事実認識および論理の修正。則天去私氏の場合。その1。 (15044) |
- 日時:2024年03月05日 (火) 23時40分
名前:修繕屋
護法の天使さん。「新編『生命の實相』の正統性と優秀性を説明いたします」を書いていておかしいと思いませんでしたか? (ブログ「則天去私」本年2月1日) http://tecnopla1011.blog.jp/archives/88559272.html
一言いえるのが「章立て」を改変されたのは「谷口雅春先生」御自ら、 御存命中にて変更なされています。…著作者自ら編輯されるのは、 「自由」なのです。それが、他人が勝手に変更しているから、オカシイ と思うのです。有名な「夏目漱石」の御文章を勝手に章立てなど様々 に変更するのは愛読者にとっては我慢できないのと一緒であります。
(1) 日本の『夏目漱石全集』は小説を勝手な順番で編集している
夏目漱石が残した文章のジャンル(分類項目)は大きく分けて、小説、評論、論文、随筆、日記、書簡の6種類があります。このなかで文学的に最も重要なジャンルは何と言っても小説です。その次が評論あるいは随筆でしょう。日本には岩波書店と角川書店の『夏目漱石全集』がありますが、どちらも第一巻に小説を載せています。それは小説が漱石文学にとって最も重要なジャンルだからです。
ところが、その小説の掲載順番が、岩波書店の『定本・漱石全集』と角川書店の『夏目漱石全集』では全くちがっています。たとえば、岩波書店の『定本・漱石全集』は、第一巻が「吾輩は猫である」を収録しています(証拠1。定本巻1)。第二巻が「坊ちゃん」を収録しています(証拠2。定本巻2)。しかし角川書店の『夏目漱石全集』は、第一巻が「坊ちゃん」を収録しています(証拠3。角川巻1)。第二巻が「吾輩は猫である」です(証拠4。角川巻2)。同じ夏目漱石全集でも二つの小説の収録順番が引っくり返っているのです。これは則天去私氏がいう章立て(篇立て?)の変更です。
このほかにも二つの全集には掲載順番が入れ替わっている作品がたくさんあります。下に、二つの全集が収録している小説の名前を巻数とともに提示しました。左が岩波書店の『定本・漱石全集』、右が角川書店の『夏目漱石全集』。両者とも現在発売中の代表的な夏目漱石全集です。なお、一つの巻のなかに複数の小説がふくまれている場合は代表的な小説名を表示しました。
岩波書店 角川書店 第1巻 吾輩は猫である 坊ちゃん 第2巻 坊ちゃん 吾輩は猫である 第3巻 草枕 草枕 第4巻 虞美人草 虞美人草 第5巻 坑夫・三四郎 坑夫・文芸の哲学的基礎 第6巻 それから・門 三四郎・田山花袋君に答う 第7巻 彼岸過ぎまで それから 第8巻 行人 門 第9巻 こころ 彼岸過ぎまで 第10巻 道草 行人 第11巻 明暗 こころ 第12巻 小品 道草 第13巻 英文学研究(論文) 明暗 (以下の巻は両全集とも小説でないので省略)
この比較表を見てわかるように、岩波の全集と角川の全集を比較すると、両社の全集では小説の順番が入れ替わっているだけでなく、ジャンルも入れ替わっています。たとえば角川第5巻(証拠5。角川巻5)に収録の「文芸の哲学的基礎」は、そのタイトルからわかるように「論文」あるいは「評論」のジャンルに位置付けるべき内容です。だから岩波の『定本・漱石全集』は、この「文芸の哲学的基礎」を、「第16巻。評論ほか」(証拠6。岩波巻16)に収録しています。
さらに、角川第6巻(証拠7。角川巻6)に収録の「田山花袋君に答う」は、そのタイトルからわかるように「漱石が田山花袋に反論した評論」あるいは「随筆」です。だから岩波の『定本・漱石全集』は、この「田山花袋君に答う」を、「第16巻。評論ほか」(証拠6。岩波巻16)に収録しているのです。
さらに注意したいことは、角川書店の全集が小説の掲載順を入れ替えているだけでなく、「小説」と「評論」の作品をごちゃ混ぜにして掲載していることです。上記のように、角川の全集は第5巻に「評論」である「文芸の哲学的基礎」を収録していますが、その次の第6巻のなかで再び小説「三四郎」を収録し、そのすぐあとに「評論」である「田山花袋君に答う」を続けています。
これは、通常の常識でいうならば「ジャンルの区別を無視した収録」です。つまり、則天去私氏がいう「章立て変更」以上の「ジャンル変更」です。だから角川の編集方針は、則天去私氏がいう「愛読者にとって我慢できない」編集であるはずです。
ところが角川書店に抗議の声が殺到したことはありませんでした。まして、角川書店が「著作者人格権(特に同一性保持権)を侵害した」という理由で告訴された…などということは全く起こりませんでした。則天去私氏の「有名な「夏目漱石」の御文章を勝手に章立てなど様々に変更するのは愛読者にとっては我慢できない」という発言は事実に反しています。
(2) 同じ岩波書店でも「版」によって評論の順番を編集(改変)している
さらに評論や随筆のジャンルでは、同じ岩波の漱石全集でも「版」によって同一作品の収録順番に大きな異同があります。次の比較表は、左が昭和10年(1935)から昭和12年(1937)にかけて岩波書店が出版した『漱石全集』。右は同じ岩波書店が現在発売中している『定本・漱石全集』の巻数とその収録内容です(どちらも主要な作品を提示)。
『漱石全集』第13巻目次 『定本・漱石全集』第16巻目次 (昭11.3.10発行) (平31.2.27発行)
評論の部 (評論と雑篇の区別なし) 作物の批評 小羊物語に題す十句 文芸の哲学的基礎 『鶉籠』自序 現代日本の開化 作物の批評 素人と黒人 入社の辞 私の個人主義 文芸の哲学的基礎 高浜虚子『鶏頭』序 雑篇の部 創作家の態度 入社の辞 田山花袋君に答ふ 現代日本の開花 序文の部 素人と黒人 子羊物語に題す十句 私の個人主義 『鶉籠』自序 その他 高浜虚子『鶏頭』序
この比較表を疑う人は、左側の『漱石全集』第13巻については https://dl.ndl.go.jp/pid/1883318 で一冊丸ごと確認が可能です。右側の『定本・漱石全集』第16巻については(証拠6。岩波巻16)を確認願います。
ともあれ、この比較表によれば、赤字の評論や序文の順番が左右で多数入れ替わっています。…というよりも…そもそも右側の『定本・漱石全集』は評論・随筆・序文の区別が消滅していて、大変混乱した収録順番になっています。これも則天去私氏に言わせるならば、「漱石の愛読者にとっては我慢できない」混乱でしょう。
しかし、幸か不幸か、『定本・漱石全集』を出版した岩波書店に非難の声が殺到したことはありませんでした。まして、岩波書店が、「著作者人格権(特に同一性保持権)を侵害した」という理由で告訴された…などということはまったく起こりませんでした。岩波書店は今も堂々と『定本・漱石全集』を販売し、全国の図書館には『定本・漱石全集』が権威をもって開架に並んでいます。
つまり、日本人の圧倒的大多数は今も昔も、角川書店と岩波書店の編集方針に「我慢できない」と思わず、「違法な編集だ」とも思っていないのです。則天去私氏の、「有名な「夏目漱石」の御文章を勝手に章立てなど様々に変更するのは愛読者にとっては我慢できない」という発言は事実に反しています。
…ということで、ここから「論理の修正」を行います。はたして新編『生命の實相』が「頭注版」などの「総説篇・實相篇・光明篇」の順番を、「総説篇・光明篇・實相篇」に変更したことは、則天去私氏が言うように愛読者にとって「我慢できない違法な編集」なのでしょうか。
もちろん岩波や角川の編集実態と日本人全体の反応を見れば、「我慢できない編集である」とは言えません。まして、「著作者人格権(特に同一性保持権)を侵害した違法な編集である」などと言うことは不可能です。したがって、わざわざ夏目漱石を持ちだして、「新編『生命の實相』の章立てがどうのこうの…」と言い出した則天去私さんは、本当は次のように主張するべきだったのです。
有名な夏目漱石の文章の章立ては何度も変更された。すべての日本人はその変更を承認してきた。だから新編『生命の實相』が「総説篇」の次に「光明篇」を続けたぐらいの変更も、当然認められなければならない。
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