〝1 「阪田氏の大罪」に対する反論〟に対する反論 (14065) |
- 日時:2022年01月25日 (火) 10時38分
名前:破邪顕正
「トキ」さんは、こう書いています。
〝阪田氏の主張を通して読むと、「生長の家社会事業団には聖典の著作権はなく、単に著作権収入があるのみ」いう意味にはならないです。実際、本人もその旨を主張しています。〟
ここに言う、「その旨」とは、〝生長の家社会事業団には聖典の著作権はなく、単に著作権収入があるのみ〟そういう意味にはならない、ということを指しますよね。
しかし、「阪田先生」はこう書いたわけですよ。
〈先生は事業団の運営のために著作権収入即ち印税を寄付されたのであって、著作権を託されたのではありません〉
この二つの文章の整合性、私には理解できません。
当初、「トキ」さんも、そう思ったからこそ、こういう言い訳じみたことを書いたのではないのですか。
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日時:2022年01月11日 (火) 19時40分 名前:トキ
この問題を『光明の音信』第8号だけの字面だけを問題にすると、議論の本質が見えないと思います。背景にあるのは、新編「生命の実相」の再編集をめぐる議論があります。
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ここでのキーワードは〝字面〟です。
だって、読み手は〝字面〟で判断するしかないからです。
「トキ」さんも、「阪田先生」が書いた〝字面だけ〟を読むと、これは最高裁判決を否定していると見なされても致し方ないと思ったのでしょ…。
思ったからこそ、〝背景にあるのは、新編「生命の実相」の再編集をめぐる議論〟という方向に問題をすり替えようとしたのではありませんか。
もう一度、言います。
〝実際、本人もその旨を主張しています〟
そのことを、誰もが、それこそ〝字面〟でわかるように、きちんと了解できるようにすべきではありませんか。
突然、「トキ」さんから「本人もその旨を主張しています」と言われても、到底、それでよしと呑める話ではありませんよ。
「阪田先生」が、どこで、どのようにして、その整合性のつく説明をしているのか。
本来ならば、「光明の音信」紙上で、説明すべきではありませんか。
事の発端は、その第8号に書いたことから始まったのですから。
「トキ」さん、これほどの重大なことを、「本人もその旨を主張しています」ですましてはならないと私は思います。
何度も言って恐縮ですが、それこそが、本質的に問われていることなのですから…。
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