| 現教団の不幸は“血脈”によって“法脈”が断たれたことに起因する。であれば“法脈”を護持することに総力をあげ全力を尽くすしか、ほかにみちはない… (12248) |
- 日時:2020年06月22日 (月) 09時25分
名前:破邪顕正
何故、「生長の家」が“血脈”をもって法燈の継承を図ってきたのか。
それは一にかかって“血脈=法脈”、すなわち両者が一体である、という大前提に依っていたからだと思うのです。
ところが、現総裁は、驚くべきことに、“血脈”の権威をもって“法脈”を断つことにした…。
そして、それを正当化すべく、『“新しい文明”を築こう』という本まで出版してきたわけです。
残念ですが、ここまでくれば、“血脈”と“法脈”とは分断されたと腹をくくるしかありません。
そして、信徒は、そのどちらを選択するのか、否応なく迫られていくことになっていくであろうと推察します。
そうである以上、私どもとしては、信徒の皆さんに対して、如何に“法脈”を護持することが大事か、それを徹底して言い続けるしかありません。
以前、私は、教団の分裂は不可避である旨をこう投稿しています。
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「生長の家」の今日の〝分裂〟の背景には何があるか?! (9642) 日時:2018年07月05日 (木) 18時13分 名前:破邪顕正
「信徒にとって迷惑だから、和解してもらえませんか?」
よくそんなことを言う方がいます。
そういう方に、尊師・谷口雅春先生の次のお言葉を贈ります。
これは、『明窓浄机』「発展篇」にあるもので、時代は昭和15年です(235頁)。
ある信徒が、尊師にこう訊ねます。
《こんな事を云っては甚だ失礼ですが、現在の誌友の状態を見ていると、先生一人に信頼が集っていて、こんなに聴衆が集って来るのも、先生があればこそ。
先生が亡くなったら生長の家はどうなるかと心配している誌友もあるようですが、そう云う時の備えに組織と云うことも御考えになりませんか。》
これに対して、尊師はこうお答えになっておられます。
《生長の家も私が亡くなったらどうなるか。
私は屹度、適当な人が出て来ると思います。
生長の家は他の宗教のように御筆先と云うような何方(どちら)にでも解釈出来るような漠然としたものが中心教義になっていないで、実に詳細を極めた教え「生命の實相」が教義になっていますから、教義の解釈が二様三様になって生長の家が分裂するなどと云うことはないと思います。》
尊師は、ここではっきりと、「生長の家が分裂するなどと云うことはない」と仰っています。
その根拠となるものは、生長の家の教義は〝御筆先〟によらない。
《実に詳細を極めた教え「生命の實相」が教義になっていますから》
ということであったわけです。
ところが、今や、教団の実態はどうでしょうか。
肝心の、その「生命の實相」を否定しているわけです。
《教義の解釈が二様三様になって…分裂する》
解釈もなにも、「生命の實相」そのものを否定しているわけです。
これでは、「分裂」しない方がおかしいのではないでしょうか。
ここで、改めて、「谷口雅春先生を学ぶ会」の根本信仰を明示しておきたいと思います。
①住吉大神を神として仰ぎ
②聖典『生命の實相』を神殿とし、
③そして永遠の谷口雅春先生を尊師として心から仰慕する
今の教団とは、明らかに信仰する世界が違っているのです。
だから、「分裂」もやむなし。
否!「分裂」してはじめて尊師・谷口雅春先生の創始せられた本当の正しい「生長の家」の信仰を生きることができると思っている次第です。
何度も申し上げて恐縮ですが、私は「生長の家」の信仰をやめたとは些かも思ってはいません。
ただ、生長の家教団組織を辞めただけのことです。
組織に残っていては、谷口雅春先生の創始せられた「生長の家」を純粋に信仰することは出来得ないと判断したからです。
どこかオカシイと思いつつ、不満タラタラでいて、どうして〝純粋〟に信仰し得ましょうか。
信仰はすべからく純粋でなければならない、そう強く思う次第です! …………………………………………
おそらく、尊師としては、まさか自らの“血脈”の中から、
《実に詳細を極めた教え「生命の實相」が教義になっています》
その教義を否定するような総裁が立ち現れようとは、想像だにされていなかったのではないでしょうか…。
いや、案外、尊師はそれもあり得ると想定なさっていたのではないのか…。
さればこそ、尊師は『生命の實相』等の著作権を、“谷口家の私的財産”とはなされず、「生長の家社会事業団」に寄付なされたのではないのか…。
そう思うのです。
今、私どもがこうして“血脈”でもないのに、「宗教法人」を取得して、堂々と『生命の實相』の真理普及に邁進できるのは、一にかかって、この著作権があればこそであります。
よくぞ、尊師は、この著作権を「生長の家社会事業団」に寄付なされたものだと、ただただ感謝の思いでいっぱいです。
如何に“法脈”の護持が大事だと言っても、この著作権が「生長の家社会事業団」になかったら、正直、手も足も出なかったに違いありません。
だって、「生長の家」は文書伝道なのですから…。
その文書が自由に使えないのであってみれば、如何に“法脈”が大事だと言っても、所詮は空念仏に終わってしまいます。
(公財)「生長の家社会事業団」と宗教法人「谷口雅春先生を学ぶ会」、どちらにも「生長の家」の名がある!
本当に有難い限りです。
尊師から預かった、託された、この“法脈”を永遠に護持すべく、この車の両輪をもって前へ前へと進めてまいりたいと思っております。
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