《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅宣総裁は“生長の家破壊修正主義者”である! (1689)
日時:2016年05月31日 (火) 12時12分
名前:破邪顕正


表題は、大阪での講習会の内容を知っての率直な感想です。

谷口雅宣総裁は、私どもを「原理主義者」として難詰しました。

そちらが、そんなレッテル貼り口撃をするのであれば、こちらにもやり返す権利はありましょう。

かくなる上は、遠慮なく、容赦なく、気兼ねなく、谷口雅宣総裁に対して、レッテル貼りさせていただきます。

それが表題にある、谷口雅宣総裁は“生長の家破壊修正主義者”というものであります。

大阪の講習会で、谷口雅宣総裁が如何に、谷口雅春先生の教えを破壊する、悪辣なる修正主義者であるか、白日のもとに晒されました。

その理由、根拠を今後、シリーズで明らかにしてまいります。

乞うご期待!

なお、この連載にあたり、他のところに出ていますが、見やすくするために、こちらにも、今回の問題となった谷口雅宣総裁の講習会内容を引いておきます。

《開祖の『御教え』全相復活を目指す掲示板》に投稿された「大阪信徒」さんには、その労に心から感謝申し上げます。

<マサノブ発言の要旨> (録音禁止であるのでメモに従ってマサノブ発言をまとめた。)

① 夏の参院選挙が危ない。アベノミクスの効果は、大企業のみが繁栄し、中小企業までは回って来ていない。安倍首相は1億総活躍時代といっているが、格差社会とは両立しない。あれ程ヒドイ首相は今までなかったのではないか!?

② 雅春先生は、大東亜戦争のことを聖戦だと言ったことは、一度ならずに度も三度もある。当時は、政権を擁護する為に擁護していた面もあるが、一方「神示」のなかではあの戦争を否定されていた。この二点は明らかに矛盾をしている。戦時中の思想統制の中にあっての「聖戦」発言によって、信徒の中に混乱が生じてしまった。この辺のところの詳しいことは、2004年刊「歴史から何を学ぶか」に書いてある。

③ このように、宗教運動は時代の制約下で説かれるものである。時代という流れの中で説かれると云う事である。従って、時代が変わればその前の時代の「教え」も変わってこなければならない。それを、当時の雅春先生の言われたとおりに説き実行しなければならないとする「原理主義」を採用すると、時代が変わっても無理なことを信徒に実行せよと言わねばならなくなる。自分の都合に合わせて教祖の引用文を使って実行を強いる。換言すれば、昔の聖典に書かれている周辺部分のことを中心部分に入れてしまう。周辺部分のことを中心部分に入れてしまって理解すること、これを原理主義という。

④ 中心部分の真理を現代に翻訳するのが、宗教の指導者の役割である。原理主義の考え方では、仏教で極楽は西方にあると説く場合、「西方」を字の通りに解釈して、日本から西の方向に離れたところ、即ち、現代の「中国」に極楽があると考えることになる。このように「原理主義」は間違った方向へ人々を導いてゆくことになり、危険なのだ。宗教の指導者は、「西方」を西の方向と解釈せずに、遠く離れたところの比喩の言葉だと現代という時代に即して説かねばならない。

⑤ 「生長の家」は原理主義を採用しない。然るに、「生政連」の運動は現代とは矛盾していないと主張した人たちは、今の時代に促した運動方針を否定して、『生長の家』を脱退して、「日本会議」の様な別団体を作り、今は安倍政権の側近にまで成っている。また、「谷口雅春原理主義」の意味が分からないで、別働隊をつくって、有害な行動をして、「生長の家」に害を与えている人々がある。

⑥ 清超先生は、生政連時代の政治色を憂いて、信仰色の「生長の家」へと帰られたのである。清超先生は「法燈を継承すると云う事は、雅春先生の説かれたことを一時一句繰り返すことではない」として、政治色中心の運動方針を改めるために「生政連」の活動停止を決断されたのであって、当時の自分はこのことについて何ら関与していないのである。

⑦ 『日本会議の研究』(菅野 完著)には、「生政連」と言う「生長の家」の政治運動のことが書かれている。219頁には、当時の活動者の名前・伊藤哲夫さんの名前も出ている。111頁には「谷口雅春先生を学ぶ会」は原理主義者であると書かれている。自分(マサノブ)は、このような「生政連」活動や、「日本会議」や「谷口雅春先生を学ぶ会」の行きかたには賛成しないのである。

⑧ 谷口雅春先生は、その当時の方便説法として、“現憲法破棄・明治憲法復元改正”を唱えられた。しかし、時代は変化したのであるから、運動方針も変化しなければならない。何時までも“現憲法破棄・明治憲法復元改正”を唱え続けることは“原理主義”であり、妥協してはならない。脱退して行った「谷口雅春原理主義者」達は、自分たちを『本流』と称して、われわれの「生長の家」教団を『別派』だと称している。このような「原理主義者」達には絶対に妥協してはならないのだ。

⑨ 現代は、お互いに敵対して入る時ではないのだ。人類は今、(自分で自分の首を絞める)自殺行為をしているのだ。現代は、何はさておき、地球を守らなければならないのだ。国家と国家との対立よりも人類全体が危ない時なのだ。我々のしている運動やその方向性を見て“サヨク”という人達が居る。しかし、それはマチガイである。上を見ると「生長の家講習会」と書かれている。その右には「日の丸」がある。そして、開会式には「君が代」を歌っている。どこから見ても“サヨク”ではない。

⑩ 世界全体の情勢を見れば、――

1、2019年までは世界の穀物生産量は上昇していた。しかし、その後は横這いで増えてはいない。

2、一方、世界人口も増えた。従って人間1人当りの穀物量は増えなかった。そして、貧富の差が拡大していった。人口が増える一方、耕地面積は少なくなり、価格は上昇した。飢餓が生じた。

3、現在、アメリカと中国の飼料用穀物の使用量は増え続けている。これは、肉食が増えているためである。特に中国において。この飼料用穀物生産の増産は、生産国の貧困層の食糧を奪うことになるのだ。中国は現在、食糧植民地主義の道を歩んでいる。資源を強奪しているのだ。だから、どうしても肉食を止めるようにしてゆかなければならぬのである。どうしても肉を食べたい人は、鶏や魚の肉に変えて欲しい。牛肉1KG生産するためには7KGの飼料用穀物が必要。豚肉1KG生産のためには4KGの飼料用穀物が必要。鶏肉の場合には2KG,魚肉の場合には1.8KGである。肉食の好きな人は肉の“趣好”を変えて鶏肉や魚肉にして頂きたい。スポーツ界でも最近はベジタリアンが増えて来ているのである。

4、電力についても同じである。四国の面積と同じ太陽光発電設備を作ると、日本の電力を賄える。しかし、安倍政権は原発稼動を優先して太陽光発電の増加を実行しない。

5、太陽光発電を促進する目的は、ただ一つである。戦争を起させないためである。

6、海洋水位が毎年上昇して来ている。その責任は我々にあるのだ。水没の危機に面している南の国の島々を救うには、吾々がCO2を出さない生活をする事である。海水がCO2によって酸化するとサンゴが枯れるのだ。CO2を出さなければサンゴは救える。

⑪ このように、自然エネルギー拡大運動、中でも太陽光発電の拡大普及は世界平和を維持する為に必要なのである。中には、太陽光発電の設備更新時の中古パネルの廃棄にともなう公害について心配する人があるが、科学の力で無公害処理化が可能に成るであろうし、まだ使用可能な中古パネルは低開発国への輸出も考えられる。この自然エネルギーの開発拡大運動のことはすべて「大調和の神示」に基づいていることなのだ。仲良くするとはどう言うことなのか?日本人の中だけではない。人類の中だけでもない。自然界全体、―― 天地一切のものとの中がよくなると云うことである。


生長の家破壊修正主義者・谷口雅宣総裁は、国家意識が著しく欠如している! (1693)
日時:2016年05月31日 (火) 16時32分
名前:破邪顕正

シリーズ第一弾。

谷口雅宣総裁は、環境問題にしか関心がない。

これが致命的です。

>⑩ 世界全体の情勢を見れば、――

谷口雅宣総裁には、中国の膨張主義・覇権主義も、北朝鮮の核開発、軍国主義化も、一切、関心がないようですね。

だから、「占領憲法」が少しも気にならないのでしょうね。

環境問題には関心があっても、日本を取り巻く諸情勢には、目をつぶってしまっている、それが谷口雅宣総裁だと私は見ます。

谷口雅春先生は、国のいのちと自分のいのちは一体である。

だから、左翼勢力が蠢き出すと身体に熱発を生ずるのだということをよく言われていました。

谷口雅宣総裁には、こういう「国のいのち」というものが理解できないのだと私は見切っております。

相愛会の教区大会で、テーマとしてふさわしくないもの。

その具体例として、「国のいのち 人のいのち」というものが挙げられたことを、今でもハッキリと覚えております。

絶版となっている『聖典』のタイトルと同じだったので、とても記憶が鮮明です。

「国のいのち」を感じられない人が、「生長の家総裁」になる。

ただ、この一事だけでも、谷口雅宣総裁は谷口雅春先生の生長の家を破壊する修正主義者だと判じられると思うものであります。




生長の家破壊修正主義者・谷口雅宣総裁は、どこから見ても“サヨク”だ! (1695)
日時:2016年05月31日 (火) 18時06分
名前:破邪顕正


シリーズ第二弾。

谷口雅宣総裁は、“サヨク”と言われていることが、結構、堪えているのではないでしょうか。

だから、⑨で、こうイキガッテ見せているわけです。

>右には「日の丸」がある。そして、開会式には「君が代」を歌っている。どこから見ても“サヨク”ではない。

「日の丸」を掲げ、「君が代」を歌っていることをもって“サヨク”ではないことの理由にしているようですが、何という詭弁を弄するのだろうと思ったことでした。

そこまで言うのであれば、「朝日新聞」を読め、とは絶対に言えないはずだからです。

因みに、「朝日新聞 日の丸 君が代」で検索してみたらいい。

出るわ、出るわ、「朝日」は一貫して、その批判を展開してきたのです。

《日の丸君が代は『国旗国歌として認めない運動』をやってきたのが朝日

『日の丸君が代は侵略の象徴とし、国旗国歌と認めない運動』の先頭に立ってきたのは誰だ?

『日本は日の丸を立てて侵略した。こんな国旗は国旗として認めない。』と主張していたのは誰だ?

『君が代も歌詞に問題あり』として、国家にふさわしくないから認めないと主張していたのは誰だ?

まさに朝日じゃないか。》

よし、総裁が言うように“サヨク”ではないとしましょう。

だったら、「日の丸」「君が代」の素晴らしさについても説くべきではありませんか。

掲げて、歌うだけでなく、その素晴らしさを説いてこそ、初めて“サヨク”ではないと言い得ると思うものであります。

更に、“サヨク”でないならば、今回のG7の伊勢神宮参拝について、大いに評価すべきではありませんか。

安倍首相をあそこまで批判しておいて、“サヨク”ではありませんと、いったい、どの口が言うのかと思わずにはいられません。

「朝日新聞」を推奨し、大東亜戦争を“侵略戦争”だと言い、「占領憲法」を擁護し、安倍首相を批難してやまない人を、普通、一般的に、人は“サヨク”と呼ぶのです。



生長の家破壊修正主義者・谷口雅宣総裁は、教えの「中心部分」を意図的に変えた! (1696)
日時:2016年05月31日 (火) 18時56分
名前:破邪顕正


シリーズ第三弾。

いよいよ、このシリーズも核心部分に入ります。

問題は、③と④にある真理の周辺部分と中心部分とは何か、であります。

谷口雅宣総裁の言葉を借りれば、“時代が変わればその前の時代の「教え」も変わってこなければならない”、それが、普通の感覚では「周辺部分」に当たるものだと思うのです。

どんなに時代が変わろうとも決して変えてはいけないもの、それが「中心部分」でありましょう。

しからば、何をもって「中心部分」と言うべきなのか。

言うまでもなく、『生命の實相』であり「聖経」であると私などは思うわけです。

ところが、谷口雅宣総裁は、それをしも「周辺部分」に追いやってしまったのです…。

何と、谷口雅宣総裁は、『生命の實相』は古いと言い、「聖経」は補強されなければならないとまで言ったのです。

そして、あろうことか、『生命の實相』を神殿として大切にしようという信徒を「原理主義」と評して教団から排除しにかかったわけです。

谷口雅宣総裁は、「原理主義」をこう定義します。

>周辺部分のことを中心部分に入れてしまって理解すること、これを原理主義という。

これをもじれば、「生長の家破壊修正主義者」とはこう定義づけることができます。

>教えの中心となる部分を周辺部分に入れてしまって、自分の都合のいいようにパクリ、書き換えてしまって理解すること、これを生長の家破壊修正主義という。

谷口雅宣総裁は、おそらく『生命の實相』も「聖経」も嫌で、それが教えの中心部分にあることが気に入らなかったのだと思います。

だから、端っから、三代目を嗣ぐ気などなかったわけです。

しかし、様々な事情から、三代目を嗣ぐことになり、だったら自分の好きなように教義をも変える。

そこから出てきたのが、この教えの「中心部分」を「周辺部分」に追いやる、悪辣なる修正主義であったということです。

谷口雅春先生が「神殿」とまで言われた『生命の實相』を古いというのですから、もう無茶苦茶というほかはありません。

谷口雅春先生の「生長の家」を破壊する修正主義が、如何に恐ろしく、おぞましいかを、今、私たちは直に目の当たりにしているということなのです。


生長の家破壊修正主義者・谷口雅宣総裁は、教えの「中心部分」を“今の教え”に変えてしまった! (1705)
日時:2016年06月01日 (水) 12時44分
名前:破邪顕正

シリーズ第四弾。

谷口雅宣総裁は、“時代が変わればその前の時代の「教え」も変わってこなければならない”として、「今の教え」なる言葉でそれを表現しましたが、何と、それを教えの「中心部分」にしてしまったのです。

つまり、自分の説くことこそが教えの「中心部分」だということにしたのです。

有り体に言うならば、現総裁の言うことが「生長の家」の教えであり、その前には、たとえ創始者の教えであろうとも、「周辺部分」へと押しやってもいいということになったわけです。

それが象徴的に現れたのが、谷口雅春先生の『聖典』の絶版であり、生長の家総本山の御神体の変更であります。

谷口雅春先生が、生長の家の神様とは住吉大神である、そう仰って総本山にそれを顕斎なされたというのに、谷口雅宣総裁はそれを変更してしまったのです。

どうして、こういうことが罷り通ることになったのか。

私は、今、「生長の家総裁法燈継承」という言い方そのものが、今日の惨たる状況を招いた元凶ではないかと睨んでおります。

よく考えてみれば、「法燈」に相応しいものは「生長の家」なのであって、「生長の家総裁」ではない筈です。

「総裁」とはあくまでも、教団組織の「役職」として使われるものであるからです。

ところが、何故か、「生長の家総裁法燈継承」とされてしまった。

今、思うのです。

ボタンの掛け違いは、既に、ここから始まっていたのだと。

つまり、「生長の家総裁」という役職についたものの言うことが「法燈」なのであり、それを継承していくということにされたのです。

だから、これを根拠として、谷口雅宣総裁は自分の説くことが「生長の家」なのだと言い切ることができたのだし、そう言える余地を総裁に与えてしまったのです。

考えてみれば、真理に昔も今もあろうはずがないのに、谷口雅宣総裁は“今の教え”という用語を教団に持ち込み、谷口雅春先生の、いわば“古い教え”(谷口雅宣総裁から見ればそうなります)を大事にしようという信徒を「原理主義」だとして、文字通り「周辺部分」に追いやる権限をこれで有することができたのです。

すべては、生長の家総裁が説くことが「法燈」とされたことに帰因します。

返す返すも悔やまれてなりません。

だって、一旦、「生長の家総裁」という立場に立つや、その人の説くことが、何でも「法燈」となるわけですから、もうコワイモノナシとなります。

今や、谷口雅宣総裁は、どのようにでも“神を演じる”ことができるのです。

「生長の家総裁」が法燈を継承するのではない、法燈とは谷口雅春先生の説かれた「生長の家」の教えそのものである、それを主張するのが「谷口雅春先生を学ぶ会」の使命であると思うものであります。



雅宣総裁の ”今の教え” (1707)
日時:2016年06月01日 (水) 14時08分
名前:そーれ!!

雅宣総裁の論評でいくと・・・

雅宣総裁の、今の教えとやらも、雅宣総裁没後は結局、

過去の古い教えとして無意味なものになって行く。

空しいですねえ、雅宣総裁。そんなものを説いて・・・。

でも、彼の残した宗教家としての汚名は残ります。

永遠に消えることのない絶対真理、それが 谷口雅春先生

の み教えですね。

解る人には解るのに、解らない人には解らない。

実に不思議です。

生長の家破壊修正主義者・谷口雅宣総裁は、「生政連」の活動停止に関与していた?! (1709)
日時:2016年06月01日 (水) 17時48分
名前:破邪顕正


シリーズ第五弾。

谷口雅宣総裁は、「生政連」ついてこう述べたそうです。

《⑥ 清超先生は、生政連時代の政治色を憂いて、信仰色の「生長の家」へと帰られたのである。清超先生は「法燈を継承すると云う事は、雅春先生の説かれたことを一時一句繰り返すことではない」として、政治色中心の運動方針を改めるために「生政連」の活動停止を決断されたのであって、当時の自分はこのことについて何ら関与していないのである。》

これについては、早速、「志恩」さんがこう述べています。

>2263 :志恩:2016/05/30(月)

(前略)

それから、生政連をやめたのは、僕じゃなくて、清超先生ですからねって、おっしゃったそうですね。

その当時、清超先生と意見交換されてたのは、どなただったでしょうか?

雅宣さんじゃなかったかしら。

生政連をやめることを宣言されたのは、清超先生でしょうけれど、清超先生の話し相手になられていたのは、その頃から、すでに清超先生の相談相手をされていたのは、副の、雅宣さんじゃなかったかしら?

私は、清超先生が、やめるとおっしゃったことにつきましては、何一つ批判しませんけれど、清超先生にだけに、生政連をやめた責任を負わせる発言をされるのは、男じゃないと思います。<

「男じゃない」

まさに言い得て妙!

そうなんですよ、谷口雅宣総裁の「生政連」嫌いは当時から有名な話で、生政連をやめることに、絶対、大賛成だった筈です。

「何ら関与していない」などとよくも言えたものだなと「志恩」さんならずとも、私だって思ってしまいます。

噂話でしかないもので書き上げた「菅野本」を谷口雅宣総裁は公衆の面前で推薦してみせたのですから、私がこの「生政連」のことについて、当時の噂話で書いたとしても何ら責められるいわれはないと判断します。

実は、これについては、以前、投稿したことがありますので、それを引用することにいたします。

>「生政連」解散の背景にはやはり谷口雅宣総裁がいた?! (346)
日時:2016年02月02日 (火) 12時19分
名前:破邪顕正

(前略)

》トキ:2011/06/20(月) 13:24:00

<政治活動停止の疑問点>

教団の政治活動停止の経過は、今日でも公になっていない点が多いです。

政治活動停止が正しい決定だったとしても、段階的な廃止という手段もとれたはずです。

なのに、何故、いきなりの停止だったのか、疑問があります。

当時、「聖使命」新聞紙上に掲載された、「生長の家政治連合解散、政治活動の停止」についての声明文は、今から思うと、谷口雅宣先生のご文章と類似点があるような気がしております。

気のせいでしょうか?

最近、公表された村上氏の回顧録を見る限り、谷口雅宣先生が生長の家政治連合に極めて批判的な言動を当時からしていたようです。

谷口雅春先生が、生長の家政治連合の解散の報告を聞き、激怒された、という噂が教団内部に今日でもあります。

が、教団の公式見解、ならびに本流復活の中にも、谷口雅春先生はご納得されていた、との事です。《

ここで重要なのは、この一文です。

“谷口雅宣先生が生長の家政治連合に極めて批判的な言動を当時からしていた”

今でも、語り草になっているのは、谷口雅宣総裁が公衆の面前で「生長の家政治連合会長」の玉置和郎議員を面罵したことでした。

それが如何に“非道い”話であるか。

「光明掲示板・第二」にある中村晃生氏の投稿が大いに参考になります。

》<偽物>の教えと<本物>の教えとの違いの考察⑪ (8181)
日時:2014年05月13日 (火) 05時44分
名前:中村晃生

<産経新聞記者にさせてもらうも、政治部記者になれず「社会的な」挫折を経験する>

今から思うと、彼の心がねじれた「原因」がもう一つあります。

それは彼が「社会的な挫折」を経験した――せっかく産経新聞の記者のなったのに、目指していた「政治部記者」になれなかったことです。

当時、「生長の家」の推薦議員として参議院で活躍していた玉置和郎先生が、教団の意向を受けて「お孫さん」であるマサノブ氏の留学から帰国した後の就職活動に奔走します。

すなわちマサノブ氏念願の新聞記者――産経新聞への就職――であります。

玉置先生が動いてマサノブ氏が同社に就職できたことは、私たち事情通の間ではいわば「公然の秘密」でありました。

確か当時、教団側が相当部数の産経新聞の購読を同社からしたはずで、そのことが「マサノブ氏の就職と関係がある」と、噂されたものです。

彼が入社して間もない頃、私は玉置先生の秘書から参議院議員を目指していた村上正邦先生から、当時いた青森市まで電話を頂き、「マサノブ君が産経に入ったので、新聞記者の経験談の話をして貰えないか」との要請を受けました。

当時、私は読売新聞記者で青森支局に勤務していました。

いうなれば私が新聞記者としての先輩に当たるから――との配慮であったのでしょう。

彼とは東京の料亭で会って会食をし、いろいろ話をしたことを覚えています。

彼は横浜支局に配属され、新聞記者としての「ヨチヨチ歩き」を始めたころでした。

もっともその当時の彼は、新聞社での新しい仕事に意欲を燃やしていたのでしょう。

まだ従順な一面を覗かしていたものです。

しかし、彼はわずか数年で産経新聞を止めます。

私も当時の事情は分かりませんが、何か自分の気に入らないことがあったのだと思います。

<本当は、政治部記者から政治家になりたかった?>

その後、私は原宿の「生長の家」本部で、彼と何回か会ったことがあります。

その都度、彼は私に声を掛けてきました。

そして聞くことは決まって「政治部に入られましたか?」でした。

私が、政治部記者になることを目標としていたことを彼が知っていたからです。

その都度、「いやまだだ」と答えていましたが、なぜそのことばかり聞くのかが理解できず、よほど彼も「政治部記者にまだご執心なんだな」と、考えたことがありました。

彼が教団に入って数年経った頃、私は新聞記者を辞めて、伯父の田中六助代議士(当時、大平内閣の官房長官だでした)の大臣秘書官になりました。

その当時、長崎の本山に田中六助先生と、大きな行事に参加するため、一緒に参詣したことがありました。

会場で、私の姿を見かけたマサノブ氏は、ツカツカと私に近寄って来るなり突然、「玉置は嘘つきだ!」と、大きな声で言い放ったのであります。

余りにも唐突な言葉に、私はビックリし、一体何のことを彼が話そうとしているのか、良く理解できませんでした。

ただ玉置先生は、彼にしてみれば「大恩人」のはずです。

その「大恩人」のことを口汚く罵るとは、「何というヤツだ」という感じを持ったことは確かです。

ただ、その悪口が、実は彼が産経新聞社で一介の記者から「政治部記者」になり損ねたためであった――というのは、後日知ったことです。

今、考えればおそらく玉置先生は彼に――「君も頑張れば、数年で政治部に入れるよ」――ぐらいのリップサービスをしたのかもしれません(政治家が支援者を喜ばすために良く使う手です。

もちろん、悪気はないのですが・・・)。

でもマサノブ氏は、それを本気に受け止め、同社内で自分が期待していたような「政治部記者」になれなかったため、「嘘つき!」発言が出たものと思われます。

しかし、これは彼が「世間知らず」のために出た発言です。

産経新聞の場合も変わらないと思いますが、「政治部記者」は選りすぐりのエリート記者しかなれません。

いかに谷口雅春先生の「孫」であろうが、社内でそれなりの評価を得ないでいきなり「政治部記者」にはなれないのです。

私の場合も青森支局での6年間の地道な地方部記者生活(これを我々は「ドサ回り」と呼んでいました)を経て初めて「政治部記者」になれるのです(もちろん優秀であることが条件です)。

その後、彼の周辺の人物から聞いたところでは、マサノブ氏は一時期、本気で「政治部記者」になり、ゆくゆくは「政治家」になりたかったとか・・・

その意味で言えば、彼は相当に「権力志向」の強い人物なのでしょう。

やはり、「宗教家」には初めから向かなかったのかもしれません。《


もとより、こういう個人的な憾みが背景にあって、谷口雅宣総裁が「生政連」嫌いになっただけではないと思います。

その後の言動から、谷口雅宣総裁は、「生政連」の愛国運動そのものが本質的に嫌いだった、思想的に合わなかったと見て間違いないからです。

「光明掲示板・第一」にこのような投稿があります。

》〈唖然!〉自衛隊は「人殺し集団」なんですと?! (7803)
日時:2013年04月21日 (日) 14時30分
名前:「靖国見真会」参加者

谷口雅宣総裁という人は、驚くべき思想の持ち主だったんだということが、どんどん漏れ出ています。

さすがに、こんなことは秘匿しておかなくてはならないと思っていた方も、ここまで谷口雅宣総裁の横暴が歴然としてくると、もはや秘匿する必要なしと考える人も出てきたようです。

話しはずいぶん昔に戻ります。

谷口雅宣総裁がまだ本部の総企画局長だった頃の話しです。

第2次中曽根内閣で、村上正邦元参議院議員が防衛政務次官に就任しました。

ある方が、それを報告にあがったところ、谷口雅宣総裁は何といったか?

「ふーん。村上さんは、人殺し集団が好きなんだ-」

いやはや、こういう思想の持ち主だからこそ、産経新聞を嫌い、朝日新聞を読めと信徒に推奨し、そして民主党支持を高らかに宣言するのだと合点がいった次第です。

それにしても、自衛隊を「人殺し集団」と言いますかね。

そう言えば、「自衛隊は暴力装置」と言ったのは、民主党の仙谷由人元官房長官でありましたね。

なるほど、総裁が民主党を支持するというのは、こういう「自衛隊」観においても同じだったからだと受け止めることもできそうです。

こういう思想をもった谷口雅宣総裁を「生長の家総裁」として担ぎ続ける人の神経が、私にはとても理解できません!《


こういう思想の持ち主が、裏で「生政連」解散を企図したとしても何ら不思議はありません。

「生政連」解散後、谷口雅宣総裁は、ご存知のように、実に政治的な発言、しかもサヨク発言を繰り返したのですから、そう言われても抗弁のしようがないと思うものであります。


解散の真相が明らかになってきて (351)
日時:2016年02月02日 (火) 19時49分
名前:月見草
「生政連」の解散は谷口雅春先生の御心ではなかったと、これまで何度も聞いたことがあります。

では誰が・・・そんなことが出来るのは・・・と。

教団の衰退ぶりを見るとやはり思い当たるのは、雅宣総裁であろうと思っていました。

これだけ具体的なことが記されていれば、雅宣総裁という人がよく分かります。

そうだと思われても不思議はありません。

もしそうならば、この頃からすでに教団はオカシクなってきていたのですね。

その時点で何か打つ手はなかったものかと、とても悔しい思いがいたします。



「破邪顕正」さまへ (359)
日時:2016年02月03日 (水) 11時30分
名前:月見草
いつもありがとうございます。

投稿を読んで、より真相に近づけて気持ちがすっきりしています。

良しにつけ悪しきにつけ、真実が知らされないことには気持ちが落ち着きませんね。

以前、目の前で本部講師の人たちが「生政連の解散は、○○(二代目総裁)がやったんだ!」と呼び捨てで話しておられたのを聞き、とても悲しく思ったことがありました。

でも、やはりその裏には雅宣総裁がいたんだと納得しました。

これまで具体的なことは、私などには伝わることもありませんでしたから。

これが正解なのか多少違うこともあるかは知れませんが(私は間違っていないと思います)、

真相が明らかにされることは、きっと同じ過ちを繰り返さないことにもつながり、今後の教訓にもなると信じます。

そういう意味でも、雅宣総裁の為された事実を明らかにして頂けることを、とても有難く思っております。


「月見草」さんへ (382)
日時:2016年02月05日 (金) 19時41分
名前:破邪顕正

投稿、ありがとうございました。

>投稿を読んで、より真相に近づけて気持ちがすっきりしています。

そう言っていただいただけでも、これを投稿した意味があったと思っております。

「谷口雅宣教団の30年」の始まりを「生政連の解散」から説き起こしたことは決して間違いではなかった。

真っ当な判断であったとますます確信を深めてきております。

谷口雅春先生は、おそらく「生政連活動の凍結」を了承されたのであって、決して〝解散〟を了承されたのではなかった、というのが私の見立てであり、確信でもあります。

つまり、「凍結」を「解散」にまでもっていた人が裏で暗躍していたということです。

そう考えると、いろんなことが判然とし、またすべての辻褄があってきます。

「谷口雅宣教団の30年」をまとめて改めて思うのは、もはや〝SNI教団〟が谷口雅春先生の教えに戻るというようなことはありえないという思いです。

少なくとも、内から、そんな動きが生まれることはない!

「フェスタ」の動画を見ていて、そのことを強く実感しました。

谷口雅宣総裁は、生長の家の信徒を間違いなく、骨抜きにしてしまいましたね。

残念ですが、致し方ありません。

〝SNI教団〟に期待できない以上、谷口雅春先生の御教えの正統なる団体が生まれなければなりません。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は、その願いに応えていきたいとの思いで、ますます精進してまいります。


目から鱗 (387)
日時:2016年02月06日 (土) 10時10分
名前:なるほど
これが事実なら雅宣氏がのちに解散に追い込んだのが事実のようですね。要するに

生政連活動凍結(停止であり政治団体としては存続していた)
⇒⇒生政連完全解散(政治団体登録抹消)の間には数年の時間があり、その間に雅宣氏が介入して追い込んでいった。という事ですか。

26 :エンジェル:2011/06/21(火) 22:22:02 トキさまが書かれた<政治活動停止の疑問点>についてのⅠ考察のために

 実は私もこの事が本当はどうだったのか知りたくて(古今物語の掲示板でも話題になったことがあったので)もしかしたらあの当事雅春先生の最もお側におられた貴康先生ならご存知かと思いうかがった事があります。

 それまでは、清超先生が政治活動を嫌っておられてという噂もあったのですが、お話を聞いて驚きました。

私が、清超先生は政治活動がお嫌いだったのですかと貴康氏にお聞きすると

「好き嫌いの問題ではない、僕は玉置和郎の事務所で一年間丁稚奉公させられたんだよ、預けられたりは清超先生だよ笑、嫌いな世界に息子を預けはしないだろーよ」

「それでそのうちに玉置先生に見込まれちまって村上さんもいたんだけど俺の跡継ぎになってくれないかと誘われてね、僕も若かったから本気にしちゃって・・・」

「て゛もね、清超先生はおまえは生長の家を勉強して政治家ではなく政治家を使う立場の人間になれと言われたんだよ」

だからその後長崎の雅春先生の下に行かれたのだそうです。

でもこの当事は選挙のたびに全国を応援に行き、特に村上さんの初当選の選挙では奥さんの臨月の日を超えて駆け回り、村上さんの当選確実が出た日にMさんは生まれたそうです。

 さて、二回目の(一度雅春先生自身が活動停止を言われたことがあります)生政連の活動停止(凍結)になった時の話ですがここからは実際にお聞きしたことを会話形式にして書きます(文責はエンジェル)

「あの日ね、清超先生から朝お電話があってね、あんたは政治活動にとても興味があったし誤解の無いように伝えておきたいことがあって・・・」

(実はこの当事、総本山の落慶大祭後、長崎に貴康先生の尽力で長崎『玉置会』が三菱関係を中心とした企業が参加して出来上がり、地方議員連盟も大いに拡大中で貴康さんも各地に応援に行かれていた等の背景があったようです)

清超先生「生長の家は自民党に結局利用されてしまったことは君も今度の法案の扱いや名簿順位の扱いで理解していると思う」

「信徒をこれ以上純粋な信仰活動よりも政治に関わらせて失望させるわけにいかない。ここは一時政治活動を凍結して純粋な信仰活動にもどり、圧倒的な信徒の増大を図って出直さなければならないと考えたわけで、先ほど雅春先生にこの決断をお伝えして了解を戴いたところだからね理解して欲しい」

貴康氏 「活動の凍結とは信徒数が倍増した日には再び政治活動に参加するということですか」

清超先生「そう思ってもらってもよい、ただ自民党と今までのように協力するかはわからない」

貴康氏 「もし信徒さんを拡大できたら自分たちの政党を作る可能性もあるのですか」

清超先生「そういうこともあり得る、何しろこれからは政党に他の団体と天秤にかけられるようなことの無いように信仰的に熱烈に、信徒数においても圧倒的な力を蓄えなければならないということだ」

貴康氏 「そういうことならば全く異論はありません。先生のおっしゃる通りです」

このようなお話があったそうで他の誰にもしばらくはお話にならなかったそうです。

 このことから解るように、生政連は一活動が凍結されそれは、解散と云うことではなかったわけで実際、経理上も生政連の会計と財産はその後何年も残っていたようです。 <


以上、「生政連」の活動停止に関する様々な人の投稿を紹介してまいりましたが、これでも谷口雅宣総裁は「何ら関与していない」と言い張るのでしょうか。

谷口雅宣総裁、当時の「生政連」の愛国運動は大嫌いだったのではありませんか。

だから、活動停止は、谷口雅宣総裁にとって、文字通り「渡りに船」だったのではありませんか。

谷口雅宣総裁。

これだけの状況証拠があがっているのに、それでも「何ら関与していない」と強弁しますか?!




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