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英霊の言乃葉 (153)
日時:2015年02月01日 (日) 19時12分
名前:夕刻版

*光明掲示板第三「英霊の言乃葉U」からの継続です。
  →http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=28


(靖国神社社頭掲示〜平成27年1月)

遺書

陸軍軍曹 本 多  正  命

昭和十九年二月二十四日
マーシャル諸島ブラウン島にて戦死

東京都新宿区牛込改代町出身 
二十四歳


妹へ

呉々も身体に注意して俺の分まで母さんに孝養を尽してくれ。

古来の日本婦人の如く、又、母さんの様に我を強く内に蔵して

しとやかな日本婦人になる様修養してくれ。

よき母こそ日本を実に興隆させる原動力になる事を自覚して。

言ふなかれ一髪のみと我が魂は

  七度生まれ祖國守らば

                        正

澄子殿
(原文のまま)


  ・・・        ・・・


(靖国神社社頭掲示〜平成27年2月)

遺書

陸軍中尉 相良安次郎命

昭和二十年一月十九日
フィリピンルソン島にて戦死

熊本県熊本市寺原町出身
二十五歳



母上様 色々御世話になりました。

安次郎は名実共に日本一の野砲兵を率ゐ、赤鬼青鬼共を討ち平らげ
に征きます。

生を享けて一番重大であり、亦名誉ある小隊長として幾十人の兵達
と生命を倶にします。総反攻を叫ばれてより待つこと暫し、常に
冷静沈着事に当たる覚悟です。

母上様を始め皆様方も充分御身体を御大切に相成り、御幸福に過さ
れん事を切望します。

最後に直臣兄上、榮子姉上を始め皆様に安次郎の生前うけましたる
御厚情に対し厚く御礼申し上げます。

では國で。

                        安次郎

母上様
(原文のまま)

・・・

<関連Web:光明掲示板・第二「英霊の言乃葉」
       → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2160 >

         <感謝合掌 平成27年2月1日 頓首再拝>

福田誠一 陸軍歩兵伍長 の遺書 (318)
日時:2015年02月14日 (土) 20時17分
名前:伝統

       *靖国神社社頭掲示(平成20年3月)

遺 書

陸軍歩兵伍長 福田誠一命

昭和十四年三月十日
支那江蘇省山後村附近にて戦死

広島県安芸郡倉橋島村出身 二十五歳




弟進へ

進よ、兄は戰争に行く二度と会ふ事は出来ぬ、
進よ、兄が戰死と聞いたなら内の責任は君の双肩にあり、
父母によく仕へ立派な人間になって呉れ、
兄の墓を建てゝ呉れ、
兄が最後の願ひだ、

君は生活に苦しむと言ふ事は無いと思ふが立派に暮して呉れ、
何事も打勝つと言う事だ、
父母を頼む、

これから社会へ立つのだ、
一歩一歩進み行けよ。




妹富美子へ

富美子よ、
君は勝氣なるが故に兄は心配をする、
女の道は只實直に進むのだ、

君の今の病氣に負けてはならぬ、
恋愛に落ちるので無い、
今君の責任は大である、

君故にお父さんは心痛して居る、
何事も父に打明けて相談せよ、
わからぬ父では無い、

早く病氣を治して良い家に嫁いて呉れ、君の顔を一目見たいが会はずに兄は征く、
君の花嫁姿は何処かの地下で手をたゝいて嬉んで見て居る。

http://plaza.rakuten.co.jp/sapporo/diary/200803260000/

         <感謝合掌 平成27年2月14日 頓首再拝>

寺村義夫 陸軍大尉の遺書 (506)
日時:2015年03月01日 (日) 19時13分
名前:伝統

          *靖国神社社頭掲示(平成21年3月)より


心身一片の雲なき気分です


陸軍大尉 寺村 義夫命
昭和二十年三月二十七日
比島ルソン島クラーク山中にて戦死
滋賀県彦根市芹橋町出身 二十八歳



御両親様

前便にて色々申上ました通り、何ら思ひ残す事もありません。
北條からの母上様の御便り入手致しました。
何から何まで都合よく、本当に小生、幸福者でした。

父上様には愈々御健勝に長生きして下さい。
二十有七年の御教育、今こそ義夫身を以て具現(ぐげん)致します。
今、故国を離れるに当り、この決戦に参兵出来る身を喜ぶのみです。

戦局、正に皇國(こうこく)興廃(こうはい)の関頭(かんとう)に立ちました。
征(ゆ)きます。攻めてく攻め抜きます。

(中略)

本当に心身一片の雲なき青空の気分です。
征きし報、伝はらば大いに祝って下さい。
では 征きます 御達者で             義夫

御両親様
(原文のまま)


<参考Web:2009-3 靖国神社へ参拝する
   → http://blog.whoselab.com/modules/d3blog/details.php?bid=849 >

         <感謝合掌 平成27年3月1日 頓首再拝>

ペリリュー戦生還者の土田の講演 (730)
日時:2015年03月22日 (日) 19時49分
名前:伝統

「いよいよ最後の時が来た」「玉砕も覚悟した」 
ペリリュー戦生還者の土田さんが講演

           *産経新聞2015年3月21日(土)19:42より

「玉砕も覚悟した」。
戦争の記憶を伝える講演会「大東亜戦争を語り継ぐ会」(産経新聞社雑誌「正論」主催)が
21日、東京都千代田区の靖国神社遊就館で行われ、

天皇、皇后両陛下が戦没者慰霊のため4月に訪問されるパラオ共和国ペリリュー島での
激戦から生還した元海軍上等水兵、土田喜代一(きよかず)さん(95)が
壮絶な体験を語った。

 
米軍は昭和19年9月、島への上陸作戦を開始。計約5万人の米軍に対し、
約1万人の日本軍は大半が■亡したが、険しい岩山を堀った陣地で
74日間の組織戦を展開した。

土田さんは当時24歳の見張り兵で、米艦隊が島を囲んだ光景を
「いよいよ最後の時が来たと玉砕も覚悟した」と振り返る。

上陸した米兵を少ない弾薬で1人ずつ倒したが、艦砲射撃などで包囲されていく。
地雷を手に敵戦車への突撃が計画され、「行くか行くまいかと迷っていると、
1等兵が『参ります。両親に■ぬときは潔く■と言われました』と手を挙げた」。
土田さんが銃の扱い方を教えた若い兵だった。

 
組織的戦闘は19年11月で終わったが生存者は潜伏。通信が途絶えた中、
20年8月の終戦も知らず、土田さんを含む34人が22年4月まで抵抗を続けた。
潜伏中は「あらゆることを語り尽くし、板に彫った将棋が一番の慰めだった」という。

 
土田さんは両陛下ご訪問に「亡くなった1万人はどんなに喜ぶかと思う」。
両陛下は22日、皇居・御所に土田さんら生還者2人を招き、話を聞かれる予定。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/sankei-lif1503210038.html

         <感謝合掌 平成27年3月22日 頓首再拝>



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