住吉大神から“造化の三神”に神様を取り替えたら、「如意宝珠観」「観普賢菩薩行法」「伊勢神宮の神前に於ける神想観」等も実修し得なくなるでしょう… (11994) |
- 日時:2020年05月20日 (水) 10時23分
名前:破邪顕正
今回の「通達」によって、教団内に、どういう変化をもたらすか、私なりに考えてみました。
この「通達」は、住吉大神から“造化の三神”に取り替えることを意味するわけですから、当然、住吉大神の神名の入った神想観、お祈りは、実修できなくなるのではないかと推測されます。
まず、「如意宝珠観」があげられます。
これについて、私は、以前、こういう投稿をさせていただきました。
〈谷口雅宣総裁は「如意宝珠観」をこのように解していた… (10730) 日時:2019年03月15日 (金)〉
「如意宝珠観」の念ずる言葉の中にこうあります。
《われ今此処竜宮城に坐して、塩椎の大神より如意宝珠を得たり、わが全身如意宝珠なり、光明燦然として十方世界を照らす…》
つまり、「如意宝珠」とは、塩椎の大神、即ち住吉大神から授かるものであるわけです。
ということは、「如意宝珠」という言葉が入る「観普賢菩薩行法」もまた実修し得なくなるのではないでしょうか。
同様に「龍宮・平和・普賢観」も、実修し得ないでしょう。
「伊勢神宮の神前に於ける神想観」と「日本国実相顕現の祈り」に至っては、住吉大神、そのものの神名が入っていますから、いわずもがな…。
このように考えて見ますと、住吉大神を外したために、様々な「神想観」「祈り」が実修し得なくなる懼れがあるということなのです。
これは決して杞憂ではありません。
だって、現に、「宇宙浄化の祈り」「大日本神国観」は、既に、教団内では実修し得いことになっているのですから。
そもそも、生長の家大神とは住吉大神のことなのですから、それを外したら、様々なところに影響が出てくるのは当然というべきなのであります。
未だに、生長の家は昔と変わっていないという方がありますが、どう見ても、眼に見えて変わっているではないか、改めてそう思う次第であります。
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