《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《更なる吉報!》「谷口雅春先生を学ぶ会」中島省治代表が本日(2月26日)の宮中茶会≠ノご招待される! (10674)
日時:2019年02月26日 (火) 13時03分
名前:破邪顕正

「谷口雅春先生を学ぶ会」には慶事が続いております。

時系列に記させていただきます。

まず、「天皇陛下御在位三十年奉祝委員会」の【代表委員】に中島代表が選出されます。

続いて、「谷口雅春先生を学ぶ会」という団体名で初めて皇居勤労奉仕≠ノ参加することができました。

今上陛下、皇后陛下、そして皇太子殿下より親しくご会釈を賜る栄誉に浴しました。

更に、2月24日(日)、国立劇場で開催された「天皇陛下御在位三十年記念式典」にも、中島代表はご招待を受け、参列されました。

そこで配布された資料の扉には、御製、御歌が掲載されていました。

そこには、両陛下のこの平成、三十年の御歩み、全身全霊を傾けてこられたお心がそのまま詠み込まれているようで、それを朗唱させていただきますと、何か心洗われる思いがしてまいります。

御製

 我が国の旅重ねきて思ふかな
       年経る毎に町はととのふ

御歌

 ひと時の幸(さち)分かつがに人びとの
       佇(たたず)むゆふべ町に花降る

          平成十五年 歌会始 御題「町」

そして、今日(26日)、中島代表は宮中茶会≠ノ招待されました。

「谷口雅春先生を学ぶ会」にとって、これ以上ない名誉であります。

本当に感激の極みです。

ところが、残念なことに、「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して誹謗・中傷が後を絶ちません。

<愛国本流掲示板>の「管理人」さんの投稿を見て、本当に悲しくなりました。

〈谷口雅春先生の正しき 教えに基づき (25638)
日時:2019年02月24日 (日) 00時43分
名前:管理人

(前略)

最近、どうしたことか、「学ぶ会」は特に「恐ろしいくらいに排他的であるから、新左翼に近いのではないか?」とさえ言われています。

とんでもない誤解であると、私は思います。〉

今や、教団は「谷口雅春先生を学ぶ会」をまるで不倶戴天の敵のように思い、「谷口雅春先生を学ぶ会」に行ったらバチが当たるとまで言いふらしているそうですから、そういう人達が、このようなデマを言い募っているのでありましょう。

もし、本当にそのような団体であったら、どうして、上記に掲げたような名誉をいただけるのでありましょうか。

本来ならば、生長の家教団こそが、その栄誉に預かっていてもおかしくはない筈なのです。

なぜ、そういうことが現教団にはないのですか?

尊師のお説きになられた「天皇国日本」の真理を伝え遺す使命を抛擲したからではありませんか。

日本共産党は、24日の政府主催の「天皇陛下御在位三十年記念式典」に出席しませんでした。

そういう共産党から秋波を送られるような教団に変質したからこそ、悲しいかな、何の栄誉にも預かることができないままでいるのではありませんか。

御代替わりの大変、重要なとき、そこに何の関心も払わず、それどころか『憲法を知ろう』などという共産党まがいのパンフレットを出すような教団であってみれば、それもまた当然のことではないでしょうか。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して悪口≠言う前に、もっと教団のこの現状を直視してみるべきではないのか、尊師の教えに反することばかりやって、それで恥ずかしくはないのか…、心からそう思うものであります。


破邪顕正様。 あの・・・・・ (10675)
日時:2019年02月26日 (火) 15時09分
名前:そーれ!!

>最近、どしたことか「学ぶ会」は特に「恐ろしいくらいに排他的であるから
新左翼に近いのでは?・・・<

これは、愛国掲示版の管理人様の意見ではなく、日野君の主張を紹介された
ものですよね。

日野君は、頭が良い?のか悪いのか、右左の認識が出来ない青年なのです。

だって、安倍首相を、名指しで、「左翼」と言い放つのですから、ひどい
ものです。

彼にしてみれば、左翼?の安倍首相を応援する「学ぶ会」も左翼?との
見解の様です。

愛国掲示版の管理人様が、若い日野君の救済を提唱されていますが、

まず彼には、右と左を教えてあげなければなりません。

  ここからは、この投稿を読むであろう日野君へ、

  日野君いいかい、お茶椀を持つのが左手で、お箸を持つのが右手だよ。

  まあ、ぎっちょの人はその反対だけどね。

  いいかい日野君、共産党や、その仲間達が左なのだよ。

安倍首相は、世間一般からすると、右寄りだ。まあ、私は中道だと
思っているけどね。

  そして日野君が尊敬してやまない雅宣さんが、世間一般から見れば、
  左なのだよ。

愛国掲示版の管理人様も、こお投稿を読まれると思います。

管理人様、これでよろしいでしょうか。

中島省治代表、両陛下からご会釈の栄誉を賜る! (10676)
日時:2019年02月26日 (火) 17時04分
名前:破邪顕正


中島代表から、「谷口雅春先生を学ぶ会」本部に、本日の宮中茶会≠ノ参列しての喜びの声が届きました。

たくさんの招待者の中で、中島代表は、両陛下に直にご挨拶を申し上げることができたということであります。

代表の胸には、「谷口雅春先生を学ぶ会代表 中島省治」の名札が。

その名札を両陛下にご覧いただいて、「生長の家です!」とご挨拶されたそうです。

この中島代表の言葉、本当に嬉しいですね!

そうです、私たちは「生長の家」をやめてなんかいません!

谷口雅宣総裁が歪めてしまった「生長の家」の教団≠退会したのであって、生長の家の信仰をやめたわけでは決してありません。

否!むしろ、私たちこそが、尊師・谷口雅春先生のお説きくださった「生長の家」の信仰を護り抜いている、本来の、本当の生長の家信徒なのです。

その誇りに生きているのです。

中島代表が両陛下に言われた

「生長の家です!」

これこそ「谷口雅春先生を学ぶ会」の根本精神であります。

この感激、この喜びを力にして、「第7回全国大会」を大成功へと導いてまいりましょう!


「そーれ」さんへ (10677)
日時:2019年02月26日 (火) 17時15分
名前:破邪顕正


ちょっと、私の表現が不味かったようです。

私の真意を書かせていただきます。

<愛国本流掲示板>の「管理人」さんの投稿を見て、本当に悲しくなりました。

と書いたのは、

最近、どうしたことか、「学ぶ会」は特に「恐ろしいくらいに排他的であるから、新左翼に近いのではないか?」とさえ言われています。

そういうことを言う人のいることを「悲しく」思ったという意味です。

「管理人」さんは、

とんでもない誤解であると、私は思います。

と書いていますので、本当に頼もしい、良識をもった方であると、私は以前から「管理人」さんには敬意を表しております。

ともに、本流≠支えてくださる貴重な方だと感謝している次第です。


中島代表を重版未定にした共犯者′トばわりする向きには、ぜひ、この真実≠知ってほしい! (10679)
日時:2019年02月27日 (水) 09時58分
名前:破邪顕正


中島代表は、「谷口雅春先生を学ぶ会」代表となられたとき、様々な非難、批判を浴びせられました。

「恩知らず」「裏切り者」「背教者」等の様々な悪罵を投げつけられました。

元理事長からは、公の場で、「中島は野狐禅(やこぜん…禅宗において、禅に似て非なる邪禅のこと)に堕した」とまで言われたこともあったやに伺っております。

当然、辛い、苦しい日々もおありだったろうと拝察いたします。

それだけに、今回の度重なる栄誉は、「谷口雅春先生を学ぶ会」会員にとって、本当に嬉しい、有り難いことであったのです。

それが、「元日本教文社社長」でもなければ「元生長の家理事」でもない、「谷口雅春先生を学ぶ会代表」としての栄誉であったからです。

これまでの苦労が報われた!

「谷口雅春先生を学ぶ会」代表となって本当に良かった!

そう思っていただいたのではないのか。

代表の栄誉は、「谷口雅春先生を学ぶ会」会員全員にとっての栄誉である!

そう思えて、本当に嬉しかったのです。

ところが、残念ながら、それを素直に喜べない人がいる…。

<愛国本流掲示板>に、中島代表を誹謗・中傷するような書き込みを見たからです。

〈雅春先生の御著書を重版未定にした共犯者が「宮中茶会」に? (25659)
日時:2019年02月26日 (火) 23時02分
名前:なんかへんだなあ

雅春先生の御著書を重版未定にした共犯者が「宮中茶会」に?

主犯は「確信犯」の雅宣氏である。共犯は・・。

あのとき、反対せずに暗黙の追従をしたのではなかったか。

なんとも、イヤな感じだ。〉

この投稿者「なんかへんだなあ」さんは、おそらく、かつて、教団の中枢にいた方ではないかと私は思います。

そうでなければ、「雅春先生の御著書を重版未定にした共犯者」という表現はしないと思うからです。

私自身、同様の言い方をしていた人を知っていますし、それを理由に「谷口雅春先生を学ぶ会」代表には相応しくないとまで言っていたのを、実際、耳にしています。

「谷口雅春先生を学ぶ会」を快く思っていないのは、その言葉の端々から、よく見て取れていました。

今回、代表が、いろんなところで栄誉に預かったのが、だから気にくわないのでもありましょう。

しかし、私は、この投稿、却って良かったと思っております。

改めて、中島代表の名誉回復を果たせる、いいきっかけをつくっていただいたと思ったからです。

そう思っていた矢先、同じ様な思いを抱いた方はいたようです。

それが、同じ<愛国本流掲示板>にアップされた「三澄幸司」さんの投稿です。

〈原典から照射する万古不変の真理の光 (25660)
日時:2019年02月26日 (火) 23時13分
名前:三澄幸司〉

これが厖大な引用なので、全文を知りたい方は、それを読んでいただくとして、ここでは、中島代表に関する、極めて重大な真実≠フ部分だけをご紹介させていただきます。

実は、中島代表は、ずっと、「なんかへんだなあ」さんの表現を借りれば、雅春先生の御著書を重版未定にした共犯者≠ニいう十字架を背負い続けてこられました。

で、重版未定となって経緯をきちんと後世に伝えるべき使命があるとの思いから、代表は、『谷口雅春先生を学ぶ』誌平成16年1月号に、「副総裁に問う聖典重版保留の核心を衝く」という一文を草されたのです。

その中から少しく引用させていただきます。

〈…教団創始者・谷口雅春先生の御本を、法燈継承を自認する者と言えども、ましてや谷口雅春先生の御意思で設立され、文書伝道の聖なる使命をもつ日本教文社が重版停止などできる道理はない。(中略)

「今の教え」なる論拠を中核に、自らの「大東亜戦争侵略説」に反する記述、日本の実相顕現や政治問題−生政連に関わる文章が数ページでもある聖典、さらには三点の『年史』(谷口雅春先生の尊い業績−光明化運動の足跡を巨細に、口絵とともに網羅された本)も同じく重版保留、教えは完全に断絶されている。

このままでは生長の家の中核(背骨)は骨抜き、立教の使命・宇宙的スケールは消失てしまう。(中略)

社長在任中、社≠フ安泰を慮る余り、身を挺して断乎、抵抗し得なかった不明を改めて深く自省し、生長の家立教の重大使命を肝に銘じ、その実相顕現を祈りつつ、認めました。(以上、引用)

最後の締めの言葉、中島代表がなぜ今、教団と戦っていられるか、思い半ばに過ぎるものがあります。…

中島代表は、これを認められたとき「関係者に累を及ぼさないよう配慮しつつ」とわざわざ断り書きをいれておられます。

それでは、まだまだ本当の所は明らかにされない憾みがあるというので、『谷口雅春先生を学ぶ』誌平成16年3月号では、「副総裁に問う総裁も反対された谷口雅春先生新刊聖典出版停止の経緯」という題で、その背景にある深い闇が白日の下に晒されます。

それを以下に転載させていただきます。

これを熟読せられたら、今の教団が如何に谷口雅宣先生の独裁支配の中で、変質を余儀なくされたか、誰しもが納得いくのではないでしょうか…?(以下、転載)

○谷口雅春先生の新刊聖典出版停止は、平成四年七月十五日の日本教文社取締役会において決定された。

東京渋谷の東急イン会議室で早朝に開かれ、出席者は、代表取締役・中島省治氏(社長)、常務取締役・鈴木卓郎氏(調整部長)、取締役・宮本三男氏(庶務・経理部長)、取締役・永井光延氏(第二編集部長)、取締役・辻信行氏(第一編集部長)、非常勤取締役・谷口雅宣氏(生長の家副総裁)、非常勤取締役・三浦晃太郎氏(生長の家本部理事)、非常勤取締役・磯部和男氏(生長の家本部理事)の八名であった。

冒頭、磯部和男氏から谷口雅春先生の新刊を今後停ししたいとの提案があった。

その理由は以下の通りであった。

@現在の生長の家は、会員信徒とそうでない信徒を明確に区別する両輪体制下にある。

谷口雅春先生のご文章は両輪体制以前の神誌時代のご文章である。

だから誰に読ませるご文章であるか分らないので現在の生長の家には相応しくない。

A谷口雅春先生はすでに故人であり、ご本人の了承のない著書を第三者が勝手に出版し続けることはおかしい。

B谷口雅春先生の教えは、現在谷口清超先生、谷口雅宣先生に継承されており、お二人に中心帰一しなければならないから、谷口雅春先生の新刊書を出版する必要はない。

この発言に対し、日本教文社サイドの取締役から種々反対意見が出され議論が紛糾した。

中島省治社長は事態の収拾を図るため、生長の家総裁・谷口清超先生にお伺いしてから決定してはどうかと発言した。

しかし、谷口雅宣副総裁は「その必要はない」とそれを制し、ただちに決を取るよう命令に近い提案を行った。

この鶴の一声の結果、磯部和男氏の提案が可決された。

この経緯から分るように、この決定は、谷口雅春先生の著作権継承者である谷口清超総裁、谷口恵美子白鳩会総裁に何らの事前のご承認もなかった。

そして生長の家理事長も知らず、ただ谷口雅宣氏と磯部和男氏、三浦晃太郎氏らの強要による日本教文社取締役会単独の決定であったことが分る。

この決定を知った生長の家理事長黒河内潤氏は、十九日後の八月三日、中島省治社長に、谷口雅春先生の新刊聖典出版停止の決定についての報告書を提出してほしいと要請した。

これを受けて日本教文社は、八月五日付で、取締役会での磯部和男氏の提案理由とまったく同じ趣旨の報告書を作成し、生長の家理事長黒河内潤氏に提出した。

この報告書に対し、平成四年八月七日付で、黒河内潤生長の家理事長名で中島省治社長宛「谷口雅春先生の新刊書発刊の方針について」と題する文書が届けられた。

以下全文を引用する。

「平成四年八月五日付にて報告された『平成四年七月十五目の取締役会における決定』を拝見しましたが、下記の点に疑義がありますのでお尋ねします。

文書にての御回答をお願い致します。



T 貴報告において、谷口雅春先生の新刊書を発刊しない理由として挙げている「(イ) 両軸体制以前の会員・未会員未分化時代のお原稿が元になっていること」について

1 運動の観点から、対象を会員と未会員に分けて出版するという考え方は、あってよいと思います。

しかし、“御教えを伝える(学ぶ)聖典”という観点に立てば、会員のみにしか通用しない、或いは未会員のみにしか通用しない真理の書などというものは現実にはあり得ません。

一ロに未会員と言っても、その中には、“生長の家を全く知らない人”と、“組織の会員ではないが、生長の家には触れている人”とがあり、普及誌の読者の大半は後者に属します。

谷口雅春先生のお原稿(又は御講話録音)は、後者のクラスに適したものが多いと思います。

また、会員クラスにふさわしい内容のものもあると思います。

従って、両軸体制に即した出版となし得るか否かは、編集次第にあると思いますが如何でしょうか。

2 会員・未会員未分化時代の谷口雅春先生のお原稿は不可と言う考え方を妥当とするならば、その考え方は当然既刊書にも及ぶと考えられますが、この点はどう考えているのでしょうか。

U 「(ロ)著者の承認を経ない新刊が延々と発行され続ける矛盾」について

一般社会においては、相続によって著作権を継承しても、それは単なる財産権の継承にすぎないものでしょう。

しかし、谷口清超先生が谷口雅春先生から法燈を継承されたということは、著作権の相続は、即ち、財産権の相続のみならず、著作物の内容についても谷口雅春先生と同一のお立場に立たれたということではないでしょうか。

従って、谷口清超先生の御指示あるいは御承認ある新刊を、「著者の承認を経ない新刊」と見ることは誤りであると思います。

V 総裁先生と日本教文社の立場について

貴社は、昭和九年十一月二十五日、谷口雅春先生によって貴社の前身である株式会社光明思想普及会が設立され、谷口雅春先生の御著書の出版を主軸として成長し、今日に到っていることは御存知の通りです。

そして今日は、谷日清超先生が法燈を継承され、貴社の新刊及び重版に対しては、生長の家常任理事会に、その企画を審議せしめ、可否の承認を与えておられます。

このような立場にある貴社として、取締役会において、いきなり、このような方針変更を決議されたことを遺憾に思います。

以上

今日の黒河内氏からは考えられないことだが、この文書は明らかに「新刊聖典出版中止」決定に反対する強い意思表示の文書である。

この文書に対して、その三日後の八月十日、黒河内潤生長の家理事長宛回答書を中島省治社長名で、中島省治氏みずから黒河内氏を訪ね、直接黒河内氏に手渡した。

この文書は、先の質問にまったく何も触れず、答えられないとの意思表示が言外に込められていると受けとれる文書であり、ただ取締役会で決定されたことを重ねて伝えるだけのものであった。

そして、黒河内氏は中島省治氏に次のように語った。

「谷口清超先生は、自分に『このまま報告書(平成四年八月五日付『谷口雅春先生新刊書出版停止決定』の報告書)を受理すれば、これを了承したことになる。問題や疑問はないのか、もしあれば日本教文杜に問いただす必要がある』とご発言になったので、平成四年八月七日の文書(「谷口雅春先生の新刊書発刊の方針について」)を作成した。

そして、この文書を総裁先生にお見せしたところ、『この通りである、僕もサインしようか』と発言された。

その上で日本教文社に届けたのである。」

以上の経緯をもって、谷口清超総裁の明確な反対の意思表示はまったく無視される形で、谷口雅春先生の新刊聖典は出版停止が確定され、実行に移されたのである。

何という悲しい事実であろうか。

創始者谷口雅春先生をこれほど疎んじ、かつ教団最高位の谷口清超総裁をも裏切るという、この驚くべき宗教的大罪。

一体、如何なる宗教団体がこのような大罪を犯し得るであろうか。

以後今日に至るまで谷口雅春先生の新刊書は一つの例外を除きまったく出版されていない。

その例外とは、『大聖師御講義『続々甘露の法雨』であるが、この聖典は平成五年に新刊聖典として出版されている。

これは谷口清超総裁と当時の副理事長・谷口貴康講師部長の強い働きかけで出版されたものであるが、明らかに谷口雅春先生の単独のご著書であるにもかかわらず、「谷口雅春著」とせず「谷口清超編纂」としたのは、上記決定に対する苦肉の策であったからである。

この一連の事実経過は何を意味するか。

明らかに谷口雅春先生に反逆し、生長の家総裁・谷口清超先生の反対を平然と無視する谷口雅宣氏の独断専行であったということである。

そして谷口雅宣氏、磯部和男氏、三浦晃太郎氏三氏は事前の共同謀議を経て日本教文社取締役会に臨み、谷口雅宣氏の強権をもって日本教文社を谷口雅春先生新刊聖典出版停止に追い込んだのである。

これは極めて狡猾にして陰険な「計画的犯行」であったということである。

そして、この事実から推して、谷口雅春先生の聖典重版保留問題も、蔡焜燦氏著『台湾人と日本精神』販売中止問題も、「新出版方針」(谷口雅春先生の聖典を出版しないことや愛国的書籍を出版しないことを明記している)の策定、その他の日本教文社を巡る問題もすべて谷口雅宣氏、磯部和男氏、三浦晃太郎氏三氏によって主導されていたことが窺える。

いや日本教文社だけでなく、現在の生長の家教団の様々な問題の首謀者が誰であるかがはっきりと浮かび上がってくるのである。

何が「総裁先生・副総裁先生への中心帰一」か。

自らは平気で「中心帰一」を無視しておきながら、信徒には徹底的な「総裁先生・副総裁先生への中心帰一」を説く。

ここまで生長の家の教えを弄び、谷口雅春先生を、谷口清超先生を、そして信徒を愚弄しているのである。

そして、こうした策謀を徹底した秘密主義で信徒の眼から覆い隠し、最早隠し切れなくなったら他人(部下)に責任を押し付ける(例えば、聖典重版保留の責任を最早隠し切れなくなった段階で教修会での資料(年表)で当時の日本教文社社長にその責任が押し付けられている。

また『台湾人と日本精神』販売中止問題では、取締役会に責任を押し付け自分は責任がないと言っている)。

秘密主義、言論弾圧、そして権力で人を動かし、気に入らない人間は左遷し、責任を部下に押し付ける。これは典型的な独裁者の姿ではないか。
(以上、転載)

谷口雅宣先生のこのような姿勢そのものが、今日の教団をおかしくしてしまった元凶とは言えないでしょうか…?〉


中島代表は、この中ではっきりとこう仰っています。

〈社長在任中、社≠フ安泰を慮る余り、身を挺して断乎、抵抗し得なかった不明を改めて深く自省し、生長の家立教の重大使命を肝に銘じ、その実相顕現を祈りつつ、認めました。〉

そして、

〈生長の家立教の重大使命を肝に銘じ〉

社長退職後は、「谷口雅春先生を学ぶ会」代表として、私どもの先頭に立って、この運動を牽引してくださっておられるのです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」が今日あるのも、一にかかって中島代表のおかげです。

大事なことは、社長の時代どうだったかよりも、今、何をしているのか?

その方がよほど、大事なのではないでしょうか。

教団から様々な非難を浴びることを覚悟して、「谷口雅春先生を学ぶ会」代表を拝命されたこと、それで、私は、十分に、代表は

〈身を挺して断乎、抵抗し得なかった不明〉

その汚名を雪いでおられると確信するものであります。


宮中茶会≠ナの今上陛下からの御賜物を拝見させていただきました! (10681)
日時:2019年02月27日 (水) 15時47分
名前:破邪顕正


まず、白い小箱を開けると

即位三十年 平成31年

と記された紙。

その下に、黄色い布に包まれた菊のご紋章のついた銀製のボンボニエール。

その中には、金平糖が…。

それで、思い出したのが、『生命の實相』にあるこのお話です。

《先日、ある人の書いた天理教祖の伝記を見ますと、そのうちに天理教祖がある病人がお腹が痛くて苦しんでいる。

すると天理教祖が、やおら座を立って、神前へ行き三粒ほどのなんだか固まりを持ってきて、病人に与え「これをお喫りになればじきに治りますから、いいお薬をさしあげましょう」と言って口へ入れて下さった。

すると神徳たちまち現われてその病人の病気が治った。

そこで病人が教祖に「あれは何でしたか。大変よく効きましたが」とお訊きしますと、教祖は「あれは金米糖じゃわいな」とおっしゃったというのです。

そしてまたおっしゃるのに「その金米糖を嘗めておれば病気が治るじゃろう。なぜ治るかお前たちにわかるかえ。それはね、金米糖は角が立っている。角が立っているのをありがたいと嘗めておったら、丸くなるじゃろう。そうして角というものがとれれば中から甘い美味しい味が出て来る。人間はありがたいとあらゆるものの味わいを素直にかみしめておったら心の角というものがなくなって、ただありがたいばかりになる。そしたら病気というものはなくなるのだよ」と言われたというのであります。

これもさながら、生長の家で言う「そのまま素直にありがたい」生活であります。》(『生命の實相』第40巻142頁)

丸い心は、日の丸の心、大調和の心。

何とも有り難い御賜物だと合掌させていただきました。


本流≠ノはそれぞれ特色をもった団体があるところがスバラシイ! (10682)
日時:2019年02月27日 (水) 18時33分
名前:破邪顕正


私は、表題のことを何度も書いてきました。

しかし、なかなか、こちらの趣旨を理解しようとしない向きがあるようで、本当に残念です。

それというのも、こういう投稿があったからです。

〈最近、教団を退会して喜んで「学ぶ会」へ行ったが、勉強会で、スパイ扱いされて怖かったので、今は、一人で勉強しているという知人がいます。〉

この投稿者は、どうして、この方に、「谷口雅春先生を学ぶ会」以外の本流¢g織をご紹介しないのでしょうか。

折角、教団を退会されたのに、「一人で勉強している」ままに任せておくのは実にもったいない話ではないでしょうか。

知人≠ニいうのであれば、「谷口雅春先生を学ぶ会」以外にも、こういうところがあるよ、とお勧めしたらいいと私は思います。

何か、「谷口雅春先生を学ぶ会」をやり玉にあげる目的で、この方のことを紹介されたような気がして、実に残念です。

もとより、「谷口雅春先生を学ぶ会」が全てに於いて行き届いたお世話ができているというつもりは毫もありはしません。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に失望されたというのは、実際、そうなのでしょう。

それについては、こちらも真摯に受け止め、精進していくしかないとは思いますが、それはそれとして、本流≠ノは他にも素晴らしい活動をされているところもあるのですから、そういうところにお誘いされるというのもあっていいのではと思うのです。

この現象世界には、どうしても、波長が合う、合わぬというのがあります。

残念ですが、「谷口雅春先生を学ぶ会」とは波長が合わなかったということなのでしょうから、それならそれで波長の合う本流≠フ他の団体の門を叩いていただいたらいいと思います。

同じ本流%ッ士なのですから、「谷口雅春先生を学ぶ会」ばかりを指弾するというのではなく、他の団体へと道案内すればいい…。

本流≠ェ相対すべきは、あくまでも教団なのであって、本流≠フそれぞれの団体の問題点を論って、足を引っ張るようなことは、如何なものかなと思うのです。

だって、それで喜ぶのは、教団の人達なのですから!





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