「tapir」さんに、ぜひ、知ってもらいたいこと (12165) |
- 日時:2020年06月13日 (土) 10時24分
名前:破邪顕正
「トキ」さんが、“コンプライアンスを重視するような組織”をと、いつものように“願望”投稿をしていますが、そもそも、どうして今日のような教団になってしまったのか、その理由をご存じですか?
私が、総裁の退陣なくしてはそれは為しえないと断言したのには、それなりの歴史的背景があってのことなのです。
昔は、教団の最終決定は、教化部長が集まった「評議員会」にありました。
それは、尊師の時代から一貫していました。
だから、尊師のご意志が、その「評議員会」で覆されたことだってあったやに伺ったことがあります。
つまり、「生長の家」では、“総裁”とは言っても、だからと言って“独裁”では決してなかったのです。
それが、「生長の家」の良き伝統でもあった…。
「トキ」さんの言うような“コンプライアンスを重視するような組織”それはかつての生長の家では当然のように見られていたことだったのです。
ところが、その好き伝統を一気に破壊し、所謂、今日の総裁“独裁”体制にもっていったのが、他ならぬ現総裁だったのです。
そのことが“暗黒の30年史”で次のように紹介されています。
これをわかりやすくするために、引用文の中に、(註)をいれておきます。
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○平成13年…「参議制度」が新設
※この規約改正によって、谷口雅宣総裁が金も人事も握る権力を有することになります(教団完全支配)。 この制度がどんな経緯で誕生したのかを解説しておきます。 話は、平成12年5月2日に遡ります。 ここで、谷口雅宣総裁は自分の意向に添った理事の選出を図ります。 ところが、教化部長の多数決により、総裁の意中の人物の殆どが落選します。
(註:かつては、このように総裁の意のままにならない制度だったということです)
これに腹を立てた谷口雅宣総裁は、自らの意向がストレートに反映する機構改編に着手します。 それが「参議制度」の導入でありました。 この「参議制度」というのは、分かりやすくその本質を指摘すると、教化部長の多数決を経ないで、自分の意のままに参議として任命できるという制度です。 しかも、それを「最高首脳者会」として生長の家の意思決定機関とし、ここで教化部長の任免の決定権を持つということにしたのです。 これが通れば、谷口雅宣総裁に反対を唱える理事及び教化部長は徹底的に排除され、イエスマンのみを本部の役職者とすることが可能となります。 平成13年11月20日、志ある教化部長が立ち上がり、公然とこれに反旗を翻しました。 その結果、この案は、継続審議となります。
(註:ここで反旗を翻したことで、総裁から睨まれ、報復人事を受けることになります。しかし、これによって本気で教団に対峙するという覚悟が生まれたのです)
この結果にまた腹を立てた谷口雅宣総裁は、平成14年1月の教化部長の定期異動において、反対した教化部長の多くを左遷、及び更迭します。 この報復人事を目の当たりにした教化部長は、平成14年1月22日、雪崩を打って、賛成する側に廻ります。 これで勝負あり。 以降、この「参議制度」の導入により、谷口雅宣総裁の独裁権限が大手を振って罷り通ることとなっていくのです。 金も人事権も握られたら、谷口雅宣総裁に抵抗することはもはや不可能です。 平成13年から14年にかけてが、生長の家教団が大きく変質する、その一つの大きな転機であったということができます。
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御覧のように、今の体制はまさしく総裁が自らつくりあげたものであるのです。
この「参議制度」が導入されたとき、これから先、教団がどうなってくか、ある程度の予想はできました。
現に、ある理事の方などは、「これで生長の家は終わった」と漏らしたりもしたのです
そのことが、予見できたからこそ、身体を張って、それこそ人生を賭けて「総裁ノー」の声を上げたのです。
しかし、その声は、ご存じのように、空しく潰えてしまいました。
だからと言って、何の意味もなかったか。
決してそうではありません。
現に、こうして、本流復活の運動が沸き起こっているではありませんか。
一波は万波を呼ぶ!
「総裁ノー」の声が、閉塞せる状況の扉を必ず開いていく…。
壁は壁に非ず、新たな地平を切り拓く扉なり!
それを私は信じています。
だから、「総裁ノー」の声をあげること、すべてはそこから始まると申し上げているのです。
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