聖典『生命の實相』の眞理を縮約した聖經『甘露の法雨』の如く、神國日本の眞理を縮約した高﨑正風作歌「紀元節」の歌 (14134) |
- 日時:2022年02月09日 (水) 12時02分
名前:立葵
合掌 來たる二月十一日には今上陛下をあふぎまつりて紀元二千六百八十二年の肇國の歷史を偲ぶ佳節を迎へます。
この日には奈良縣の橿原神宮にて勅使參向の紀元祭が執り行はれます。 併せて宮中三殿にて「旬祭(しゅんさい)」に引き續いて「臨時御拜(りんじぎょはい)」として天皇陛下が御拜禮になると承つてをります。 (宮内廳(庁)ホームページより:旬祭=毎月1日・11日・21日に掌典長が祭典を行い,原則として1日には天皇陛下のご拝礼があります。)
「臨時御拜」は、戰後に占領軍によつて紀元節が廢止されたことに伴ひ宮中祭祀から除かれた「紀元節祭」を、その名こそ廢されたとて今も變はらぬ思し召しによつて畏くも御拜禮あそばされるものと拜し奉ります。
昭和四十一年に「建国記念の日」の制定を實現させて下さいました先師先達の渾身の御盡力に心からの敬意と感謝の念を捧げ奉ります。尊師谷口雅春先生ありがたうございます。 この偉業によりまして、我が國が天照大御神樣の神勅のまにまに皇統連綿として續いてまゐりました事實に思ひを致すよすがを取り戻すことが出來ました。
それにも拘らず、殘念ながら、その折角の佳き日をお祝ひしようといふ心の文化がほとんど傳承されてゐないのが現實ではないでせうか。私も谷口雅春先生の御敎へなかりせば、この祝日の持つ、本當は大切な意義など知らなくとも平氣だつたかもしれません。 (謹註:昭和二十三年に「国民の祝日」が制定されるまでは宮中の重要な祭儀の日を「祭日」と稱して國民も共に奉祝して參りました。)
谷口雅春先生の薫陶によりまして戰後世代でありながら神武建國の理想を敎へていただく僥倖に巡り合へた道の友は、戰後いはば追放されてしまつた「紀元節」の歌を歌ふ機會もまたおありのことかと思ひます。 その歌詞は樣々な場で目にする機會もありますが、私は先年この詞が發表された當初の明治二十一年の作歌者自身の解説書『紀元節歌の解』(※1)と、明治二十六年八月十二日公布の「文部省告示第三號別册・官報第三千三十七號附録『祝日大祭日歌詞竝樂譜』」(※2)との二者を繙く機會があり、この歌への畏敬の念を一層深くいたしました。
(※1)高﨑正風口述、阪正臣口述筆記『紀元節歌の解』明治21年6月22日、青白堂刊 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/855102
(※2)明治26年8月12日公布 「文部省告示第三號別册・官報第三千三十七號附録『祝日大祭日歌詞竝樂譜』」8コマ目 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2946301/6
初めに後者より歌詞を謹掲いたします。官報附録で公布された「祝日大祭日歌詞竝樂譜」所載の「紀元節」の歌詞には、所謂一番、二番は「第一章、第二章…」と表されて、改行がなく、句點が施されてゐます。各「章」を一氣に歌ひ上げた息づかひが傳はつてまゐります。(ルビは原文より適宜謹抜萃)
紀元節(高﨑正風作歌、伊澤修二作曲)
第一章 雲に聳ゆる高千穂の。高根おろしに草も木も。なびきふしけん大御世を。仰ぐ今日こそたのしけれ。
第二章 海原なせる埴安の。池のおもより猶(なほ)ひろき。めぐみの波に浴(あ)みし世を。あふぐけふこそたのしけれ。
第三章 天津(あまつ)ひつぎの高みくら。千代よろづよに動(うご)きなき。もとゐ定めしそのかみを。仰ぐけふこそたのしけれ。
第四章 空にかゞやく日のもとの。萬(よろづ)の國にたぐひなき。國のみはしらたてし世を。あふぐけふこそたのしけれ。
次に前者の解説書では、所謂一番、二番は「第一段、第二段…」と表されて各段には以下の通り標題が施されてゐます。各「段」ごとにその意味するところが記紀などの神典に據(拠)つて口述されて、流麗な筆致で筆記されてゐます。
第一段 武德の頌(雲にそびゆる…) 第二段 仁德の頌(海原なせる…) 第三段 皇基の頌(あまつ日嗣の…) 第四段 國體の頌(空にかゞやく…)
これによつて、「紀元節」の歌は神武天皇樣が建國を成し遂げられるまでの道程や業蹟を四つの要素に集約してたたへまつる「頌」として作歌されたことが傳はつてまゐりました。 (謹註:頌(しょう)=功績や德などをほめたたへた言葉や詩文)
このやうに、神武天皇樣が橿原の宮で皇祖のみたまをお祀りされ給うて以來、その御手ぶりのままに連綿として、今に到るまでその祭祀を繼がせ給うた御歷代の天皇樣を戴く日本の悠久の歷史が「紀元節」の歌の四つの「頌」に縮約されてゐることに感歎いたします。 そして、それは恰も聖經『甘露の法雨』に『生命の實相』の眞理が縮約されてゐると谷口雅春先生がお説き下さるやうに、我が國の建國の歷史が「紀元節」の歌に縮約されてゐるのではないかと、思ひ至りました。
謹掲 聖經『甘露の法雨』は『智慧の言葉』と同じく突然浮んで來た思想が一種詩的なリズムを帶びて來たのを書き止めて置いたものである。それを讀誦することによつて色々の奇蹟を演じた。後より觀ると此聖經は期せずして、『生命の實相』全卷の眞理を縮約して歌つたものになつてゐる、是は單に現實界の人間が讀誦して悟りを開いて病苦惱苦を去るばかりでなく、靈界の諸靈もその讀誦の聲を聞いて悟りをひらき、迷へる障りの靈も守護の靈となるので、神佛禮拜の際その祭壇に對ひて讀誦すべき生長の家の聖經となつてゐる。 (昭和10年刊黑布表紙版『生命の實相』第11卷經典篇120頁・昭和26年刊『「甘露の法雨」講義』卷頭より)(後者では「觀ると」は「見ると」) (頭注版第21卷・新編第35巻の「はしがき」は昭和39年御執筆、戰場及び交通事故での功德を加筆)
そのやうなことに思ひを致しつつ、公式の名ではなくなりましたが「紀元節」を心よりお祝ひ申し上げます。 再拜
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