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光明掲示板・伝統・第一

 

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慰霊(戦没者追悼) (74)
日時:2015年01月23日 (金) 18時33分
名前:伝統

*光明掲示板・第一「慰霊(戦没者追悼)」からの継続です。
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1441


両陛下、4月8、9日にパラオご訪問 
戦後70年で戦没者ご慰霊 閣議で決定

         *産経新聞2015年1月23日(金)より

天皇、皇后両陛下が戦後70年の節目に戦没者慰霊や平和祈念のため、
激戦地だったペリリュー島がある西太平洋のパラオ共和国を4月8日から
1泊2日の日程で公式訪問されることが、23日の閣議で決まった。

両陛下が戦没者慰霊を主な目的に海外を訪問されるのは、
戦後60年だった平成17年のサイパン以来2度目。

宮内庁によると、8日午前に羽田発の民間チャーター機でパラオへ向かわれる。
同日は中心部のコロール島で友好親善の行事が催される。

日本軍約1万人が戦死したペリリュー島でのご慰霊は9日で、
日本政府が建立した慰霊碑「西太平洋戦没者の碑」を訪問される見込み。

島間の移動には海上保安庁のヘリコプターの使用が検討されている。

昨年8月、レメンゲサウ大統領からご訪問の招請があり、
政府は9月から関係省庁で調整を進めていた。
12月には大統領が来日し、陛下が会見された。

 
パラオは日本から約3千キロ南に位置。
第1次世界大戦後に委任統治領となってから昭和20年の終戦まで約30年間、
日本の統治下にあり、日系の人々も多い。

両陛下は戦後50年の平成7年に「慰霊の旅」として広島、長崎、沖縄の各県と
東京都慰霊堂をめぐり、昨年も沖縄、長崎、広島で戦没者を慰霊された。

  (http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20150123516.html )

・・・

日本とパラオについては、
光明掲示板・第三「素晴らしい日本Ⅱ (30)」
子記事「「親日国「パラオ」 (549)日時:2014年09月22日 (月) 」にて確認できます。

 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=15

           <感謝合掌 平成27年1月23日 頓首再拝>

念のため、光明掲示板・第三から転載しておきます。 (75)
日時:2015年01月23日 (金) 18時43分
名前:伝統~夕刻版

《日本を愛する親日国「パラオ」》

       *「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」池間哲郎・著
            第3章(P56~58)より

かつて南洋の島々が日本統治だった時代があった。
日本統治が決まった時、人々は、「白人から日本人に代わっただけ」
「また私たちは差別を受け、ひどい目に遭うに違いない」 とかを思惟覚悟を決めていた。

ところが日本は、そうではなかった。
学校を造り、病院、道路、水道、電気などさまざまなインフラ整備をしてくれた。
人々を差別することなく、日本人と同じように扱ってくれた。

人々は今でも日本を愛している。
日本を大事にしてくれる。

           ・・・

1885年、パラオはスペインの植民地となり、圧政と虐殺、
天然痘で6万人いた人口は6000人に激減。実に90%もの人々が亡くなった。
いかに植民地政策だったかが分かる。

1899年にはパラオはドイツに売却されたが、同じくドイツも搾取と略奪を続ける。

第一次世界大戦終了後、パリ講和会議で日本の委任統治領と決定。

帝国主義の白い蛮人たちはパラオの人々を人間とは思っていなかった。
教育も与えず、インフラ整備も一切行なわない。
いかに搾取するかだけを考えた統治だった。

しかし、日本は違った。学校、病院、電気、道路などのインフラ整備を行ない、
住民の生活向上に力を入れる。
特に教育に関しては、日本本土とまったく同じ人種差別なき政策を実行。

優秀な子供たちが続出し、「パラオ人も、やればできる」と彼らに大きな自信を与えた。

日本敗戦後、パラオはアメリカ統治となった。
アメリカは熾烈な日本叩き教育を行なう。

浸透していた日本文化の徹底的な破壊。二宮尊徳像をぶち壊し、神社を破壊。
「日本は残虐」「日本はパラオ人を虐殺した」と長期にわたり学校教育を行なう。

ところがパラオ人は、誰も信用しなかった。特に日本統治時代を経験した年長者たちが、
「何を言いやがる。日本は素晴。日本統治時代が一番よかった」と激怒した。

何があっても日本を愛している」今も人々は語る。

1994年10月1日にパラオは米国統治から。独立した。

パラオは世界有数の親日国である。
にもかかわらずパラオの歴史を多く日本人は知らない。

これでいいのだろうか。
反日国を大事にし、親日国を粗末にするのは間違いだと思う。

           ・・・

        *同書第3章(P59)より

私はアメリカ軍統治時代の沖縄で生まれ育ったが故に、異民族に支配された人々の悲しみを
身に沁みて知っている。南洋諸島の人々も辛さや悲しみもあったと思う。

それでも日本が好きなのは、日本統治時代の日本人の真面目さ、優しさ、誠実さと
触れ合ったからだと現地の方々から教えられた。
ありがたい、嬉しい、感謝している。

日本人の目が向く国はアメリカ、中国、韓国がほとんど。

日本を愛する親日国のことは知らない。

どうか南洋諸島の人々のことを学んでほしい。
大事な親日国に意識を向けていただきたい。

           ・・・

        *同書第3章(P73~74)より

1947年から50年近く日本に代わりアメリカの信託統治下に置かれたパラオでは
徹底的に日本破壊が行われ「日本の悪」のみが教えられた。
それでもパラオの人々は「日本嫌い」にはならなかった。

村山内閣が誕生した1995年の10月1日にパラオ独立1周年記念式典が盛大に行われる。
多くの国から要人が参列し色とりどりの国旗が飾られた。
しかし、その中に日の丸はなかった。日本政府代表も居なければ、祝電さえも届かなかった。

クニオ、ナカムラ大統領は拳を震わせ悲しみと屈辱に耐えていた。
パラオは中華人民共和国中国を拒絶し、中華民国(台湾)と国交を結んでいるが、
それが理由なのだろうか? それは私にはわからないが、それにしてもひどすぎる。
 
第7代、第9代大統領を務めたトミー、メレンゲサウ氏の言葉を紹介する。

「日本は第二次世界大戦から今日に至るまでの年月で、敗戦から見事に立ち上がり、
それどころか、産業、経済、文化など様々な分野において世界のリーダーとして
活躍されています。

そんな日本の皆様達のバイタリティーが、
実は私達の国パラオを造ったと言う事実をご存知でしょうか。

終戦までの日本は数万人に及ぶ日本人入植者を送り込み南洋庁を作り、私達パラオ人のために
様々な教育や産業を伝えました。それは後に、パラオ独立の為の貴重な原動力となりました。

そして現在でもパラオの長老達は日本の事を「内地」と呼び、
世界で最も親日感情が高い国と言っても過言ではないのです。
 
日本人はパラオをスキューバ・ダイビングのできる
リゾート地としか思っていないような気がする。それではいけないと思う。

日本の子供たちにもパラオの人々が「日本を愛している」と伝えて行きたい。

            ・・・

日本パラオ友好の橋

        *同書第3章(P75~76)より

パラオの旧首都コロールからバベルダオル島へは、橋が架けられている。

最初、1977年に韓国の企業が、橋の工事が完成させた。
完成直後から、崩落の危険性が指摘され、1996年9月26日、真っ二つに折れて崩壊した。
それとともに、電気、水道、電話などのライフラインも、すべて切断された。

コロールの町の機能は完全に麻痺し、
当時のクニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令。
深刻な状態に陥った。

補償を求めようにも、韓国企業はすでに解散している。
(注、韓国の建設会社が受注した橋は手抜き工事で崩壊した)

困り果てた大統領は、韓国政府に救いを求めるも、「関係ない」と突き放される。
パラオでは再建築の費用を捻出するのは不可能だった。

そこへ手を差しのべたのが日本。
1997年、日本の無償援助で鹿島建設が請け負い、工事が始まった。
低品質コンクリートが使われていた旧橋の残存土台などは一切使わずに工事が始まる。

2002年1月完成。
「日本パラオ友好の橋」と命名され、日の丸と、パラオの美しい月の国旗が描かれた。

パラオの人々は、「日本に助けられた、日本に感謝している」と口々に言う。
日本人として、こんな嬉しいことはない!


<参考動画:日本とパラオ ~歴史を越えた友情~
       → http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A&list=PL66DD0C72B50B53A6&index=1 




           <感謝合掌 平成27年1月23日 頓首再拝>

旧日本軍陣地の壕発掘へ (588)
日時:2015年03月07日 (土) 18時16分
名前:伝統

旧日本軍陣地の壕発掘へ=両陛下訪問前、遺骨収集に協力―パラオ・ペリリュー州知事

       *時事通信 3月7日 より

天皇、皇后両陛下が4月に太平洋戦争の激戦地、パラオのペリリュー島(ペリリュー州)を
訪問されるのを前に、同州のテミー・スムル知事(66)が現地で取材に応じた。

日本政府の遺骨収集に協力するため、旧日本軍の陣地となった壕(ごう)を
3月中に掘り起こす意向を明らかにした。厚生労働省は発掘に立ち会うため、
3月下旬に現地に職員を派遣する準備を進めている。

ペリリュー島では、1944年9月15日に上陸した米軍との2カ月余にわたる戦いで、
旧日本軍約1万人が戦死した。同省によると、これまで7633柱の遺骨を収容したが、
約2600柱の遺骨が島内に埋もれているとみられる。

旧日本軍が立てこもった壕の多くは戦後、
米軍によって埋められ、手つかずの状態で残っている。

スムル知事は「島には70年間閉ざされた壕がたくさんあるが、
それらの中には日本人の遺骨がまだ残っていると思う。
遺骨を集め、遺族の元に返すことは、われわれの重要な使命だ」と語った。

両陛下は4月8日、日本からパラオに到着し、歓迎行事などに臨む。
翌9日、戦没者慰霊のためペリリュー島を訪れ、日本政府が建てた
「西太平洋戦没者の碑」に供花する。

碑は2012年12月の台風「ボーファ」で大きな被害を受けたが、
スムル知事は

「2月第2週には修復作業が完了する。
小学校の児童たちをはじめ、全島民挙げて両陛下を心から歓迎したい」

と述べた。 

           <感謝合掌 平成27年3月7日 頓首再拝>

両陛下は、ペリリュー島から生還した元日本兵2人を 皇居・御所に招かれました (735)
日時:2015年03月23日 (月) 04時56分
名前:伝統

【戦後70年・ペリリュー島激戦】
両陛下、生還兵2人に「本当にごくろうさまでした…」 
4月にパラオ慰霊のご訪問

             *産経新聞2015年3月22日(日)16:52より


天皇、皇后両陛下は22日、
先の大戦の戦没者慰霊のため4月のパラオ共和国ご訪問を前に、
日本軍約1万人が死亡した同国ペリリュー島から生還した元日本兵2人を
皇居・御所に招き、激しい戦いの状況などについて話を聞かれた。

天皇陛下は前日からの風邪で熱があるため大事を取って途中退出したが、
2人に「本当に長いことごくろうさまでした」とねぎらわれたという。

招かれたのは元陸軍軍曹の永井敬司さん(93)と元海軍上等水兵の土田喜代一さん(95)。
「徹底抗戦」の命令を受けていた2人は守備隊が昭和19年11月に玉砕し
20年8月に終戦した後も、洞窟などに潜伏。

武装解除に応じたのは22年4月だった。

ご懇談は約45分間に及び、永井さんは海岸での米上陸部隊との攻防を
「本当の白兵戦でした」などと説明。
「私どもは軍人ですから戦うことは当然のことです」と述べたという。

土田さんは、戦友が眠る地へのご訪問に対する感謝を伝えたという。

皇后さまは戦いの様子だけでなく、帰国後の生活や仕事についても詳しく質問し、
「お体を大事に」とねぎらわれたという。

 
ご懇談後の取材に、永井さんは「英霊は静かにお休みになれると思う」と話し、
両陛下ご訪問に合わせて島に行く予定の土田さんは「島では宮城(きゅうじょう)=皇居=
の方向を向いて飯を食べることもあった。これ以上の光栄はない」と語った。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-lif1503220046.html

・・・

ペリリュー戦生還者の土田さんは、3月21日に靖国神社で講演を行なっております。
その模様についは、当掲示板「英霊の言乃葉 (153)」内での子記事にてご確認ください。
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=69

           <感謝合掌 平成27年3月23日 頓首再拝>



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