| 「万物調和のムスビの働きを表した造化の三神と、神の創り給いし無限多様の実相世界を象徴する七重塔を通して、宇宙の大生命に礼拝いたします。」これで教義の破綻が明らかに… (12081) |
- 日時:2020年06月02日 (火) 09時53分
名前:破邪顕正
まず、思うのは、何故、90年にもわたって守られてきた〈「實相」額を通して宇宙の大生命に礼拝します〉を変えなければならないのか?
その必然性、その理由が全くもって理解不能、何の説得力も持ちはしないということです。
総裁は、自らの「経本」を作ったときには、「聖経」は〝補強〟される必要があると、その理由を述べました。
今回の「通達」にも、〝補強〟という言葉こそありませんが、発想としては同様のものがあるように感じます。
それを如実に物語るものが、「視覚的に」という表現であります。
〈日本国内において、万教帰ーの教えを視覚的に現すことを意味しています。〉
即ち、「實相」額を通して礼拝するのでは、万教帰ーの教えが伝わらない…。
だから、「視覚的に現すこと」をもって〝補強〟しようというのだろうと思うのです。
で、その〝補強〟として引っ張り出されたのが、表題にある“造化の三神”と「七重塔」ということなのでしょう。
実は、この「實相」礼拝に取って替えられた文言そのものが〝補強〟どころか、却って誤魔化しもいいところ、教義の破綻を招いているのです…。
そう思う所以を書いていきます。
まず、“万物調和のムスビの働きを表した造化の三神”という決めつけがオカシイのです。
言うまでもなく、“造化の三神”とは、「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」のことです。
確かに、「高御産巣日神」「神産巣日神」には“ムスビ”の意味が込められてはいます。
しかし、「天之御中主神」まで“ムスビの働きを表した”と一括りにしてしまうのでは、余りにも「天之御中主神」の捉え方が杜撰過ぎます。
これについては、既に、
〈今回の「通達」は、総裁が教団に乗り込んで来て以来の、長年にわたるの思いの集大成としてある… (11859) 日時:2020年04月27日 (月) 13時43分〉
ここに述べていますので、それをお読みいただければいいのですが、要するに、こういうことです。
《この天之御中主神が「独神成り坐して」というのは、既に申しました通り固有名詞の神ではない、独りの神、唯一絶対の神様であるという意味であります。絶対神であって相対の神様でない。それから「身を隠したまいき」即ち身体を隠しておられた、言い換えると五官に触れるような相のない神様であった。絶対神にして無相の神様、これが天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、この三柱の神様であったというのであります。》
「五官に触れるような相のない神様」「絶対神にして無相の神様」と示してあるのに、それを「視覚的に表すこと」にしたら、それこそ論理矛盾、教義を破壊するも同然ということになります。
更に、申し上げたいのは、“造化の三神”を通して宇宙の大生命に礼拝することのオカシサです。
問題の「通達」では、こう説明しているわけです(6頁)。
〈①實相額の手前に“造化の三神”の神霊符を納めた三社造りの社を祭祀するのは、高御産巣日神と神産巣日神が、無限内容をもつ実相のうち、「ムスビ」の働きを表した神名だからです。この三柱の神々(を天之御中主大神の両側に配置した“造化の三神”の神霊符)を實相額の手前に祭祀することにより、高御産巣日神と神産巣日神が無限内容の実相の「ムスビ」の働きを表したものであることを、視覚的に表現しています。そして、“造化の三神”の神霊符の真ん中には宇宙の本源の普遍神である天之御中主大神が祀られており、生長の家では、宇宙本源の唯一絶対神への中心帰一を重視しますから、その「中心帰ー」を視覚的に表現するため、實相額を中心に見立てて、その正面に“造化の三神”の神霊符を祭祀します。〉
つまり、この「通達」は、“宇宙の本源の普遍神である天之御中主大神”を通して、宇宙の大生命に礼拝する…という意味になってしまうのです。
一体、何を考えているのか…。
頭が混乱のるつぼ、何が何だかわからないものになっているのです。
続いて、“神の創り給いし無限多様の実相世界を象徴する七重塔を通して”の文言も意味不明です。
だって、既に「實相」額があるわけです。
その「實相」額を通して礼拝することで、この「通達」の言いたいこと、即ち“神の創り給いし無限多様の実相世界”を観ずればいいのです。
わざわざ、「七重塔」をもってこなければならない理由がわからない…。
却って、「七重塔」という「視覚的に」訴えられるがために、“無限多様”の意味が損なわれてしまう…。
だって、そうでしょう。
“無限多様”が“∞”ならばまだしも、どうして“七重”という7の数字で象徴されるのですか?
末広がりの8で表したら…。
いや、十分ということで、10がいいのでは…
そういう話にもなってくるのです。
つまり、7という数字によって、全てが相対化されてしまい、“無限多様”を表象できない恨みを残してしまっているのです。
そう考えると「實相」という言葉ほど、それに相応しいものは他にないということが分かります。
その意味で、今回の「通達」は、言っていることと実際にやっていることとが、実にチグハグ、支離滅裂なのです。
結局、今回の「通達」は、「實相」額を通して礼拝する、それを辞めたいだけの話だということなのです。
それを辞めさせたいために、わざわざ、“造化の三神”のお社や「七重塔」を「實相」額の前に設置したということなのです。
それが余りにも無理スジ過ぎるため、教義も何もあったものじゃない、論理破綻もいいところの惨状を呈してしまっているということなのです。
教義が破綻したら、その教団の秩序はもはや成り立ち得ません。
今回の「通達」で、教団は間違いなく、何でもアリの“無秩序”の世界に彷徨うことになるだろうと予想します。

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