《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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教団冊子、「”神の子“は性別によらず」に関する二回目の論評。(全13回) (15370)
日時:2024年11月20日 (水) 13時42分
名前:生長の家classics

2024年9月6日に宗教法人「生長の家」が発行した冊子、「”神の子“は性別によらず」(以下、「本冊子」と略称)に関する二回目の論評を行わせていただく。

ただ、「生長の家classics」はすでに一回目の論評を投稿しているので、前もってそのスレッド、
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelo...
を御覧になっていただきたい。

それから…以下の論評記事には読者の理解をより多くいただけるように会話体を駆使している。これはすべて読者のご理解が順調に進捗することを願ったうえでの工夫であるので諒とされたい。



雅宣総裁の責任逃れ発言? 二つの一番目 (2回目 of 13回) (15371)
日時:2024年11月20日 (水) 13時49分
名前:生長の家classics

雅宣総裁の責任逃れ発言? 二つの一番目


はじめに

二〇二四年七月、生長の家参議会で「生長の家白鳩会会則」が大幅に改正されました。その改正の目的は、次の三点です。
(1)一般社会の変化に即して、運動が「数から質」へと転換されたことと白鳩会会則を整合させる。
(本冊子1頁)



花子
あら…。この(1)は、「一般社会の変化に即して、運動が『数から質』へと転換された」と言っている。だけど、宗教運動が「数から質」に転換したなどということは聞いたことがないわ。

太郎
そう言えばそうだね。今も昔も、仏教系宗教団体でもキリスト教系宗教団体でも信者の数を増やそうと努力しているはずだ。どこかの宗教団体が、「わが宗教教団は、これから信者の数よりも、教えの質や信者の質を重視することにした」と公式に宣言した…などということは聞いたことがない。

たとえば、最近行われた第50回衆議院議員総選挙で選挙の前から8議席も減らして党代表までも落選した公○党の母体である創○学会は必死に信者数の拡大を図っているらしい。だから、「一般社会の変化に即して、運動が『数から質』へと転換された」などはデタラメだよ。もしデタラメでなければ、何か隠れた理由があるのだろうよ。

花子
しかし、雅宣総裁が嘘やデタラメをおっしゃるはずない…。

太郎
うむ。僕もそう思いたい。

花子
それならば、なぜ雅宣総裁は、「一般社会の変化に即して、生長の家の運動が『数から質』へと転換された」などとおっしゃったの?

太郎
う~ん。あっ。ひょっとすると…。いやいや。そんなはずはない。しかし、これしか考えられない…。

花子
なにをモゴモゴ言っているの?男らしくはっきりと言いなさいよ。

太郎
…実は、20年ほどまえに生長の家の指導者が清超先生から今の雅宣総裁になって以来、生長の家の信者数が激減しているのだよ。

花子
どのように?

太郎
谷口清超先生が雅宣総裁であられた平成9年(1997)末の「生長の家」の信徒数が87万2925人だったのに、25年後の令和4年(2022)末には32万7369人になってしまったのだ。これを単純に計算すると1年間で信者数が2万人へっている。だから今から17年後に信者数がゼロになるのだ。

花子
え~。うそでしょう。もしそれが本当ならば、雅宣総裁は今72歳のはずだから、雅宣総裁が89歳になったときに、生長の家の信者数がゼロになっているということ?

太郎
そうだ。雅宣総裁の父君である谷口清超先生は89歳まで生きておられた。だから今の雅宣総裁が同じ89歳まで元気に生きておられる可能性は高い。そのときに信者の数はゼロになっている。…しかも、残念なことだが、どうも信者数の減り方が年々大きくなっているようなのだ。そうすると、雅宣総裁が85歳のころにはもう…。

花子
うそ~。信じられない。そもそも、なぜそのようなことが分かるの?

太郎
文化庁のウェブサイト
https://www.bunka.go.jp/index...
から、「宗教年鑑」へ進むと、平成6年末から令和4年末までの信者数が書いてある。

花子
信じられない。…それにしても、あなたは何故このような暗い話をするの?

太郎
少し言いにくいことだけれども、ひょっとすると雅宣総裁は信者数が激減した自分の責任を曖昧にするために、「一般社会の変化に即して、運動が『数から質』へと転換された」と宣言なさったのかもしれないのだ。

花子
え…?それ、どういうこと。

太郎
簡単にいうと、「今や生長の家の運動は『数から質』へと転換された。だから信者数がへって17年後にゼロになっても、それは大きな問題ではない」と…。

花子
まあ。なんということを言うのよ。それでは、雅宣総裁が自分の責任をごまかしているということになるじゃないの!

太郎
しかし、このほかに雅宣総裁の真意があるとも思えない。君は、このほかに何か総裁の真意を考えられるのかい?

花子
そう言われると…。う~ん。このほかに総裁の真意はなさそうね。

太郎
そうなるだろう。…しかしまあ、あまり「雅宣総裁の真意」などということは言いたくないね。

花子
そうね。この話はここまでにしましょうよ。

太郎
そうしよう。この話はここまでにしよう。…17年後に雅宣総裁が一人ぼっちになることは気になるけれども…。

花子
そんなことを言っても仕方がないでしょう。大体、自分の環境や運命はすべて自分の心の反映よ。たとえ信者の数がゼロになっても、それは雅宣総裁の心の反映。もし、責任がどこにあるかと言われたら、これは教団全体の問題だから末端信徒である私たちの責任ではない。すべて雅宣総裁の責任よ。

太郎
そうだね。そう考えよう。…しかし、女はいざとなったら冷たいものだ。

花子
なにか言った?

太郎
いや。何も…。



個人の幸福にとってAよりBが重要」などと、なぜわかる? (3回目 of 13回) (15372)
日時:2024年11月20日 (水) 13時55分
名前:生長の家classics

個人の幸福にとってAよりBが重要」などと、なぜわかる?


現在では、自分の性をどう捉えるかという心の問題——「性自認」の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要と考えられるようになりました。つまり、生物学上は男性であっても、当人が自分を「女性である」と認識している人は、女性として社会に受け入れられるべきだという考えです。(本冊子2頁)

花子
あら…変ねェ。雅宣総裁はここで、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要と考えられるようになりました」と述べている。どうやって、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要だ」と、わかったのかしら。

太郎
うむ。そういえば不思議だ。一体、だれが、どのようにして、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要だ」と証明したのだろう…。この冊子には、それが全く書いてない。

花子
そもそも、「個人の幸福にとってAよりもBの方が重要だ」と証明することは難しいことじゃない?「一人の女の幸福にとって、『好きでもない百億円の金持ち男と結婚すること』と、『普通の貯金額しか持っていない好きな男と結婚すること』と、一体どちらが重要か…」あなたはこれを決定できるの?さらに証明することができるの?

太郎
おい…。それは僕の責任ではないよ。しかし、たしかに難しいネ。なぜならば、普通の比較は「量」を尺度(判断基準)として行って、それによって最後の結論を出すけれども、「個人の幸福にとって…」の比較は、「比較するための尺度」が存在しないからだ。

花子
あいかわらず、わけのわからないことを言っているわね。

太郎
たとえば、自分の家から早く駅に着くためには「徒歩で駅へ行くこと」が重要か、それとも「自動車で駅へ行くこと」が重要か。どちらが重要か。花子さんはこれをどうやって比較する?

花子
まず「徒歩で行ったときの時間」を測り、その次に「自動車で行ったときの時間」を測って、二つの時間の量を比較して、「徒歩よりも自動車で行く方が重要だ」と、決定する。

太郎
そのとおり。それは時間の「量」を尺度(判断基準)に用いて、その二つの量を比較して最後の結論を出した…ということだ。

花子
そんなこと当たり前じゃないの。

太郎
そんなに威張るなよ。…それでは、「個人の幸福にとってAの方が重要か、それともBの方が重要か」と、質問されたら、君は何を比較の基準にする?

花子
え…?そのような比較は、しようがない。

太郎
そうなのだ。この比較には「比較するための尺度」が存在しない。無理に尺度を作ると、「本人の気持ち」になってしまう。しかし、「本人の気持ち」は時や条件によって変化する。また、仮に変化しないとしても、十人十色の結論になってしまう。だから、「個人の幸福にとってAの方がBよりも重要だ」などと一般的に(いつでも誰にでも当てはまるように)決定できるはずがないのだ。

花子
ふむ。

太郎
それにもかかわらず雅宣総裁はさりげなく、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要と考えられるようになりました」と断言した。断言しながら、雅宣総裁はその証拠も証明もまったく提示していない。このような論の進め方は相手を言いくるめるための詭弁といっても良いような論の進め方だ。なぜならば、もしこのような論の進め方が許されるのならば、仮に…仮にだけれども…雅宣総裁がお亡くなりになったあとに、奥様である谷口純子・白鳩会総裁が次のように宣言なさったならば、それも正しいことになってしまうからだ。

   みなさん。最近は雅宣総裁のご説明とちがって、「個人の幸福にとって
   性自認よりも生物学上の性別の方が重要と考えられるようになりました。
   最近の考え方は雅宣総裁のころの考え方と反対になりました。時代が
   変わりました。

   みなさん。生長の家の中心の教え(黄身)である「人間神の子」は少しも
   変わりません。しかし周辺部(白身)の部分は時代と社会の変化に従って
   変化しなければなりません。したがって、本日から白鳩会の会則を変更
   します。昨年までの雅宣総裁の会則を変更して、以前の谷口雅春先生の
   ころの会則にもどします。みなさん。時代が変わったのです!

と宣言しても、何の問題もないことになってしまうのだ。

花子
ふむ…。それならば、もし谷口純子先生がその一年後にまた、「みなさん。時代と社会の意識がまた変わりました。よって、昨年の方針を再度、雅宣総裁のときの方針にもどします」と、おっしゃったら…?

太郎
まじめに話をしろ。…ともあれ、雅宣総裁の、「性自認の方が、個人の幸福にとって生物学上の性別よりも重要と考えられるようになりました」という発言は合理的、科学的な根拠をまったく持たない、信徒への一方的な洗脳を目的とする詭弁なのだ。

花子
う~ん。そこまで言わなくても良いような気がするけれども、たしかに誰でも納得できるようなご説明ではないわね。…うん。わかった。そのような雅宣総裁のご説明は無視すれば良い。「ああ。また詭弁的な発言が始まった」と思って、無視すれば良いのよ。

太郎
「無視すればよい」などと、ずいぶん簡単に…。いさぎよいお言葉だけれども、花子さんはそれで良いの?

花子
なにか良くないことがある?何も問題はないでしょう。

太郎
いざとなると、女はひどく冷たい…。

花子
何かおっしゃった?

太郎
なにも…。



「性自認女性も白鳩会の会員とする」 これで白鳩会が壊滅かも…。 (4回目 of 13回) (15373)
日時:2024年11月20日 (水) 14時05分
名前:生長の家classics

「性自認女性も白鳩会の会員とする」 これで白鳩会が壊滅かも…。


そのような時代の変化に応じて、会員の資格を規定する第四条を改正し、「性自認」を含む女性も、白鳩会の会員として受け入れることになりました。なお、男性の信徒からなる生長の家相愛会においても、会則改正には至っていませんが、白鳩会と同じ方向への変化が予定されています。
(本冊子2頁~3頁)


太郎
え…?なに…?「性自認を含む女性も、白鳩会の会員として受け入れる」!!
これは…。これは何とおそろしいことを…。

花子
ねえ。ちょっと…。太郎さん。太郎さんはレディーファーストという言葉を知らないの?初めに話しを始めるのは女からでしょう。なぜ男が先に話を始めるのよ!

太郎
おそろしいことだ。雅宣総裁は白鳩会を壊滅させるつもりか…。

花子
なにを言っているの。わかりやすく言いなさいよ。

太郎
いや。これは…恐ろしくて話ができない。

花子
何がおそろしいのよ。

太郎
だから、とにかく恐ろしいのだ。恐ろしくて今は説明できない。もし花子さんが「どうしても説明しろ」と言うのならば、二人の会話が終わるときに尋ねてくれ。会話の最後ならば何とか説明できると思う。そのかわり花子さん。あなたも僕の説明を聞いたら必ず泣き出すよ。その覚悟があるのならば尋ねてくれ。とにかく今は恐ろしくて言えない。

花子
なぜ私が泣かなければならないのよ。…まあ良いわ。最後の会話のときに必ず尋ねるから、そのときに説明しなさいよ。

太郎
わかった。



雅宣総裁の責任逃れ発言? 二つの二番目。 (5回目 of 13回)  (15374)
日時:2024年11月20日 (水) 14時08分
名前:生長の家classics

雅宣総裁の責任逃れ発言? 二つの二番目。


生長の家では社会の変化に応じた運動を進める重要性を説いてきましたが、ジェンダー(男性・女性であることに基づき定められた社会的、個人的関係)の問題については、これまで十分に議論されてきませんでした。…生長の家がジェンダーの問題について議論してこなかった理由は、生長の家自身が長年、男女別による固定的な役割分担論を前提として運動を進めてきたからです。…「性別による固定的役割分担論」は、その後の日本社会の大きな変化、国際社会の常識の変化にも拘わらず、八十年以上も説かれ続けてきたのでした。しかし今回は、先に掲げた理由により、ジェンダー問題を教えとの関係でしっかりと見つめ直すことにしました。
(本冊子3頁)


花子
このあたりから急に「ジェンダー」とか「ジェンダー平等」とかいう言葉が目立つわね。

太郎
雅宣総裁はジェンダー原理主義だから、それは仕方がない。

花子
あら…。ここで雅宣総裁は、「生長の家自身が長年、男女別による固定的な役割分担論を前提として運動を進めてきた」と、言っておられる…。

太郎
うふっ…。雅宣総裁は何もご存じないのだ。まったく違う。…あとで、まったく違うという強烈な事実を教えるよ。

花子
あとで?…なぜまた「あとで説明」なの?

太郎
雅宣総裁があとの場所で同じことをもっと詳しく語っておられるからだよ。そのときに、まとめて強烈な証拠と事実を花子さんに教える。

花子
ふ~ん。あら…。今、気がついたけど、ここで、「性別による固定的役割分担論は…八十年以上も説かれ続けてきました」ともおっしゃっているわ。…しかし、そういう雅宣総裁も総裁になってから随分時間がたっているのではないの?

太郎
平成21年(2009)3月1日に総裁になられたはずだから、もう15年以上たっている。

花子
雅宣総裁はその15年の間にご自分で「固定的な役割分担」を改善すれば良かったじゃないの。それなのに、なぜ今ごろになって他人事のように批判するの?…総裁は一体どういうつもりで信徒に物を言っているの?

太郎
それは僕の責任ではない。う~ん…。ジェンダー論が広く言われるようになったのが、ここ十年ほどだったから…なのでは?

花子
あら…。ジェンダー論など関係ないわよ。だって、ジェンダー論が広く知られようが知られまいが、「今の生長の家の役割分担は、固定的な役割分担だ」ということは、雅宣総裁に簡単にわかるわよ。だから総裁はこの15年のあいだに「固定的な役割分担」を自分で改善すれば良かったのよ。そうすれば、今から17年後に総裁が一人ぼっちで亡くなることを防げたかもしれない。

太郎
おい。おい。

花子
それなのに何よ。自分が15年間も放っておいて、今ごろになって「固定的な役割分担論が80年以上も続いてきました」などと、自分に関係ないような涼しい顔で批判するとは…。太郎さん。これは一体どういうことよ!

太郎
そんなことを僕に言われても…。僕が15年間放っておいたわけではない。

花子
だったら、この15年間をどう考えたら良いのよ。

太郎
おそらくこれも信徒を言いくるめるための、総裁お得意の責任逃れ的発言だろう。そう考えないと理解できない。

花子
あ…。また責任逃れ的発言ね。わかったわ。80年と15年間は、「また始まった」と思って無視しましょう。

太郎
ずいぶん単純な…。

花子
なにか…?

太郎
何も。



性自認とは何か (6回目 of 13回) (15375)
日時:2024年11月20日 (水) 14時15分
名前:生長の家classics

性自認とは何か


このような背景があるため、今回の白鳩会会則の改正によって、私たちはこれまで運動の中であまり使われてこなかった「ジェンダー平等」や「性自認」などの概念を、教義との関係で正しく理解する必要が生じています。…本冊子ではまず、二〇二四年六月十七日の谷口雅春大聖師三十九年祭において、総裁・谷口雅宣先生が話された生長の家の女性観についてのお言葉を収録しました。これに続いて、ジェンダー関連で想定される問答を九つ掲載しました。読者の皆さんがこの冊子を読み、生長の家の女性観や、会則のジェンダー関連の改正の意義を知り、また今回の改正の背景にある社会状況、そして今後の運動への理解を深める一助となれば幸いです。
(本冊子3頁~4頁)


花子
はい。わかりました。

太郎
しっかり読ませていただきます。

花子
ところで太郎さん。

太郎
なんだい。

花子
「性自認」とは何?

太郎
「性自認」とは、簡単にいうと、「私は男だ」と思ったり、「私は女だ」と思ったりすることだよ。

花子
それがなぜ重要なの?

太郎
世のなかには男の肉体を持ちながら「私は女だ」と思わざるをえない人や、女の肉体を持ちながら「私は男だ」と思わざるをえない人もいるらしいのだよ。

花子
そういう人は、他人にはわからない苦労や苦しみがあるのでしょうね。

太郎
そのとおり。

花子
お気の毒に…。

太郎
そのような人が苦しみを味わうことがないようにしようとする目的をもって「ジェンダー平等」が主張されている。

花子
法律を変える必要もあるの?

太郎
うむ。ジェンダー平等を主張する人たちの99%は、「法律を変えないと、本当に苦しみをなくすことができない」と主張している。

花子
「どのように変えるか」は難しい問題でしょうね。

太郎
下手な法律の変更を行うと危険な場合もある。たとえば、本当は「自分は男だ」と思っている男が女湯に入って、「私は自分を女だと思っている」と主張する事件があった。

花子
それでは本当の女にめいわくよ。

太郎
しかしネ、「肉体の性別よりも性自認のほうが重要だ」という意見が目立っているのは事実だ。…もっとも、その声にどこまで国民の意識が正確に反映されているのかは怪しいけれども…。

花子
それでは男か女か分からなくなってしまうじゃないの!

太郎
俺も人と話しているときに、あまり一方的に責められたりすると、「おれは男なのか。それとも女なのか?」と思うときが一瞬ある。

花子
それは、どういうこと?

太郎
いや。別に…。



信徒の気持ちを自分の本心に引きずり込むための道具にすぎない質問。2つの1番目。 (7回目 of 13回) (15376)
日時:2024年11月20日 (水) 14時21分
名前:生長の家classics

信徒の気持ちを自分の本心に引きずり込むための道具にすぎない質問。2つの1番目。


“男女平等“ と生長の家 谷口雅宣

皆さん、ありがとうございます。今日は、谷口雅春大聖師三十九年祭であります。…今、何が必要なのかということですが、ポイントをはっきり申し上げると、これです——「生長の家は”男女平等“か」です。皆さん、どう思いますか? 男女平等ですか? 私は、「そうだ」と思う人と、「いや、そうじゃない」と考える人が、半々ぐらい存在しているのではないかと思うのです。しかしこの件は今の時代にうやむやであってはいけないので、早く結論を出したい。そこで…本件の結論を出そうというのが、今日の私の目的であります。
(本冊子6頁~9頁)


花子
う~ん。生長の家は男女平等かしら…。この質問に回答するのは難しいわ。

太郎
難しいね。…ところで、なぜ雅宣総裁のこの質問に回答するのが難しいと思う?

花子
え?…この質問が難しいからでしょう。

太郎
そうではない。回答するのが難しい本当の理由は別にある。簡単にいうと、「男女平等」という言葉の意味が曖昧だから回答するのが難しいのだ。抽象的にいうと、「男女平等」という言葉の意味の限界ラインが明示されていないから難しいのだ。

花子
なに。それ。

太郎
たとえば、「今の日本は民主的か」と質問されたら、どのように回答する?

花子
「民主的」の内容によって、「YES」と「NO」が別れる。たとえば「民主的」の意味が、「選挙が確実に行われている」ならば、日本は民主的。だけど、「民主的」の意味が、「国民の意思が政治に実現されている」ならば、日本は民主的とは言えない。

太郎
それと同じように雅宣総裁の質問に対する回答も、「男女平等」の内容によって、「YES」と「NO」が別れる。

花子
それでは、雅宣総裁はわざわざ回答しにくい質問を聴衆にぶつけておいて、そのあとで、「私は、『そうだ』と思う人と、『いや、そうじゃない』と考える人が、半々ぐらい存在しているのではないかと思うのです…」などと、わかったように言っていた…ということ?

太郎
そのとおり。

花子
なぜ、雅宣総裁がそんなことをする必要があるの?

太郎
聴衆の気持ちを自分に引き付けて、「雅宣総裁はわれわれ聴衆よりも分っている。総裁は聴衆よりも上だ」と、聴衆たちに思わせるためだ。もっと詳しく言うと、あとから雅宣総裁が聴衆に語る自分の本音「ジェンダー原理主義」を聴衆に納得させるための権威付けを行うためだよ。だから、「生長の家は男女平等か」などという質問は、詭弁とまでは言わないが、聴衆を煙に巻いて自分の本音を納得させるための政治家的な発言だ。僕には、まじめな宗教家の発言とは思えない。

花子
それは言い過ぎよ。総裁に失礼よ。

太郎
しかしネ、ここで総裁は、「この件は今の時代にうやむやであってはいけないので、早く結論を出したい。そこで…本件の結論を出そうというのが、今日の私の目的であります」と切言したのだよ。それにもかかわらず総裁は、結局、「生長の家は男女平等である」とも、「生長の家は男女平等ではない」とも述べていない。この冊子を最後まで読めばわかるが、まったく述べていない。これはオカシイだろう。

花子
そういえばオカシイ。

太郎
誰がどう読んでも、雅宣総裁は自分が信徒たちにぶつけた問題に自分の回答を語っていない。そのかわり、雅宣総裁はいつのまにか「ジェンダーがどうのこうの」と、ジェンダー論を持ちだしている。

花子
そうすると、「生長の家は男女平等か」という質問は、信徒たちを話の流れに乗せて、結局、自分の本心「ジェンダー原理主義」を信徒に納得させるための道具にすぎなかった…ということ?

太郎
そうだ。もしそうでないのならば、雅宣総裁は冊子のどこかで、「残念ながら今の生長の家は男女平等ではありません」とか、「みなさん安心してください。今の生長の家は多少の問題があるけれども、立派に男女平等です」とか述べておられるはずだ。しかし総裁は自分の回答を全く述べずに話の内容をジェンダー云々に引っぱっている。だから、「生長の家は男女平等か」という聴衆への質問は、単なる総裁の小道具にすぎなかったのだ。

花子
それでは、真面目に回答を考えた聴衆の信徒たちが気の毒だわ。

太郎
それは仕方がないよ。総裁はいつもそのような言葉の使い方をする人だ。おそらく雅宣総裁は、「言葉は自分が上に立つための道具にすぎない。言葉は自分の本心を信徒に丸め込むための道具にすぎない」と考えているのだ。その雅宣総裁の言語観は、かつて谷口雅春先生が「言葉は神なり」とおっしゃったことと雲泥の差がある。僕はそれを思うといつも腹が立ち、しまいには「生長の家の総裁ともあろう人が…」と思って、悲しくなってしまう。

花子 
そうね…。しかし、それは私たちにはどうにもならないことよ。…さっさと気持ちを切り替えて、「生長の家は男女平等か」などという詐欺的な質問は無視しましょう。

太郎
無視しましょう…と。う~ん。何とも、いさぎよいと言うか、冷たいというか…。

花子
なにか…?

太郎
何も。



谷口雅春先生ご指導のころの相愛会と白鳩会は、総裁が言うような「固定的な関係」ではなく柔軟な関係であった。 (8回目 of 13回) (15377)
日時:2024年11月20日 (水) 14時37分
名前:生長の家classics

谷口雅春先生ご指導のころの相愛会と白鳩会は、総裁が言うような「固定的な関係」ではなく柔軟な関係であった。


(直前から続く)皆さんはご存じかもしれませんが、「男女平等」についての生長の家の立場は、はっきりしていないのですね。夫婦関係の場合は、夫を”針“とし、妻を”糸“とする喩え話がよく使われますが、男女の関係がもしそうであれば、白鳩会の運動も昔のような、相愛会に従属する運動でよかったはずですが、実際にはそうではなくなってきています。大袈裟に言えば、今では白鳩会の後ろに相愛会が従っているような状況は、全国に結構多いのではないでしょうか? では、”針と糸“の関係は逆転すべきでしょうか?
(本冊子9頁)


花子
う~ん。「針と糸の関係」は逆転するべきなのかしら…。これも難しい問題ね。

太郎
ここで「針」と言っているのは「男」のことで、「糸」というのは「女」のことだよね。

花子
そう。

太郎
だから、「針と糸の関係」とは、「男が先に提案して、女がそれに従うのがよい」という意味だね。

花子
そのとおり。…それにしても、初代の谷口雅春先生はどこで男女の関係を「針と糸の関係」に喩えられたのかしら。

太郎
これは雅宣総裁のズルイところではないかな。総裁はこの言葉の出所を明示していない。

花子
そうね。書いてない。

太郎
僕が知っている範囲では、『新版・叡智の断片』(日本教文社。平成18年。第5刷)のなかで谷口雅春先生が次のように語っておられる。

   男性は縫針(ぬいばり)の如く、女性は縫糸(ぬいいと)の如くである。
   縫針は直線的であり堅剛(けんごう)にして前進するが、縫糸は後方に
   あり、これに附随(ふずい)して柔らかくしなやかである。糸は針について
   行く事が尊い…。糸は針のあとについてさえ行けば、それで立派な着物
   を縫い上げる事が出来るのである。
   (327頁~328頁)

花子
ふ~む。この御文章を読むと、確かに雅春先生のご真意は、「男が先に提案して、女がそれに従うのがよい」という意味ね。

太郎
そのとおり。

花子
そうすると、雅宣総裁の「針と糸の関係は逆転すべきでしょうか?」というご質問の意味は、「これから生長の家は女の白鳩会が先に提案して、それを男の相愛会が従うべきでしょうか?」ということね?

太郎
そのとおり。…おそらく、このご質問に対して信徒のなかから、「男女の区別など初めから必要ない。白鳩会だろうが相愛会だろうが、どちらが先に提案してもよい。その意味で谷口雅春先生のお考えは古くさい」という回答も出るだろう。

花子
ふむ。

太郎
おそらく雅宣総裁もそのような意見を期待しておられるのだろうと思うよ。

花子
そうでしょうね。

太郎
ところが、総裁のご質問は二つの重要なことAとBを見落としている質問なのだ。

花子
重要なことAとB?…Aはなに?

太郎
二つある。①谷口雅春先生の「針と糸の関係」は極めて柔軟なご意見であった。②実際に教団内でも「相愛会と白鳩会の関係」は、「男が女に押し付ける」というような固定的な関係ではなかった。それなのに、雅宣総裁は①も②も知らずに、勝手に、「雅春先生の『針と糸の関係』は、固定的な役割分担の意識だ」と決めつけている…ということだ。

花子
何のことか解らないけれども、Bは?

太郎
谷口雅春先生は、「夫婦はどちらも一つの神の生命だから尊厳さにおいて平等だが、おかれた立場によって役割が違ってくる。ちがう役割を果たすことで男も女も生きてくる。さらに全体が生きてくる」と教えておられた。それに対して雅宣総裁は、「夫婦は別の人間だ。別の人間だから平等にしなければならない」という考え方で止まっている。つまり雅宣総裁の主張には、「男性と女性の違いを活かす」という視点がほとんどない。本冊子全体のなかに雅春先生のご教示のような、「異なる役割を果たすことで全体が生きてくる」という思考が欠落しているのだ。

花子
何だかよくわからないけれども、まずAからわかりやすく説明しなさい。

太郎
そんなに命令しなくても…。まあ、Aから説明するネ。まず、Aについて僕が言いたい結論は今述べたように、①谷口雅春先生の「針と糸の関係」は極めて柔軟なご意見だった。②実際に教団内でも「相愛会と白鳩会の関係」は、「相愛会が白鳩会に押し付ける」というような固定的な関係ではなかった。それなのに、雅宣総裁は①も②も知らずに、勝手に、「雅春先生の『針と糸の関係』は、固定的な役割分担の意識だ」と決めつけている…ということだった。

花子
そうだった。さっそく説明しなさい。

太郎
説明の都合で②から説明する。実はネ、雅春先生ご指導のころに、京都府に有名な女性の教化部長がおられた。それは長村婦美子という女の人だ。長村婦美子講師の教区である京都第二教区は「人口比率で日本一の信徒人口」を誇る教区だった。ところがネ…。

花子
なに?

太郎
その長村婦美子講師は女性なのに相愛会の幹部男性たちに無理難題を突き付けて、そのために男性たちが何度も「困った。困った」と音を上げた先生だった。つまり、谷口雅春先生が教団を指揮しておられたころには、「針(男)が言い出して、糸(女)が従う」と言いながらも、実際には女性が白鳩会をまとめて相愛会の男たちを強引に引っぱって(さらに困らせて)いた。だから、雅春先生のころの「針と糸の関係」は、実態として極めて柔軟な関係だった。決して雅宣総裁が言うような「固定的な関係」ではなかったのだ。

花子
なぜ太郎さんは、長村講師のことを知っているの?

太郎
長村婦美子講師が平成元年(1989)12月20日に日本教文社から、『み教えにいのち捧げて』をお出しになった。僕はその本を読んでいるからだ。また、僕の友人に、長村講師の教区出身の男がいるからだ。ともあれ、まずその本のなかで長村講師がご自身の教区である京都第二教区について、

   人口比から見ましたら日本一の密度で誌友さんがいて下さるというので
   本部から取材に見えたこともありました。
   (91頁)

と、書いておられる。少なくとも長村講師の京都第二教区が全国屈指の信徒比率を保っていたことは間違いない。

花子
ふむ。

太郎
次に、長村講師がご自分の体験として次のようなことを述べておられる。それを簡単にいうと、長村講師が谷口雅春先生から郵送していただいた「實相」の直筆紙を感激して見ているうちに相愛会の幹部たちにも見てもらいたくなった。それで緊急に相愛会の幹部男性9名を呼び集めた。長村講師が男性9名といっしょに見ていると、なぜか、「新しい道場(現在の両丹道場)を建てなければならない」という気持ちが湧き上がってきて、それでその場で男9名に突然、「新しい道場を建設する!」と命令して9名の男性幹部たちを驚かせ、困らせてしまった…という話だ。

   その時集った方々は…私とで丁度十人でした。…谷口先生から戴いた
   大きな「質相」の御書を皆で拝ましていただいて…いましたら、私は…
   「…新道場をどうしても建てたいと思うがどうでしょう」と言ってしまい
   ました。…その言葉が突然出てしまいました。

   「そんなこと言うたかて、貴女、ちゃんと回状まわして順序立ててやらにゃ」
   と言われましたけれども、「…この道場かて、朝の神想観や、誌友会だって
   一杯になって入りきらんほどで、このままというわけにはいきまへんで。
   …皆さんに寄ってもろうたのは、賛成するかしないかという問題やない。
   『新道場を建てたいと思うから、ついて来て』と言うとるだけのことや!」

   「そんな。貴女、今言うて『今返事せい』と言うても無理や、みなに諮らなあ」
   「そんなことはない。貴方達が『賛成する』と言うたら、この両丹の地域は
   ピシャと行くやないの」「そりゃまあ、そうやけどなあー」ということで…
   (結局)「新道場を建設しよう」ということになりました。
   (135頁~137頁)

花子
長村婦美子という人はかなり強引な人だったのね。

太郎
うむ。それは言えるだろう…。ただネ。う~ん…。

花子
どうしたの?

太郎
ここで少し話がそれてもよい?すぐに話をもどすから…。

花子
いいわよ。なに?

太郎
長村講師がこのように強引に「生長の家両丹道場」と、その敷地内に「住吉神社」を建立した。それは昭和35年6月18日の落慶だった。…ところがネ。長村講師はその十年も前にその住吉神社を見ていたのだ。

花子
それは、どういうこと?

太郎
実は、落慶した十年前の昭和25年にジェーン台風が四国や近畿地方を襲って大きな被害をもたらしていた。そのときに長村講師が借りていた「白糸橋の道場」という建物は低地にあって、そのために周囲の家が床上まで浸水した。それなのに、「白糸橋の道場」は床下にも水が来なかった。不思議に思った長村講師が道場のなかから外を見ると、建物の前には巨大な丸太が横たわって、水が来るのを防いでいた。そして、その丸太の上に神明造りの小さなお宮さんが乗っていた。

長村講師はお宮さんが水没するのを気の毒に思って、周囲の者に指さして見せた。ところが周囲の者には誰一人、丸太も神宮も見えない。結局、「あんたが寝ぼけただけだ」と講師が言われて終わってしまった。ところが、それから十年後。建立した住吉神社の姿形がそのお宮さんの姿形とまったく同じであったのだ。

花子
へえ…。

太郎
まず、ジェーン台風について講師はこのように書いておられる。少し長いけれども、不思議な話なので、なるべく省略せずに引用する。

   昭和二十五年の九月三日のことでした。関西一円にジェーン台風が襲い、
   舞鶴の町も大半が水に浸ってしまいました。ところが不思議なことに、
   低地にあった白糸橋の道場として借りていた家は、周囲の家は殆ど床上
   まで浸水していますのに、床下にも浸水しなかったのです。みなは何故
   だろうと不思議がっていましたが、私にはその時ハッキリと見えるもの
   がありました。二階の誌友会場の窓から見ましたら、周りはゴウゴウと
   濁流が音を立てていますのに、家の前には巨大な丸太が丁度堰(せき)
   止めたように横たわって、濁流の進路をさえぎっているのでした。その
   丸太の上には、何処から流れついたのか、神明造りの銅葺きの小さな
   お宮さんが見えました。

   「可哀そうに、お宮さんが丸太に乗ってはる。どこのお宮さんやろか」と、
   しばらく私は見ていました。「お父さん、お見やすな、お宮さんが流れて
   はるわ……」「何も見えやせんが……」「下のおばちゃん、ちょっと上って
   来てえな。家(うち)とこだけ何で水がきいへんか知ってはるか?」
   「なんでえな」「ほら、あそこに大きな丸太があるでしょう?」「なんにも
   あらへん」「あそこにお宮さん見えるやろ。丸太の上にお宮さんの屋根
   があるやないの。あんたの日は節穴か?」と言って、近くの三、四人の
   人や、娘の恭子に聞いても、誰も見えないと言うのです。

   「おかしいなあ…。あそこにあるやないの」「なに、あんたの目がおかしい
   のや。ゆうべの夢をまだ見てんのと違うか?」と、逆に言われてしまい
   ました。しばらくして私は確かめようとしてまた見ましたら、もうあの
   大きな丸太はどこへ行ったのか、お宮さんはどこへ行ったのかと眺め廻し
   ましたが、何処にも見当らないのでした。この時、私の観たお宮さんは
   十年後に谷口雅春先生の御指導に依って両丹道場に祭祀された住吉
   神社そのままであったと、建立された昭和三十五年に分かったのでした。
   (86頁~88頁)

花子
ふ~ん。

太郎
その十年後のことを長村講師はこのように書いておられる。

   不思議といえば、もっとおどろくことがありました。住吉神社の立派な
   お社がいよいよ出来上がって、両丹道場に運ばれて来た時のことです。
   …見るとミコシを載せるような大きなトラックの上に、まっさらな白布で
   包まれたお社が載っていました。それを丁寧に、用意された住吉神社の
   敷地の台にすえて白布をとり除いた時です。私は瞬問にハッと思い出した
   ことがありました。「このお宮さん、何処かで見たことあるわ!
   十年前のジェーン台風のとき観たお社とソックリや。あの時も真新しい
   神明造りのお社だった、こうして両丹道場に住吉神社を祀るということは、
   神様の世界ではすでにもう十年も前に用意されていたんやなあ」と思い
   ましたら、私はその御神意の深さ、その因縁の深さに感激してブルブル
   ふるえて身がひきしまりました。
   (150頁)

花子
何とも不思議なことがあった…。

太郎
そうだ。不思議なことがあった。台風の水を防いだ丸太が講師以外の人に見えなかったことも不思議だが、住吉神社のお宮さんが十年前に建立されていたらしいことも不思議な事実だ。

花子
うむ…。

太郎
…ということで、話をもどすけれども、長村講師はかなり強引に男たちを引っぱった女性だった。

花子
あ…。その話をしていたのだった。長村講師は強烈に男と相愛会を引きずったのだ。

太郎
その通り。ただネ。僕が親しくしている京都第二教区出身の友人が言うには、京都第二も他の教区と同様に白鳩会が元気だ。そして長村講師は白鳩会をガッチリと押さえていた。押さえていたというよりも自分が白鳩会を育てたようなものだ。その白鳩会の女性幹部に長村講師が前もって、「このようなことをしたい」と示しておく。そのあとで長村講師が相愛会の幹部男性たちを強引に引きずって相愛会の意見を一致させる。そのあとで相愛会の意志を白鳩会に了解させる…。この手順で男を立てている(ように見える)こともあったそうだ。

花子
なんとも柔軟というか、策士というか…。

太郎
たしかに策士にも見える。しかし長村講師は決して策士ではなかった。長村講師は本心から、「男を立てなければならない。それが真理だ」と信じておられた。この本のなかにも、長村講師が信徒たちに向かって、「夫が『からすの頭は白い』と言ったら、妻も、『はい。からすの頭は白いのです』と言わなければならない…」と、強く教えておられたことが書いてある。

花子
からすの頭は白い?…からすの頭は黒いわよ。それなのに、「からすの頭は白い」と…本当に?

太郎
本当だ。このように書いてある。

   私がいつも言うことは、「夫婦の間では、たとえ御主人が『烏の頭は
   白い』と言われても、『ハイ』と素直に言いなさい」と言っているんです。
   普通だったら主人が「烏の頭は白い」と言われたら、奥さんが、「何を
   言うてはる。『烏の頭は白い』なんて聞いたことおまへんわ」なんて
   言うてるさかいに喧嘩になる。主人が「烏の頭は白い」と言ったら、
   「まあほんに、お父さん。烏の頭は白うおすな」と、奥さんは何で言わん
   のです。

   …「神様にハイ」「御主人にハイ」という素直な心になったら、御主人は元々
   神さんやから夫婦の不調和なんか、殆ど解消してしまいます。練成では、
   この「ハイ」ということを実際に言って聞かせて、させて見るのです。
   (174頁~175頁)

花子
ふ~ん。

太郎
長村婦美子講師は本当に男性を先に立てておられた。そのうえで非常に柔軟だった。講師は本心では男性を立てておられたけれども、教えを広めるためには男が難儀することも一向に構わず、猛烈に男たちを引きずった。この本の中には講師ご自身が、「『困った部長さんやなあー』と、掛け持ち教区の福井県で言われたことも初めはありました…」(257頁)と述懐しているお言葉もある。

花子
へえ…。

太郎
つまり、谷口雅春先生ご指導のころは白鳩会や女性たちが相愛会を立てながら巧妙に男たちを引っぱって(さらに困らせても)いたから、雅春先生のころの「針と糸の関係」は実態としては極めて柔軟な関係だったのだ。決して雅宣総裁が言うような「固定的な役割分担」(本冊子17頁)などではなかった。このことは長村講師以外の教化部長の教区でも同じだったはずだ。そうでなければ公称300万信徒などと言われるような巨大教団になったはずがない。

花子
なるほど…。それが一つ目の重要なことAなのね。

太郎
いや。ここまではAの②にすぎない。

花子
あ…。まだAの①があったのね。…その①は具体的にどういう内容なの?

太郎
すでに述べたように、谷口雅春先生の「針と糸の関係」そのものについてだ。ここで結論をくりかえすと、雅春先生の「針と糸の関係」は極めて柔軟な男女の秩序だ。その柔軟な秩序は『古事記』に書いてある「国生み神話」と同じように柔軟な秩序なのだ。…と言っても、今の花子さんには分からないだろうけれども…「国生み神話」は「男が先に提案して、女があとから従う」という内容だ。しかし実に柔軟な内容なのだよ。…それで、谷口雅春先生の「針と糸の関係」もそれと同じだ。雅春先生の「針と糸の関係」は、実に柔軟な「男が提案。女が従う」だ。しかも雅春先生の「針と糸の関係」は、土着的な「国生み神話」を宗教的に高めた「男が提案。女が従う」なのだよ。

花子
そんなことを突然言われても…。そもそも、「国生み神話」はどういう内容なの?

太郎
今回は長くなったから、次回でその説明を行う。そのあとで谷口雅春先生の「針と糸の関係」にもどるよ。



『古事記』に描かれた「国生み神話」 (9回目 of 13回) (15378)
日時:2024年11月20日 (水) 14時51分
名前:生長の家classics

『古事記』に描かれた「国生み神話」


昔むかしの大昔。この世界が突然現れたときに色々な神様が現れて、男の「いざなぎの神」と、女の「いざなみの神」が現れました。二人の神様は島に降りて島の中心に大きな柱を立て、さらに広くきれいな御殿をお建てになりました。

男の「いざなぎの神」が女の「いざなみの神」に尋ねました。「私の体は、出来上がって余った所が一か所あります。だから、わたしの体の余った所を、あなたの体の足りない所にさし塞いで国を生もうと思うが、どうだろう」と。女の神様が、「それが良いでしょう」と、答えました。なんとも露骨というか、呆れるほどあっけらかんとしたやりとりです。

それで男の神様が、「それなら、私とあなたが、この『天の御柱』の周りを廻って結婚しよう。あなたは右から廻りなさい。私は左から廻ってお会いしましょう。」と約束して二人が廻って出会いました。出会うとすぐに女の神様が、「なんとまあ立派な男神でしょう」と言いました。その次に男の神様が、「なんとまあ美しい女神だろう」と、言いました。

しかし、二人が言い終わったあとで男の神様が、「女が先に言ったのは宜しくない。」と、言いました。それでもお二人は結婚して子供をお生みになりました。しかし生まれた子供は、骨の無い不完全な子供でした。この子は、葦(あし)を編んで作った船に乗せて流してしまいました。また次に生んだ子も、子供の中に入らない子供でした。
(以上、前半)

それでお二人が相談して、「今、私たちの生んだ子供がよくない。天の神様の所へ行って申し上げよう。」といって、二人いっしょに天に上り、天の神様のご意見を伺いました。すると、天の神様は占いをしてから、「女が先に言ったのが良くなかったのです。もう一度地上に降りて、改めて言い直しなさい。」と、おっしゃいました。

お二人は再び地上に降りて、さっきのように「天の御柱」を廻り、今度は男の神様が先に、「なんとまあ美しい女神だろう」と言いました。そのあとで女の神様が、「なんとまあ立派な男神でしょう」と言いました。そして二人が結婚なさって、子供の淡路島を生みました。次に、伊予の島を生みました。またさらに、小豆島その他多くの島々をお生みになりました。

また、二人は神々もたくさん生みました。まず、「大事忍男(おおことおしお)の神」、次に「石土彦(いわつちひこ)の神」、また海の神や河の神、風の神、木の神、野の神、山の神、さらに火の神である「火焼速男(ほのやきはやお)の神」をお生みになりました。しかし、この子を生んだ時に、女の「いざなみの神」は火傷を負って、気の毒に亡くなってしまいました。
(以上で終了)


正確な『古事記』の現代語訳を知りたい人は、無料で見られる青空文庫の『古事記』現代語訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/00151...
をご参照。



「国生み神話」の「男が提案。女が従う」は、極めて柔軟な男女秩序意識。 (第10回目 of 13回) (15379)
日時:2024年11月20日 (水) 14時56分
名前:生長の家classics

「国生み神話」の「男が提案。女が従う」は、極めて柔軟な男女秩序意識。


太郎
この神話には三つの特徴がある。
(1)前半最初の部分で、男女の神様は、まず「話し合い」を行い、意見が合ったところで結婚の儀式に及んでいる。それに対してギリシア神話は、男の神が気に入った女の神(あるいは人間)を力づくで自分のものにしたり、だまして自分のものにしたりする話がほとんどだ。男女が話し合いを行って、二人の意見が一致してから結婚するなどという話は少ない。その反対に、日本の神話全体にギリシア神話のような乱暴な話はない。

(2)その「結婚しようか?」という話し合いを提案したのが男の神である。さらに結婚の儀式(柱を二人が廻ること)を提案したのも男の神である。さらにまた、儀式のときに先走りした女神の非を指摘したのも男の神である。

花子
いつも男が先に提案しているのね。う~ん…。

太郎
だから男女平等主義者からは「国生み神話」に対する批判が出るかもしれない。しかし、よく考えてほしい。男の神は女神の理解を得るように提案や説明を行っているのであって、女神を叱ったり、何かを強制したりしているのではない。「国生み神話」は、仲の良い男女一組の幼児が協力し合って何かを作っているような内容なのだ。

花子
ふむ。そういわれると、そうかも…。

太郎
(3)次に、後半の最初で二人の神々が相談して、二人いっしょに天上に上って「天の神様」に相談している。この部分は、男が嫌がる女を無理やり天に連れて行ったのではない。その反対に、女が渋る男を引きずって天まで連れていったのでもない。男女の神々が相談して、二人いっしょに天上に上り、二人そろって「天の神様」に相談している。これは、夫婦における「神代民主主義」だ。

花子
なるほど。

太郎
さて、この「国生み神話」に表れている「男が提案。女が従う」は、長らく日本人に受け入れられてきた「男女関係に関する秩序意識」なのだ。なぜならば、『古事記』が書かれて以降、この「男女関係に関する秩序意識」について、「男性中心主義だ」という批判が出たことがなく、「女性に対する気配りが不足している」という批判もなく、その反対に、「男神はもっと強く女神に命令すべきなのに男神は軟弱すぎる」という批判も出たことがなかったからだ。僕はそのような批判を一つも見たことがない。

花子
ふ~ん。

太郎
しかも、二人の神は天に上るときに二人そろって天にのぼり、いっしょに「天の神様」に相談している。男神だけが天に上ったのでなく、女神だけが上ったのでもない。さらに「天の神様」は二人を相手にして意見を述べている。「天の神様」は一人だけに回答を述べたのではない。「天の神様」は二神を「一体の神」と見ているのだ。

花子
ふむ…。

太郎
そこで次のようなことが言える。日本神話、とくに『古事記』に書かれた日本神話は、「国生み神話」だけでなく日本神話全体が、「夫と妻は本来一体だ」という無意識の前提で書かれている。そのうえで、どうしても「男を先にするか、女を先にするか」を決めなければならない重要な儀式のような場面では、「針(男)が先に提案。糸(女)が従う」を理想的な男女秩序とした。しかし、あえて男女前後の区別をつける必要のない場面では、男女の二神はいっしょに手をつないで天に上り、いっしょに「天の神様」にむかって、「私たちはどうしたらよいのでしょう」と、相談している。「天の神様」も二神を平等に扱っているのだった。

花子
へえ~。…それならば、谷口雅春先生はその「国生み神話」についてどのようにおっしゃっているの?

太郎
結論からいうと、谷口雅春先生は丸ごと承認なさっている。

花子
具体的には?

太郎
谷口雅春先生は、『限りなく日本を愛す(改訂版)』(日本教文社。昭和51年7月5日)のなかで、この物語を紹介なさって、次のように説いておられる。

   日本の道徳は夫唱妻和、陽主陰従によって調和が得られるのであります。
   …『古事記』には…女神の方から、「あなにやし、えおとこを」(ああ、美しい
   男である)と讃嘆して、霊交(むすびかため)をせられた時には、良い国が
   生まれなかった。ところが、あべこべに今度は男の方から「ああ、美しい
   乙女子である」と讃嘆して結婚(むすびかため)されたら良い、お国が生ま
   れたということが書いてある。それが夫唱婦和の天地の法則、実相の世界
   秩序の人格的、物語的表現なのであります。
   (143頁~144頁。原文は旧仮名旧漢字)

谷口雅春先生は、結婚や家庭内の「どうしても順番を決めなければならない重要な場面」においては「針と糸の関係」でなければならないと、お説きになった。

花子
ふむ…。

太郎
しかし雅春先生は、「風呂に入る順番」や「タクシーに乗りこむ順番」も、「男が先で、女があと」などとお説きになったのではない。何かの本で読んだが、雅春先生がご巡錫などで帰宅が遅れたときは輝子奥様が先に風呂に入った。谷口雅春先生の「針と糸の関係」は極めて柔軟な関係だったのだ。また、すでに述べたように、雅春先生ご指導のころの教団の実態も、長村婦美子講師の実例でわかるように極めて柔軟な実態だったのだよ。

花子
なるほど…。ここまでが「重要なことA」の全体の内容ね。

太郎
そのとおり。

花子
それならば、さっさと次の「重要なことB」の説明をしなさい。

太郎
そんな…。命令するように言わなくてもよいだろう。

花子
あなた。私に話を聞いてほしいのでしょう?

太郎
なんでこうなるのだ…。



谷口雅春先生の宗教的な「針と糸」の関係。「男女は『一』なる神の生命だから尊厳において 平等だが、働きに於いて異なると共に補足的である」 (11回目 of 13回) (15380)
日時:2024年11月20日 (水) 15時02分
名前:生長の家classics

谷口雅春先生の宗教的な「針と糸」の関係。「男女は『一』なる神の生命だから尊厳において平等だが、働きに於いて異なると共に補足的である」


花子
はい。ごくろうさま。さっそくですが、「重要なことB」の説明を行ってくださいな。

太郎
Bの結論は、さきほど僕が言ったように、谷口雅春先生は「針と糸の関係」として、「男と女はどちらも一つの神の生命だから尊厳さにおいて平等だが、おかれた立場によって役割が違ってくる。その異なる役割を果たすことで男も女も生きてくる。さらに全体が生きてくる」と教えておられた。それなのに、雅宣総裁のご意見にはそのような全体意識がすっぽりと抜け落ちている…ということだ。

花子
まだよくわからないけれども、太郎さんは、なぜ谷口雅春先生のご意見を知っているの?

太郎
前回紹介した『限りなく日本を愛す(改訂版)』のなかで谷口雅春先生は、

   男性と女性とは、ともに「一」なる神から分化し、その生命を宿している
   のでありますから、その基本的人権は平等でありますけれども、ひとたび
   男性となり女性となって出現しました以上は…女性と男性とは異なる
   役割を分担し、そのおかれている位置も異なるのであります。…真理を
   中心として自分の割り当てられたる方向に働かなければならない。

   『古事記』はその原理を示しているのでありまして…男女は「一」なる神の
   生命を互いに分かち與えられているのでありますから、平等の尊厳がある
   のは当然でありますが、その働きに於いて互いに異なると共に補足的で
   なければならないのであります。
   (195頁~197頁。原文は旧仮名旧漢字)

と、教えておられるのだ。

このご説明は「男と女の関係」に関するご説明だ。しかし、「相愛会と白鳩会の関係」についても同じことが言えるはずだ。つまり、「相愛会と白鳩会はどちらも神様の人類光明化運動だから尊厳さにおいて平等だが、おかれた立場によって役割が違ってくる。ちがう役割を果たすことで相愛会も白鳩会も生きてくる。さらに人類光明化運動全体が生きてくる」ということだ。これが雅春先生の「針と糸の関係」だ。

それに対して雅宣総裁は、「夫婦は別の人間だ。別の人間だから平等にしなければならない」という考え方で止まっている。同様に、「相愛会と白鳩会は別の組織だ。別の組織だから平等にしなければならない」という考え方で止まっている。一言でいうと、雅宣総裁の発想には、「相愛会と白鳩会の違いを活かす」という思考が欠落している。大きなことを言うと、本冊子全体のなかに雅春先生ご教示のような、「異なる役割を果たすことで全体を生かす」という思考がまったく存在しない。…もっとはっきり言うと、雅宣総裁の発想に「全体」は存在しない。「全体」が存在しないどころか、「全体(それが日本であれ教団であれ)」を破壊することを以て喜びとする意識しか存在しない(ように見える)のだ。

花子
ふ~ん。…ここまでが「重要なことB」の内容なのね。

太郎
そのとおり。これで僕がいう、「二つの重要なことAとB」の説明がすべて終わった。…以上の僕の説明について、ご異存はない?

花子
ない。

太郎
それは光栄です。まことにありがたい。…ところで、ここから話をぶち壊しにするようなことを言ってもよい?

花子
話をぶち壊しにするようなこと…。それは何のこと?

太郎
ここまで花子さんが僕の説明AとBを理解しようと努力してくださったそのご努力を全部ぶち壊しにするようなことだ。…もちろん、その責任は僕にあるのではない。

花子
え?…何を言っているの。太郎さん。頭のなかは大丈夫?

太郎
大丈夫だ。…ぶち壊しになるけれども、僕の話を聞いてくれる?

花子
聞いてあげるわよ。一体、何をもったいぶっているの?

太郎
ぶち壊しになっても、絶対に僕を叱らない?

花子
しつこいわね。絶対に叱らないわよ。

太郎
だったら、次の記事で説明する。

花子
さっさと説明しなさいよ。

太郎
もう叱っている…。



信徒の気持ちを自分の本心に引きずり込むための道具にすぎない質問2つの2番目。雅宣総裁の言葉には信徒たちへの誠実さが感じられない。 (12回目 of 13回) (15381)
日時:2024年11月20日 (水) 15時08分
名前:生長の家classics

信徒の気持ちを自分の本心に引きずり込むための道具にすぎない質問2つの2番目。

雅宣総裁の言葉には信徒たちへの誠実さが感じられない。


花子
「ぶち壊し。ぶち壊し」などと言わずに、さっさと説明しなさいよ。

太郎
それでは前回までの話の流れを確認しよう。ここまで僕と花子さんが何について話してきたかというと、雅宣総裁が冊子の9頁で聴衆に提出した質問、「針と糸の関係は逆転すべきでしょうか?」が発端だった。この質問に対して花子さんが、「う~ん。『針と糸の関係』は逆転するべきなのかしら。これも難しい問題ね…」と、うなって悩んだところから始まったのだった。

花子
ああ。そうだった。私が、「難しい問題だわ…」と悩んでいたら、横から太郎さんが、「二つの重要なことAとBがあるのに、雅宣総裁の質問はそのABを無視した質問だから回答するのが難しいのだ…」などと言うから、そこから話が逸れてしまったのよ。

太郎
僕は何もわざと話をそらしたのではない。回答するのが難しい本当の理由AとBを花子さんに理解してもらうためにABの話をしたのだ。

花子
それで太郎さんは何を言いたいの?

太郎
今からそれを言うけれども、僕がそれを言っても、僕を叱らない?…今から僕が言うことは全て僕の責任ではないからネ。

花子
また言っている…。しつこいわね。叱らないわよ。太郎さんは一体なにを言いたいの?

太郎
実はネ。雅宣総裁はネ。ここでも自分で聴衆に提出した質問に対する回答を聴衆に提示していないのだよ。

花子
え…?

太郎
雅宣総裁は本冊子の9頁で、「”針と糸“の関係は逆転すべきでしょうか?」という質問を聴衆にぶつけていたね。

花子
ぶつけていた。

太郎
それでは、雅宣総裁は本冊子のなかで、その質問に対して、「”針と糸“の関係は逆転すべきだ」とか、「”針と糸“の関係は逆転すべきでない」とかの回答を聴衆に提出しているの?

花子
あ…。提出していない。

太郎
そう。提出していないのだ。もちろん、これは冊子全体を読んでもらわなければ確認できないことだけれども、雅宣総裁は本冊子全体の中で「針と糸の関係は逆転すべきでしょうか?」という質問に対する回答を提出していない。そのかわり、いつのまにか「ジェンダーがどうのこうの。ジェンダー平等がどうたらこうたら」という話にすり替えているのだ。

花子
…ということは、雅宣総裁が聴衆に提出した質問、「針と糸の関係は逆転すべきでしょうか?」は、「ジェンダー」とか「ジェンダー平等」を引き出すための小道具にすぎなかった…ということ?

太郎
そのとおり。

花子
それじゃあ。私が「二つの重要なことAとB」を理解するために太郎さんの説明を聞いた努力は何だったの?

太郎
無駄だった。無意味だったということ。

花子
そんな…。それじゃあ話がぶち壊しじゃない。

太郎
だから僕はさっきから、「ぶち壊しだ。ぶち壊しになる」と言っていた。

花子
だったら、ここまでこのスレッドを読んでくださった読者のみなさまの努力も「無意味だった」ということになるじゃない?

太郎
そのとおりだ。このスレッドを今読んでおられる読者のみなさま。みなさまは時間をかけて無意味な努力を行ってきました。

花子
なに。それ。…そもそも太郎さんは無意味と知りながら「二つの重要なことAとB」を私と読者に説明していたの?

太郎
そのとおり。

花子
ふざけたことを言わないでよ(怒)

太郎
しかしネ。花子さん。無意味だというのは、雅宣総裁の質問に正確な回答を提出するためには無意味だということにすぎない。谷口雅春先生の「針と糸の柔軟性と宗教性」や、本来の生長の家の男女秩序意識を知るためには大きな意味があったはずだ。

花子
それはまあ、そうだけれど…。しかし、なんだか腹が立ってくるわ。雅宣総裁の「針と糸の関係は逆転すべきでしょうか?」は、結局、「また始まった」、「また小道具にすぎない質問が出た」ということじゃないの。太郎さん。これはどういうことなのよ!

太郎
だから僕は先ほど、「僕を叱らないでネ」と何度も頼んだのだ。…そもそも、「また始まった」のは、僕の責任ではない。もし責任と言うならば、雅宣総裁の責任だ。僕は関係ない。

花子
それならば、雅宣総裁は一体、私たち信徒のことをどう思っているの?太郎さん。あなた。どう思っているのよ!

太郎
そんなこと、僕は関係ない。

花子
あなたも生長の家の信徒でしょう。環境は自分の心の影。「雅宣総裁の不誠実な心」はあなたの心の影なのよ。太郎さん。自分の不誠実な心を改めなさい!

太郎
なんでこうなるの…。



ここから、「針と糸の関係」から「ジェンダー平等」への論点すり替え。 (13回目 of 13回) (15383)
日時:2024年11月20日 (水) 16時12分
名前:生長の家classics

ここから、「針と糸の関係」から「ジェンダー平等」への論点すり替え


…では、”針と糸“の関係は逆転すべきでしょうか?
この問題は長らく検討されてこなかったのですが、今なぜ私がその話を申し上げるかというと、現在、日本が所属している国際会議にG7(Group of Seven)というのがあります。この間も会合がありましたが、このグループは先進国——世界で”一番先“を走っていると見なされているアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、そして日本の七カ国で構成されています。そのG7の中で今、日本だけが女性観や男女平等の意識が社会として遅れていると言われています。それでも日本の社会では戦後、これに関するいろいろな法律が制定されてきて、この後で詳しくお話ししますが、政府の中にも女性の地位向上を扱う専門部門もできている。では、「生長の家はどうか?」と問われるとよく分からない……それが現状だろうと思います。
(本冊子9頁~10頁)


花子
ここで突然、話が変わっているのね。

太郎
そうなのだ。雅宣総裁はこの初めの所で、「なぜ私がその話を申し上げるかというと、現在、日本が所属している国際会議にG7(Group of Seven)というのがあります…」といって、突然、G7を持ちだしている。そこからご講話の最後(本冊子30頁)まで「針と糸」という言葉そのものが二度と登場しない。

花子
そもそもG7が何と言おうが、それと「針と糸の関係は逆転すべきでしょうか?」とは関係ないでしょう。G7が何かを言ったら、生長の家はいちいち「はい。ごもっともです」と言って、結局G7に振り回されなければならないの?…それは反対でしょう。政治家や国家エゴの集まりにすぎないG7に対して、時には、「それは違います。神の道、仏の道は~です」と反論してG7を是正・指導するのが本当の「宗教家」よ。

太郎
おっ。その通り。本当の宗教家は国家エゴや金儲け主義を是正するものだ。ただネ…。一応、G7が何を言っているのかは確認しておかないと…。だって、G7が宗教的にも正しいことを言っているのかもしれないからネ。

花子
それはその通りよ。だけど雅宣総裁は、「世界中の先進国がこう言っている。だから正しい。だから生長の家も従わなければならない…」と、いかにもG7を「真理の御旗」であるかのように言うから、「それは、さかさまでしょう」と言いたくなるのよ。

太郎
それはごもっともだ。僕も、同じような疑問をいつも感じる。総裁の言い方は、ほとんどが「学者がこう言っている。国連がああ言っている。昔の時代はああだったが、今はこうなっている。だからこうするべきだ」という言い方だ。しかし谷口雅春先生は、相手が学者だろうが国連だろうが時代の風潮だろうが、「真理」と信じる一点から遠慮なく物を言い、さらに必要に応じて痛烈に国連や学者の主張を叱正しておられた。総裁の態度はこれと逆さまだ。

花子
雅春先生は国連を叱正しておられたの?

太郎
そうだ。かつて谷口雅春先生は、中華民国(台湾)を国連から追放しようとする国連全体の風潮に対して正面から反対して、「中華人民共和国は信用できない。たとえ国連の全加盟国が中華民国を追放する案に賛成しても、日本政府は全加盟国を叱正して、中華民国を追放してはならない」と主張なさった。もし、もしもだが、今の中国を抑えるために台湾(中華民国)を援助しているアメリカ政府が雅春先生の次のご主張を知ったならば、「谷口雅春という人は50年もまえに東アジアを平和にする道を語っていた。なんとも驚くべき慧眼だ」と、感嘆するだろう。

   蒋介石の中華民国が、国連の創立者中の有力な一国であり、国連憲章
   の精神を守って二十数年間にわたって平和に貢献して来た功績も
   何も無視して、ただ支配する領土が狭くなり、千三百万人ぐらいしか
   支配人口がない小国であるという単なる理由だけで…(しかも)国連
   加盟国のうちには台湾よりも小さい国が沢山あるのに、

   何故、この功績多き中華民国を小国なりという理由だけで、三分の二
   以上の賛成さえあれば追放してもよいなどという(中華民国追放)案の
   提案国になるのであるか、そんな提案国には決してなってはならない。
   三分の二どころか、日本以外のすべての国が中華民国追放に賛成しても
   日本の代表はそれに賛成してはならない。それが正義を通すというもの
   である…。
   (『わが憂国の戦い』日本教文社。昭和47年2月20日初版。48頁~49頁。
    初出は昭和46年10月4日)

雅春先生はこのように国連を叱正しておられた。それに対して、雅宣総裁の主張は「学者がこう言っているから、国連がああ言っているから…」と、学者や国連を「真理の御旗」のように扱う言い方だ。しかも、総裁の発言をよく読めばわかるが、総裁は学者や国連を本気で「真理を語るもの」と思っていない。総裁は自分の主張を正当化するために学者や国連を利用しているにすぎない。

花子
ほう…。

太郎
しかし宗教とはそのようなものではない。いやしくも「宗教家」と自称するのならば、常に、「永遠の真理」に立って学者、社会、時代風潮を正すのでなければならない。そうでなければ「宗教」が単なる学問や流行と違わなくなってしまう。…しかも現在、学問分野の一つにすぎないと思われている「哲学」でさえ「永遠の真理」を求める精神性を棄てていない。ならば「宗教」が「永遠の真理」に立ってものを考え、発言するのは当然のことだ。それなのに雅宣総裁は雅春先生のように「永遠の真理」に立つ毅然とした態度で学者や時代風潮を叱正したことが一度もない。僕は見たことがない。

花子
ふ~ん…。あなたも時にはキリッとしたことを言うのね。見直したわ。…見直したところで、今回のスレッドはここまでにしましょう。論点が変わってしまったからネ。ここから後は第3回目のスレッドで…。

太郎
おい。まだ終わるな。雅宣総裁は今回の発言で宗教的に正しいことを言っているのかもしれないのだ。

花子
それならば、総裁は今回の発言で何を言っているの?

太郎
簡単にいうと、G7が「日本だけが男女平等の意識が遅れている。反省しろ」と叱っている。だから生長の家も、「はい。すみませんでした。お叱りに従います」と言って…まあ、言わなくてもよいのだけれども…雅春先生のころの古い意識から新しい意識に変われ…ということだ。

花子
ふむ…。

太郎
しかしね。花子さん。僕に言わせるならば、G7のメンバーたちは日本の伝統的な男女秩序の意識を知らない。すでに「生長の家classics」さんが第一回目で説明したように、「日本の伝統的な男女秩序意識」と「欧米の男女秩序意識」とはまったく異なる。さかさまと言ってもよいほどの違いがある。G7のメンバーたちは、平安時代や鎌倉時代の女性作家たちが長いあいだ「ジェンダー平等に反する男性差別」を行ってきたことを知らない。さらに、「日本の男たちが、女性作家たちの男性差別を知りながら女性作家たちを高く評価してきた」という厳然たる事実を全く知らない。だから僕たち日本人はG7のメンバーたちに対して本当はこう言うべきなのだ。

G7の忠告はありがたく承っておく。しかしG7の面々は日本の男女意識を知らない。G7のご忠告は、長いあいだ多くの女性作家たちから露骨に無視、差別されてきた日本の男たちに向かって、「日本の男たちよ。おまえたちの意識は、まだ昔のように女性を差別し、虐げる意識である。早く欧米を見習え。欧米の男は長らく女性を奴隷扱いしてきた過去を反省して、今、女性を大切に扱っている。それなのに日本の男は、まだ昔のように女性を差別し、虐げている。早く懺悔せよ!」と、説教しているようなものである。日本社会に女性差別がないとは言わない。それは是正されなければならない。しかしG7のみなさまのご忠告は、初めから前提が狂った忠告にすぎない。…欧米の男性のみなさま。この反論にご不満がおありならば、みなさまも一度、日本古典文学を見習って300年間ほど女性作家から無視・差別されてみたら如何でしょうか…。
と。

花子
あら…。あなたも今回はずいぶんキリッとした言葉を連発するのね。ますます見直したわ。…見直したところで、やはり今回のスレッドはここまでにしましょう。総裁が論点を変えってしまったからネ。ここから後は第3回目のスレッドで。

太郎
なに?…あなたも今回キリッとしている…。それでは、今までの僕はナマコかナメクジだったのか…。

花子
読者のみなさま。このあとは第3回目のスレッドの予定です。

太郎
ワシは何なのだ。





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