「實相」=谷口雅春先生、そのイメージを払拭して新たな雅宣教団(=エセ生長の家教団)≠つくるには礼拝対象を取り替える必要があった… (11920) |
- 日時:2020年05月07日 (木) 11時06分
名前:破邪顕正
今回の「通達」の4頁にこうあります。
〈7.七重塔の縮小模型の設置について (1)七重塔の縮小模型(石膏製、高さ70cm)を順次製作し、該当する教化部には本年6月末までに教区番号順に配備を完了する。(担当:環境共生部) (2)七重塔の縮小模型を乗せる台座(木製)、並びに“造化の三神”の神霊符を納めた三社造りのお社の台座(木製)は、環境共生部が提供する基本図面(資料1, 2)に基づいて、教区は原則として自教区のSNIクラフト倶楽部のメンバーに依頼して製作する(製作費用は教区の負担)。但し、材料は地産または近隣都道府県産の木材を使用するものとし、台座のサイズは教化部の實相額のサイズや高さ等に合わせて変更することを可とする。〉
また、その14頁、15頁には、「七重塔」と「造化の三神」のそれぞれの台座の展開図が示されています。
前者の幅が90p、高さが70p、奥行が70p。
後者は幅は同じく90p、高さが55p、奥行が55p。
つまり、この本部案のままだと、「七重塔」は70pの土台の上に70pの高さですから、合計140pとなってしまいます。
また、“造化の三神”の神霊符をお祀りする三社造りの神棚は、縦41p、横52p、奥行き22pですから、高さが96pということになります。
このままだと、結構な高さとなって、中には「實相」額の相≠ェ見えない、ということもあり得ます。
だから、「通達」では、それはまずいと思ったのでしょう。
教化部の實相額のサイズや高さ等に合わせて変更することを可とする。
そう、断り書きが記してあります。
で、問題なのは、「實相」額の前に、これだけのものを設置したとき、それが、どう信徒の目に映るのか、ということなのです。
目の前に飛び込んでくるのは、「實相」ではなく、まずは“造化の三神”の神霊符であり、そしてその先の「七重塔」であるわけです。
その奥に「實相」額がある…そういうことになるわけです。
で、「通達」は、その設置の意味を「万教帰一の教えを視覚的に現す」(1頁)ためというわけです。
そして、またこうも言うわけです。
「宗教の様式や形式の相違を超えてその奥にある実相を礼拝する」(同1頁)
確かに、「實相」額は、文字通りその奥≠ノ置かれることになります。
このことを、全面的に肯定する投稿がありましたので、ご紹介します。
所謂「トキ」掲示板には、教団信徒の声がよく見られるので、私も重宝しておりますが、これもまたその一つかと思います。
〈 (26850) 日時:2020年05月07日 (木) 04時48分 名前:はてさて,,,,, また、「實相」の象徴であるところの實相額を奥に置し、造化の三神を祀るという形態で象徴したところに、連綿と続く宗教法人「生長の家」全体性の心が顕れていると、信頼しているところです。〉
一体、何を根拠に全体性の心が顕れている≠ニいうのか、私には皆目、見当もつきませんが、こういう信徒さんこそ(総裁のお好きな表現で敢えて言わせてもらえば)雅宣総裁原理主義者≠ネのではないでしょうか。
総裁先生の仰ること、なされることは、無前提に無条件に、すべてを信頼する…。
そういう信仰形態、私は何も否定しようとは思いませんし、それはそれでいいとも思っています。
しかし、そうは思えない人が一方にはいるわけです。
教団の中にも、今回の「通達」は、尊師の教えに反すると感じている信徒さんだっている…。
それはそうでしょう、「實相」礼拝したら、目の前に、神霊符が、塔が、飛び込んでくるわけですから。
しかも、それを視覚的に現す≠ニ言うのですから、余計に、戸惑ってしまう…。
例えば、新版『栄える生活365章』には、こうあります。
《常識の世界は、五官の感覚によって築かれているのであるから、物質は存在し、物質に力があり、物質に権威があるという信念の下に、普通の人間は育てられて来たのである。》 (193頁)
常識≠ナは却って「實相」が分からなくなってしまう、だから「神想観」では五官の世界を去って≠ニ念ずるわけでしょう。
更に、『前掲書』はこうも言うわけです。
《吾々は時々、五官の眼を瞑じて、神の心の中にある「理念人間」(実相の人間)を見るようにしなければならない。これが神想観であり、「No(無相)A(実相)の方舟(はこぶね)」に乗ることであり、目無堅間の小船に乗って龍宮海に渡ることであり、釈尊の「実相無相の微妙の法門」に乗托することである。イエスは五官の眼で現象を観る人のことを非難して、「汝は視ゆ≠ニいう罪は残れり」といって、むしろ肉体が盲目の少年を賞讃していられるのである。》(201頁)
視ゆ≠ニいう罪は残れり、そこまでご教示くださっているというのに、なぜ「視覚的に現す」必要があるというのでしょうか。
で、ここまで書いて来て、ふと思ったのは、総裁はこれで「實相」そのものをも排除しようとしているのではないのか、ということなのです。
先に、投稿しましたように、総裁はまず『生命の實相』をはじめとする聖典を排除しました。
「聖経」も補強≠オなければならないとして自ら「経本」を作ってしまいました。
「原理主義」の名のもとに尊師、並びに尊師を慕う愛国信徒をも教団から排除しました。
今度は、尊師を導き「神示」を授けたところの住吉大神まで排除し、神様を取り替え“造化の三神”を新たな神として礼拝するようにしました。
そして、とうとう「實相」額まで覆い隠そうとしている…。
そのやり口は、これとそっくりです。
〈すでに天照大御神や住吉大神のお礼を祀っている場合は天之御中主大神を一番手前に重ねて祀ります〉
つまり「實相」額の前に、「七重塔」「お社」を重ね≠ト設置することで、「實相」を奥に追いやるということにした…。
何を申し上げたいか。
「實相」=谷口雅春先生(尊師のご揮毫ですから当然です!)
そのイメージを払拭して、自ら新たな雅宣教団≠つくりあげるには、礼拝対象そのものを替える必要があった…。
それが、今回の「通達」に隠された総裁の本音ではなかったか。
今回の「通達」は、総裁の総裁による新たな雅宣教団(=エセ生長の家教団)の設立宣言なりという所以です。
|
|