事実認識および論理の修正。則天去私氏の場合。その2。 (15052) |
- 日時:2024年03月06日 (水) 00時29分
名前:修繕屋
【1】 『生命の實相』の比較と谷口雅春先生の思い (ブログ「則天去私」2013年11月15日) http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1110514.html
これ(『生命の實相』)は編集者の本ではありません。谷口雅春先生の本 だということを肝に銘じてほしいものであります。どうして聖書などを 編纂しないかを考えていただきたい。それは「バイブル」だからなんです。
(1) 世界中の『聖書』は何度も編集(改変)されている
則天去私氏の「どうして聖書などを編纂しないかを考えていただきたい」という発言のなかの「聖書」とは、「新約聖書」を指しているようなので、ここでは「新約聖書」だけに論点を絞りますが、『聖書』は新約聖書であろうが旧約聖書であろうが何回も編集(変更)されています。次に、その事実を複数紹介します。
(ア) 『聖書 新共同訳』
今の日本で『聖書』を編集出版している団体は、「日本聖書協会」や「いのちのことば社」など複数があります。そのうちで最も大規模な編集出版を行っている団体は「日本聖書協会」です。「日本聖書協会」について解説した「ウィキペディア日本聖書協会」は、その「歴史」の項のなかで、
1987年に刊行された新共同訳聖書は…現代日本でもっともよく 利用されている聖書となっている。
と解説しています(2024年2月26日時点)。「日本聖書協会」が日本で最も影響力をもつ団体だと言っても問題はないでしょう。
その日本聖書協会が戦後に編集出版した『聖書』(新旧ともに含む一冊の本)に、1991年出版の『聖書 新共同訳』があります。その冒頭に「序文」があります。そのⅢページ~Ⅳページに次のような解説が書いてあります。
私どもが、今回の翻訳をことさら「新共同訳」としたのには、次の 三つの理由があります。第一は、新約聖書の部分が、1978年に 出版した、「新約聖書 共同訳」に対し、全く新しい翻訳といえる ほどに大幅改訂の加えられたものになったということであります…。 (証拠1。新共同)
この序文で明らかなように、日本には「全く新しい翻訳といえるほどに大幅改訂の加えられた」新約聖書があります。
もっとも、この説明は完全とは言えないかもしれません。なぜならば、「翻訳が変わったこと」と「編集(改変)が行われたこと」は違う…とも考えられるからです。
しかし、この本が出たあとに、同じ「日本聖書協会」が新しい『聖書』(新旧ともに含む一冊)を編集出版しました。それが「共同訳聖書 改訂版」です。
(イ) 『共同訳聖書 改訂版』
「日本聖書協会」はホームページ「聖書 聖書協会共同訳 翻訳事業」 https://www.bible.or.jp/know/know31.html の中の、「聖書 聖書協会共同訳(特徴と実例)改訂版」の項で、2023年5月1日に出版された『共同訳聖書 改訂版』について次のように解説しています。
『聖書 聖書協会共同訳』の特徴…。旧版を…見直した改訂版…。実例では ヨハネ13:12、21:17を削除し、ヨハネ1:3-4、マタイ6:9を追加。
この解説は、『共同訳聖書 改訂版』がそれまでの『新約聖書』を編集(改変)したということを明示しています。今も昔も『新約聖書』は編集(改変)されているのです。
(ウ) 講談社学術文庫の『新約聖書 共同訳・全注』
講談社学術文庫が昭和56年11月10日に出版した『新約聖書 共同訳・全注』(共同訳聖書実行委員会)という本があります。この『新約聖書』も、現在発売されています。この本は、「まえがき」にあたる「『新約聖書 共同訳』について」のvページで、
読者の中には、章・節の分け方、あるいは本文の読み方などにおいて、 従来の聖書と相違する点があることに注意されるかたもあると思い ますが、その理由は底本の違いによるものであります。 (証拠2。聖書。学術) と解説して、この『新約聖書』が「章・節の分け方」で編集(改変)を行ったことを明示しています。これも「章立ての変更」です。この本も日本のキリスト者から非難されていません。講談社は今も堂々とこの本を出版・販売しています。
(エ) 『新約聖書 詩篇附』
ついでにもう一つ。「日本聖書協会」が1887年に発行して今も出版されている『新約聖書 詩篇附』という本があります。これは書名通り『新約聖書』です。ところが、この『新約聖書』は旧約聖書の「詩篇」を含んでいます(証拠3。詩篇附)。
これは則天去私氏の言う「章立て変更」どころではありません。「本立て変更?」です。しかしこの『新約聖書 詩篇附』に非難の声が出たということはありません。この『新約聖書 詩篇附』は今にいたるまで何回も堂々と出版されています。以上の事実認識から判明するように、則天去私氏の「どうして聖書などを編纂しないかを考えていただきたい」という発言は事実に反しています。
…ということで、ここから「論理の修正」を行います。はたして新編『生命の實相』が、「頭注版」などの「総説篇・實相篇・光明篇」の順番を、「総説篇・光明篇・實相篇」に変更したことは許されない編集(改変)だったのでしょうか。
もちろん『聖書』の編集実態と日本人全体の反応を見れば、「許されない編集である」とは言えません。「著作者人格権(特に同一性保持権)を侵害した編集である」と言うこともできません。したがって、『聖書』を持ちだして「新編『生命の實相』の章立てがどうのこうの…」と言い出した則天去私さんは、本当は次のように主張するべきだったのです。
世界で最も読まれていると言われる『聖書』は何回も編集(改変)が行われた。世界中の人たちはそれを承認してきた。だから、新編『生命の實相』が「総説篇」の次に「光明篇」を続けたぐらいの些細な変更も、当然承認されなければならない。
【2】 ついでに、これも。
「立葵様に御禮」 (ブログ「則天去私」2018年6月30日) http://tecnopla1011.blog.jp/archives/2018-06.html
何故新編(生命の實相)には「著作はしがき」とゐうのがあるのか 不思議である。他の文學作品であまり著作に對してのはしがきなど 引用例がないのに、何故著作者に対して「はしがき」を付けるのか である。
(1) 『聖書』には、「はしがき」がついている
ここで本文のような機械的で野暮な文章の中に立葵様のお名前を出すことを立葵様にお詫びします。その上で…。
上に引用した『聖書 新共同訳』の「序文」は、本の内容や成立事情を解説していました。これは、『新編』の「はしがき」がその本の内容や成立事情を解説していることと違いがありません。
また、やはり上に紹介した講談社学術文庫『新約聖書』は最初に「序言」を載せて、その次に、「はしがき」に当たる「『新約聖書 共同訳』について」を付けていました(証拠2。聖書。学術)。これも本の内容や成立事情を解説している点で、『新編』の「はしがき」と同じです。よって、則天去私氏の「他の文學作品であまり著作に對してのはしがきなど引用例がない」という発言は事実に反しています。
(2) 『生命の實相』は、「文学作品」ではない
また、則天去私氏のこの発言が『生命の實相』を文学作品に位置付けていることも事実に反しています。『生命の實相』は広範囲にわたる内容に言及しているために一つのジャンルに位置付けることが難しい文書ですが、宗教書あるいは思想書のなかに位置付けられるべき文書です。
したがって、『生命の實相』を文学作品のなかに位置付けている則天去私氏の発言は不正確です。おそらく則天去私氏は、『生命の實相』を読んでいないのでしょう。「生長の家」の現総裁・谷口雅宣氏が『生命の實相』を読んでいない…という噂は以前から語られていますが、則天去私氏も総裁と同じように『生命の實相』を読んでいないようです。
事実認識および論理の修正。則天去私氏の場合。その1。 https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3725
事実認識および論理の修正。則天去私氏の場合。その2。 https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3726
事実認識および論理の修正。則天去私氏の場合。その3。 https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3727
事実認識および論理の修正。則天去私氏の場合。その4。 https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3728
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