神の子であり、物質ではない。

肉体は無い。

病気は治ると云う、それだけの事ではないのであって、天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、日本の国を救い、世界を救うと云うところに、生長の家出現の本当の意義がある。》

だからこそ、かつて、昭和天皇陛下御在位50年を奉祝運動において、生長の家は教団をあげて、その運動を展開したわけです。

あのエポックメーキングともいうべき100万人の銀座パレード(このときの様子が『国のいのち 人のいのち』の表紙を飾っています)をことのほかお喜びになられたのが、尊師・谷口雅春先生でありました。

『生長の家』誌・昭和52年3月号の「明窓浄机」にはかくあります。

《…まことに過日全国的に行われた今上陛下御在位五十年奉祝のあの大群衆の先頭に立っておられるのは住吉大神である。

住吉大神の浄化のお働きなくしては宇宙も、わが日の本も、世界の人心も、赤化の魔手から免れることはできない。…》
 
まさしく、生長の家の神様は、住吉大神であられるのです。

そこから、天皇陛下のご即位をお祝いする運動や、赤化の魔手から≠ゥら祖国日本をお護りする愛国運動が必然的に生まれてきたのです。

その生長の家が、ご存じのように、今や「赤化の魔手」と手を結ぶような団体にまで変質しているわけでしょ。

すべては、神様を変えたからに他なりません。

だったら、神様を変えた教団とは別に、住吉大神を神とする新たな教団を創るしかないではありませんか。

「和解」派の皆さんにも、そこのところ、ぜひ、ご理解を賜りたいと強く念願する次第です。


ご祭神から「住吉大神」を外すのは、尊師を「生長の家」から外すも同然なのでは?! (11791)
日時:2020年04月09日 (木) 08時55分
名前:破邪顕正


先にご紹介した尊師のお言葉の中に、次の一文があります。

《『古事記』に示される如く、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。》

私がこれに注目するのは、尊師のご生誕日である11月22日が新嘗祭の前日に当たるからです。

実際、それに気づかれた誌友があったようで、尊師は、昭和52年11月22日の生長の家秋季記念日の祝賀式においてこう仰っておられます。

《明日は〈新嘗祭〉と、昔の大祭日の名前でいえば……そういうように称え奉る日であります。

新嘗祭というのは、日の大神……太陽の神様が……言い換えると天照大御神様のその御いのちを受けて稲穂が育って、そして新たなる天照大御神の御いのちを、それが宿っている新穀を、天皇陛下が、われわれ国民と共にいのちを新たにするためにお喫(あが)りになる真に芽出度い日であります。

言い換えると、新たに、天皇陛下および国民のいのちが更にお生まれ変りになって、そして新しく光を輝かし給う尊き日であります。

その前日に、何が起ったかといいますと、宇宙浄化の神であられる住吉(すみのえ)の大神の宇宙浄化が起りまして、そしてはじめてこの宇宙が浄まって、そして新たなる天照大御神の御いのちの宿ったそのお米を、天皇陛下と共に食べさして頂く、真に有難い日なんでありますねえ。(拍手)

「その新嘗祭の前日に私が生まれたということは、ただの偶然ではない」と……いうようなことを、誰れか熱心な誌友の方が手紙に書いて送って下さったのであります。(拍手)

まことに嬉しいと思うのであります。》(『理想世界ジュニア版』誌・昭和53年3月号)

「生長の家」の神様は住吉大神様であって、尊師はまさしくその化身であられる…。

そのように考えると、表題に書いたように、住吉大神を外すことは、尊師をも外すことと同義ではないのかと思うのです。

尊師の聖典を絶版にすることなどは、その象徴的な事例と言っても決して過言ではありません。

生長の家の創始者を外して「生長の家」の看板だけを受け取る…。

そういう「生長の家」でいいのか?

それをそのまま座視して許していいのか?。

今回、新たに誕生した宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」には、そんな思いが込められているということを改めて申し上げておきたいと思います。



「生長の家」は、立教当初から、宇宙の浄化を使命として誕生した… (11797)
日時:2020年04月11日 (土) 16時01分
名前:破邪顕正


新編『生命の實相』もいよいよ第40巻「教育実践篇」まで発刊されるに至りました。

その最新刊を拝読させていただいて、改めて、「生長の家」の使命の大きさを痛感しております。

それがはっきりと示されているのが、「第八章 人類無罪宣言」です。

この添え書きに、昭和十年三月二十一日、東京九段会館に於ける講演≠ニあります。

立教から5年を経過したときのご講演です。

この中で、尊師はヨハネ福音書において「言葉は神なりき」と過去形になっていることに注目され、次のように述べられます。

《それはどういう意味であるかといいますと、言葉は、実相の言葉と嘘の言葉(つまり迷の言葉)との二種類があるのであります。

「言葉は神である」というのは、実相の言葉、即ち善き言葉が神であって、善き言葉を使う時、この善き言葉の力によって創造られるものはすべて善きものであるということであります。

それが反対に、本来の善き言葉が汚され歪められて、吾々が神の言葉、実相の言葉を使わなくなり、悪しき言葉を使う時、その言葉の力によってこの世は乱れ、汚れ、天災地変、その他家庭争議などと、災多き、悪しき現象となって現れて来るのであります。

この時、もう「言葉は神なり」ではなく、「言葉は悪魔なり」になっているのであります。

それで生長の家の人類光明化運動とは、人々の言葉を浄めて、ほんとうに神の言葉にするということであって、人々の言葉を、本来の神より発する言葉、実相より発し実相を讃える言葉にしてしまおうというのが目的で、これこそ吾らの人類光明化運動の究極の目的なのであります。》(48〜49頁)

今、新型コロナウィルスが猛威を奮っていますが、このような禍事(まがごと)が蔓延るのは、上の表現を借りれば、人々が悪しき言葉を使≠チている、「言葉は悪魔なり」になっている≠ゥらということなのです。

ですから、それを消し去るには、人々の言葉を浄め≠ネければならない、本来の神より発する言葉、実相より発し実相を讃える言葉にして≠「かなければならない…。

そのために、「生長の家」は誕生したのです。

この後、尊師は、『古事記』に言及され、伊邪那岐命の身禊祓について説明されていきます。

《言葉の力を正しく用うれば天地八百万の神々も協力して一切の罪、汚れを浄めてしまうという事が書いてあるのが天津祝詞であります。

とにかく、伊邪那岐命は言葉をもって一切の罪、けがれを祓い浄められたのでありますが、この伊邪那岐命の言葉の力で宇宙諸々の罪穢れを祓い浄めるということが、「生長の家」の使命だということになるのであります。》(65頁)

何故、この箇所をご紹介させていただいたかと言うと、尊師がのちに「宇宙浄化の祈り」をご発表になられますが、その萌芽は、既にこのとき、少なくとも、このご講演がなされた昭和10年には見られたと思うからです。

即ち、立教当初から一貫して「生長の家」は宇宙浄化≠フ使命を担ってきたのです。

だからこそ、「生長の家」の神は住吉大神でなければならないのです。

その神様を変えるということは、「生長の家」の使命をも覆い隠すことにしかならないのではないのか。

ましてや、今日のこのような新型コロナウイルスの惨状を目の当たりにすれば、今こそ、住吉大神様の出番、「宇宙浄化の祈り」を徹底して実修すべきではないのかと思うのです。

心ある信徒の皆様には、ぜひ、「生長の家」出現の使命に思いを致し、「生長の家」の神様は宇宙浄化・鎮護国家の働きをもった住吉大神であるということを今一度、心に銘記していただきたいと思う次第です。


「谷口雅春先生を学ぶ会」は恩知らず集団≠ニ悪口を言われ続けて… (11808)
日時:2020年04月16日 (木) 09時13分
名前:破邪顕正


新たな宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」の教祖様は誰かと尋ねられたら、間髪を入れず、「尊師・谷口雅春先生であります」と答えさせていただきます。

中島代表は、その「宗教法人」の代表役員≠担っていただいているということになります。

そのことの意味について、先に「私たちの根本信仰」の中でこう述べさせていただきました。

〈3.私たちは谷口雅春先生信仰≠ノ生きる!

三つ目に、私たちは、谷口雅春先生を「生長の家」の創始者として、教祖として、救い主として、尊師として心から仰慕するものであります。〉

これが宗教上、どんな意義をもっているか、少しくご説明させていただきます。

表題にも掲げさせていただきましたが、「谷口雅春先生を学ぶ会」には、創立以来、教団の皆さんをはじめとして、いろんな方々から、散々な言われ方をしてまいりました。

曰く、「谷口雅春先生を学ぶ会」は悪口ばっかり言っている、悪口を言うのは生長の家ではない…。

(自分たちの方こそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」の悪口を言っているのに、その自己矛盾にはとんと気づかないのが、ずいぶん、おかしく感じたものですが…)

曰く、教団にお世話になっていながら、その教団に楯突くとは恩知らずも甚だしい…。

(これには、教団の方こそ、尊師の教えに背く、背教者ではないかと反論してまいりましたが…)

このような口撃が向けられるのも、それはそれで致し方ないことではあります。

何故と言って、これは、以前にも指摘したことですが、宗教の世界では、異端は異教より憎い≠ニいう感情が渦巻くものだからです(※今の教団を突き動かしているもの、それは異端は異教より憎い≠ニいう感情なり! (11515) 日時:2019年11月27日 (水) 17時02分…参照)

で、今回、申し上げたかったことは、本当に教団が言うように恩知らず≠ナあれば、早晩、「谷口雅春先生を学ぶ会」は潰え去ってしまっていただろうし、ましてや「宗教法人」の取得などあり得なかったのではないのか…。

現に、新編『生命の實相』第34巻「聖語篇」はこう言うわけですから(164〜165頁)。

《背恩者は天が味方しない…。

背恩とは、そのこと自体が生命の道に背いている。

生命の道に背くものが生きないのは当然である。》

このお諭しに従えば、「谷口雅春先生を学ぶ会」は決して恩知らず≠フ集団ではなかった、ということを逆に証し立てていやしないでしょうか。

むしろ、尊師の教えを護り抜こうとしたからこそ、天が味方≠オ、生命の道≠ノ適い、今回の「宗教法人」取得という慶事にこぎ着けることができたのではないのか。

その真骨頂こそが、先に掲げた「私たちは谷口雅春先生信仰≠ノ生きる!」なのだと思うのです。

具体的には、それはどういうことか。

ここで、私達が大いに参考にさせていただいているのが、この話です。

『白鳩』誌・昭和61年9月号に紹介されている、青森教区・野村サタ元白鳩会連合会長のお話です。

〈昔、東京の赤坂の道場の頃、谷口雅春先生が、「苦しいことがあったら三回私を呼んだらよろしいです。そしたら菩薩様の力が授かりますから」と言われたことを忠実に守って、誰にでも、「困ったら谷口雅春先生のお名前を三回呼ばせていただきなさい。菩薩の働きが出ますから」と言ってきました。〉

これに、痛く感銘を覚えた「谷口雅春先生を学ぶ会」では、何か、苦しいこと、辛いことがあったら、尊師・谷口雅春先生の御名をお呼びして、どんな問題も敢然と乗り越えていくようにいたしましょうと呼びかけてきたわけです。

この御名を呼ぶということの素晴らしさ、それは、聖経『真理の吟唱』「神の万徳を継承する祈り」の中にもあります。

《わたしは神の愛を呼吸し、常に神の愛に満たされ、神の愛の霊光が常に雰囲気となって私を包んでいるがゆえに、私の名をとなえる者、私の名を呼ぶもの、私の姿を思い浮かべる者、ことごとく心なごやかとなり、愛に満たされ、…幸福はおのずから集まり来るのである。》(81〜82頁)

ことあるごとに、尊師の御名を称えてきたことが、今回の「宗教法人」の取得にもつながったと確信しておりますし、今後もこれによってどんな壁が待ち受けていようとも乗り越えていくことができるとの自信にもつながっています。

皆さんも、ぜひ、尊師の御名を称えていっていただければと念願する次第です。



割り込み失礼します。上の11808で破邪顕正さんがおっしゃっている、「今の教団を突き動かしているもの、それは異端は異教より憎い≠ニいう感情なり! (11515)」は、ここにあります。 (11809)
日時:2020年04月16日 (木) 14時14分
名前:破邪顕正さんの愛読者です

すぐ上の11808で破邪顕正さんがおっしゃっている11515記事、「今の教団を突き動かしているもの、それは異端は異教より憎い≠ニいう感情なり! (11515)」は、
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2772
にあります。



なお、ついでにこの掲示板の検索で「教団 悪口」を調べたら次の記事も出てきて、大変参考になりました。

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2540
の中のコメント記事、
「教団に対する「不平不満ばかり」「攻撃ばかり」の「谷口雅春先生を学ぶ会」にはうんざりです≠ニ仰る方に (10775)」

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2525
「谷口雅春先生を学ぶ会」は教団に対して怨念のような、悪い波動を感じる≠ニいう投稿に関して (10716)

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2446
「教団と本流≠ニは話し合うべきだというご意見の向きへ (10494)」



また、教団の「学ぶ会」に対する態度を探したら、

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2531
「何故、教団は頻りに「谷口雅春先生を学ぶ会」を別派∴オいしたがるのか、その背景にあるもの (10743)」

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2547
「「学ぶ会にだけは行くな」「やめたら挨拶もしない」「縁を切る」など、多くの脅される事例が出ているということについて (10780)」



それからついでに、

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2425
の中のコメント記事、
破邪顕正さんが「学ぶ会」に対するマイナスイメージを抱かせているかも≠ニいうご指摘に思うこと (10458)
は、大変おもしろかったです。


ご参考まで。



「破邪顕正さんの愛読者です」さんへ、感謝申し上げます (11814)
日時:2020年04月19日 (日) 12時07分
名前:破邪顕正


再び、過去記事をご紹介くださり、ありがとうございました。

時間の流れに晒されても読むに耐え得るものを投稿したい、そんな思いで投稿してまいりました。

ご紹介いただいた過去記事を読みながら、今という状況にも、そのまま当てはまる内容であると思い、ホッとしているところです。

読みながら、現教団の「谷口雅春先生を学ぶ会」に対する悪口≠ヘ、尊師の教えを著しく逸脱するものであると改めて痛感いたしました。

とりわけ、「谷口雅春先生を学ぶ会」に行くと地獄に落ちる≠ニいう信徒さんには、きちんと反論して、御教えをはき違えないように警鐘を鳴らす必要があると思います。

そういう信徒さんに贈呈したいのが、新編『生命の實相』第34巻「聖語篇」にある、このお言葉です(207頁)。

《自分を「神の子」であると思えない者は他をも「神の子」と思えない。

「罪人よ、汝は地獄に堕ちる」と説教している者は、自身が地獄に堕ちる人である。》

その人の吐いている言葉を一番、最初に聞くのは、その人自身なのだということを知らなければなりません。

また、脳は一人称、二人称の区別がないという説もあります。

それに従えば、「お前、バチが当たるぞ」という言葉で相手を脅せば、脳にはその区別がつきませんから、「私、バチが当たる」と言っているも同然ということになってしまいます。

その言葉を、相手が受け取らなければ、いつまでもその言葉はその人の手元に留まるという話もあります。

どんなに嫌いであろうとも、どんなに憎しみの感情が吹き出てこようとも「地獄に墜ちる」という言葉は、やはり吐いてはならないのです。

もとより、このことは自らにも厳しく言い聞かせつつ、自戒しつつ、投稿していかなければならないと思っております。

今後とも、ご愛読に耐え得る内容となりますよう、大いに精進してまいります。


たびたびの御礼をいただき、恐縮です。これからも過去のご投稿文を探させていただきます。 (11816)
日時:2020年04月19日 (日) 20時42分
名前:破邪顕正さんの愛読者です

破邪顕正さま

二回も感謝のご連絡をくださり、ありがとうございます。

「谷口雅春先生を学ぶ会」には沢山のおかげをいただいています。

数年前に左目が緑内障にかかってしまい、医者や家族のすすめで手術を受けました。そのときに神癒祈願をうけて手術をうけたら、それまでかなり強い乱視があったのですが、手術後に、手術と無関係の乱視も治っていました。

また、去年までに50万円を4回も支払う必要にぶつかって、「さて、どうしたものだろう…」と思っていたら、4回ともすべて出してくださる人が現れて、結局、自分では1円も出さずに済んでしまいました。

はじめその人は、「心配するな。こちらですべて何とかする」と言っていました。私が心配して何か言うと、しまいには怒ってしまって、「全部まかせておけと言っているのだ。今後、金の話は一切ご免こうむる!」と言って、強引に必要な全額を出してくれたのでした。

これもみな「谷口雅春先生を学ぶ会」のおかげです。もしも教団に残っていたら、このような御蔭はいただけなかっただろうと思います。ありがとうございます。これからも勝手に過去投稿文を発掘して紹介させていただきます。


感謝・合掌





名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板