《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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昔なつかしい阪田成一先生のお名前とお言葉を拝見したので…。(トキ様に、はっきりさせて下さるようお願いいたします)  (13946)
日時:2022年01月01日 (土) 14時51分
名前:昔、原宿本部の文化局に奉職したかったけれども、結局できなかった者です。

私は、むかし本部が原宿にあったころ、当時の文化局に奉職したかったけれども、ご縁も能力もなかったので奉職できなかった者です。

そのころ文化局に奉職していた知人から、上司の阪田成一先生は厳しいところもあるけれど、非常に頭の回転が速い方だということを聞いていました。

ときどき本部で聖典を購入したり、その友人に会う必要があったりして本部にうかがい、ついでに文化局をのぞいたこともあるのですが、残念ながら憧れの阪田先生のお顔を見かけることはできませんでした。

それから40年ほどすぎて、突然、二つの掲示板で阪田先生のお噂を目にしたので驚いて…。

トキ様という管理人様の「要約」しか拝見していませんが、阪田先生のご懸念を払拭するために…。

トキ様の要約によりますと、阪田成一先生は、公益財団法人である「生長の家社会事業団」が練成会を始めるなど宗教団体のような活動を行っていることを危惧していらっしゃるということで、

公益財団法人は宗教的活動を禁止されているのかしら…と思って公益財団法人の実情を調べましたところ、公益財団法人である「修養団(SYD)」という法人団体は、「愛汗実践塾」という名前の、練成会のような活動を行っていました。

そのプログラムと内容は、
①素直な心、明るい心に立ち返るための「童心行」
②講話「修養団の精神と実践」。その内容は、修養即生活・生活即修養、無貧・無病・無争など。
③体験学習「静坐行」。その内容は、生活に活かす瞑想法・呼吸法。その他。
https://syd.or.jp/pdf/syd/activity/practice/i_aikan30.pdf

これは「生長の家」の練成会のような内容だと思います。

しかも、この「修養団(SYD)」が伊勢青少年研修センターで開催している「みがく講習会」のプログラムには、

静座行(瞑想)…神想観に似ています
掃除(下座行の実践)…献労に似ています
流汗作業(実践)…これも献労のようなものでしょうか
神宮(内宮)特別参拝…総本山の奥津城参拝というところでしょうか…

があり、さらに、

水行(五十鈴川で禊)…練成会では聞いたことのない宗教修行です

が遂行されています。
https://syd.or.jp/ise/migaku2021.pdf

このプログラムは 「生長の家社会事業団」が行われている練成会よりも遥かに宗教的な内容であるような気がします。

社会事業団は、まさか谷口雅春先生が「宗教的活動を行うべからず!」と厳命されたわけではないでしょうから、社会事業団が人類光明化運動の一つとして練成会などの宗教的な活動を行うことは、阪田先生がご心配になるほどのことではないのではないかと思います。



それから阪田先生は、聖典の著作権は谷口雅春先生からの経済支援にすぎなかったのに、社会事業団が著作権そのものを奪って、それをごまかすような文章を発表している…という懸念(お怒りかも)を示しておられるということなので、

私は以前から、「谷口雅春先生が本心から社会事業団に聖典の著作権をお与えになったのだろう」と思っていましたので驚いてしまい、インターネットでいろいろ調べましたところ、

なんとこの掲示板に谷口先生直筆の「著作権寄付証明書」を見つけました。

「機関紙『躍進する生長の家社会事業団』(秋号)をお届けします! (13794)」
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3362
から入って、
「令和3年秋号」
http://www.seichonoie-sj.jp/img/organ26.pdf
の3頁目に、

「證明書
一、谷口雅春著作「生命の實相」ノ著作権
右小生著作権ヲ昭和廿一年一月八日
財団法人生長の家社会事業団へ
寄附行為セシコトヲ證明ス
昭和廿二年八月一日
東京都渋谷区隠田三ノ七八
谷口雅春 ㊞
財団法人 生長の家社会事業団殿」

と、直筆の写真が出ています。押印もあります。

この証明文を拝読しているうちに、「さすがに昔の漢文のような締まった名文だわ」と感じ入ってしまったのですが、直筆の「証明書」があっても「著作権を寄付したのでない」と言えるのならば、日本中の著作権寄付証明書はほとんどが無効となってしまうのではないかと思います。

しかも最高裁の判決が既に出ていて、著作権が生長の家社会事業団にあることが確定しているとのこと…。

私には難しいことは解りませんが、最高裁の判決を無視して物をおっしゃるのは無謀というか危険のような…。

阪田成一先生がこれから苦境に陥らない事を祈ります。

疲れたので一休みいたします。



つづきです。 (13948)
日時:2022年01月02日 (日) 12時33分
名前:昔、原宿本部の文化局に奉職したかったけれども、結局できなかった者です。

阪田成一先生のご発言(トキ様の要約)にもどりますが、

阪田先生は、生長の家本部が、教義を歪曲しているのは確かだが、それだからと言って、聖典の再編集を独自に行うことはおかしい…というご意見(ご憤懣?)を述べていらっしゃるとのことです。

この件について以前どこかの掲示板に、昔、今の総裁先生が副総裁でいらっしゃったときに既に『生命の實相・頭注版』が売れなくて、日本教文社の営業担当の人が『生命の實相・頭注版』を書店に持ち込んだら、「このような売れない物を持ち込んでもらっては困る」と言われてしまった。

それで当時の日本教文社の会議で、「『生命の實相』のリニューアル」が何度も検討された。ところが、なぜかある人がリニューアルを妨害して、同書の売れ行きは低迷を続けたのだった…。

という話が書いてありましたので、そんなものだろうと思っていたので、どうも話が合わないような気がして長らく日本教文社に関係した人に最近それとなく尋ねました。

すると、以前から谷口雅春先生の各聖典は版を重ねると活字がすり減って読みにくくなる…大きなフォントに変更してもらいたいとの高齢者の読者の希望が来る…若い人たちのために常用漢字や現代仮名遣いにしてもらいたい…など色々の理由によって、ほとんどの聖典は、初版から一定期間後は、それぞれ「新編」が発行されている。

たとえば『女性の幸福365章』が『新編女性の幸福365章』に変わったことによって、その本の売れ行きが再び増大した。だから聖典のリニューアルは、当然のことであって必要なことだった。平成10年代の日本教文社の幹部は、ぜひ生命の實相の新編を発行したいと念願していて、ついでに「生長の家社会事業団」の当時の松下昭社会事業団理事長も大賛成だった。

ところが、当時、日本教文社の取締役だったある人だけが、取締役会に提案される生命の實相の新編発行を繰り返し強く拒絶して、『生命の實相』を文庫にせよと主張していらっしゃった。その理由は私にはよく分からないが、主張した人は『生命の實相』を聖典扱いすることが嫌で、格下の軽い書籍の扱いにしたかったのかもしれない。あるいは文庫化で採算がとれないことになれば、『生命の實相』を廃刊する口実にしたかったのかもしれない…ということでした。

その知人はさらに、これらのことはたまたま「聖典の著作権に関する裁判」のなかの原告関係者の陳述書などで明らかになっているのだよ…ということで、私には裁判関係の細かいことは解りませんが、その知人はいいかげんなことを言う人ではないので、まず間違いのないことだろうと思います。

こう考えますと、光明思想社や社会事業団が突然勝手に再編集を行ったかのように阪田先生がおっしゃっている(トキ様の要約なので正確なことは分かりませんが…)らしいのには多少無理があるのではないかしら…という気がいたします。

なお、『女性の幸福365章』が『新編女性の幸福365章』にリニューアルされた理由が本当かどうか、確認しようと思って、日本教文社のホームページ
https://www.kyobunsha.co.jp/product/9784531051809/book.html
を拝見したら、たしかに、

>新版化にあたって、活字を大きくし、文字遣いを正漢字・歴史的かな遣いから常用漢字・現代かな遣いに改め、より読みやすくなりました。

と書いてありました。

疲れたので、一休みいたします。



つづきです。 (13951)
日時:2022年01月03日 (月) 13時15分
名前:昔、原宿本部の文化局に奉職したかったけれども、結局できなかった者です。

阪田成一先生のご意見(トキ様の要約)にもどりますが、私は先生の次のご意見を拝見すると、どうしても「変だなあ」と思ってしまって、そのあと何も考えられなくなってしまうのです。

「練成会などの宗教的な行の実施も…別団体が主催にし、同法人が協賛というのが筋ではないか、と思います。」

このお言葉によると阪田先生は、「練成会などの宗教行は『学ぶ会』や『ときみつる會』が主催して、社会事業団が協賛になるのが正しい」というご意見らしいのですが、私は長い間、「阪田先生は社会事業団を認めていらっしゃるが、『学ぶ会』や『ときみつる會』を認めていらっしゃらない」と思っていましたので、このご意見を拝見すると、これはで逆さまではないのかしら、「学ぶ会」や「ときみつる會」が上で、「社会事業団」が下になってしまう…と思ってしまいまして、何と言いましょうか「変だなあ」と感じて、妙な気持ちになってしまうのでございます。

それで阪田先生が「社会事業団」と「学ぶ会」と「ときみつる會」をどのように位置付けていらっしゃるのかしら。一度調べてみよう。そうだ。阪田先生は社会事業団の「生長の家教義研修講座」の講師をしていらっしゃったはずだと思いついて、この掲示板の「検索」に「社会事業団」と打ち込んで検索したら、

4060記事、「生長の家教義研修講座」の受講、ありがとうございました!」の中に、「生長の家教義研修講座」は…森田征史先生、阪田成一先生等のご指導のもとに、第1回の研修講座を開催し、今回が第9回目です。」と書いてありました。

その反対に「学ぶ会」の研修会や練成会で阪田先生が講師を担当されたという話は、私は聞いたことがありません。しかし私が知らないだけかもしれません。それでこの掲示板をいろいろ調べましたがございませんでした。

それでトキ様の掲示板を拝見したら、最近のトキ様の記事、「私見です (46683)」
https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=7248
があってそこに、

「阪田氏は、「光明の音信」(私が拝見したのはPDFですが)第1号で、「学ぶ会」と「ときみつる会」が宗教法人になったことに触れられ、 「とうとう『生長の家』も、”分派”が出来てしまったのかと、なんともやる瀬無い気持ちと尊師谷口雅春先生、輝子先生に申し訳なく断腸の思いで一杯になりました。」と書かれて…と。

やはり阪田先生のお考えは、「『学ぶ会』と『ときみつる會』は勝手に独立しただけにすぎない『分派』であって問題外。『社会事業団』は困った所もあるが正統派…」という位置づけをしていらっしゃるようだ。分派の「学ぶ会」や「ときみつる會」が、正統派の「社会事業団」の上に来ることはない。そうだ。そうだ…と納得して、そうすると、「『学ぶ会』や『ときみつる會』が練成会を主催して、社会事業団人が協賛というのが正しい…」という阪田先生のご意見は…何度このご意見を拝見しても、「変だなあ…」「これは逆さまではないのかしら…」「そもそも分派と正統派が協力しあったら『分派』も『正統派』もないのではないかしら…」という感じがして仕方ないのでございます。

私の感じ方がおかしいのでしょうか、あるいは最近の阪田先生は「分派」と「正統派」の評価を逆さまになさったのでございましょうか…、まさかトキ様が阪田先生のおっしゃっていないことをおっしゃったようにお書きになったのかしら(これは無いことと存じますが…)…私には何が何だかわからないのでございます。

阪田先生のご懸念を払拭させていただくつもりだったのですが、それどころではなくなってしまいまして…。

今日は昨日以上に疲れましたので、ここで一休みさせていただきます。

(この記事の中に「学ぶ会」様と「ときみつる會」様に失礼な表現があったかもしれませんが、説明のための表現なので、お詫びの上、誤解なきようお願いもうしあげます)




おそれながら申し上げます。トキ様は阪田先生がおっしゃっていないことを、あたかもおっしゃったかのように語られたのではありませんか。それならばトキ様は、私の憧れの阪田先生に詫びてください。 (13998)
日時:2022年01月15日 (土) 16時11分
名前:昔、原宿本部の文化局に奉職したかったけれども、結局できなかった者です。

いろいろ調べて悩んだのですが、私は良い頭をもっているわけではないのですが、どうしても阪田先生が、「生長の家」として問題外の『学ぶ会』や『ときみつる會』が「生長の家」の練成会の主催者となり、困った所があるとはいっても正統派である『社会事業団』がその下に子分のようにくっ付いて協賛しろ…とおっしゃったとは思えません。

私は阪田先生の「光明の音信」第8号を拝見していないので断言できませんが、ひょっとするとトキ様は、「光明の音信」第8号の中で阪田先生がおっしゃっていないことを、あたかもおっしゃったかのように要約なさったのではないでしょうか。

なぜ私がこのようにトキ様に失礼なことを言うかと申しますと、私はいろいろ悩んだのですが、トキ様の最近のご発言がきっかけなのです。

まず私はこの掲示板のなかの破邪顕正様の最近の記事、
「トキ」さん、論点ずらしをしないでください。著作権について、「阪田先生」がきちんとお詫びさえすれば、一件、落着するのです。それだけの問題なのです! (13996)
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3399
を拝見していました。

すると、その記事のなかで破邪顕正様がトキ様のご発言を引用していらっしゃいます。これはトキ様のご発言です。

======

破邪顕正さんが言いたいのは、おそらく、阪田氏が同志だと思って信頼していたのに、裏切られたという感想でしょうか。しかし、阪田氏は、新編「生命の実相」については、生長の家社会事業団に森田先生と共にやめてほしいと何度も陳情したのに無視されたとも聞いております。阪田氏にしても、言い分はあるとは思います。私の知る限り、阪田氏は評価の分かれる人で、彼を尊敬する人もいれば、嫌っている人もいます。ところが、今回の件については…。

=====

これを読んで私はまた「変だわ…」と感じたのでございます。

このトキ様のご発言によると、森田先生(森田征史先生のことでしょう)と阪田先生が、生長の家社会事業団に「新編・生命の實相の出版をやめてほしい」と何度も陳情したということです。

それはそうかもしれません。そして社会事業団に陳情を無視された。それもそうかもしれません。しかし私がどうしても「変だわ…」と思いますのは、森田先生や阪田先生が、「だからこうした方が良い。ああした方が良い」と何もおっしゃらなかったはずがない…と思うからです。

もし森田先生と阪田先生が社会事業団に「新編を出さないでくれ」と言ってそれで終わってしまわれたのなら、それによって『新編』を出そうとしていた光明思想社が頭注版だけの出版に切り替えて、そのとき既に頭注版は売れなくなっていたのだから光明思想社が倒産して社員が路頭に迷うことになってしまう…それでも構わないと両先生が冷たくお考えだったことになってしまうのです。

そんなはずはありません。私は森田先生が青年会会長のときに理誌百万を達成した喜びを味わわせていただいたのですが、少なくとも百万運動で森田先生の講演や通達文に触れたことがありますが、森田先生はそのようにブレーキをかけることだけをして、努力している人達を見殺しにするような先生ではありませんでした。

義理人情に厚いと申しますか…親分肌と申しますか…そのような森田先生が子分(社会事業団と光明思想社の皆様すみません)を見殺しにするようなことだけをおっしゃったはずがない。だからトキ様はご自身の主張に合うことだけを語っていらっしゃるのではないかしら…

こう考えて、はっと気がついて、「トキ様の上の発言は本当にあったのかしら…」と、今度は破邪顕正様を疑ったのですが、トキ様の掲示板を拝見したら確かに、
https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=7273
のなかでトキ様が、

阪田氏は、新編「生命の実相」については、生長の家社会事業団に森田先生と共にやめてほしいと何度も陳情したのに無視されたとも聞いております。阪田氏にしても、言い分はあるとは思います。私の知る限り、阪田氏は評価の分かれる人で、彼を尊敬する人もいれば、嫌っている人もいます。ところが、今回の件については…。

とおっしゃっていました。

しかしこのトキ様のご発言では、やはり森田先生も阪田先生も光明思想社を倒産から救うご意見を語らなかったことになってしまいます。私の体験ではそれはありえないことでございます。だから、トキ様がここでご自身の意見に都合の良いことだけを語っていらっしゃる…。

それと同じようにトキ様が、本当はご自分の意見なのに、「阪田先生が、格下の『学ぶ会』や『ときみつる會』を「生長の家練成会」の主催者にして、格上の『社会事業団』を協賛にしろとおっしゃった…」とおっしゃったのではないかしら…と考えざるをえなくなったのです。

私は問題の「光明の音信」第8号を持ってませんから本当のことはわかりませんがトキ様にはわかるはずでございます。もし私の以上の想像が間違っているのならばトキ様には重々お詫びを申し上げます。しかしもし私の想像が当たっているのでしたら、トキ様は阪田先生がおっしゃってもいないことを勝手に語って、それによって必要以上に阪田先生を誤解させ苦境に追い込んだのでございますから私も悩みましたトキ様は私の目にもわかるように阪田先生に詫びてくださるようお願いを申し上げる次第でございます。






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