《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「学ぶ会にだけは行くな」「やめたら挨拶もしない」「縁を切る」など、多くの脅される事例が出ているということについて (10780)
日時:2019年03月28日 (木) 18時12分
名前:破邪顕正


標題にあるように、相も変わらず、教団からの「谷口雅春先生を学ぶ会」に対する嫌がらせ、圧力、脅しは後を絶たないようです。

尊師の教えからして、果たしてこういうことはどういうことなのか…?

それが、まずは、問われなければなりません。

『続 真理の吟唱』「妄想を去り至福無限の実相世界を観る祈り」には、次のような御文章が出てきます。

《般若心経には、「顛倒夢想を遠離すれば恐怖なし」と示されているのである。

という意味は、恐怖が起こるのはその信仰が正しき信仰ではなく信仰≠フ仮面をかぶった顛倒夢想であることの証拠であるという意味である。》

つまり、教団の脅しに対して、恐怖感を抱いてしまうという、その自らの信仰とは何なのか、それを問い直してみる必要があるのではないかと思うのです。

教団は、どうして、こういう脅しを繰り返すのでしょうか。

誤解を恐れずに言わせて貰えば、それが有効だとみなしているからだと思うのです。

脅せば退会を思い留まる、だから、教団は、脅し続けるのです。

脅しは邪教≠ナす!

『生命の實相』第30巻に、こうあるからです(83〜84頁)

《世間往々神罰を説き神示を説き恐怖心を唆って善なる行為に導こうとする宗教がありますが、恐怖心を利用していやが応でもある行為の実行を迫るというふうな宗教は、人間を卑屈にしている宗教で邪教であります。》

教団を邪教≠ノ走らせてしまうのは脅しに屈するからこそである…。

そう認識し直して、心を強くもって、脅しには屈しないという覚悟で臨んでいただきたと心から願います。

脅しが何の効果もない、却って逆効果にしかならない!

そう、教団に思わしむることが、却って教団を邪教≠ゥら救う道なのではないでしょうか。

それに続けて、『生命の實相』第30巻には、こういうご文章も出てきます。

《われわれは、人を導く場合に、恐怖心を起こさせるような方法によって善に導いたところが、かくして為される善は本当の善ではないのでありますから、人間を本当に善人たらしむることはできないのであります。》(84頁)

私には、今の運動は、現象悪をこれでもか、これでもかと見せつけて、ノーミートや自転車乗りを推奨しているようにしか見えません。

そのような恐怖感を媒介としての善≠ヘ、如何にそれが善≠セとしても、「人間を本当に善人たらしむることはできない」ということになるのではないでしょうか。

こういうことを投稿することは、やはり悪口≠ニして非難されなければならないことなのでしょうか。




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