《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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総裁、並びに教団が天皇≠フ御存在をどう見ているか、教団の運動方針を見たらいい! (10450)
日時:2018年11月30日 (金) 17時11分
名前:破邪顕正


「天皇陛下御即位三十年奉祝委員会」の【代表委員】の一覧に

《中島省治 「生長の家」創始者・谷口雅春先生を学ぶ会代表》

その御名があることを紹介させていただいたところ、「この委員会に名を連ねていないということが天皇様を思っておられないという証左にはならない」というような意見を述べた方があります。

私が申し上げたかったことを再度、言わせていただきます。

いろんな宗教団体がそこに名を連ねているというのに、もし、そこに「生長の家」の御名がなかったら、尊師・谷口雅春先生はどう思われるだろうか?

「生長の家」の社会的位置が、そこで、根本的に問われることになるということを申し上げたかったのです。

さて、人は、3つの名前をもっていると言われます。

@まず、第一の名前は、戸籍にある名前です。

A第二の名前は、自分が自分に勝手につけた名前です。

それは、大体、親や周りの人がつけたものをいつしか自分の名前と思い込んでしまうところから来ています。

他人と比較され「しっかりしなさい」と言われたら「しっかりしていない」というのが自分の名前。

「早くしなさい」と言われたら「ノロマ」というのが自分の名前…。

つまり、自分はここにいてよく思われていない、不十分な人間である、駄目な自分である、それがいつしか自分の名前となってしまうのです。

その第二の名前がそのまま人生を駄目にもしていくのです。

しからば、どうしたらいいか。

B第三の名前を入れればいいのです。

I am that I am…≠サこに「神の子」という第三の名前を入れるのです。

イエス様は、川原の葦のように、いつもこの世の情報や問題にフラフラと振り回される「シモン」を見られて、信仰によって岩のように揺るがない者となるようにと「ペテロ」(岩という意味のギリシャ語)と名づけられました。

そして、その名の通り、聖ペテロとしてキリスト者から仰がれる人生を送ることとなります。

この3つの名前の話を紹介したのは他でもありません。

この「日本」という国家もまた3つの名前をもっていると思えてならないからです。

@国名≠ニしての「日本」

A侵略国家≠ニしての「日本」

B神の国≠ニしての「日本」

言うまでもなく戦後、私たちが教えられたのは@とAでありました。

周りの国々から、日本は悪い国、周りに迷惑ばかりをかけてきた国だと責め続けられ、いつしか、それが自分達の国の姿だと思わせられてきました。

だから、周りから、どんな難癖をつけられても反論してはいけない、耐え忍ばなければならないのだ…と、そう思い込まされてきたわけです。

そういうところに、Bの日本があること、それこそが本当の日本であることを教えてくださったのが、かつての生長の家でありました。

初めて、生長の家と出会い、Bの日本と出会えたときの感動は今以て忘れることはできません。

このBの日本のことをある人は、こう評しました。

日本だけ、ずっと日本

何故、そう言い得るのか。

そうです、そこには、ずっと天皇のご存在があり続けたからです。

そして、何故、天皇のご存在があり続けたのか。

その根本的理由を『古事記』神話を通して教えてくださったのが、尊師・谷口雅春先生に他なりません。

そのご恩を深く深く感ずるがゆえに、私は「生長の家」「谷口雅春先生」の御名が奉祝委員会の名簿の中にあったことが、とても有り難く、これで少しは尊師に顔向けできるかなと思ったのです。

前置きが大変、長くなりました。

私が、今回、言いたかったのはこういうことです。

なるほど、何も「奉祝委員会」に名を連ねることだけが祝意を表す道とは限らないかもしれません。

自分達の思いで、祝意を表すということもあり得るでしょう。

よし、そうだとして、だったら、生長の家教団独自で、御代替わりの重大なこのとき、御即位30年をお祝いする運動を展開したらいいと思うのです。

当然、そうであれば、それが教団の運動方針に反映されるはずでありましょう。

既に、来年の教団の運動方針は確定したと伺っております。

果たして、そこに、御即位30年奉祝の文字が刻まれているでありましょうか…?!

「この委員会に名を連ねていないということが天皇様を思っておられないという証左にはならない」と仰る向きは、ぜひ、教団の運動方針を御覧になってみるべきです。

そこに奉祝≠フ文字があればそれでよし。

もし、奉祝≠フ文字がなかったとしたら、やはり、現総裁、及び現教団には、天皇さまを思う心がないのだと難じられても致し方ないのではないでしょうか。

自分の勝手な思い込み、こうあってほしいという願望。

それはそれとして、実際、今、教団はどうなっているのか。

それを冷静に判断する上で、私は、この運動方針というものは実に好個の材料を提供していると思うものであります。

その団体の意志、思い、考えは、運動方針という形に如実に反映されるに相違ないからです。

運動方針に奉祝≠フ文言があるや否や。

どなたでも結構です、関係者の方、ご教示くださいませんでしょうか?!





「谷口雅春先生を学ぶ」誌1月号に中島省治代表からのメッセージが同封されていました! (10456)
日時:2018年12月03日 (月) 11時54分
名前:破邪顕正


表題の文章は以下の通りです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

《特報》中島省治代表から「生長の家創始者・谷口雅春先生を学ぶ会」の皆様への緊急メッセージをお届けします。

天皇陛下御即位三十年奉祝委員会 発進に憶(おも)う

十一月二十七日、上記の設立総会に出席し、就任委員の名簿を見て、十月に代委員を拝命している小生(しょうせい)は、その晴れがましさ、責務の重大さに改めて粛然(しゅくぜん)とした。

上記委員の数が多いこと(二百九十名)は予期の通りで、県知事など自治体代表八十名は当然として宗教会代表が三十一名ある。

主な方は伊勢の神宮少宮司(宮司は皇室関係にて別枠)明治・伏見稲荷大社宮司、出雲大社教管長の他、仏界、新宗教界代表と錚々(そうそう)たる方である。

その上位(会長、顧問、代表世話人他)は二十六名だが、発会十六年、未だ任意団体の当会(しかも宗教的経歴皆無の出版人が代表)の選定は、最たる異例にて、超実体の荷の重さに思わず慄然(りつぜん)とした。

改憲運動などの会員の実績にて民族派愛国団体の間では評価を受け、若干の存在感ありとは言え、社会的には無名に近く、如何なる集団かと首をかしげる方も多いと思う。

就中(なかんずく)、伝統ある生長の家教団を排しての記載(登用)は、格段の注目を浴びること必定(ひつじょう)。

覚悟すべきと襟(えり)を正(ただ)した。

更に、代表委員の次の奉祝委員約七百四十名の中に、神道系最上階(熱田・霧島・橿原・宮崎・平安神宮、香取・鹿島神社、出雲・春日・住吉大社他)が名を連ねておられるにおいておや。

憶(おも)うに、これすべて当会名の冠(かんむり)に戴(いただ)く「生長家創始者・谷口雅春先生」の絶大なるご遺徳(いとく)の然(しか)らしむる神はからい≠ニ認めるを得ない。

そして、生長の家大神の「当会は今や新段階に到達せり。心機一転大いに奮起(ふんき)せよ!」との宣言とも。

天皇国日本の実相顕現≠理念に掲げる会員諸氏も、この厳然(げんぜん)たる事実=名簿公開を肝(きも)に銘(めい)じ、十二分に応え、恥ずること無きよう、一段と研鑽、活動に励むべきと念願し、認(したた)めました。

平成三十年十一月二十八日        中島 省治

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して、何かとご注文される投稿が散見されますが(おそらくは、内情をご存じない方が勝手な思い込みだけで投稿されているような印象をもっています)、おかげさまで、「谷口雅春先生を学ぶ会」は会員数も増加の一途を辿り、それにつれ、拠点も着実に拡充されていっております。

もとより、一方において、残念ながら退会される方もあります。

そういう方の情報ばかりを耳にしているから、「谷口雅春先生を学ぶ会」に対してマイナスイメージを抱いてしまわれるのかもしれません。

でも、ご安心ください。

退会する方以上に、入会される方の方がはるかに多いのが実状です。

それより何より、大事なのは、「谷口雅春先生を学ぶ会」の活動が周りから高い評価を得られるようになったということなのです。

明治神宮における全国大会の開催がそれに預かって力があったことは言うまでもありません。

今回の奉祝委員会での【代表委員】の要請は、「谷口雅春先生を学ぶ会」が愛国団体としての地位を確固たるものにしたことを如実に物語るものだと思っております。

それを最も痛感せられたのが、他ならぬ中島省治代表ではなかったか。

さればこそ、中島代表は、上記のようなメッセージを書かないではいられなかったのではないのか。

そう拝察する次第です。

中島代表の、この思いに応え、更に更に前進してまいりたいと思う次第です。


破邪顕正さんが「学ぶ会」に対するマイナスイメージを抱かせているかも≠ニいうご指摘に思うこと (10458)
日時:2018年12月03日 (月) 17時34分
名前:破邪顕正


表題の投稿が<愛国本流掲示板>にありました。

こういう投稿をいただきますと、私は、恰好の投稿ネタをいただいたと嬉しくなるんですね。

私の信条は、どんな批判もすべてネタにしてしまう、それであります。

さしずめ、このネタから、私が思ったことを書いてみることにします。

@まずは、「がばいばあちゃん」の話から。

漫才コンビ、B&Bの島田洋七のおばあちゃんの話です。

ある日、学校で洋七少年に、思いも寄らぬ出来事が起きました。

偶然、同級生が自分の悪口を言ってるところを聞いてしまったのです。

ショックを受けた洋七少年は、家に帰るとそのことをばあちゃんに相談しました。

すると、ばあちゃんは涼しい顔でこう言い放ったのです。

「気にせんでよか。2〜3人に嫌われても、反対向けば1億人おるから」

なるほど、私が「谷口雅春先生を学ぶ会」の足を引っ張っている、マイナスイメージを抱かせていると思う人もいるでしょうね。

しかし、反対を向けば、そうではないと言ってくださる方もあるに違いありません。

結局は、どちらを向くのかという話ではないでしょうか。

「気にせんでよか」で生きていくことにします。

A怒ったときにこそ、自分の心が透けて見えるという話。

一郎さんに対して「次郎さん」と呼びかけても振り向きはしません。

怒るのは、それに反応した、いわば振り向いたということで、つまりその指摘が当たっていると思ったからなのです。

「マイナスイメージを抱かせている」というご指摘に、もし、私がムカッときたとしたら、私自身が内心、そう思っているということを意味するのです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は、既に申し上げたように、現状、何もマイナスにはなっていないのですから、そのご指摘に私は振り向くことはありませんし、当然、ムカッとするようなこともありはしません。

Bこれは、所謂、イメージ操作による口撃≠ナあり、それに振り回される愚はおかさないという話。

こういう言葉があります。

〈イライラさせられているのか、相手に。それともイライラを選択したのか、自分で。〉

「運命の主人公は自分である」というのが尊師の教えでありますから、イライラしたときは、常に後者の方を選択できるように心がけたいと思っています。

小林正観さんがこういうことを言っています。

〈どんなことに対しても一喜一憂しない心をつくるとものすごく人生が楽になります。

何を言われてもにこにこしている状態を、強靭な魂と言います…

必要なことはただひとつ、「ぼ—っ」とすること。

メンツやプライドを一生懸命に守ろうとする人は、実はものすごく弱い人なのです。

自尊心が傷つかないように、身や心を守るのではなく、バカにされてもあざけられても、いっさい傷つかないで「そうなんですよね、ふふ」と言っている人。

これが本当に強い人といえます〉

強い人≠ニして生きていきたいと思っております。

C常に試されているという話。

こう言ったら、どういう反応を示すか、それを試してみたくなる…。

人はどうもそういう心理が働くもののようです。

ある指揮者がこういう話しをしていました。

楽団というのは、常に指揮者を試そうとする。

わざと間違って、そこに気づくかどうか。

気づかないと、この程度の指揮者かと足元を見てバカにしはじめる…と。

いやはや、指揮者も大変です。

試そうとする側の人もいれば、常に試される側の人もいる。

なるほど、試そうとする側はお気楽でいいでしょうが、魂の生長がら見たらどうなのでしょうね…。

そういう観点から、どちらの側に立つがいいか、考えてみるのも一興ではないでしょうか。

D開き直って「だったら、自分でやってみたら」という話。

〈実地を踏んで鍛え上げない人間は、木偶(でく)の坊と同(おん)なじ事だ〉『明暗』夏目漱石の言葉より。

「学者の取った天下なし」という諺(ことわざ)があります。

「こうすれば天下が取れる」という政治学者に、天下が取れるわけではないし、「経営はこうするものだ」という経営学者が会社を経営してうまくいったためしはないという話もあります。

つまり、自ら組織づくりをやらないで、評論ばかりしていても、それで世の中を動かすことは出来得ないと思うものであります。

で、結論。

セオドア・ルーズベルト大統領の名言をもって結論に替えさせていただきます。

〈ボクシングを見ている奴はいろいろなことを言うが、リングで戦っている奴を褒(ほ)めろ〉



教団の運動方針にも、更には総裁の新年の挨拶にも、奉祝≠フ文字はありませんでした! (10480)
日時:2018年12月18日 (火) 17時54分
名前:破邪顕正


案の定、教団の来年度の運動方針には、御即位30年を奉祝する言葉はありませんでした。

もちろん、御代替わりという言葉もありません。

恒例の総裁の年頭の挨拶(既に、全国の教化部には送信されているようです)にも、その文言はありません。

ある伝手を通して、「運動方針を決定する場で、御代替わりに関して、誰か訊ねた人はいなかったのか」と聞いてみました。

皆さん、どんな答えが返ってきたと思いますか?

「そんなことを聞けるような環境にはありませんよ」

この答えが実にいいでしょう。

環境問題に特化している現教団であっても、愛国を語る環境≠ノはないということがこれで明確になったのですから。

如何に、今の教団がかつての「生長の家」とは違ってしまったか、変質してしまったか。

再度、申し上げます。

あの昭和天皇さまの御在位五十年奉祝運動、そのときのクライマックスとなった100万人の銀座パレード、『国のいのち 人のいのち』の表紙を飾ったことからもわかりますように、その運動の中核的役割を果たしたのが、当時の「生長の家」でありました。

そのことを、ことのほかお喜びになられたのが、尊師・谷口雅春先生であります。

『生長の家』誌・昭和52年3月号の「明窓浄机」に、尊師はこうお書きになられました。

《…まことに過日全国的に行われた今上陛下御在位五十年奉祝のあの大群衆の先頭に立っておられるのは住吉大神である。

住吉大神の浄化のお働きなくしては宇宙も、わが日の本も、世界の人心も、赤化の魔手から免れることはできない。…》

赤化の魔手≠ゥら祖国日本を護るのが住吉大神のお働きであるのに、その住吉大神をご祭神から外し、あろうことか、赤化の魔手に絡みとられてしまった観のある今の教団を、尊師がご覧になったら、何と仰るでありましょうか。

一人ひとり、胸に手を当てて、このような教団でいいのか。

御代替わりに何の関心も払わないような教団で本当にいいのか。

ぜひ、そのことをお考えいただき、その上で、新しい年、自分は尊師のご恩に、何をもってお応えするのか、勇気ある決断を下してほしいと心から念願する次第です。


皇位御継承を奉祝する出版社もあるのに (10488)
日時:2018年12月19日 (水) 19時28分
名前:下総の野人

今朝の読売新聞一面下段に出版社の広告がずらっと出ておりました。そのうちのひとつ勉誠出版の広告に目がとまりました。

欄の一番上に「奉祝 皇位御継承」とあり、以下出版物の書名が掲げられています。

『天皇論の名著』、昭和天皇の学ばれた教科書『国史』『倫理』『教育勅語』、『尋常小学「国史」が教えた愛国心』、『天皇の祈りと宮中祭祀』、『皇室典範と女性宮家』、『昭和天皇の戦い』(加瀬英明先生のご著書)、『天皇皇族歴史伝説大事典』

以上です。

それで思いました。

日本教文社も天皇さま関係の書籍をたくさん出していたはずです。

なんということでしょうか…



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