《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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雅宣総裁のご主張は、画一的な「ジェンダー原理主義」である。 (15272)
日時:2024年11月01日 (金) 16時19分
名前:生長の家classics

 はじめに

数か月前に知人から、谷口雅宣総裁がお書きになって編集者が説明を加えたと思われる冊子、「”神の子“は性別によらず」を送ってきた。

また、「何か書け」ということのようである。

さっそく拝見して驚いたことだが、雅宣総裁は日本のことを何も知らない。失礼なことを言うようだが、こちらが想像していた以上に総裁は日本の文化や伝統に関して無知である。

「おそらく雅宣総裁はよほど忙しいのだろう。それで勉強している暇がないのだ」と思ったが、「これを放っておくことはできない」とも思った。

それでいつものようにこの掲示板に載せていただこうと思ったら、なんと投稿することができない。「パスワードを打ち込め」とのご命令。そんなもの知らない。どうにも仕方がないから数か月のあいだ拙文を放置しておいた。

ところが、最近聞いた噂によれば、管理人さんが新しい管理人氏に代わって掲示板が再開されたという。再開はありがたい。早速投稿させていただく。

ただ、以前から、「お前は理屈っぽくてイカン」と叱られているので、今回は「事実の提示」に力点を置いて言いたいことを言わせていただく。そのために長編になるはずである。しかし、「こんな事実がある。あのような事実もある」という調子で論が続くので、決して難しくはないはずだ。



まずここで拙文を読者諸賢が最後まで読んでくださることをお願いしておく。次に、新しい管理人氏(聞いた話では、以前の管理人氏よりもかなり若い人らしい。お若い人はIT技術に通じているだろうから、これも結構なこと)に感謝しておいて、次回から言いたいことを言わせていただく。



雅宣総裁の主張は「ジェンダー原理主義」 (全8回の2回目)  (15273)
日時:2024年11月01日 (金) 16時24分
名前:生長の家classics

谷口雅宣総裁は、冊子「”神の子“は性別によらず」(以下、「本冊子」と略称)の「はじめに」のなかで、

>生長の家では社会の変化に応じた運動を進める重要性を説いてきましたが、ジェンダー(男性・女性であることに基づき定められた社会的、個人的関係)の問題については、これまで十分に議論されてきませんでした。…生長の家がジェンダーの問題について議論してこなかった理由は、生長の家自身が長年、男女別による固定的な役割分担論を前提として運動を進めてきたからです。
(3頁上段)

と、述べておられる。

もっとも、この「はじめに」の二文は冊子の編集者が記入した文章であって、総裁直筆の文章ではないようなのだが、総裁の認可を得た文章であることは間違いない。よって、総裁の考え方が書いてあると理解しても問題ないはずである。

この総裁の主張はまちがっている。ここで結論だけを先に言うならば、たしかにジェンダーの概念、「男性・女性であることに基づき定められた社会的、個人的関係」は、通常用いられている概念に近いから、この「社会的、個人的関係」のすぐあとに、「さらに自己意識」を付け加えれば大きな問題はない(もっとも、ジェンダーを振りまわす人たちの論の進め方には大きな問題がある。しかし、今は直接関係ないので割愛する)。

しかし、「生長の家自身が長年、男女別による固定的な役割分担論を前提として運動を進めてきた」が間違っている。特に、生長の家が行ってきた運動のあり方を、はじめから「固定的な役割分担」だったと決めつけている点が間違っている。

なぜならば…今はわかっていただけないだろうが…太古の昔から日本人の男女関係に関する意識は欧米の男女意識とちがって極めて柔軟(下手をすると女尊男卑になりかねないぐらい)であり、また、谷口雅春先生の『白鳩』創刊号の御文章(18頁)も極めて柔軟であって、決して「画一的」なご意見ではなかったのに、

総裁は、極めて固定的(明らかに女性差別的)だった欧米から生まれたジェンダー思想を、あたかも「世界に通用する普遍的な原理」であるかのように勝手に前提して(時代が変わった…と)論を進め、結局、欧米発のジェンダー思想を信徒に押し付けているからである。

この意味で、総裁の主張の方が、谷口雅春先生の『白鳩』創刊号の御文章(18頁)よりも遥かに固定的な「ジェンダー原理主義」である。…と言っても、ここまで読んだ読者には何のことか不可解であろう。そこで読者諸賢の理解と納得をいただくために、次に、「男女関係に関する意識」を最も明瞭に表す文学作品の実態を、欧米(女性差別的な性格)と日本(下手をすると女尊男卑的になる性格)の順番で具体的に紹介して、そのあとで再び総裁の主張にもどり、最後に、総裁の主張が画一的な「ジェンダー原理主義」であることを知っていただく。



総裁の無知な大間違い。欧米文学は男性中心。女性が文学で活躍したのは日本文学だけ。 (全8回の3回目)  (15274)
日時:2024年11月01日 (金) 16時29分
名前:生長の家classics

総裁は本冊子のなかで、

>日本最初の長編小説と言われる『源氏物語』を初めとして、歴史上に残る名文学の多くは、国内海外を問わず、女性によって書かれました。
(54頁~55頁)

と述べている。

この、「歴史上に残る名文学の多くは、国内海外を問わず、女性によって書かれました」という断言は、呆れるほど無知な断言である。総裁は何も知らない。名文学を残した人に女性が多い国は、世界中で日本だけである。まずは欧米の文学から。

(ア)
ヨーロッパ文学の古典であるギリシア神話は、書いた人(正確には記録を残した人)と言われるホメロスは不明な点が多いが男性である。また、ヘシオドスもギリシア神話を書いたが、やはり男性である。

なお、ギリシア神話は男の神が女神を力づくで、あるいは騙してものにするという話であふれている。次の引用文はその一端を述べたものにすぎないが、日本の神話に男の神が女の神(あるいは女の人間)を力づくで、あるいは騙してものにしたという物語はまったくない。日本神話の男と女の関係は素朴だが情愛あふれる物語がほとんどである。(具体例は後出)

>ゼウスはまた女神デーメーテールに心をうばわれたが、女神がかれの言い寄りをはねのけたので、かれは牡牛に変身してデーメーテールをおかし、かの女はこの交わりでコレーを身ごもった。
(みすず書房『ギリシア・ローマ神話第1』 フェリクス・ギラン著。山口三夫訳。昭和34年6月)

(イ)
時代が下ってイギリス文学のシェークスピアは男性。同国で『失楽園』を書いたミルトンも男性。若き雅春先生が愛読なさったオスカー・ワイルドも男色の罪状で投獄された男性である。

(ウ)
フランス文学では『エセ―』を書いたモンテーニュが男性。三大劇作家と言われるコルネイユもラシーヌもモリエールも男性。19世紀のヴィクトル・ユーゴー、スタンダール、バルザック、フローベール、エミール・ゾラ、モーパッサンの6名もみな男性。

(エ)
ドイツ文学(ドイツ語文学)では、まず、『トリスタンとイゾルデ』を書いたゴットフリート・フォン・シュトラースブルクが男性。次に、『痴愚礼賛』を書いたエラスムスも男性。次に、ゲーテは70歳をすぎてから20歳弱の少女に求婚して、結局、はかなく振られて落ち込んだ元気なオジサン。そのゲーテと交流があったシラーは10歳年下の男性。さらに、ドイツロマン主義の道を開いたヘルダーリンが男性。グリム兄弟は当然、男性二人。詩人ハイネも男性。近代文学に入ってトーマス・マン、ヘルマン・ヘッセ、フランツ・カフカの3名も男性。お堅いドイツ文学ではなかなか傑出した女性が現れない。

(オ)
次にイタリア文学。まず、『神曲』を書いたダンテが男性。『デカメロン』を書いたボッカッチョも男性。近代に入って『ピノッキオの冒険』を書いたカルロ・コッローディも男性。1926年にノーベル文学賞を受賞したグラツィア・デレッダは女性だが、紫式部よりも900年以上遅れている。

(カ)
ロシア文学。まず、雅春先生が早稲田の学生だったときに読んだと言われるトルストイを含むロシア三大作家のドストエフスキー、ツルゲーネフはみな男性。ロシア文学は政治的な原因もあって、なかなか大物女性作家が現れない。

(キ)
ついでにアメリカ文学。ウィキペディア・アメリカ文学によれば、17世紀の女性詩人、アン・ブラッドストリート(1612~1672)は、フェミニズム批評の発展もあいまって、現在注目を浴びているとのこと。ただ、フェミニズム批評から注目されていることと、文学的な価値が高いこととは全く別の事柄。

19世紀に入って、『モルグ街の殺人』や『黄金虫』を書いたエドガー・アラン・ポーは男性。日本教文社から翻訳書が刊行されたエマソンも男性。ホーソンとその友人であるメルヴィルも男性。『アンクル・トムの小屋』を書いたストウ夫人はもちろん女性だが、詩人ホイットマンは男性。20世紀に入って古典主義的な誌と文学評論を書いたアメリカ出身のT・S・エリオットも男性。小説家のヘミングウェイとスタインベックも男性。アメリカ文学は20世紀に入るとパール・バックのように著名な女性文学者を輩出するが、それも日本の女流文学者よりも千年ほど遅れている。

(ク)
ついでに中国文学。有名な詩人である李白も杜甫も男性。歴史家の司馬遷も男性。中国文学は現代(中華民国の時代)に入るまで著名な女性作家は登場しなかった。この点で日本文学とはまったく性格が異なっている。



日本文学の「男女平等」さらに「女尊男卑」になりかねない体質 (全8回の4回目)  (15275)
日時:2024年11月01日 (金) 16時34分
名前:生長の家classics

さて、日本文学である。

(ア)
奈良時代に編纂された『万葉集』のなかで、「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや君が袖振る」を残した額田王(ぬかたのおおきみ)が女性。『万葉集』は天皇から一般庶民まで514名の和歌を収めているが、その中の114名が女性である。

この『万葉集』には同時代の欧米文学作品とまったく違う特徴が2点ある。①地方に住む庶民の歌が国王(天皇)の歌と一緒にたくさん掲載されている。これだけでも同時代の欧米文学と大きく異なっているが、②『万葉集』は全体の2割の歌が女性の歌であり、そのなかに地方在住の「貴族でない女性」の歌が少なくない。この特徴も同時代の欧米文学の世界では考えられない特徴である。

(イ)
次に、平安時代。まず、「日記文学」から。大作の日記文学である『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』の作者は全員が女性。しかも作者たちは皇后などのように身分が高い女性ではなかった。全員が中流貴族の女性ばかりである。このようなことは同じ西暦1000年ごろのヨーロッパでは考えられないことだった。

しかも日本初の日記文学である『土佐日記』を書いた紀貫之は、当時の男文字であった漢字を使わず、わざわざ女文字の平仮名を使って、「作者(私)は女なのよ~」と、自分の性を偽って『土佐日記』全体を書いた。これは今の言葉でいうと、文学における意図的トランスジェンダーである。令和6年1月31日に丸善出版株式会社が発行した『ジェンダー事典』(編者・ジェンダー事典編集委員会)は、

>これは紀貫之が『土佐日記』を男性ジェンダーの漢文日記ではなく, かな書きの日記を書くことで, 女性ジェンダーを模したこと
(498頁)

と断言している。

『ジェンダー事典』の項目には疑問を感じさせるものも多々あるが、この解説は的確である。しかも『土佐日記』は女性が男性を名乗ったのではない。男性が女性を名乗った。この偽称の理由はいろいろあるが、社会的に強い立場の男性が弱い立場の女性を偽称することなどは同時代のヨーロッパではほとんど考えられない出来事であった。おそらく今も考えられないことであろう。 

(ウ)
次に、同じ平安時代の「作り物語」(今の小説)。『竹取物語』の作者は男性ではないかと言われているが不詳。『宇津保物語』と『落窪物語』の作者も同じく不詳。つづく『源氏物語』の作者はもちろん女性。中流階級の女性であった。その『源氏物語』のあとに書かれた『狭衣物語』の作者も女性。このころの男性は文学の世界では差別されていた(そうでなければ無能だった)らしい。これも同時代のヨーロッパでは考えられない事実である。

(エ)
同じ平安時代の「随筆」。著名な『枕草子』の作者である清少納言は女性。しかも『枕草子』のなかには、作者が気に入らない男性の役人を天皇や皇后や女房たちの目の前でいじめて、わざと恥をかかせた話が色々書いてある(陽明文庫蔵本の99段ほか)。当時の貴族社会の男たちは知的な女性にいじめられていたのである。

さらに同書の250段は、「男性というものは、やはり女性から見るとめったにないほど奇妙な心を持ったものである…」で始まって、さまざまな男性批評(というよりも男性批判)が書いてある。これは総裁がいう「女性の立場に立った」(本冊子10頁)「ジェンダー平等」(本冊子3頁)が、日本古典文学においては既に平安時代に実現していたということである。

(オ)
時代が進んで鎌倉時代の「評論」。最大の評論文学である『無名草子(むみょうそうし)』は作者が「藤原俊成の女(むすめ)」と推定されている。もちろん女性。「評論」という理知的で男性が書くのが当然と思われるジャンルの本を今から800年ほどまえに「女性」が書いていた。これだけでもジェンダー論から注目されるはずだが、この本の内容にも注目すべき大きな特徴がある。『無名草子』の内容は、女房たちが集まって人物批評や文学作品批評などを語りあう…という内容である。しかも集まった者は女性ばかり。男はいない。

さらに批評のテーマ(話題)も女性が好む『源氏物語』、『狭衣物語』など。『大鏡』など男性中心の文学作品は話題から排除されている。また、人物に関する批評の対象も清少納言、紫式部、和泉式部、小式部内侍などの女性ばかり。男性は完全に無視されている。さらにまた、月、手紙、夢、涙などについても批評が語られているが、それらはすべて「女性の立場」からの評論である。

しかしあまりに男性を無視するのは良くないと著者が考えたのだろうか、ようやく最後に「男の論」の段が登場する。その冒頭で、ある女房が、「女の評判だけで男の評判がないのは、みっともない」と言った。するとすぐに別の女房が、「男の評判も大切だけれども、そんなものは『大鏡』など男中心の本にたくさん書いてある。放っておけば良いのよ~」で全体が終ってしまう。『無名草子』は女性だけが集まって女性だけを話題にして盛り上がっている男性排除の文学である。小学館が発行した『日本古典文学全集・40 無名草子』の「解説」は、

>『無名草子』は女性の書である。女性が語り、女性が筆録するという形をとっている。しかも女性を語っている作品である。物語を論じ、歌集を論じていても、常に女性の立場に立ってものを考えている。…女性が書き、女性のための物語を論じた、女性のための書である。
(307頁)

と断言している。この断言は、鎌倉時代初期の文学世界では総裁がいう「女性の立場に立つジェンダー平等」どころか、「女性の立場に立つ男性差別のジェンダー不平等」が存在していたことを示している。これを同時代のヨーロッパの男性たちが知ったならば、「オーマイゴッド」と叫んだことであろう。女性たちが知ったならば、みな日本に移住したであろう。



(承前)『大鏡』の女性尊重的な傾向 (全8回の5回目)  (15276)
日時:2024年11月01日 (金) 16時40分
名前:生長の家classics

(カ)
ところで、男性中心と言われる『大鏡』について説明させていただく。『大鏡』は平安時代の後半に書かれた歴史物語で、平安前半の歴代天皇と藤原道長のような上流貴族たちの話が書いてある。作者は不明だが男性であることに間違いはない。つまり作者も登場人物も男性中心である。しかし男性中心といっても、それは登場人物の頭数だけにすぎない。

『大鏡』のなかに「男が女を虐げていた」という話は、ほとんどない。その反対に、男である天皇が奥様(皇后)を怖がり、その奥様が天皇の袖を引っぱって実力行使におよんだ…という「女性上位」とも思われる話が書いてある。つまり、『大鏡』はまちがいなく「男性の視点」で書かれているが、その結果描かれた実際の内容は女性が活躍して政治に影響を与える「女性尊重」さらには「女性上位」の傾向が強いのである。次に、少し長いが天皇に対して実力行使に出た皇后の話を紹介する。


平安時代初期の村上天皇の中宮(皇后)であった安子は天皇とのあいだに三男四女をなしたほど天皇に愛された女性であった。しかし非常に嫉妬深い女性でもあった。その平安時代には跡継ぎを確保しなければならないという事情もあって御所の後宮には複数の妃がいた。そこである日、安子が別の妃の部屋をのぞいた。すると妃は極めて美しい。怒った安子は自分の女房に命じて、妃めがけて杯の破片を投げつけさせた。

そのとき幸か不幸か、たまたま妃の部屋には村上天皇がいたのである。村上天皇はさすがに我慢できずに考えた。「このような乱暴は女が簡単にすることではない。安子の兄弟三人が相談して安子にさせたのに違いない」と。さっそく村上天皇は清涼殿(政治会議の場所)に行って兄弟三人を自宅に帰らせて謹慎させた。三人はすぐに自宅へ引っ込んだ。

ところが、それを知った安子がさらに怒った。「私の部屋においでください」と天皇に伝えた。天皇は「このことだろう」と思って行かなかった。安子は何度も「来てください」と要求した。天皇は、「行かなければ、さらに立腹するだろう」と、恐ろしく、いとほしく思し召して(恐ろしく、またかわいそうにもお思いになって)安子の部屋に行った。

すると安子は、「どうしてこのようなことをなさったのですか。あまりにも辛いお仕打ちです。今すぐ三人を御所に呼びもどしてください」と要求した。天皇は、「どうして、今すぐに赦すことができようか。外聞の悪い話だ」と返答した。安子は、「それは絶対によくないこと。必ずもどしてください」と強く帝を責めたので、帝は、「それならばそうしよう」と口だけ応えて部屋を出ようとした。

すると、安子は、「ここから出て行ってしまうと、すぐには三人をお赦しなさらないでしょう。今ここですぐに三人を御所に呼び戻してください」と言って、御衣を捕らへさせ奉りて、立て奉らせ給はざりければ(天皇のお袖を捕らえ申して、天皇を立たせなかったので)、帝は「どうにも仕方がない」と思って、結局、三人を許すことになった…。これのみにもあらず、かやうなる事ども多く聞こえはべりしかは(この事件だけではなく、このような類のことが、たくさん世間に漏れ伝わっていましたよ)。
(以上、『大鏡』 右大臣師輔)


…このように「男性の視点」で書かれている『大鏡』の内容が「女性尊重」さらには「女性上位」の傾向を持っているということは、平安時代の前半に実在した男たちの発想が「女性尊重」さらには「女性上位」だった可能性が高いことを示している。もしこのことを同時代のヨーロッパの男たちが知ったならば、「日本の男は本当に男なのか?」と言って、日本男性を軽蔑したであろう。女性が知ったならば、「日本の男などチョロいわよ」と、本気で馬鹿にしたかもしれない。



(承前) 江戸時代以降の日本文学と、通史としての「男女意識の特質」 (全8回の6回目)  (15277)
日時:2024年11月01日 (金) 16時45分
名前:生長の家classics

(キ)
さて、時間の流れをもどして江戸時代以降。江戸時代以降の文学作家は男性が中心になった。明治時代も同じである。女性の文学作品が広く評価されるようになるためには現代社会(日本では昭和戦後)の到来を待たなければならなかった。これはヨーロッパと同じである。

しかし日本人と日本社会は、奈良・平安・鎌倉(建武の新政よりも前)の600年あまりの間、文学の世界で女性が活躍することを排除せず、それどころか男性が文学作品の内部で排除され、さらに差別されることを容認していた。このような文学伝統はヨーロッパの文学伝統とは全く異質な伝統である。

(ク)
…ということで話が終われば良いが、まだ終われない。日本の神話や古典文学が示している男女関係意識にはさらに大きな特徴がある。最も古い『古事記』に載っている日本神話からはじまって平安時代初期に成立した『伊勢物語』や『大和物語』までは男と女の物語がほとんどだが、すべての物語は男と女の素朴な情愛あふれる物語ばかりである。

ここで内容を詳細に紹介することは字数の都合で不可能だが、たとえば『伊勢物語』23段の「筒井筒」は妻が夫を信じて夫の心を回心させる純朴な物語であり、『大和物語』147段の「生田川」は男二人に惚れられてしまった娘と男二人が結局、三人ともいのちを棄ててしまったという純愛の物語である。

「日本的な倫理学を創造した」と言われることがある和辻ezweb emoji哲郎は世界の古典文学作品を読み通したような人だが、日本の神話に関して、

>古事記の…あれほど数多い恋の物語の内に、男を翻弄する妖婦や、女に薄情な誘惑者は、一人たりとも現われていない。…新しい恋人を得たゆえに古い恋人を捨てるという話は、一つも存しない。恋として物語られる限りは、いかなる場合でも、常に真情のこもった、情け深い、正直なものである。これはあらゆる古代民族の文藝に比して、注意すべき特徽ではなかろうか。(日本の神話が)少なくとも「一人の妖婦」をさえ持たないという一点は、自分の知る限りでは、どの民族にも見られない。」
(『日本古代文化』259頁~260頁。括弧内は引用者。原文は旧仮名旧漢字)

と述べている。これは今も通用する批評であろう。このような特性も同時代のヨーロッパ文学にはありえない特性である。



文化史から見た男女意識に関する日本と欧米の相違点 (全8回の7回目)  (15278)
日時:2024年11月01日 (金) 16時49分
名前:生長の家classics

(1)
ここで話を日本文化史に広げて概観する。日本では時代が平和になると女性が強くなって能力を発揮する。しかし時代が乱れて強固な国家体制が必要になると男性が強くなり、「女こども」を下に見て差別する。平安時代の文学が女性上位であったのに江戸時代に押さえつけられて姿を消したにもかかわらず、昭和20年(1945)の日本敗戦以降に日本が平和になると再び女性と女流文学が強くなって能力を発揮するようになったのは、日本文化の体質(大袈裟にいうと「文化的国体」)である。

それに対してヨーロッパの場合は時代が平和であっても戦乱状態であっても男性が強くて能力を発揮し、「女こども」をバカにする。「女は男の所有物である」と、公然と唱えられることもあった。そのヨーロッパが現代社会に入ってから次第に女性の抵抗が強くなり、さらに「女性を尊重するべきだ」という男性の声も少しずつ加わり、その結果、次第に女性の権利と能力が大きくなった。少し乱暴にいうならば、ジェンダー思想はそのような歴史的背景から生まれて正義を実現するための有効な武器となる(と本人たちが思っている)現代西洋発の思想なのである。日本をふくめて世界中のジェンダー思想が反体制や政治介入の指向性を強く持っているのは決して偶然ではない。

(2)
さらに次の文化的事実も確認しておかなければならない。乱暴な比較を語るようだが、ヨーロッパの文化はギリシア神話の時代から、良くも悪くも「自分を主張する」さらに「自分の主張を正義として相手に強制する」体質を強く持っている。・・・といっても、その体質が悪いと言うのではない。自分を主張しない人間や文化などはそもそも自立できない人間や文化にすぎない。ともあれ、そのヨーロッパの学者や政治家が日本をふくむ非ヨーロッパ諸国にジェンダー思想を世界普遍の真理として押し付ける。

ヨーロッパが押し付けるものはジェンダー思想だけではないが、幸か不幸か、非ヨーロッパの国々とくに日本の文化的体質には外来の優れたものに憧れて吸収しようとする性格が著しい。しかも明治初期の文明開化以来、日本の学者や文化人には、「ヨーロッパを模倣してその先へ進めば全てが良くなる。それがハイレベルな文化である」という意識が沁みこんで、現在では日本人全体がその意識を自覚できないほど心の奥底にまで浸みこませている(当然、それに反発する国粋派は感情的になって国民から嫌われる)。

その心理機能が原因で、現代日本人の目には現代西洋発のジェンダー思想がハイレベルなものに映る。さらに、正義を実現しようと努力する人間には、(もちろん正義を実現することは尊いことであるが)ジェンダー思想が無条件に世界的普遍性を持つ「人類を進歩させる正義の原理」に見えてくる。雅宣総裁が日本の文化を何も知らずに「ジェンダー」を振りまわしているのは、そのかわいらしい一例である。



雅宣総裁のジェンダー原理主義 (全8回の8回目)  (15279)
日時:2024年11月01日 (金) 16時56分
名前:生長の家classics

…ということで、ここで本冊子「”神の子“は性別によらず」54頁~55頁の二文に話をもどす。雅宣総裁はここで、「歴史上に残る名文学の多くは、国内海外を問わず、女性によって書かれました」などと言っていた(あるいは、この二文を容認していた)。これは、無知もはなはだしい大間違いであった。名文学の多くを女性が書いたのは世界のなかで日本だけである。日本の男女関係に関する意識は「男女平等」さらに「男性差別」になりかねない特質を持っていた。今もその特質を持っている。

それにもかかわらず雅宣総裁がその日本的性格を無視して、「女性の立場に立つジェンダー平等を実現しなければならない」というような主張を行っていることは、平安・鎌倉文学の「女性の立場に立つ男性差別」を知らない不勉強者の痴態にすぎないと言わざるをえない。

くり返しになるが、男女関係に関する日本の伝統的意識と欧米の伝統的意識はまったく異なる。奈良女子大学で文化人類学や民俗学を教えて南方熊楠賞を受賞した松岡悦子女史は「ジェンダーなのか文化なのか」という論文
(urlは
https://www2.igs.ocha.ac.jp/wp-co...

uploads/2016/07/Matsuoka.pdf
を接続)
のなかで、「西欧生まれのジェンダー概念が日本を含む非西欧においても有効か。…個別の文脈(注。文化)を無視することは危険(だ)」という指摘を行っておられるが、この指摘は正当かつ正鵠を射ている。

もちろん、同女史は学問研究にジェンダー概念を導入することを否定しない。女史は、「非西欧においてもジェンダーという概念を用いることは弱者の力を強める上で有効であり、また人類に共通のルールを築く上で、もはやジェンダーを組み込まない議論はできなくなっている」と述べて、ジェンダー概念の有効性と必要性を確認している。

ただそのすぐあとで女史は、ジェンダー概念を導入した議論のなかに「個別の文脈を無視することは危険(だ)…」と念を押しておられるのである。これは正当な押念である。正当な学問研究を目指す者、さらに宗教家を自認する者はこの押念を軽視してはならない。しかし総裁は日本文化の特質を無視して、生長の家の信徒に無理やり「ジェンダー平等」を押し付けている。

以上の事実から、ここで論評として一先ず次のような結論を出さざるをえない。雅宣総裁が本冊子全体を通して「欧米の歴史と男女意識から生まれたジェンダー思想」をあたかも世界普遍の真理であるかのように語って、「ヨーロッパの伝統的男女意識と日本の伝統的男女意識の相違」を無視して強引に論を進めているのは本当に「真理」を求めている態度ではなく、無知に基づく愚論をさらけだして自分の結論を強引に納得させるための画一的な「ジェンダー原理主義」にすぎない、と。この論評に対して合理的に反論できる人は多くないだろう。



さて、次回からは、総裁が引用している谷口雅春先生の『白鳩』創刊号の御文章(18頁)が、総裁が強調しているような「画一的」な内容ではなく、実に柔軟な「女性尊重」の意識の上に立っておられる内容であり、かえって総裁の解説の方が画一的であり、しかも「ジェンダー原理主義」に立つ画一的な主張であることを説明させていただく。






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