尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十二章 <繁栄の豊かなる流入> (799) |
- 日時:2016年03月17日 (木) 14時22分
名前:平賀玄米
<富の本質は神からの供給である>
本当の富というものは地上の世界の物体自体ではないのであって、地上の世界の物体は神の豊かなる生命の流れの投影(かげ)に過ぎないのであります。それは神の生命と愛と智慧とが吾々に流れ入って影を映しているのであるから、それを受けたものは、それのよって来る所の本源たる神を愛し、神の為に働かなければならないのであります。
富を物体と見ずして神の恵みであると見、神は愛であるからその富を通して神の愛を実現せんがためにそれを豊かに最も有効な方法に於いて循環せしめなければならないのであります。それは本来神に属するものであるから、自分自身の快楽をそれから得ようと考えてはならないのであります。もし「物」からして自分の幸福感を得ようとするならば、それは却って得られないことになるのです。
吾々は幸福の流れを神に於いてえた時にのみ、本当に幸福になることが出来るのであります。それが本当にわかるならば、吾々の周囲の状態が如何に一変して自分の富がある時期に姿を消していしまっても、そんなことに失望落胆することはなくなります。
神が富の本当の本源であって、吾々の得ている富はその投影であるから、映画の第一巻が必ず終わらなければならないように、物質的な富は必ず過行くのであります。然し、第一巻が終えた後には第二巻が始まって来るし、或はその映画の前篇が終わっても、亦別の映画が自分の目の前に展開して来るのであります。
そして自分の目の前から消えた富は他の映画館に映写されて他の人が観覧して楽しんでいるように、その富によって楽しむ人があるのであります。そして自分には又別の富がやって来ます。 これが循環の富であり、今ある富は過ぎ去り、常に新たなる富が入り来るのであります。
つづく
<平成28年3月17日 謹写> ありがとうございます 合掌。
|
|