「個人の幸福にとってAよりBが重要」などと、なぜわかる? (3回目 of 13回) (15372) |
- 日時:2024年11月20日 (水) 13時55分
名前:生長の家classics
「個人の幸福にとってAよりBが重要」などと、なぜわかる?
現在では、自分の性をどう捉えるかという心の問題——「性自認」の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要と考えられるようになりました。つまり、生物学上は男性であっても、当人が自分を「女性である」と認識している人は、女性として社会に受け入れられるべきだという考えです。(本冊子2頁)
花子 あら…変ねェ。雅宣総裁はここで、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要と考えられるようになりました」と述べている。どうやって、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要だ」と、わかったのかしら。
太郎 うむ。そういえば不思議だ。一体、だれが、どのようにして、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要だ」と証明したのだろう…。この冊子には、それが全く書いてない。
花子 そもそも、「個人の幸福にとってAよりもBの方が重要だ」と証明することは難しいことじゃない?「一人の女の幸福にとって、『好きでもない百億円の金持ち男と結婚すること』と、『普通の貯金額しか持っていない好きな男と結婚すること』と、一体どちらが重要か…」あなたはこれを決定できるの?さらに証明することができるの?
太郎 おい…。それは僕の責任ではないよ。しかし、たしかに難しいネ。なぜならば、普通の比較は「量」を尺度(判断基準)として行って、それによって最後の結論を出すけれども、「個人の幸福にとって…」の比較は、「比較するための尺度」が存在しないからだ。
花子 あいかわらず、わけのわからないことを言っているわね。
太郎 たとえば、自分の家から早く駅に着くためには「徒歩で駅へ行くこと」が重要か、それとも「自動車で駅へ行くこと」が重要か。どちらが重要か。花子さんはこれをどうやって比較する?
花子 まず「徒歩で行ったときの時間」を測り、その次に「自動車で行ったときの時間」を測って、二つの時間の量を比較して、「徒歩よりも自動車で行く方が重要だ」と、決定する。
太郎 そのとおり。それは時間の「量」を尺度(判断基準)に用いて、その二つの量を比較して最後の結論を出した…ということだ。
花子 そんなこと当たり前じゃないの。
太郎 そんなに威張るなよ。…それでは、「個人の幸福にとってAの方が重要か、それともBの方が重要か」と、質問されたら、君は何を比較の基準にする?
花子 え…?そのような比較は、しようがない。
太郎 そうなのだ。この比較には「比較するための尺度」が存在しない。無理に尺度を作ると、「本人の気持ち」になってしまう。しかし、「本人の気持ち」は時や条件によって変化する。また、仮に変化しないとしても、十人十色の結論になってしまう。だから、「個人の幸福にとってAの方がBよりも重要だ」などと一般的に(いつでも誰にでも当てはまるように)決定できるはずがないのだ。
花子 ふむ。 太郎 それにもかかわらず雅宣総裁はさりげなく、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要と考えられるようになりました」と断言した。断言しながら、雅宣総裁はその証拠も証明もまったく提示していない。このような論の進め方は相手を言いくるめるための詭弁といっても良いような論の進め方だ。なぜならば、もしこのような論の進め方が許されるのならば、仮に…仮にだけれども…雅宣総裁がお亡くなりになったあとに、奥様である谷口純子・白鳩会総裁が次のように宣言なさったならば、それも正しいことになってしまうからだ。
みなさん。最近は雅宣総裁のご説明とちがって、「個人の幸福にとって 性自認よりも生物学上の性別の方が重要と考えられるようになりました。 最近の考え方は雅宣総裁のころの考え方と反対になりました。時代が 変わりました。
みなさん。生長の家の中心の教え(黄身)である「人間神の子」は少しも 変わりません。しかし周辺部(白身)の部分は時代と社会の変化に従って 変化しなければなりません。したがって、本日から白鳩会の会則を変更 します。昨年までの雅宣総裁の会則を変更して、以前の谷口雅春先生の ころの会則にもどします。みなさん。時代が変わったのです!
と宣言しても、何の問題もないことになってしまうのだ。
花子 ふむ…。それならば、もし谷口純子先生がその一年後にまた、「みなさん。時代と社会の意識がまた変わりました。よって、昨年の方針を再度、雅宣総裁のときの方針にもどします」と、おっしゃったら…?
太郎 まじめに話をしろ。…ともあれ、雅宣総裁の、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要と考えられるようになりました」という発言は合理的、科学的な根拠をまったく持たない、信徒への一方的な洗脳を目的とする詭弁なのだ。
花子 う~ん。そこまで言わなくても良いような気がするけれども、たしかに誰でも納得できるようなご説明ではないわね。…うん。わかった。そのような雅宣総裁のご説明は無視すれば良い。「ああ。また詭弁的な発言が始まった」と思って、無視すれば良いのよ。
太郎 「無視すればよい」などと、ずいぶん簡単に…。いさぎよいお言葉だけれども、花子さんはそれで良いの?
花子 なにか良くないことがある?何も問題はないでしょう。
太郎 いざとなると、女はひどく冷たい…。
花子 何かおっしゃった?
太郎 なにも…。
|
|