No.4412 勉強の材料にしています 投稿者:林貞行 投稿日:2023年06月05日 (月) 18時31分 |
繰り返し拝読しました。的外れの戯言になってはとコメントを控えていましたが、豪雨の翌日、友人の墓参に三輪山麓まで行き、普段は清雅な飛鳥川が黒く濁って渦巻いているのを見て、恥を承知で書きたくなりました。意味不明ですが(笑)。 理屈っぽくなりますが、言葉も水みたいなものだなと感じたのです。同じ川でも水量や流れの速さ、光の加減などで印象が異なり、そこに見る者の感情が加わると全く別物に変わります。そこで、ふと杉江代表の詩を思い浮かべました。推敲を重ねられるごとに物語の輪郭が徐々に鮮明になり、焦点を結んでの終着点は近いと思います。内容や技術的なことは僭越で語れませんが、同じ意味の言葉でも選択によって何でもない単語に思いが宿って立ち上がってくるように感じました。自戒でもあります。 諸先輩には釈迦に説法ですが、歌謡曲は詩に曲を付けて歌うのが本道だとは思いますが、詩だけで満足できることも少なくありません。昨今の若者の歌はSNSのような独り言や仲間へのメッセージを並べ立て、それらしき曲に乗せているだけのような気もします。それはそれで曲の威力でしょうが…。その点、中島みゆきさんの詩などは、それだけで鑑賞に耐え得るもので、詩集としても存在感を感じます。それは多分、青臭い押し付け連帯などではなく、人それぞれ我が身に準えるからかもしれません。 その上で、詩は曲にして歌えば漢字でも、ひらがな、カタカナでも同じだとしても、字面で感応する味わいも捨て難いものがあり、私は活字人間なので見た目にも拘っています。個人的な嗜好で、なかなか難しい作業ですが…。それに曲を付けて頂ければ鬼に金棒です。詩の内容第一は当然ですが、そんな妙味を杉江作品の進化の過程から改めて感じ、勝手に勉強材料にさせて頂きました。 本筋から外れた初歩的な妄言、長々と申し訳ありません。
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