《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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何故、教団は頻りに「谷口雅春先生を学ぶ会」を別派∴オいしたがるのか、その背景にあるもの (10743)
日時:2019年03月16日 (土) 12時02分
名前:破邪顕正


ご存じのように、教団は、表題に掲げたように、「谷口雅春先生を学ぶ会」を別派≠ニ称し、そちらに行ってはならない…。

退会するのはやむを得ないとしても、「谷口雅春先生を学ぶ会」に行くのだけは許さない…。

もし、行ったらバチがあたるぞ…。

そういう強硬姿勢をモロに見せつけています。

何故、そこまでして別派≠ニ言いたがるのか?

その背景にあるのが、『神ひとに語り給ふ』にある「橋掛け≠ニ橋はづし≠ノ就いて」であります(307頁〜308頁)。

《最後に、生長の家を知らして貰ったところの真理への「橋掛け」となった人の恩を忘れてはならぬということが示されております。

…しかし、その「生長の家」を知らして下さり、真理を知らして下さった人が、何かの迷いで「生長の家」に反感をもって「生長の家」を去って別派行動をとったような場合に「橋掛けになった人の恩を忘れてはならぬ」と教えられているからといって、その生長の家を去って別派運動をする人に附いて行って、一緒に生長の家を去る人も往々ありますが、これは大変な間違であります。

何故なら、その人は最初は生長の家へ導く「橋掛け」になった人でありますが、別派行動をするようになった人は、今度は「橋外し」になっているのですから、「橋掛け」の人は大切にしなければならぬが、「橋外し」になった人は、今後、どれだけ多くの人を真理への道中になる橋を外して、暗黒の世界へ墜落せしめるか計り知れない訳でありますから、そのような人について行きますと、みづから「真理への道の橋はづし」になるから、「橋外し」のお手伝いをしては罪を重ねることになります。》

つまり、「谷口雅春先生を学ぶ会」を別派≠ニ規定づけることによって、「谷口雅春先生を学ぶ会」はここに言う橋外し≠フ集団だから、そういう人達について行ってはいけないという論理にもっていこうとしているわけです。

この論は、教化部長たちの間にも広がっているようで、いろんなところで使用されているようです。

その反論に入る前に、まず不思議に思うのは、このテキスト『神ひとに語り給ふ』は、事実上、絶版になっているということであります。

そんなにテキストとして使えると思うのだったら、絶版にしなければいいものを…。

と、まずはジャブを入れておいて、いよいよ、本題に入ります。

ここで一番、問われなければならないのは、ここに言われる別派≠ニは、まさしく今の教団そのものではないのかということであります。

その瞬間、攻守、完全に逆転してしまいます。

つまり、尊師は、別派≠ノついて、こう評されているわけです。

多くの人を真理への道中になる橋を外して、暗黒の世界へ墜落せしめる

ここで大事なことは、「真理」とは何か、ということでなければなりません。

私に言わせれば、それは尊師の説かれたもの≠ニいうことに尽きます。

ところが、総裁は、その「真理」をそのままお伝えしているでありましょうか。

本当にそうであれば、聖典の絶版などするわけがありません。

尊師の聖典を拝読できないようにする…。

それこそは、まさしく、尊師の言われる橋外し∴ネ外のなにものでもありはしません。

そもそも、自分の書いたものを聖典とは呼ばせない≠ニまで言った総裁なのです。

本人が一番、「真理」の世界とはほど遠いことを自覚していたのではないでしょうか。

「憲法を知ろう」などという本を発刊したことなど、その最たるものです。

総裁、並びに、教団こそが、尊師の創始せられた本来の「生長の家」の教えから外れた別派≠ネのです。

だから、そういう総裁、教団について行ってはならないのです!

再度、申し上げます。

全ては「真理」とは何か?

それで決まるということを申し上げておきたいと思います。




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