《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《速報!》『“新しい文明”を築こう』-これが“雅宣教団”のバイブルだ。この本の“害”を中和するのには『「生長の家」教団の30年史』が最適です… (12135)
日時:2020年06月09日 (火) 09時30分
名前:破邪顕正


『上巻 基礎篇「運動の基礎」』を手に入れ、読ませていただきました。

このあと、中巻、下巻と相次いで発刊されるとのこと。

その副題には「生長の家会員必携」とあります。

しかも、「生長の家」創立90年の節目に出したというところに、大きな意味があると思っています。

この90年という年に、先には「通達」を出し、今度は「生長の家会員必携」を出版する…。

私は、この本と先の「通達」とは表裏一体のものとして受け止めるべきであると思っています。

そうです、これは“雅宣教団”発進宣言であり、この本こそは、まさしくそのバイブルなのです。

この本の中に、こういう表現が出てきます。

〝三世代九十年にわたる歴史の中で〟(7頁)

つまり、総裁は、こう表現することで、尊師-清超先生-現総裁…と、その正統なる継承者は自分である、そう言いたいのだと思います。

それだけを見ても、この本にかける総裁の気の入れようがわかろうというものです。

さて、この本の中で、私が最も興味を惹かれたのが「立教から国際平和信仰運動までの歴史概観」であります。

何故と言って、歴史観にその人の思想、考え方が如実にあらわれるからです。

前にも「歴史は勝者によってつくられる」と書かせていただきましたが、総裁がこの90年をどう見ているか、まさしくこの本は、総裁の総裁による総裁のための自己正当化のための歴史、即ち〝雅宣史観〟という他はありません。

参考文献にそれがよく看て取ることができます。

以前から分かっていたことですが、ここでも、所謂、サヨクと目される島田裕巳とか中島岳史・島薗進(敬称略)の著書が掲げられています。

また、合わせて『生長の家四十年史』『生長の家五十年史』の紹介もされています。

どちらも、事実上の絶版に処せられていますから、いくら参考文献に掲げられていても、普通の信徒がそれを読むことは、ほぼ困難と言わざるをえません。

即ち、総裁がここで述べていることが、本当にそうなのか、その典拠と照合して確認するということはでき得ない…。

ために、一般信徒は、総裁がここで書いているようにしか受け取りようがないわけです。

歴史というのは、どこに光を当てるか次第で、全然、変わってしまいます。

総裁は、自らを正当化するために、自分の都合のいいような歴史の切り取り方をしていっています。

しかし、それをいくら言い募っても、詮ないことではあるのです。

この本の20頁に、はっきりとこう記されているからです。

“谷口雅宣先生が総裁の法燈を継承され、生長の家総裁として教義の判釈と運動の進め方を指導されています”

つまり、教団の中にあっては、この“雅宣史観”を受け入れるしか道はないのです。

それに異を唱え得るのは、教団から出た者がなすしかない…。

そういう思いで作成されたのが、『「生長の家」教団の30年史』に他なりません。

この双方を読めば、如何に“雅宣史観”が自分に都合のいい歴史観に偏しているか、はっきりとおわかりいただけるものと確信します。

とりあえず、この“雅宣史観”の大いなる問題点を、私なりに取り上げて、読者の参考に供していきたいと思っています。


かくして本来の「生長の家」は消されていった!“雅宣史観=自己正当化史観=無反省史観=歪曲史観=托卵史観”の問題点を抉り出していきます… (12155)
日時:2020年06月11日 (木) 14時08分
名前:破邪顕正

表題に掲げた「托卵」は、「毘沙門天」さんから教えていただきました。

〈神授の「實相」礼拝という黄金の卵を取り替えて、奇妙な異物の卵を育てさせる 「托卵」の行為。 (12115)〉をご参照ください。

改めて、この「托卵」をご説明します。

托卵する鳥は仮親の巣に留守中、自分の卵を1個産み込みます。

そして、仮親の卵を1個捨てます。

で、雛は一般に早く孵化して、仮親の卵や雛を巣外に追い出します。

そして、巣を独占する…。

ご存じのように、総裁は“目玉焼き”に喩えて、教えには黄身の部分と白身の部分がある…。

黄身は変えないが、白身は時代に応じて変えていく…。

そういうレトリックを駆使して、尊師が創始せられた「生長の家」の教えを、真逆の教えへと改竄していきました。

どうせ、卵を比喩にするならば、“目玉焼き”よりかは、「托卵」こそが遙かに素晴らしい…。

総裁が何を“たくらん”できたか、語呂合わせとしてもピッタリですし、本質をズバリ言い当てていると思うからです…。

こういうことです。

「生長の家」という“巣”に、総裁は、先ず“サヨク”の卵を産み落とします。

そして、尊師の教えの本当の卵を追い出します。

で、時間をかけて“サヨク”の卵の孵化を待ちます。

孵化した途端、きょうだいを、その巣から追い出し、最期は親まで追い出して、「生長の家」という“巣”を独占してしまった…。

今、まさしく、その通りになっているではありませんか。

総裁の、その“勝利宣言”ともいうべきものが、先の「通達」であり、今回の『“新しい文明”を築こう』なのです。

教団を見事に乗っ取った、総裁の、その高笑いが、この本の行間から聞こえてくるような、そんな印象を私は持ちました。

これからのち、信徒は、この本で再教育されていきます。

何と言っても、「生長の家会員必携」と謳ってあるのですから…。

これを読みながら、密かに決意したことがあります。

総裁がそのつもりなら、よし、この本が如何に歴史を歪曲しているか、それを満天下に晒していこうと…。

そのはじめとして、この本が、如何に“無反省史観”で貫かれているか、指摘しておきたいと思います。

冒頭「監修にあたって」の中で、総裁はこう述べています。

〈この「歴史概観」は、これまでの生長の家の歩みを、日本の現代史と国際関係の動きとの関連で描いたもので、『生長の家五十年史』(一九八〇年、日本教文社刊)など過去に出された教団史にはない視点に立っている。
また、過去の教団史で記述が避けられてきた事実にも触れ、歴史から学ぶことの重要性を述べている。〉

如何にも、この本が、これまでの教団が発刊してきた『生長の家五十年史』等とはどこが違うか、更には“過去の教団史で記述が避けられてきた事実にも触れ”と実に得意満面であります。

そして、こうも述べています。

〈生長の家の運動の中で変化したものの奥に、立教当時から確として変わらない中心的理念と教義の永続を読み取っていただきたい。〉

よくもまあ、こういうことが平気で言えるものです。

「托卵」しておいて、ここまで言い切るとは…。

総裁の厚顔ぶりに、私は唖然としてしまいました。

更に、私が、思わず失笑してしまったのが、この一文です。

〈昭和初期に始まった人類光明化運動が、三世代九十年にわたる歴史の中でどのように展開し、また挫折や停滞があとしたら、それはなぜであり、先人や私たちが何をどう克服し、今日、人類全体を含む地球生命の問題になぜ、どう対処しようとしているかを理解されたい。〉

そこまで言うのであれば、“三世代九十年にわたる歴史の中で…挫折や停滞があった”のは、まさしく今日が一番なのではありませんか。

それがデータでもくっきりと示されているではありませんか。

“それはなぜであり”とまで書いた以上、今日の教勢の衰滅ぶりの理由をきちんと総括すべきであり、当然、それを書いていなければならないはずです。

ところが、どこをどうみても、ひたすら自己正当化するばかりで、今日の衰退をもたらしたことへの反省が何一つ見当たらないのです。

だから、自己を正当化するだけの“無反省史観”に貫かれていると言うのです。

もとより、総裁の辞書には“反省”などの文字はないそうですから、そうなるより仕方がないのでしょう。

だったら、総裁に取って替わって、今の教団がなぜこんなにも衰退の一途を辿っているか、読者が納得するようしっかりと説明してまいりたいと思います。

乞うご期待!


〈その①〉「生政連」の解散、そして鳴り物入りで登場した「両軸体制」によって教勢が大きく伸びるという話だったのではありませんか?逆に教勢が半減した、その責任について、総裁は頬被りですか… (12158)
日時:2020年06月12日 (金) 11時27分
名前:破邪顕正


『“新しい文明”を築こう』を読んで、まず思ったことは何か?

ここまで教勢を減らしておいて『“新しい文明”を築こう』???それはないだろう…。

こういうのを大風呂敷と言うのではないのか…。

そんなことより、足下の教勢の衰退をどう考えるか、それこそが総裁としての、喫緊の課題ではないのか。

普通、そう思うのではないでしょうか。

だって、この本では、教勢は伸びると予言までしていたのですから…。

〈生政連の活動を停止して…純粋な信仰運動として教義の宣布と信徒拡大をはかる…〉(35頁)

〈会員の真理研鑽と教えの共鳴者の拡大を、車の両輪のように、どちらも重視して運動を進めていこうとする多様化の戦略…この両軸体制のスタートが同年(註:平成元年)四月からでした〉(39頁)

あれから30余年が経過しました。

その結果、どうなりましたか?

70万名以上あった聖使命会員が、今や35万名ですよ。

文字通り半減したではありませんか。

生政連を解散して、純粋に信仰活動すれば信徒は増えるはずだったのではありませんか。

「両軸体制」で、共鳴者がますます増えるという触れ込みだったのではありませんか。

どちらもが総裁の主導で行ったものですよ。

この「本」では隠していますが、「生政連解散」だって、その背後で総裁が暗躍していたことは、もはや関係者の証言で明らかです。

これについては、大変、重要な問題であると感じ、過去、詳細にわたって書いています。

歴史の証言として、ぜひ、多くの方に知っておいてほしいと思います。

…………………………………………

生長の家破壊修正主義者・谷口雅宣総裁は、「生政連」の活動停止に関与していた?! (1709)
日時:2016年06月01日 (水) 17時48分
名前:破邪顕正

シリーズ第五弾。

谷口雅宣総裁は、「生政連」ついてこう述べたそうです。

《⑥ 清超先生は、生政連時代の政治色を憂いて、信仰色の「生長の家」へと帰られたのである。清超先生は「法燈を継承すると云う事は、雅春先生の説かれたことを一時一句繰り返すことではない」として、政治色中心の運動方針を改めるために「生政連」の活動停止を決断されたのであって、当時の自分はこのことについて何ら関与していないのである。》

これについては、早速、「志恩」さんがこう述べています。

>2263 :志恩:2016/05/30(月)

(前略)

それから、生政連をやめたのは、僕じゃなくて、清超先生ですからねって、おっしゃったそうですね。

その当時、清超先生と意見交換されてたのは、どなただったでしょうか?

雅宣さんじゃなかったかしら。

生政連をやめることを宣言されたのは、清超先生でしょうけれど、清超先生の話し相手になられていたのは、その頃から、すでに清超先生の相談相手をされていたのは、副の、雅宣さんじゃなかったかしら?

私は、清超先生が、やめるとおっしゃったことにつきましては、何一つ批判しませんけれど、清超先生にだけに、生政連をやめた責任を負わせる発言をされるのは、男じゃないと思います。<

「男じゃない」

まさに言い得て妙!

そうなんですよ、谷口雅宣総裁の「生政連」嫌いは当時から有名な話で、生政連をやめることに、絶対、大賛成だった筈です。

「何ら関与していない」などとよくも言えたものだなと「志恩」さんならずとも、私だって思ってしまいます。

噂話でしかないもので書き上げた「菅野本」を谷口雅宣総裁は公衆の面前で推薦してみせたのですから、私がこの「生政連」のことについて、当時の噂話で書いたとしても何ら責められるいわれはないと判断します。

実は、これについては、以前、投稿したことがありますので、それを引用することにいたします。

>「生政連」解散の背景にはやはり谷口雅宣総裁がいた?! (346)
日時:2016年02月02日 (火) 12時19分
名前:破邪顕正

(前略)

》トキ:2011/06/20(月) 13:24:00

<政治活動停止の疑問点>

教団の政治活動停止の経過は、今日でも公になっていない点が多いです。

政治活動停止が正しい決定だったとしても、段階的な廃止という手段もとれたはずです。

なのに、何故、いきなりの停止だったのか、疑問があります。

当時、「聖使命」新聞紙上に掲載された、「生長の家政治連合解散、政治活動の停止」についての声明文は、今から思うと、谷口雅宣先生のご文章と類似点があるような気がしております。

気のせいでしょうか?

最近、公表された村上氏の回顧録を見る限り、谷口雅宣先生が生長の家政治連合に極めて批判的な言動を当時からしていたようです。

谷口雅春先生が、生長の家政治連合の解散の報告を聞き、激怒された、という噂が教団内部に今日でもあります。

が、教団の公式見解、ならびに本流復活の中にも、谷口雅春先生はご納得されていた、との事です。《

ここで重要なのは、この一文です。

“谷口雅宣先生が生長の家政治連合に極めて批判的な言動を当時からしていた”

今でも、語り草になっているのは、谷口雅宣総裁が公衆の面前で「生長の家政治連合会長」の玉置和郎議員を面罵したことでした。

それが如何に“非道い”話であるか。

「光明掲示板・第二」にある中村晃生氏の投稿が大いに参考になります。

》<偽物>の教えと<本物>の教えとの違いの考察⑪ (8181)
日時:2014年05月13日 (火) 05時44分
名前:中村晃生

<産経新聞記者にさせてもらうも、政治部記者になれず「社会的な」挫折を経験する>

今から思うと、彼の心がねじれた「原因」がもう一つあります。

それは彼が「社会的な挫折」を経験した――せっかく産経新聞の記者のなったのに、目指していた「政治部記者」になれなかったことです。

当時、「生長の家」の推薦議員として参議院で活躍していた玉置和郎先生が、教団の意向を受けて「お孫さん」であるマサノブ氏の留学から帰国した後の就職活動に奔走します。

すなわちマサノブ氏念願の新聞記者――産経新聞への就職――であります。

玉置先生が動いてマサノブ氏が同社に就職できたことは、私たち事情通の間ではいわば「公然の秘密」でありました。

確か当時、教団側が相当部数の産経新聞の購読を同社からしたはずで、そのことが「マサノブ氏の就職と関係がある」と、噂されたものです。

彼が入社して間もない頃、私は玉置先生の秘書から参議院議員を目指していた村上正邦先生から、当時いた青森市まで電話を頂き、「マサノブ君が産経に入ったので、新聞記者の経験談の話をして貰えないか」との要請を受けました。

当時、私は読売新聞記者で青森支局に勤務していました。

いうなれば私が新聞記者としての先輩に当たるから――との配慮であったのでしょう。

彼とは東京の料亭で会って会食をし、いろいろ話をしたことを覚えています。

彼は横浜支局に配属され、新聞記者としての「ヨチヨチ歩き」を始めたころでした。

もっともその当時の彼は、新聞社での新しい仕事に意欲を燃やしていたのでしょう。

まだ従順な一面を覗かしていたものです。

しかし、彼はわずか数年で産経新聞を止めます。

私も当時の事情は分かりませんが、何か自分の気に入らないことがあったのだと思います。

<本当は、政治部記者から政治家になりたかった?>

その後、私は原宿の「生長の家」本部で、彼と何回か会ったことがあります。

その都度、彼は私に声を掛けてきました。

そして聞くことは決まって「政治部に入られましたか?」でした。

私が、政治部記者になることを目標としていたことを彼が知っていたからです。

その都度、「いやまだだ」と答えていましたが、なぜそのことばかり聞くのかが理解できず、よほど彼も「政治部記者にまだご執心なんだな」と、考えたことがありました。

彼が教団に入って数年経った頃、私は新聞記者を辞めて、伯父の田中六助代議士(当時、大平内閣の官房長官だでした)の大臣秘書官になりました。

その当時、長崎の本山に田中六助先生と、大きな行事に参加するため、一緒に参詣したことがありました。

会場で、私の姿を見かけたマサノブ氏は、ツカツカと私に近寄って来るなり突然、「玉置は嘘つきだ!」と、大きな声で言い放ったのであります。

余りにも唐突な言葉に、私はビックリし、一体何のことを彼が話そうとしているのか、良く理解できませんでした。

ただ玉置先生は、彼にしてみれば「大恩人」のはずです。

その「大恩人」のことを口汚く罵るとは、「何というヤツだ」という感じを持ったことは確かです。

ただ、その悪口が、実は彼が産経新聞社で一介の記者から「政治部記者」になり損ねたためであった――というのは、後日知ったことです。

今、考えればおそらく玉置先生は彼に――「君も頑張れば、数年で政治部に入れるよ」――ぐらいのリップサービスをしたのかもしれません(政治家が支援者を喜ばすために良く使う手です。

もちろん、悪気はないのですが・・・)。

でもマサノブ氏は、それを本気に受け止め、同社内で自分が期待していたような「政治部記者」になれなかったため、「嘘つき!」発言が出たものと思われます。

しかし、これは彼が「世間知らず」のために出た発言です。

産経新聞の場合も変わらないと思いますが、「政治部記者」は選りすぐりのエリート記者しかなれません。

いかに谷口雅春先生の「孫」であろうが、社内でそれなりの評価を得ないでいきなり「政治部記者」にはなれないのです。

私の場合も青森支局での6年間の地道な地方部記者生活(これを我々は「ドサ回り」と呼んでいました)を経て初めて「政治部記者」になれるのです(もちろん優秀であることが条件です)。

その後、彼の周辺の人物から聞いたところでは、マサノブ氏は一時期、本気で「政治部記者」になり、ゆくゆくは「政治家」になりたかったとか・・・

その意味で言えば、彼は相当に「権力志向」の強い人物なのでしょう。

やはり、「宗教家」には初めから向かなかったのかもしれません。《


もとより、こういう個人的な憾みが背景にあって、谷口雅宣総裁が「生政連」嫌いになっただけではないと思います。

その後の言動から、谷口雅宣総裁は、「生政連」の愛国運動そのものが本質的に嫌いだった、思想的に合わなかったと見て間違いないからです。

「光明掲示板・第一」にこのような投稿があります。

》〈唖然!〉自衛隊は「人殺し集団」なんですと?! (7803)
日時:2013年04月21日 (日) 14時30分
名前:「靖国見真会」参加者

谷口雅宣総裁という人は、驚くべき思想の持ち主だったんだということが、どんどん漏れ出ています。

さすがに、こんなことは秘匿しておかなくてはならないと思っていた方も、ここまで谷口雅宣総裁の横暴が歴然としてくると、もはや秘匿する必要なしと考える人も出てきたようです。

話しはずいぶん昔に戻ります。

谷口雅宣総裁がまだ本部の総企画局長だった頃の話しです。

第2次中曽根内閣で、村上正邦元参議院議員が防衛政務次官に就任しました。

ある方が、それを報告にあがったところ、谷口雅宣総裁は何といったか?

「ふーん。村上さんは、人殺し集団が好きなんだ-」

いやはや、こういう思想の持ち主だからこそ、産経新聞を嫌い、朝日新聞を読めと信徒に推奨し、そして民主党支持を高らかに宣言するのだと合点がいった次第です。

それにしても、自衛隊を「人殺し集団」と言いますかね。

そう言えば、「自衛隊は暴力装置」と言ったのは、民主党の仙谷由人元官房長官でありましたね。

なるほど、総裁が民主党を支持するというのは、こういう「自衛隊」観においても同じだったからだと受け止めることもできそうです。

こういう思想をもった谷口雅宣総裁を「生長の家総裁」として担ぎ続ける人の神経が、私にはとても理解できません!《


こういう思想の持ち主が、裏で「生政連」解散を企図したとしても何ら不思議はありません。

「生政連」解散後、谷口雅宣総裁は、ご存知のように、実に政治的な発言、しかもサヨク発言を繰り返したのですから、そう言われても抗弁のしようがないと思うものであります。


解散の真相が明らかになってきて (351)
日時:2016年02月02日 (火) 19時49分
名前:月見草
「生政連」の解散は谷口雅春先生の御心ではなかったと、これまで何度も聞いたことがあります。

では誰が・・・そんなことが出来るのは・・・と。

教団の衰退ぶりを見るとやはり思い当たるのは、雅宣総裁であろうと思っていました。

これだけ具体的なことが記されていれば、雅宣総裁という人がよく分かります。

そうだと思われても不思議はありません。

もしそうならば、この頃からすでに教団はオカシクなってきていたのですね。

その時点で何か打つ手はなかったものかと、とても悔しい思いがいたします。


「破邪顕正」さまへ (359)
日時:2016年02月03日 (水) 11時30分
名前:月見草
いつもありがとうございます。

投稿を読んで、より真相に近づけて気持ちがすっきりしています。

良しにつけ悪しきにつけ、真実が知らされないことには気持ちが落ち着きませんね。

以前、目の前で本部講師の人たちが「生政連の解散は、○○(二代目総裁)がやったんだ!」と呼び捨てで話しておられたのを聞き、とても悲しく思ったことがありました。

でも、やはりその裏には雅宣総裁がいたんだと納得しました。

これまで具体的なことは、私などには伝わることもありませんでしたから。

これが正解なのか多少違うこともあるかは知れませんが(私は間違っていないと思います)、

真相が明らかにされることは、きっと同じ過ちを繰り返さないことにもつながり、今後の教訓にもなると信じます。

そういう意味でも、雅宣総裁の為された事実を明らかにして頂けることを、とても有難く思っております。


「月見草」さんへ (382)
日時:2016年02月05日 (金) 19時41分
名前:破邪顕正

投稿、ありがとうございました。

>投稿を読んで、より真相に近づけて気持ちがすっきりしています。

そう言っていただいただけでも、これを投稿した意味があったと思っております。

「谷口雅宣教団の30年」の始まりを「生政連の解散」から説き起こしたことは決して間違いではなかった。

真っ当な判断であったとますます確信を深めてきております。

谷口雅春先生は、おそらく「生政連活動の凍結」を了承されたのであって、決して〝解散〟を了承されたのではなかった、というのが私の見立てであり、確信でもあります。

つまり、「凍結」を「解散」にまでもっていた人が裏で暗躍していたということです。

そう考えると、いろんなことが判然とし、またすべての辻褄があってきます。

「谷口雅宣教団の30年」をまとめて改めて思うのは、もはや〝SNI教団〟が谷口雅春先生の教えに戻るというようなことはありえないという思いです。

少なくとも、内から、そんな動きが生まれることはない!

「フェスタ」の動画を見ていて、そのことを強く実感しました。

谷口雅宣総裁は、生長の家の信徒を間違いなく、骨抜きにしてしまいましたね。

残念ですが、致し方ありません。

〝SNI教団〟に期待できない以上、谷口雅春先生の御教えの正統なる団体が生まれなければなりません。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は、その願いに応えていきたいとの思いで、ますます精進してまいります。


目から鱗 (387)
日時:2016年02月06日 (土) 10時10分
名前:なるほど
これが事実なら雅宣氏がのちに解散に追い込んだのが事実のようですね。要するに

生政連活動凍結(停止であり政治団体としては存続していた)
⇒⇒生政連完全解散(政治団体登録抹消)の間には数年の時間があり、その間に雅宣氏が介入して追い込んでいった。という事ですか。

26 :エンジェル:2011/06/21(火) 22:22:02 トキさまが書かれた<政治活動停止の疑問点>についてのⅠ考察のために

 実は私もこの事が本当はどうだったのか知りたくて(古今物語の掲示板でも話題になったことがあったので)もしかしたらあの当事雅春先生の最もお側におられた貴康先生ならご存知かと思いうかがった事があります。

 それまでは、清超先生が政治活動を嫌っておられてという噂もあったのですが、お話を聞いて驚きました。

私が、清超先生は政治活動がお嫌いだったのですかと貴康氏にお聞きすると

「好き嫌いの問題ではない、僕は玉置和郎の事務所で一年間丁稚奉公させられたんだよ、預けられたりは清超先生だよ笑、嫌いな世界に息子を預けはしないだろーよ」

「それでそのうちに玉置先生に見込まれちまって村上さんもいたんだけど俺の跡継ぎになってくれないかと誘われてね、僕も若かったから本気にしちゃって・・・」

「でもね、清超先生はおまえは生長の家を勉強して政治家ではなく政治家を使う立場の人間になれと言われたんだよ」

だからその後長崎の雅春先生の下に行かれたのだそうです。

でもこの当事は選挙のたびに全国を応援に行き、特に村上さんの初当選の選挙では奥さんの臨月の日を超えて駆け回り、村上さんの当選確実が出た日にMさんは生まれたそうです。

 さて、二回目の(一度雅春先生自身が活動停止を言われたことがあります)生政連の活動停止(凍結)になった時の話ですがここからは実際にお聞きしたことを会話形式にして書きます(文責はエンジェル)

「あの日ね、清超先生から朝お電話があってね、あんたは政治活動にとても興味があったし誤解の無いように伝えておきたいことがあって・・・」

(実はこの当事、総本山の落慶大祭後、長崎に貴康先生の尽力で長崎『玉置会』が三菱関係を中心とした企業が参加して出来上がり、地方議員連盟も大いに拡大中で貴康さんも各地に応援に行かれていた等の背景があったようです)

清超先生「生長の家は自民党に結局利用されてしまったことは君も今度の法案の扱いや名簿順位の扱いで理解していると思う」

「信徒をこれ以上純粋な信仰活動よりも政治に関わらせて失望させるわけにいかない。ここは一時政治活動を凍結して純粋な信仰活動にもどり、圧倒的な信徒の増大を図って出直さなければならないと考えたわけで、先ほど雅春先生にこの決断をお伝えして了解を戴いたところだからね理解して欲しい」

貴康氏 「活動の凍結とは信徒数が倍増した日には再び政治活動に参加するということですか」

清超先生「そう思ってもらってもよい、ただ自民党と今までのように協力するかはわからない」

貴康氏 「もし信徒さんを拡大できたら自分たちの政党を作る可能性もあるのですか」

清超先生「そういうこともあり得る、何しろこれからは政党に他の団体と天秤にかけられるようなことの無いように信仰的に熱烈に、信徒数においても圧倒的な力を蓄えなければならないということだ」

貴康氏 「そういうことならば全く異論はありません。先生のおっしゃる通りです」

このようなお話があったそうで他の誰にもしばらくはお話にならなかったそうです。

 このことから解るように、生政連は一活動が凍結されそれは、解散と云うことではなかったわけで実際、経理上も生政連の会計と財産はその後何年も残っていたようです。 <


以上、「生政連」の活動停止に関する様々な人の投稿を紹介してまいりましたが、これでも谷口雅宣総裁は「何ら関与していない」と言い張るのでしょうか。

谷口雅宣総裁、当時の「生政連」の愛国運動は大嫌いだったのではありませんか。

だから、活動停止は、谷口雅宣総裁にとって、文字通り「渡りに船」だったのではありませんか。

谷口雅宣総裁。

これだけの状況証拠があがっているのに、それでも「何ら関与していない」と強弁しますか?!

………………………………………………

以上、お読みいただいて、如何でしたでしょうか。

総裁が、暗躍していたこと、確信を得られたのではないでしょうか。

これが総裁という人の、いつもの手口なのです。

絶対に、自分は表に出ないで、裏で画策して、事を進める。

『聖典』の絶版のときがまさにそうでした。

責任は、最終的に決定した中島社長(当時)にある、としたわけです。

しかし、誰が何と言おうと、総裁の暗躍なくして、こんな決定がなされるわけがないのです。

「生政連」の解散だって、同じ構図の下にあったのです。

しかし、「両軸体制」は、紛れもなく、総裁が主導したものであります。

その結果が、今の状況であってみれば、少なくとも「両軸体制」は失敗したと断じられても抗弁のしようがありません。

だったら、その責めを、直接、主導した総裁が潔く負うべきなのです。

ところが、総裁はそのことに何の反省の色も見せず、『“新しい文明”を築こう』などと宣うのは、それは責任逃れの遁辞でしかありません。

悉く予想を外し、失敗を繰り返してきた総裁が、いくら『“新しい文明”を築こう』と叫ぼうとも、心ある信徒は冷ややかに見ているのではないでしょうか。

またまた実現しそうもないことを能天気に言っている…。

どうせ、また失敗するよ…。

で、何の反省もないまま、結局、同じ間違いを繰り返していく…。

こうして信徒はどんどんやる気を失っていく…。

それが今日の教勢の衰退をもたらした元凶であると、私はそう思っています。

総裁の問題点の追求は更に続きます。



〈その②〉『“新しい文明”を築こう』は、〝ウソ〟と〝誤魔化し〟と〝騙し〟に充ちている。そうでないというのならば、ぜひ、反論を… (12166)
日時:2020年06月13日 (土) 12時09分
名前:破邪顕正


「生政連」の解散にいたる経過に、総裁が「関係していない」ことはあり得ない、それはウソである、そういうことを指摘しました。

そして、総裁という人が如何に裏工作が好きか、それも白日の下に晒しました。

“裏工作”と言えば、サヨクのお家芸…。

こういうところにも、総裁がサヨクと言われてしまう理由があるのかもしれません。

ウソと言えば、「生政連」の解散で、政治にコミットしないと言っておきながら、平気で「安倍内閣打倒」の方向に、無理無理、舵を切っていったのも指摘しておかなければなりません。

〈生政連の活動を停止して…純粋な信仰運動として教義の宣布と信徒拡大をはかる…〉(35頁)

この宣言と「安倍内閣打倒」との政治路線とが、どこでどう結びつくのか、信徒が納得し得る説明を総裁はしましたか?

それができ得ないと判断したからこそ、「これは今回の選挙に限ってのことです」という言い訳に終始したのではなかったですか?

ところが、豈図らんや、次の、そのまた次の選挙でも「安倍内閣打倒」を言い募る始末…。

信徒を騙すのもいい加減にしろ、そう言いたくもなりますよ。

これは、実に重要なポイントですので、過去の投稿を参照として引用させていただきます。

………………………………

〝背教総裁〟の「信仰者はウソをつかない」をしっかりと覚えておきましょう。「週刊朝日」で「今回の選挙に限り」と発言しています! (2637)
日時:2016年07月06日 (水) 10時19分
名前:破邪顕正

「週刊朝日」7月15日号の21頁に、「生長の家(谷口雅宣総裁)も〝参戦〟 日本会議の行動指針は根本的に誤りです」という記事が出ています。

〝背教総裁〟は、本当に「朝日」とズブズブの関係なのだということが、これでよくわかります。

「第二赤旗」「アカい朝日」と言われる「朝日」です。

その「朝日」と、ここまでの蜜月ブリを示されると、改めて、〝背教総裁〟は〝アカ総裁〟と言われても何ら不思議はないと思うものであります。

さて、表題に関するところはここです。

《今回の選挙に限り、安倍政治とそれを支える与党に対して「反対」の意思を明確にすべきと考えたのです》

「今回の選挙に限り」

よくもまあそんな「ウソ」を言えるものだと唖然としてしまいました。

だって、〝背教総裁〟が安倍政治に対して「反対」の意思を表明したのは、今回だけのことではありませんから!

証拠をあげておきましょう。


①平成21年…「産経新聞」を取り止め「朝日新聞」を推奨し、民主党支持を表明

〝背教総裁〟は、平成21年9月24日のブログ記事「『産経新聞』は大丈夫か?」でこう述べています。

《先の総選挙で、『産経』が自民党政権の維持を訴えたことを私はそれほど問題にしていない。…

が、同時に、新聞は“公器”として国民の考えを重視しなければならない。

そして、今回の総選挙での国民の選択は明瞭だった。

自公政権に対して「ノー」と言ったのである。…

まだ試運転を始めた真新しい政権に対して、初めから疑いの眼差しをもって報道する姿勢には、一流の報道機関にふさわしくない“やっかみ”が感じられ、好感がもてない。》

今にして思えば、〝背教総裁〟の「産経新聞」切りは、自らの「サヨク」思想と合わなかったからであり、それに代わって「朝日新聞」を“クオリティペーパー”だと賞讃し、信徒にもそれを読むよう薦めたのは、「安倍内閣打倒」で共感し合えるからだと見る事ができます。

それにしても、民主党政権ができたときの〝背教総裁〟の高揚ぶりは、今からすれば滑稽ですらあります。

如何に先見の明がなかったか、この一事だけでも了としえましょう。


②平成25年…安倍首相の靖国参拝を批判

ブログ記事、平成25年12月31日付け「本年を振り返って」にはこうあります。

《…独断的に、安倍首相は二十数年ぶりに靖国神社を正式参拝した。

中韓両国との関係がこれでさらに難しくなることは、明らかだ。…

「戦没者」の中に、戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人が含まれているということを無視し続けている。》

〝背教総裁〟の「大東亜戦争侵略史観」がここにも顔を覗かせています。

“「戦没者」の中に、戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人が含まれているということを無視し続けている”、この言い草は、まさに共産党と同じ歴史観にほかなりません。


③平成26年1月…東京都知事選挙で、共産党が推薦した宇都宮候補を支持

平成26年1月30日付けのブログ記事“「脱原発」の意思を明確に!”に、こう記されています。

《「脱原発」を訴えている私としては、今回の東京都知事選では、この旗印を明確にしている候補者に投票することをお願いするほかはない。》

宇都宮候補と言えば、こういう人であります。

イ、教育現場で日の丸・君が代の強制は改めるべき

ロ、外国人参政権について賛成

ハ、朝鮮学校無償化を主張

いわば、日本共産党の“別働隊”ともいうべき宇都宮候補を支持するとした〝背教総裁〟は、明らかに共産党へのシンパシーを抱いているというのがここでも明らかになりました。


④平成26年…「集団的自衛権」に反対を表明し、改めて「大東亜戦争」を否定し「占領憲法」を「平和憲法」として擁護する立場を鮮明に

7月 3日のブログ“憲法軽視で「法の支配」を言うなかれ”でこう述べています。

《自国の基本法である憲法の規定を軽視しておきながら、国際法にのっとって行動することが、どうして法の支配を重視することになるのか?

この重大な矛盾とゴマカシは、きっと将来に禍根を残すことになるだろう。》

「自国の基本法である憲法の規定を軽視」もなにも、この憲法そのものが、ニセモノなのです。

その上で、敢えて申し上げたいのは、「占領憲法」が“軽視”されざるをえないのには、それなりの理由があるからこそだということです。

この問題の根本は、集団的自衛権の行使をめぐる憲法解釈の変更にあるのではありません。

厳しさを増す東アジアの安全保障環境の中で、どうすればわが国の平和と安全を守れるのか?

全ての議論は、そこから出発しなければならないのです。

〝背教総裁〟は「この重大な矛盾とゴマカシは、きっと将来に禍根を残すことになるだろう」と言いますが、それを言うならば、占領軍が日本弱体化のために押し付けた「占領憲法」の改正に悉く反対を唱え続けてきた「朝日新聞」等の左翼マスコミを廃刊に追い込めなかったことが、ここまで禍根を残した元凶なのだというべきなのです。

ご存じのように、谷口雅春先生は「占領憲法」を一貫して批判してこられました。

しかし、〝背教総裁〟はこれを「平和憲法」として擁護する旨をはっきりと表明しました。

〝背教総裁〟の称号を有り難く甘受すべき所以です。


⑤平成27年…安保法制を“戦争法案”として批判

平成27年5月16日付けのブログ記事「今なぜ、国防政策の大転換か?」で、こう述べています。

《野党の間から、昨年の集団的自衛権行使の決定が“解釈改憲”と呼ばれ、今回の11法案が“戦争法案”と批判されるのは、理由のないことではないのである。

これを今、民主的手続きを省略してなぜ急ぐのか。その理解は困難である。》

“戦争法案”というのは、日本共産党、社民党であります。

〝背教総裁〟は、もはや民主党支持者ではなくて、むしろ日本共産党、社民党の支持者であることが、ここでも明白になりました。


以上、5点にわたって述べてきましたが、これだけでも〝背教総裁〟が実に政治好きなのがわかるではありませんか。

そういう〝背教総裁〟が、「今回限り」で終わるでしょうか。

おそらく、安倍政権はまだまだ続きます。

それに〝背教総裁〟が黙っていることができるでしょうか。

私は無理だと思います。

もし、また〝背教総裁〟が安倍内閣批判を始めたら、挙って「信仰者はウソをつかない」はどこに行った、そういう声をあげていこうではありませんか。

…………………………………………

ここで予見した通り、総裁のサヨク政治好き発言は、その後も続いたことはご存じの通りです。

続いて、総裁の〝誤魔化し〟についても触れておきます。

まずは、「監修にあたって」の、この文章がそうです。

〈生長の家の運動の中で変化したものの奥に、立教当時から確として変わらない中心的理念と教義の永続を読み取っていただきたい。〉

“目玉焼き論”でも見られたことですが、総裁は、変えてはならない黄身について、何一つ、具体的に指し示さなかったわけです。

そして、今度は、平気で「読み取っていただきたい」と言ってのける…。

それを言うのならば、信徒が誰しもそうだと読み取れるよう、こことここがそうだと明示したらどうですか?

そもそも、総裁の言う「中心的理念」とは何ですか?

「教義の永続」とは何ですか?

総裁が、一方的に、そう述べるだけで、何一つ、具体的に指し示すことはしていないではありませんか。

はっきりと申し上げましょう。

“立教当時から確として変わらない中心的理念と教義の永続”それがあれば、ここまで教勢が衰退することはなかったのです。

それがないと分かったからこそ、これではもはや尊師の創始せられた「生長の家」とは言えない、そう見切ったからこそ、信徒離れが起きたのではありませんか。

宗教団体の総裁ともあろう人が、平気で、ウソと誤魔化しと騙しをするから、心ある信徒は教団に愛想を尽かしたのです。

「それは違う」というのであれば、総裁、ぜひ、反論してみてください。

教勢が何故、衰退したのかも合わせて、ぜひ、回答をお願いしますよ。


割りこみ、失礼します。上の記事の中で破邪顕正さんがおっしゃっている多くの記事は、ここにあります。 (12168)
日時:2020年06月13日 (土) 17時14分
名前:破邪顕正さんの愛読者

破邪顕正さんが12155でおっしゃっている、〈神授の「實相」礼拝という黄金の卵を取り替えて、奇妙な異物の卵を育てさせる 「托卵」の行為。 (12115)〉は、
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2961

上から4件目の記事です。


また、12158でおっしゃっている

生長の家破壊修正主義者・谷口雅宣総裁は、「生政連」の活動停止に関与していた?! (1709)は、
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=335

上から7件目の記事です。
このなかに、
「志恩」さんの2263記事2016/05/30(月)
が含まれています。


「生政連」解散の背景にはやはり谷口雅宣総裁がいた? (346)は、
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=94

一つ目の記事で、
解散の真相が明らかになってきて (351)は二つ目の記事。
「破邪顕正」さまへ (359)は四つ目の記事。
「月見草」さんへ (382)は五つ目の記事。
目から鱗 (387)は六つ目の記事です。




さらに12166でおっしゃっている

〝背教総裁〟の「信仰者はウソをつかない」をしっかりと覚えておきましょう。「週刊朝日」で「今回の選挙に限り」と発言しています! (2637)は、
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=562
です。

ブログついでに、この記事のなかで言及されている総裁ブログの、

平成25年12月31日付け「本年を振り返って」は
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2013/12/post-b1f1.html

平成26年1月30日付けのブログ記事“「脱原発」の意思を明確に!”に
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2014/01/post-7cb3.html

7月 3日のブログ“憲法軽視で「法の支配」を言うなかれ”
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2014/07/post-3817.html

平成27年5月16日付けのブログ記事「今なぜ、国防政策の大転換か?」
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2015/05/post-6ced.html



ご参考まで。




〈その③〉「生政連」の活動停止と解散は、政治活動から手を引いたのであって、何も愛国思想を消し去ったものではない。しかし、総裁はそれを根絶やしにするためシステムまで破壊しつくした… (12180)
日時:2020年06月14日 (日) 14時43分
名前:破邪顕正


『“新しい文明”を築こう』は、総裁にとって都合の悪いことは外す、そういう精神に貫かれています。

例えば、表題の「生政連」の活動停止と解散の件です。

確かに、それによって、政治活動、愛国運動に関わらないことにはなりました。

しかし、だからと言って、愛国の思想、考えが「生長の家」の教義から消え去ってしまったわけではありません。

現に、谷口清超先生は、『日本よ永遠であれ』という聖典は出されたし、占領憲法の問題点や集団的自衛権の必要性等も発表なされました。

ところが、現総裁は、尊師-清超先生と受け継がれてきた、そのような考えを完全に根絶やしにしてしまいました。

私が言っているのは、現総裁の主義主張が、ただ単にサヨクであるという次元のことばかりなのではありません。

愛国の思想を支えるシステムそのものを破壊した、そのことを問題視したいのです。

言うまでもなく、その筆頭は「生政連」の解散でありましょう。

その後、どういうことが引き起こされたか。

旧青年局の解体がありました。

それに伴い、生学連、生高連、ジュニア友の会が実質、消滅してしまいました。

「幹部学校」も閉鎖されました。

「新教育者連盟」も、教団から切り離されました。

「養心女子学園」も無くなってしまいました。

総裁の元で、これだけのものが消滅したり、切り離されたりしたわけです。

しかし、それについて、『“新しい文明”を築こう』は何の言及もしてはいません。

愛国の思想を完膚なきまでに消し去る、その萌芽すら摘み取る…。

それが総裁の思いだったからです。

異形(いぎょう)という言葉があります。

尊師-清超先生とは全く違う、異形の総裁、それが今の総裁なのです。

この総裁によって、異形な「生長の家」となってしまった、それが私の今の実感です。


〈その④〉『“新しい文明”を築こう』は総裁にとって都合の悪いことは隠す“隠蔽史観=ご都合主義史観”で書かれている… (12193)
日時:2020年06月15日 (月) 16時22分
名前:破邪顕正


表題のことを端的に表しているのが、「光明化運動指針13条」の取り上げ方です。

13条もあるのに、この本で取り上げたものは、第9条のみ。

所謂、「総裁先生に中心帰一しましょう」の拠り所となっている

〈生長の家大神-総裁・副総裁-御教〉

ここだけの紹介に終わっているのです。

しかし、よく読んでみると、重要な箇所は巧みに省略してあるのです。

一体、何を省略しているのか。

《愈々此の住吉大神の宇宙浄化の働きが起って宇宙の浄化が完成されると、やがて伊邪那岐大神の左の眼から天照大御神がお生れになると云う段取になるのでありまして、この順序は古事記に記載されているのであります。
第一回の天照大御神の御誕生は「実相の世界」に既にあったのでありますが、第二の天照大御神の御誕生とはこの現象世界に光明無量が誕生することであり、第二の天之岩戸開きが行われるのであります。
…その前駆として、宇宙浄化の働きが始まっているのであります。
…人間霊魂の浄化運動を行い地上に於ける精神波動を浄めると云う方面を分担しているのがこの生長の家の魂の自覚運動即ち「人類光明化運動」と云うことになっているのであります。
…宇宙の創造神の慈悲の御はたらきが、人格化して現れているのが生長の家大神であります。
その大神の御旨を受けて、各々の役割に随って、沢山の高級霊が協同運動をしているのであります。
谷口雅春と云う一個の人間が其の「思い附き」で運動をしているのじゃあないのであります。
住吉大神の御旨を受けて沢山の高級霊や、準高級霊が白色スピリットからブリュー・スピリットに至るまで其の能力に随って夫々分相応の色々の役割を分担して総動員されているのであります。》

住吉大神の宇宙浄化の働き、そして「人類光明化運動」を担う吾等の使命がスッポリと抜け落ちているのです。

総本山のご祭神から住吉大神を外した総裁にしてみれば、このようなご文章は、却って都合が悪いと思ったのではないでょうか。

「第九条」は自分への中心帰一を信徒に強要できるものとしてあればいい…。

そういう姑息な考えが、その省略された箇所から透けて見えるのです。

自己正当化のために、真理のつまみ食いをすることは決してあってはならないことだと思う次第です。





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