「三日の箴言 人生の厩橋側と上野公園側と」に学ぶ… (12083) |
- 日時:2020年06月02日 (火) 12時41分
名前:破邪顕正
ここで、尊師は、関東大震災に遭遇されたときのことを書いておられます。
こうあります。
《私たちののがれて行く道はただ二つあった。一方は厩橋の方であり、もう一方は上野公園の方であった。どちらを選ぶかは、瞬時を争う危急の場合で理屈はないのである。人間は、ただ「フト思いついた方」へ走り出す。》
幸い、尊師は上野公園の逃れられて九死に一生を得られます。
生か生か、それを決するのは、まさしくその「フト」にあるわけです。
で、尊師はこう言われます。
《果たして何者が「フト思い浮かばす」のであろうか》
人生は選択の連続であると言われます。
あるモノの本によれば、人は、一日、大小とりまぜて9,000回の選択をしていると言います。
人生で如何にすれば間違いのない選択をしていくことができるか。
それには、「フト思い浮かばす」ところが何者であるかを知らなければなりません。
今回の「通達」で言えば、そのまま教団の言うがままに「拝」と言って、「七重塔」と“造化の三神”を礼拝する道を行くのか、それともあくまでも自分は『實相』礼拝の道を行くと決断するのか…。
さて、どちらが、自らの信仰にとって“厩橋”なのか“上野公園”なのか…。
それが問われているのだと思います。
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