《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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今回の「通達」の擁護論の致命的欠陥は、総裁がやっていることは、神様の取り替え≠ナあって、それはいわば宗旨替え≠ノ他ならないということが分かっていないことである… (11961)
日時:2020年05月14日 (木) 15時18分
名前:破邪顕正


所謂「トキ」掲示板に、注目すべき投稿がありました。

〈七重塔と造化の三神を実相軸の前に置く祭祀等の通達、に関する意見要点(第二稿) (27666)
日時:2020年05月13日 (水) 20時35分
名前:tapir〉

今回の「通達」に関して、擁護する側、反対する側、その双方の意見を要領よく整理してくれています。

もちろん、私は、反対側の立場で、その理由については、これまでに縷々、述べてまいりましたので、ここでは、擁護する側の意見について、私の思うところを書いてみたいと思います。

※○…擁護論
 →…私の反論

○信徒さんも各人で考えて谷口雅宣先生を支持している。それを信じてあげよう。

→信ずるのはご自由ですが、その前提として、まずは知る≠ニいうことが大切ではないでしょうか。
私は、これまで、総裁が幾度となくウソ≠ニ誤魔化し≠ニを繰り返してきたことを申し上げてまいりましたが、そのことは果たしてご存じなのでしょうか。
もし、「知らない」で支持するというのであれば、それは宗教的に重大な問題だと思います。
新編『生命の實相』第3巻「実相篇」にかくあるからです(27頁)。

《修行中の弟子が、或る日釈迦に対って「知らずに犯した罪と、知って犯した罪とはどちらが重いでしょうか。」とお尋ねしたということがお経に書いてあります。
すると釈迦は「知って焼火箸を握るのと、知らずに焼火箸を握るのと、どちらが大きな怪我をするか?」と尋ね返された。
そこで弟子は「それはお師匠様、知らずに握った人の方が大きな火傷をするに相違ありません」とお答えした。
釈迦はニコニコ笑って、「そうじゃろう、だから知らずに犯した罪は、知って犯した罪よりも深いのだ」とおっしゃったということであります。》

○国家鎮護、世界平和は、大調和の神示の理念を祈る、祭祀することで実現される。

→その根拠はどこにありますか?
その典拠を示さずにそう言い切るのは、それは単なるあなたの思い込みでしかないと言われても致し方ありませんね。
因みに『秘められたる神示』にはこうあります。

《神を如何に祀るかというようなことはどうでもよいようなことでありますが、それは時の日本国民全体の心境又はその指導階級の心境の表現でありますから、現象はその心境の具象化として、その心境同様のことがあらわれて来るのであります。》(13頁)

つまり、ただ祭祀すれば何でもいいというものでは決してないということです。

○住吉大神様はこのたびのことをお怒りではない、更に協働してくださる。

→そう思う根拠は何ですか?
ただ、個人的にそう思うというだけのことなのではありませんか。これでは、周りを納得させることはできませんよ。

○實相額を奥に置き、造化の三神を祀るという形態に宗教法人「生長の家」の全体性の心が顕れている。

→これまた、何を根拠にそう断言するのですか?
結局、「通達」にそう書いてあるからというだけのことでしょう。「通達」に書いてあることの正当性を裏付ける、その典拠を示してほしいと言っているのです。
それを示し得ないとなれば、「通達」に書いてあれば、何でも盲目的に、無条件に信ずる、そういうことになってしまいますが、それでよろしいということですね。

○どのように名付けられた神名であれ、自分の実相そのものであるのだから、粗末にするとか、元の神を隠して別の神様を表に出す、そのようなことは一切問題にならない。

→これもまた論拠が不明です。
第一義の神は祀ってはならないというのが尊師から教わった教義なのですが、そういう教義などは無視してもいいということなのでしょうか?

○今此処実相世界ということで「実相」額が置かれている。天之御中主神を認めようが認めなかろうが、唯一つの世界がある。心が現象世界に行ったり実相世界に行ったり来たりしているだけのことで、常にただ一つの世界に住んでいるが、夫々の心の見るだけの数の世界が存在していると思うだけ。

→そう思うのはその人の勝手でしょうが、やはり、ここでもまた、そう思う、きちんとした典拠を示してほしいものであります。
少なくとも、宗教教団である以上は、そこにはきちんとした教義がなければならないと思うわけです。
そうでなければ、百人百用の解釈が堂々とまかり通ってしまうことになります。
この方のように「夫々の心の見るだけの数の世界が存在している」ということになれば、それは総裁の見方ですね。私にはこう見えます…。
全てが相対化され、何でもアリということになってしまうのではないでしょうか。
果たして、これが「善一元・光一元」の唯神実相哲学の「生長の家」の教えと言えるのでしょうか。
これが、「通達」の擁護論になるとは、とても思い得ませんけどね。

○神の名を変えたからと言って、そのご本質は変わらない。

→変わらない、そう言い切る根拠、これまたその典拠をお示しください。
今回の「通達」は、住吉大神から“造化の三神”に神様を取り替え≠驍ニいう話なのですよ。
変わらないと思う方がおかしいでしょう。
だって、住吉大神は「宇宙浄化・鎮護国家」の神様なのですよ。
それを消し去りたかったからこそ、総裁は“造化の三神”に取り替え≠スのです。
それがために、実際、「宇宙浄化の祈り」も「大日本神国観」も実修できなくなっているではありませんか。
今まで実修できたものができなくなったら、それは変わったというべきではありませんか。
それでも「変わらない」と強弁するのであれば、きちんとその理由を指し示すべです。

○『甘露の法雨』が著作権の関係で使用できないなら、同じ効果のある『観世音菩薩讃歌』を七重搭に入れるしかない。

→同じ効果があるということですけど、それを具体的に示してください。
《聖経「甘露の法雨」は小さくは個人の病を癒し、大きくは国家の大病、世界の大病をも癒すことができるのである》
かつて尊師は、そうお諭しくださいましたが、それと同じ効果があるとはどういう意味で言われているのでしょうか、ご説明ください。
著作権のある(公財)生長の家社会事業団、そして発行している(株)光明思想社の「聖経」を使うのは気に入らない、というのであれば、「七重塔」とは、そういう了見の狭い世界のものだということになりはしませんか。
そういう小さな、人間の好き嫌いの次元で祀られているようなものを、これから信徒に拝ませようというわけですね。
そう理解してよろしいですね。

以上、私なりに、反論を試みてみましたが、はっきり言って、どれもこれもが児戯に等しいものばかりで、正直、空しい思いに駆られています。

どうして、こんな低次元のものでしか擁護できないのか。

そこにこそ、この「通達」の、隠された本質的な問題があると感じました。

はっきりと申し上げます。

結局、この「通達」は、神様の取り替え=A即ち実質上の宗旨替え≠ノ他ならないから、まっとうな擁護論が出せないのだと。

出そうにも出せない、これが現実ではないのか…。

それはそうでしょう。

わかりやすく、ご説明しましょう。

真言宗のご本尊は、大日如来です。

浄土真宗のそれは、阿弥陀如来です。

万教帰一ですから、大日如来を阿弥陀如来に取り替え≠トみましたが、「ご本尊の名を変えたからと言って、そのご本質は変わらない」「どのように名付けられた神名であれ…一切問題にならない」そう言い切れますか?

こんなことを、真言宗、浄土真宗の信徒に言ったら、どうなりますか?

そう考えたら、今回の「通達」が、宗教上、やってはならないことを信徒に強要しているのだということがおわかりになるでしょう。

余りにも非常識だからこそ、擁護するにしても、こんな程度のものしか出てこないのです。

擁護論のレベルの低さをもって、今回の「通達」の異常さを思い知るべきであると思うものであります。


割り込み、失礼します。上の11961で破邪顕正さんがおっしゃっているtapirさんの「七重塔と造化の三神を実相軸の前に置く祭祀等の通達、に関する意見要点(第二稿)」は、ここにあります。 (11962)
日時:2020年05月14日 (木) 20時54分
名前:破邪顕正さんの愛読者です。

tapirさんの「七重塔と造化の三神を実相軸の前に置く祭祀等の通達、に関する意見要点(第二稿)」は、
https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=6531
のレスポンス記事です。かなり下にあります。



これは「實相」隠蔽だ! (11963)
日時:2020年05月15日 (金) 07時57分
名前:なんだこれはっ!

「實相」額の前に、140pの「七重塔」(土台を含む)を置いてみたら、こんな感じに!
やっぱり、これは「實相」を隠すことが目的だ!

こういうものを礼拝させるのか! (11965)
日時:2020年05月15日 (金) 12時28分
名前:なんだこれはっ!

これでは、「實相」礼拝が台無しではないか!
もはや完全な別宗教というしかない!

「なんだこれはっ!」さんに感謝申し上げます (11970)
日時:2020年05月15日 (金) 15時55分
名前:破邪顕正


今回の「通達」に、こういう一文があります。

〈これは、日本国内において、万教帰ーの教えを視覚的に現すことを意味しています。〉

視覚的に現す≠ニ、こういうことになるのか、一目瞭然とはこのことか。

「なんだこれはっ!」さんのおかげで、視覚的に≠ネって、改めて、今回の「通達」の異様さ≠ェわかります。

信徒が、これを見てどういう反応を示すか。

こんな偶像崇拝、断固、拒否するという声をあげていただきたいと願うばかりです。


住吉大神から“造化の三神”に神様を取り替えたら、「如意宝珠観」「観普賢菩薩行法」「伊勢神宮の神前に於ける神想観」等も実修し得なくなるでしょう… (11994)
日時:2020年05月20日 (水) 10時23分
名前:破邪顕正


今回の「通達」によって、教団内に、どういう変化をもたらすか、私なりに考えてみました。

この「通達」は、住吉大神から“造化の三神”に取り替えることを意味するわけですから、当然、住吉大神の神名の入った神想観、お祈りは、実修できなくなるのではないかと推測されます。

まず、「如意宝珠観」があげられます。

これについて、私は、以前、こういう投稿をさせていただきました。

〈谷口雅宣総裁は「如意宝珠観」をこのように解していた… (10730)
日時:2019年03月15日 (金)〉

「如意宝珠観」の念ずる言葉の中にこうあります。

《われ今此処竜宮城に坐して、塩椎の大神より如意宝珠を得たり、わが全身如意宝珠なり、光明燦然として十方世界を照らす…》

つまり、「如意宝珠」とは、塩椎の大神、即ち住吉大神から授かるものであるわけです。

ということは、「如意宝珠」という言葉が入る「観普賢菩薩行法」もまた実修し得なくなるのではないでしょうか。

同様に「龍宮・平和・普賢観」も、実修し得ないでしょう。

「伊勢神宮の神前に於ける神想観」と「日本国実相顕現の祈り」に至っては、住吉大神、そのものの神名が入っていますから、いわずもがな…。

このように考えて見ますと、住吉大神を外したために、様々な「神想観」「祈り」が実修し得なくなる懼れがあるということなのです。

これは決して杞憂ではありません。

だって、現に、「宇宙浄化の祈り」「大日本神国観」は、既に、教団内では実修し得いことになっているのですから。

そもそも、生長の家大神とは住吉大神のことなのですから、それを外したら、様々なところに影響が出てくるのは当然というべきなのであります。

未だに、生長の家は昔と変わっていないという方がありますが、どう見ても、眼に見えて変わっているではないか、改めてそう思う次第であります。



割り込み、失礼します。上の11994で破邪顕正さんがおっしゃっている10730記事と総裁の記事は、ここにあります。 (11997)
日時:2020年05月20日 (水) 16時04分
名前:破邪顕正さんの愛読者です

上の11994で破邪顕正さんがおっしゃっている破邪さんの10730記事、「谷口雅宣総裁は『如意宝珠観』をこのように解していた…」は、
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2528
です。


なお、その総裁の「小閑雑感」の記事、「谷口清超先生を偲んで」は、
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2008/12/post-25d0.html#search_word=%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E6%B8%85%E8%B6%85%E5%85%88%E7%94%9F%E3%82%92%E5%81%B2%E3%82%93%E3%81%A7
です。






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