| かくして本来の「生長の家」は消されていった!“雅宣史観=自己正当化史観=無反省史観=歪曲史観=托卵史観”の問題点を抉り出していきます… (12155) |
- 日時:2020年06月11日 (木) 14時08分
名前:破邪顕正
表題に掲げた「托卵」は、「毘沙門天」さんから教えていただきました。
〈神授の「實相」礼拝という黄金の卵を取り替えて、奇妙な異物の卵を育てさせる 「托卵」の行為。 (12115)〉をご参照ください。
改めて、この「托卵」をご説明します。
托卵する鳥は仮親の巣に留守中、自分の卵を1個産み込みます。
そして、仮親の卵を1個捨てます。
で、雛は一般に早く孵化して、仮親の卵や雛を巣外に追い出します。
そして、巣を独占する…。
ご存じのように、総裁は“目玉焼き”に喩えて、教えには黄身の部分と白身の部分がある…。
黄身は変えないが、白身は時代に応じて変えていく…。
そういうレトリックを駆使して、尊師が創始せられた「生長の家」の教えを、真逆の教えへと改竄していきました。
どうせ、卵を比喩にするならば、“目玉焼き”よりかは、「托卵」こそが遙かに素晴らしい…。
総裁が何を“たくらん”できたか、語呂合わせとしてもピッタリですし、本質をズバリ言い当てていると思うからです…。
こういうことです。
「生長の家」という“巣”に、総裁は、先ず“サヨク”の卵を産み落とします。
そして、尊師の教えの本当の卵を追い出します。
で、時間をかけて“サヨク”の卵の孵化を待ちます。
孵化した途端、きょうだいを、その巣から追い出し、最期は親まで追い出して、「生長の家」という“巣”を独占してしまった…。
今、まさしく、その通りになっているではありませんか。
総裁の、その“勝利宣言”ともいうべきものが、先の「通達」であり、今回の『“新しい文明”を築こう』なのです。
教団を見事に乗っ取った、総裁の、その高笑いが、この本の行間から聞こえてくるような、そんな印象を私は持ちました。
これからのち、信徒は、この本で再教育されていきます。
何と言っても、「生長の家会員必携」と謳ってあるのですから…。
これを読みながら、密かに決意したことがあります。
総裁がそのつもりなら、よし、この本が如何に歴史を歪曲しているか、それを満天下に晒していこうと…。
そのはじめとして、この本が、如何に“無反省史観”で貫かれているか、指摘しておきたいと思います。
冒頭「監修にあたって」の中で、総裁はこう述べています。
〈この「歴史概観」は、これまでの生長の家の歩みを、日本の現代史と国際関係の動きとの関連で描いたもので、『生長の家五十年史』(一九八〇年、日本教文社刊)など過去に出された教団史にはない視点に立っている。 また、過去の教団史で記述が避けられてきた事実にも触れ、歴史から学ぶことの重要性を述べている。〉
如何にも、この本が、これまでの教団が発刊してきた『生長の家五十年史』等とはどこが違うか、更には“過去の教団史で記述が避けられてきた事実にも触れ”と実に得意満面であります。
そして、こうも述べています。
〈生長の家の運動の中で変化したものの奥に、立教当時から確として変わらない中心的理念と教義の永続を読み取っていただきたい。〉
よくもまあ、こういうことが平気で言えるものです。
「托卵」しておいて、ここまで言い切るとは…。
総裁の厚顔ぶりに、私は唖然としてしまいました。
更に、私が、思わず失笑してしまったのが、この一文です。
〈昭和初期に始まった人類光明化運動が、三世代九十年にわたる歴史の中でどのように展開し、また挫折や停滞があとしたら、それはなぜであり、先人や私たちが何をどう克服し、今日、人類全体を含む地球生命の問題になぜ、どう対処しようとしているかを理解されたい。〉
そこまで言うのであれば、“三世代九十年にわたる歴史の中で…挫折や停滞があった”のは、まさしく今日が一番なのではありませんか。
それがデータでもくっきりと示されているではありませんか。
“それはなぜであり”とまで書いた以上、今日の教勢の衰滅ぶりの理由をきちんと総括すべきであり、当然、それを書いていなければならないはずです。
ところが、どこをどうみても、ひたすら自己正当化するばかりで、今日の衰退をもたらしたことへの反省が何一つ見当たらないのです。
だから、自己を正当化するだけの“無反省史観”に貫かれていると言うのです。
もとより、総裁の辞書には“反省”などの文字はないそうですから、そうなるより仕方がないのでしょう。
だったら、総裁に取って替わって、今の教団がなぜこんなにも衰退の一途を辿っているか、読者が納得するようしっかりと説明してまいりたいと思います。
乞うご期待!

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