発見!火星人面岩彫刻                                                

 

                                                     The credit to each image to / NASA /JAXA

 

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[63]KAGUYA 撮影画像の嘘 - 投稿者:taro

KAGUYAが月を周回して撮影して画像を公開したことはご存じのはずだ。しかし、最新の好感度カメラを使った割には画像が前世紀の解像度であったことはよく知られている事実だ。
そこでJAXAのホームページから画像を取り出してお遊びで解析してみた。
おそらく60年代のNASAの画像並みの画質を強制されたのだろうが、最先端の画像を出すとNASAの隠しまくった嘘がばれてしまうからにほかならない。
全くNASAの嘘はひどいもので、ここまでやるのかというほどだ。これは単なる偽善ではすまない。むしろ犯罪である。
日本のJAXAもついにNASAの犯罪に加担されているのである。

画像を3つ準備したが、最初の画像はいつもの隠蔽しまくった上塗りの画像だ。月に山がある、というだけの画像だ。右下のJAXAのマークが光っている。
次の画像は上の画像を解析してみた画像だ。これでもう隠蔽がバレバレだ。
そこで3枚目の画像となる。上の画像をもっと解析を深くした画像だ。
ここには月の街か村かしらないが、明らかに基地としての集まりが見えてくる。
ただし、2,3枚目はあくまで解析画像である。写真ではなく写真を解析した画像だ。そのつもりで見てもらいたい。ごまかしはない。

( 2022年01月01日 (土) 13時42分 )
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[62]ある自由主義者のあこがれ - 投稿者:taro

ひとりの自由主義者としての田舎暮らし


1.田舎暮らしへのあこがれ

 いつの間にか田舎に移り住んで15年が経った。
 すでに私も75祭過ぎようとしているが、あらためてこの「田舎暮らし」が私の思い違いであったことを痛感している。
 長い都会生活を続けていると人間は次第に身体ばかりではなく心が疲弊してくる。会社勤めは長い年月を通じて人間に相当なプレッシャーとストレスがかかる
 単身赴任で生活したサラリーマンは特に定年退職したあと、病気が噴出してくるといわれている。糖尿病もそのひとつだ。不適切な食生活を送れば必ず身体に異変が起こるのである。

 田舎でよく遊んだ幼馴染みの友達も東京の設計会社に勤めていたが、50歳を過ぎて胃がんで亡くなった。子供のころ、多感な人間性を身に着けた純粋な心は、毎日の会社の仕事や押し付けられる規律などで心がもてなくなるのだ。
 男はそうした重圧に耐えて定年退職をゴールとして頑張り通さなくてはならない。そのよう都会の会社で生活するものにとっては、今回取り上げた「田舎」という言葉の響きはまさに聖書の神の救いのごとく聞こえてくるに違いない。
 そこで彼らは街の生活を切り上げて田舎でのんびりと老後を送ろうと、希望を抱いているのかもしれない。
 私の場合もまさに齢60歳になった時から、その「田舎」願望が芽生えてきて、毎日地図を視ながら構想を練ったものである。

 当時の考えを細かく述べるつもりはないが、田舎に住んで大音量で好きな音楽を聴き、40代から始めた現代短歌創作をやろうという目的だった。
そして61歳で会社を辞めた私は見当を付けていた農業地帯の中に1軒の住宅を入手した。このブログにもあるが、外国から収集した大量のLPレコード盤を保管する特別な建物を造ったのだ。もちろん家の近くに音が広がらないように遮音性を考慮に入れた。こうして、世帯数10戸ほどの山裾の村に引っ越して来たのである。

2.田舎の本質を知る

 この生活は計画通り家内と2人の悠々とした田舎暗しで、コロナ以前は、家内は週に一度自分の客先に出かけて仕事を済ませるという生活を14年間問行ってきた。
 ここまでは何も問題はなかった。村には公民館という集会場所があり、毎月神社掃除や村の清掃当番を決めて順番にやってきたのである。
 しかし、15年間も生活していると、農民の考え方が次第にわかって来る。
 そして、私の生活に不都合があることにも我慢してきたことは事実である。
 もう少し掘り下げて申し上げると、彼らはまるで飯を食って働いて寝るだけの単純な生活を送っている陽庭には見えてならない。この表現には多少異論があるかもしれないが、総じて「ものを考えない」生活を過ごしている、と言っても良いだろう。

さらに、彼らは理屈を理解しない。彼らを動かす原動力は決して「考え」ではなく、親や先祖代々の教えや、これまで引き継いで守ってきた仕事を最優先するのだ。新たな発想や論理的な考えによって何かを実行するという考えは一切ないと
思って良いだろう。
 そんなことを言おうものならすぐに「自分でやれば」という言葉が返ってくる。
 これが正真正銘の保守主義だと思う。
 かれらはそのようにして自分たちの家族や村の存続を計ってきたのである。
 従って、この村に生活する者は、村への新しい提案や計画などを口にすることはないと思っていいだろう。

 この村の様子は都市の企業経営の考え方とは正反対である。それはあたかも企業存続だけを意識した「守り」の消極的な考え方に過ぎない。企業経営の成果を得るためには、時代に即応した新しい計画が必要であることはもちろん、計画実現のための論理性が求められることが重要だからだ。

3.新たなストレスと孤独感

 こうした村の本質が分かってきた頃から、私は胸の中に会社勤務時代とは違った新たなストレスが次第に蓄積されてきた。 
 最初は価値観の違いだからと割り切ったつもりではいたが、まるで村の人たちとは共通な話題がないのである。年間何度も公民館に集まってささやかな酒宴も行われるのだが、そこでの話題は古い昔話が多く、或いは街でのラーメン店の味がどうだとかいう話が多かった。自分たちの生活問題に繋がる税金問題とかプライバシーに関する話題は一切表に出さない。まるで自分の秘密を人に知られないようにしているかのようである。選挙の前の集まりでも何の情報もでてこない。
しかも、このような農家から文化や芸能などの問題なども話されることはない。
街でサラリーマンを続けてきた人が、このような人的集まりの中で果たして何を考えながら生きていくべきか大いに疑問に思うのである。

4.村八分

1年近く前のことになるが、ついにこの村は分裂状態になった。そしてこの件に関しても農民の社会的に無知な側面が関係していることを綴ってみる。
 結論から申し上げて、自治会入会を巡って村の中で公民館派と自治会派が対立関係に入り、分裂してしまったのである。
このいきさつは最初から自分の眼で見ていたので、何がここまで問題を大きくしたのかよく分かっている。つまり根本にあるのは特定な村人に対する嫌悪感だった。
         途中割愛

 村社会はこうした出来事、つまり、あの人が好き、とあの人が嫌いという村民の感情によって村が成り立っているということを如実に示したのである。
ちなみに私は、質問者の質問を正当なものと思い公民館派を支持している。
 しかもこの公民館派は自治会派によって完全に無視され、あたかも村八分の状態でいることを付け加えておく。

5.田舎暮らしの幻想

 テレビでも時折報道される田舎暮らしの印象はいかにも好感の持てるように作られている。だが、その実際はいろいろと困難な問題がなおざりにされているという側面があることも事実だろう。
 わたしの場合、ここに来て最初の苦役として、川の中に鎌を持って芦刈りに行かされて大変驚いた。とんでもない作業だった。こんなことを街から来た私が死ぬまでさせられるのかと思うとぞっとしたことを記憶している。

 田舎暮らしの苦役は原則死ぬまで課せられた仕事と言っていい。なぜなら、村にはそのような苦役を定めた規則など何も存在しないからだ。参加しなければ村八分になる。それは間違いない。
 或いは高い石段を上って神社掃除がある。老人になって危ない石段を上って、境内にたまった落葉を掃き捨てなければならないのである。自分はその神社の氏子でもないと言っても、これは村人の義務だと言われればそれまでである。

 日本の憲法に定められた信教の自由なんて、田舎にはないのだ。農民はそんな憲法があることすら知らないのだから。
 以上の点から、私は田舎暮らしはまさに幻想だと申し上げる。雪の降る朝に高い山の頂上に妻と上って境内の掃除をすることをイメージしてっみてください。
寒くて、しかも高い石段が危なくて、ケガしても何の保証もない。そんな田舎がどうしてすばらしい世界なのでしょうか。
 しかし、誰かがしなくてはならないのです。そうしなくては神社は老朽化して朽ちてしまうのですから。それを責めてもしかたがありません。
要は田舎には住まないことです。それしかありません。

( 2021年12月30日 (木) 16時19分 )
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[61] - 投稿者:taro

先日隣の若夫婦が初産の挨拶にきました。
そこで私の短歌一首

●春を待つこころ華やぐ初産の
           やや子の頬に白桃のあり

( 2021年12月28日 (火) 16時20分 )
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[60] - 投稿者:taro

真ん中の丸いデベソみたいなものは地球です。背後に青い影が映っていますが、これは月の生産工場かそれとも巨大なビルと思っています。仮にそれがノイズだとしても、こんなにビルの影みたいに整然とうつるわけはありません。
ブロックノイズならなおさらです。右したにJAZAのマークがありますが、これでこの画像がインチキではないことがお分かりになるはずです。

( 2021年12月28日 (火) 16時15分 )
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[59]貧しきクラウンアンプを聴く - 投稿者:taro

今回倉庫の隅から引っ張り出して聴いた写真のアンプ「クラウン D75」はまさに圧巻であった。これまでアメリカ製オーディオ機器はマッキントッシュを除いてほとんど関心を持てなかったが、これは私の見当違いだった。
 
 写真でご覧になれるように、パワーアンプとは言ってもこのアンプは圧さ5センチくらいで、見るものにほとんど何のインパクトがない。まさかこんなちゃちなアンプで大音量の音楽が聴けるとは思うわけもなかった。
 しかも、値段がわずか中古で3万円ほどだ。ほとんどの本格的なオーディオマニアのアンプはパワーアンプだけで100万円近くかけていると思われるが、このクラウンは新品でも7万円位だ。したがって、ほんのお遊びアンプと言わざるを得ない。
 しかし、使用してみるとこのアンプの実力はとんでもない高音質であった。
 
 私は今回、タンノイのウェストミンスターを聞き直すべく再編成したのだが、その時のタイミングでふと倉庫の隅に置かれたまま20年以上経過したこのアンプが目に入った。そこでモノラル用にテストしてみようと思い立った。ご存じの方も多いはずだが、モノラル音楽はステレオに比べて特に低域の強力な音が要求される。2台の左右のスピーカーから同じ音が出力されるため、オーケストラの発する低域の音はステレオの低域よりもそれなりのパワーを必要とする。
 果たして、このちゃちなパワーアンプで大丈夫だろうか、と不安ではあったが、最初にラフマニノフのピアノ協奏曲第1番のオリジナルモノラル盤で聴いた。
 ところが、なんと言うことだろう。このアンプは体に似合わず、堂々とオーケストラの低く引き締まった音を引き出すのである。それどころかピアノの音も非の打ちどころのないほど打鍵の力を彷彿とさせて聞き手を魅了する。聴きながら私もブラボーと声を張り上げたくなるほどであった。

 次にベートーヴェンの弦楽四重奏曲131番を聴いた。なかなかモノラルでは4人が横に並んで行う楽器の演奏をそのまま一点において聴くのは難しいと思っていたが、まったく心配なく、この名盤を目の前に繰り広げてくれたのである。

 ここでベートーヴェンの弦楽四重奏曲のことについて若干付け加えておくと、特に後期作品と呼ばれるこの大フーガの作品の音楽性の高さは私を魅了する。
 本ブログの主題を離れるが、いわゆる音楽における芸術性というものは、あくまで人間世界の普遍的美意識のことを指しているのである。従って、大衆的といいう言葉を形作る人間の情緒主義、すなわち喜怒哀楽とは一線を画している。
 すなわち、芸術作品にはまず「構想」に始まる確固とした計画と目的が存在するのであって、決して人間のこころを弄ぶようなその場限りの情緒主義を相容れるものではない。
 しかも、重要なことは「形式」が存在する。ご存じのソナタ形式もその一例だが、起承転結が整然と実行されることによって、音楽芸術はその目的を果たすのだ。
 そのように考えると、この芸術の形式は単に音楽のみに終始するものではないことをご理解いただけるはずだ。あの漱石の「草枕」という小説でも然りだ。漱石はその中で「非人情」という人間の精神状態を
表現しているが、まさしく人情を超えた世界つまり「非人情」の世界にこそ芸術は存在すると主張しているのである。
 
 この点で、わたしがこの数十年にわたり創作活動を行ってきた「現代短歌」の世界でも同様である。
 文芸の神髄を表現するには、短歌といえども決して人情を持ち込んではならない。老人会で短歌が詠        まれるのが流行のようだが、これはほとんどが人情論であり、真の文芸には手が届かないことが多い。
 明治以来、日本の古い伝統であった紀貫之の古今集などの情緒的和歌を脱却したのはまさに、正岡子規らが真の文芸を復興させるために情緒表現を厳しく規制したからにほかならない。
 ただし、古今集より古い万葉集では「正述心緒」「寄物陳思」の原則のもとに歌が詠まれていたのはまことに皮肉で、現代短歌はその流れの中に再生されたのである。
 
 そこで、再びこのベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の話に戻るが、これは古典派とロマン派音楽の中心に立つ音楽芸術として感情的表現はほとんど取り払われてい。あくまでも純粋な音楽表現に終始していることを感じ取るはずである。
 従って、この四重奏曲の130番?133番を聴けばわかるはずだが、ここにはすでに人の心に入り込みやすい感情的要素はない。なにか難しい楽器の和声の響きがまるで抽象音楽のように聞こえてくる。ただ、そうしたこと難しい音楽のようには見えても音楽が混じりけのない純粋であるがゆえに聴く人の心に深く訴えかけるのである。

 以前、大分の由布院で毎年行われていた「由布院音楽祭」でのことだが、東京芸大OBの演奏するベートーヴェンの先ほどの131番を聴きに行ったことがある。そこでこの曲目の演奏が終わったあと、会場の聴衆の反応はしばらく静まり返っていたことは実に印象深い。あまりの曲の表現の深みに接して言葉を忘れたかの如くである。

 ながながと余計なことを書いてしまったが、この131番をテストレコードとして視聴したのである。結果はまさに最高の音楽であった。思わず声をあげたくなった。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲はこのほかに私のコレクションとして生涯聞ききれぬほど多くの欧州のオリジナル盤を所有しているが、今回のこの貧しき1台のア ンプによって私の余命に最大の喜びを感じることができうると思い、まことに幸せな気持ちになった。
 

( 2021年12月23日 (木) 10時49分 )
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[58]test - 投稿者:taro

aaa

( 2021年12月22日 (水) 16時36分 )
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[57]信じてもらえるだろうか、これが月の大都市だ - 投稿者:taro

まあ、おそらく誰も信じないはずだが、これが月の裏面にある大都市の光景である。
おそろしいほどのビルが立ち並んでいるのがわかるはずだ。
残念ながらこのサイトを見る人は年にひとりかふたりだろう。しかししっかり記憶にとどめておいてほしい。これが月の裏面であることを。

( 2021年12月20日 (月) 16時24分 )
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[56]DENON DL?103 カートリッジ - 投稿者:たろう

これまで長い間私はタイトルのカートリッジを所有はしていたが使用する機会がなかった。これまではオルトフォンのSPUが中心であり、あとはベンツマイクロかラウンデルリサーチくらいのものだった。
今回一時的にベンツマイクロの故障があって、間に合せにこのDL?103を使用した。
針圧は2.2gにセットした。
レコードのタイトルは手元にあっためったに聴くこともないエラートのベートーヴェン6番だった、指揮はガルトナーだったと思う。
まさにカートの試し聞きというつもりだったが、みごとにDL?103にうちのめされてしまったのだった。
このカートの音は割とハイ上がり気味ではあったが、見事にオーケストラの全体を捉えてぶつけてくる能力に長けていた。まるで手づかみの岩を投げつけてくる印象だった。
しかもレコードの溝に刻まれている音の全てをぶつけてくるものだから、こちらの耳というか脳内の整理が遅れると聞き逃してしまうほどの
素晴らしい音だった。
スピーカーはいつもの2万円で買ったビクターのSX?700という今では誰も買わないようなAVスピーカーである。しかし、このカートの前には、このビクターのポンコツも俄然威力を発揮して私がのたうち回るような感動を訴えかけて来るのであった。
もう、これには参ってしまった。カートは値段じゃ無いと誰かが言っていたように記憶しているが、本当にそのとおりだ、一体何のために人は20万円もはたいて高級カートを買おうとするのか。ここまでの103の音でも十分満足じゃないのか。つくづくと思った次第である。

( 2021年07月01日 (木) 14時58分 )
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[55]このマーキュリーのLPはまさしく最高の音がする - 投稿者:たろう

前回説明していたが、マーキュリーのLPを聞き続けている。だが、このアンタル・ドラティのチャイコは実に素晴らしい。説明に苦労するが、オーディオファンにぜひ聞かせたいようなしっかりした音であることはもちろん、録音と制作の素晴らしさが聞き手に直に伝わってくる。制作は1970年代だったと思うが、すでにミキシング時代である。従って、音楽の効果を考えた制作がなされたはずだ。
おそらくまーきゅりーには優れた録音とミキシング技術者が揃っていたはずである。そうでなければこのような優れたLPができるはずがない。音に一切の妥協を感じないと言えば言い過ぎかもしれないが。
優れた創作芸術もまたそのようなものである。
芸術家の思いは一般の人にはわからないが、ほんの僅かな妥協が作品をだめにする。

( 2021年06月23日 (水) 14時58分 )
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[54]マーキュリーというレーベル - 投稿者:たろう

かって日本には「日本マーキュリー」というレーベルがあった。だが、このレーベルは日本では主に歌謡曲が主体のレーベルで、私の今回の「マーキュリーレーベル」とは関係ない。
実は私はほとんどこのレーベルの曲を聴くことがなかった。理由は特にないが、なんとなくアメリカ盤のイメージがよくなかったせいであろう。だが、このレーベルのレコードは30枚くらいは所有している。有名盤の「火の鳥」なども所有している。
そこで今回聴いたのがほとんどなじみのないハンソン指揮ハンソン作曲の交響曲だ。
ところが、この曲を聴いて驚いたのだ。とても素晴らしい録音だった。私の好きなETERNAでもこんな録音はないと思った。それほどアメリカ盤らしくないかっちりとした正確なレコード作りがなされていた。ちょっと言葉では言えないくらいの確かな音作りだった。曲の方はそれほどの印象はなかったが、オーケストラの演奏がここまでかっちりとできると音楽もなにかよさそうに感じるものである。楽器のひとつひとつがしっかりと表に出てくるような印象で、音にごまかしが感じられないといいう印象だ。素晴らしかった。こんなレーベルはぜひともオーディオマニアの方でしっかりと堪能するほうが良いと思った。
このマーキュリーの音はLPとしては第一級の音ではなかろうか。続けて数枚を聴いた。

( 2021年06月14日 (月) 16時02分 )
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[53]録音レコードによる音楽の感動とは - 投稿者:たろう

今日聴いたこのレコード、「ETERNA チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲第一楽章、演奏ダビッド・オイストラフ コンビチュニー指揮ドレスデン交響楽団」
このレコードの演奏始めの針を下す部分は猛烈なプチプチ音があった。これはまさにこのレコードが名盤たるゆえんであり多くの回数が聴かれた証である。レコードの冒頭から猛烈なオケのツッティが鳴り響く。左右のスピーカーからうなり出る音はとてもほかのレコードで聴いたことがないようなエテルナ特有の音だ、
 そしてしばらくするとオイストラフの力強い演奏が始まるのだが、ジャケットの写真に載せられたオイストラフの恐ろしいほどの顔が眼に浮かんでくる。それから約20数間続くこの第一楽章は決して聴き手を休ませることはないほどの力のこもった演奏だった。
多くの演奏者の同曲を聴いてきたが、こんなにも音楽の中に引き込まれたことはなかった。
聴きての私がこのような印象だから、実際の演奏者は果たしてどんな顔をしていたのだろうか。とにかくその一音々々を聞き逃すまいと必死だったが、この曲が終わったところで疲れ果ててしまった。それは体力的な問題というより、芸術鑑賞の凄まじい代償でもあったようだ。それほど、このレコードは聴き手にも驚嘆する演奏効果をもたらす。どっぷりと音楽の中に取り込まれたということなのだ。
CDを聴いていてもこんな深い感動が得られることはないだろう。これがまさしくLPレコードが故の効果なのである。
 そのあと、PCの前に行って五嶋みどり氏の
同曲を視覚的に視た。これにも驚かされた。
まるで彼女はリングの上でボクシングをしているような姿でバイオリンと格闘していたのである。ウエイビングしながらあるいは身体を前に深くまげて体を振り回しながらバイオリンの音を紡ぎ出してゐいた。ああ、やはりこの曲は黙って突っ立って出てくる音ではないんだとつくづく感じた。まさに「格闘」する音楽なのである。

( 2021年05月23日 (日) 15時15分 )
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[52]今日もエテルナ - 投稿者:たろう

昨日に引き続き、今日もエテルナを聴いた。
ステレオとモノラルのエテルナは全部で140枚位所有しているが、まだ聴いていないものもあったので、この機会に、というわけだ。
一体、このエテルナのステレオ盤は他とどう違うのかを考えてみた。とにかくスピーカーから飛び出してくる音の凄さは普通のレコードの音ではない。
その最大の特徴は、まさに「演奏会場のひびき」そのものなのだ。つまり実際の演奏家の演奏がそのまま自分のスピーカーから飛び出してくるという印象だ。しかもその音は実に純度の高い音で聴くことができるのだ。
昨日、ベートーヴェンのトリプルコンチェルトを聴いた。このレコードはカラヤンのEMI盤
など何枚かあるが、なかなか良いレコードがない、というより、どのレコードを聴いても満足するレコードがないため、もしかするとこの曲はベートーヴェンの駄作ではないかとも思っていたのだが、エテルナの盤では少し違っていた。中央右手にあるはずのチェロの音についてもそうだ。この楽器の音はどの盤でも他の楽器の影響で何かくすんだような音で聞こえる。
 だがこのエテルナでは初めて明瞭かつ美しいチェロの際立った音を聴いた。というよりエテルナの盤は録音ポリしいのせいか、楽器の音を忠実に取り込んでいるのだろう。チェロの存在がオケの音に埋もれることなく、はっきりと浮かび上がってくるのである。
 音質で名高い「フランスコロンビア」やフィリップス盤」など素晴らしいレコードを聴いてはきた私からすると、このエテルナの世界は確かに群を抜いている。かといって、これはジャズファンが喜ぶ、前面に楽器の音が飛び出してくるというラフな感覚ではない。調和のとれた楽器の音なのだ。さらに交響曲を聴けばこれらのレコードの凄さがわかる。それはもう、音は演奏会場そのものであり、私はここまでのリアルな交響曲をレコードで聴いたことはない。しかも第一楽章のテュッティの音の響きは、まさに聴き手を包み込むような印象で、他のレコードの合奏の響きとは違って聞こえることは確かである。やはりETERNAが一番だ。

( 2021年05月20日 (木) 18時25分 )
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[51]「ETERNA盤」に改めて驚愕 - 投稿者:たろう

久しぶりに所有のETERNA版を聴いたところその音の良さにあらためて驚嘆した。
YOUTUBEにアンプの音質向上のために鉛のベルトを張り付ける記事があり、私もどんなものか試してみたところ、これが確かに音質向上に有効であることを確認した。
 そこでどの程度の効果があったのかと実際にETERNA盤をかけて聴いたのだが、これまで以上のリアルな音質効果が上げられたことを納得したのだった。レコードの中で最高の音質として認めていたこのETERNA盤が、アンプ音の改良とともにまるで限界もないくらい音質が伸びて行くような思いである。
このETERNAの音の良さの秘訣は、ひとえに演奏楽器の音の高い透明性にあるといっていい。その純度の高い音がいかなる背景のオーケストラの中にあっても際立っている。
それはピアノであってもヴァイオリンであっても同様だ。
英国の音響技術の陰にあって、この東ドイツの当時の音響技術は当時の共産圏ソ連の同盟国として、控えめながら相当な実力を身に着けていたに違いない。
録音技術あるいは真空管を含む電気回路技術においても自由主義国の技術をしのいでいたことが容易に推察できるのである。
今日聴いたリヒテルの協奏曲にしてしかり。
他のいかなるレコードもこれほどに美しい音を響かせてくれるものはないと思えるほどだ。
私はCDは聴かないが、この演奏録音はCDでは薄っぺらな音となってただの一般音楽と同様な作品となってしまうに違いない。ところが、レコードでこのくらいの音となると、まさに演奏者の気迫がそのままレコードから押し出されてくる。弾きての力加減が音の中に込められていてその思いが伝わってくるような演奏だった。全くこれだから私はCDを聴かないのだ。メディアが演奏者の心を伝えきれなければただのコンピュータデータに過ぎないのだから。

( 2021年05月18日 (火) 16時02分 )
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[50]最近のオーディオ改良点(2) - 投稿者:たろう

前に続いて改良点の説明
4)電源ケーブルの選定
 実はケーブルの選定には正直驚いてしまっ  た。まさか電源ケーブルでここまでの違いが あるのか ということだったのだ。有名メー カー2本と名の ないメーカー製のケーブル を比較したが、結論は 圧倒的な違いから、 名のないメーカー製を選んだ。それぞれに特 徴があったが、やはり各周波数 ごとのバラ ンスが整って いなければ、いくら高域の音 が出ようが同じ だ。選ばれたのは     YAHOOで2本1万   5000円程度 だったがまさに解像度の高さ でずば抜けて いた。
 注意しなくてはならないのはプラグの向きを 整えることだ。これにより低域寄りと高域寄 りが全く変わってくる、一体どのくらい聞き 比べただろうか。
5)スピーカーの上にレンガを載せる
 今回申し上げたいことはこのレンガの件であ る。ビクターSX?700の頭に10センチ レンガを2ケ載せた結果に驚嘆せざるを得な かった。
 スピ^?カーの頭と言えばツイーターのすぐ上 である。ここにレンガを載せることに果たし てどんな意味があるのか、私もわからなかっ たが、実はスピーカーの「音圧」がかなり  アップするのだ。例えばピアノのフォルテで 打鍵した音をイメージしてほしい。
 これまで改良を重ねて聞こえてきた打鍵の音 がさらに「強く」響くのである。一般的な「音圧」というより「強い音」と思ってもらい たい。それも驚くほど強い音だ。「ダー   ン!」という強い音に思わずひっくり返りそ うになることをイメージしてもらいたい。
 それだけではない。音場の奥の音と近くの音 の遠近感が出てくる。信じられないほどだ。
 要するに奥行きが出るということだ。
 私はレコード派なので、その音たるやとにか く激しく思わずボリュームを下げに行ったほ どだ。
 実はこれはもうひとつ、フォノイコライザ用 のMCトラン スの下にあの布団の綿をわず かに敷いた時から顕著になった。この「レン ガ」と「綿」が 相乗効果を上げているのか もしれない。
 女性のソプラノの声は正面からぶっ飛んでく るように強い音がする。オーケストラのツッ ティなどあまりにも明瞭な音が部屋いっぱい に響いて正直驚いてしまう。

 この変化は、ひとつにはツイーターを固定し ているスピ^?カーの補強材が、思いレンガを 載せられたため、それまで以上に解像度を上 げたことにより、ウーファーの周波数に作用 したのかもしれない。その証拠に不思議なこ とにスピーカー の上が「汗」をかいてい  た。明らかにツイーターが熱を発したのであ る。
 デスクトップスタイルのスピーカーを使用し ている方は、テストして見られたらいかがで しょうか私の場合は大満足でした。

( 2021年03月13日 (土) 18時52分 )
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[49]最近のオーディオ改良点 - 投稿者:たろう

誰も見てくれる形跡がないブログに掲載するのも面白くないので、しばらく放置していたが、とりあえず音質改良を数点記載することにする。
いつも聴いているのはオークションで入手した安物のSX?700というスピーカーだ。わずか2万5000円ほどだったと思うが、どうしたことか、このスピーカーの音にとても満足している。
誰かが昔このスピーカー発売時にAV用と言ったことが原因で、こうしたトールボーイは日本のファンに敬遠されたらしい。その証拠に、全く同じ型式でデスクトップ型のビクター製SX?700は今もオークションでは人気がある。
ところで、私がこれまで自分のシステムにちょこちょこと改良してきたいくつかの箇所をここで取り上げてみる。実はこれらが実に効果的にステレオの音質を良好な状態に保っているのである。
1)ターンテーブルの空間保持方式
2)工業用ターンテーブルベルトの採用
3)2種類のスピーカーケーブルの接続
4)電源ケーブルの選択
5)スピーカーにブロックを載せる
大きくは以上の4点の改良を行った。ただし、私はLPレコードの愛好家なので、MCトランスについてはどなたかがおすすめになったアイドリングを1週間行った。
まずターンテーブルの空間保持方式は、このブログの最初の方で述べたが、画像1)に再度掲げて置くことにする。
画像で見られるように、円錐の駒を使ってLPを空間に保持するのである。
これにより、プラッターの材質に絡んだ音質の悪さから完全に逃れることができた。
銅板だとかカーボンだとかあるいは真鍮板だとか、いくら変えてもカートリッジの共振は防ぎようがないのである。
従って、思い切って空間に持ち上げることによりほぼ共振が収まり、本来のカートの音を得ることができることはこれまでの使用において明らかだ。
次の工業用ベルトの使用も大きな改善効果が期待できる。ひ弱なベルトで力のある音が出ることはない。今まで気が付かなかったこのベルトのおかげでオーケストラの音が実に力強く浮かび上がるのだ。次のスピーカーケーブルのつぎはぎの話は信じてはもらえないだろうが本当だ。アンプから引き出したスピーカーケーブルを、接続する30センチ手前で切って、もうひとつの音の良いケーブルを接続するのだ。
すると、スピーカーの音が断然良くなると誰かに聞いてそのままやったところその通りで、今も20年ばかり前から使用している。
この続きはNEXTで...

( 2021年03月13日 (土) 17時50分 )
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[48]第3回 驚くような月面都市 - 投稿者:taro

 退屈しのぎに時々月面の解析画像を転載さいています。このように詳細な画像はこれまで掲示されたことはありませんが、疑う人も多いかもしれませんがすべて真実です。ただ、ここまで洗脳された地球人にそう言っても結局馬鹿にされるだけですから、見た人の判断で結構です。月面に水が存在することはすでに発表されていますが、その水のことにすら、これまで数十年に亘って秘密にされてきたのです。そのように、月の真実は小出しにして明らかになりつつあります。
私が聞いたところでは、月には地球人が数万人も送り込まれているとこのこと。
結局地球人は何も知らされていないのです。
「陰謀」とか「とんでも話」などと馬鹿にする科学者の攻撃は、まさに真実を知らせない科学一辺倒の考えを地球人に植え付けようとする間違った理屈主義であること私は確信していますが、いかがお思いになりますか。
9.11事件にしても3.11地震にしてもすべては恐ろしい陰謀であることはわかりきっているのです。地球人はすべての真実に目を瞑って生きることを余儀なくされている存在ですからどうしようもないですね。
要するに私たちはそのような虚偽の世界、つまり『人間牧場』にまるで飼われている動物的存在です。陰謀家は古くから計画的にそのような世界を築いてきたのです。従って、月にも火星にも人間が存在するのは、その計画通り我々地球人が管理されているシナリオの過程であると考えるべきでしょう。

( 2020年11月20日 (金) 11時56分 )
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[47]すばらしいサンサーンスのヴァイオリンソナタを聞く - 投稿者:taro

レーベル:フィリップス(蘭)
タイトル:サンサーンス ヴァイオリンソナタ
演奏:ピンカス・スーカーマン(Vr) マーク・ナイクラグ(pf)

このレコードは多くのコレクションの中でも音質として最も評価の高いLPです。
年代は比較的新しい(1970年代)のLPと思いますが、その透明感漂う音楽の素晴らしさにはただ聴き入るばかりです。
フィリップス盤はご存じかもしれませんが、どの盤も極めて音質がよく、特にオランダ盤は私のコレクションの中でも有料版揃いです。

( 2020年11月19日 (木) 14時40分 )
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[46]久々に月の話です - 投稿者:taro

私は月に文明があるかどうかはわかりません。
あくまでも創造の話とは思うのですが、それにしてはよく画像を見るとそれ以外には考えられないような不思議なものを見てしまいます。
本日掲載した画像もそんな画像です。クリックして拡大画像を見てください。
これはアポロ11号の撮影した画像です。
これを見ても月に大量の水があるのは間違いないようですが、今日の画像は建物が見えるんです。
月の交通機関は船であると前に申し上げましたが、その川の中に数階建ての横に長いビルが見えます。
その部分を拡大した画像が2番目の画像です。
それから、三番目の画像を見てください。
信じない人はそれでも結構ですが、月の表面にはこんなにぎっしりと住宅が連なって建てられているようです。驚いてしまいます。

 

( 2020年11月14日 (土) 14時34分 )
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[45]超高音質盤 london盤 - 投稿者:taro

これまでほとんど聞くことのなかったLONDON盤を聞いたが、大変すばらしい音に深く感動した。
安物のビクターSX?700のスピーカーからこんな音が聴けるとは思ってはいなかったので、まさしく感動はひとしおだった。
LPは右の画像をクリックして見てもらいたい。
1975年英国DECCA録音
1977年米国LONDON発売
演奏者ヴァイオリン シモン・ゴールドベルク
    ピアノ ラド・ルプー
  モーツアルト ピアノとヴァイオリンのた         めのソナタ
 演奏はおなじみのモーツアルトのソナタが早いテンポで繰り広げられるいつものソナタではあるが、特にピアノのルプーの演奏が素晴らしい。特にオーディオ好きな人が聴けばこのピアノの早いパッセージの演奏には驚いてしまうことだろうが、実はその音が2つのスピーカーの真ん中で浮かび上がってくるのには驚かれるはずだ。音の粒子が浮かんで目の前を乱舞する、そのような印象である。
 私もこんなピアノの音を聞くのは久しぶりであった。しかも、ウーファーに欠陥のあるスピーカーの音とも思えぬほどの美しい音だ。
 
「良い音」ではない。「美しい音」なのである。芸術の目的である「美しさ」の探求という命題をまさに満足するに足る音楽だ。
 音の粒子が空間に浮くという表現が適切かどうかわからないが、まさしくピアノの打鍵した音符が乱舞するような素晴らしさだった。
オーディオファンに是非聞かせたいほどだ。
しかもこれは1975年のレコードの音だ。
当時の英国DECCAの録音技術の素晴らしさを感じさせてくれる1枚であった。

( 2020年11月13日 (金) 16時10分 )
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[44]かって全LP8,000枚を撮影した時の話 - 投稿者:taro

私はかって所有するオリジナル盤を中心とした輸入盤のLP盤8,000枚程を全て写真撮影しようと思い立ち、約2年半ほどの時間をかけてこつこつ実行した。8,000枚といえば1枚250g計算で約2トンの重量がある。
 これをマンションの壁に並べていたわけだが、ある夜、布団に就いて考えていたら急に大きな不安にかられた。その日のNHKニュースで、どこかで床抜けの事故が発生して、その原因が少年の集めた漫画本が原因となったということだった。
 その夜、その事故のことを考えていたのだが、もしかすると私の場合もそのような事故を引き起こすかもしれないと思い恐ろしくなった。
 そこで私もLPをどこかに預けなくては、このままではマンションの床が抜けてしまうと思い、次の日から早速その準備にかかった。
 全LPの移設をしようということである。
 だが、その前にすることがある。かねてよりLP盤のデータベースを作ろうと思っていたのだから、まず、写真撮影が先ということになった。しかし、8,000枚のLP盤とは言っても、ジャケットの裏と表、さらにレコード盤の
3枚のショットにしようとなると全枚数は2万4千枚の写真を撮らなくてはならない。
24,000枚というと、これは大半な枚数であるだけに果たしてどのくらいの期間がかかるのか心配になった。
 だが、一応やれるところまでやろうと思い立ったのである。
 それかというもの、仕事が終わって帰宅して食事を済まし、風呂にも入って其のあと取り掛かるのであるが、これがなかなか進まない。
第一ジャケットを袋から取り出し、更にもう一枚ビニール袋からLP盤を取り出すという動作ばかりでなく、撮影した後もとの袋にしまい込んで棚に置くまでの動作がかなり手間を食うのである。結果的に1枚当たりの作業時間が約13分少々かかる。
これを8,000枚やるとなると、そう時間は単純計算1.5年となるが。実際には2年6ケ月はゆうにかかった気がする。
この毎晩のでたらめな生活のおかげで、頬はこけて、体調は悪くなり病気寸前になったほどだ。現在は、仕事をリタイアして、倉庫の二階に専用室を作ったため、崩落する心配もなくなったため落ち着いて音楽に接する毎日である。
 今考えてみると、このLP盤の撮影の件はわれながらよくやったものだと思う。しかし、聴くことに追われて、実は未だにこれらのレコードをきちんと整理していない現状である。データーベースなどやろうとも思わないほどだ。
まったく、馬鹿な俺だと思っている。人間は愚かな間違いを犯すものである。 

( 2020年11月11日 (水) 11時47分 )
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[43]マリアカラス/ロッシーニを聴く - 投稿者:taro

いやはや、このマリアカラスのLPには恐れ入っ
た。スピーカーは中古2万五千円で買ったビクターのSP?700だが、正面に定位したカラスの声が
目の前に飛び出してくる印象だった。
カートリッジはDENONのDL?303、ただし、シェルを昔のパイニアの数百円の最軽量のものに取り換えた。
というのは、DL?303は針圧が1.26gという軽量針だ。
従って、シェルも相応に軽量にしなくては通常のシェルではパフォーマンスが発揮できないと考えたからだ。
この考えは正解だった。シェルが軽くなると、それだけアームのダンプもよく反応して、音楽のデリケートな部分を表現するようになった。
どちらかといえば、最近シェルの重いやつを中心に使っていたが、この考えは間違っていた。
昔のプラスチックシェルはまんざらでもなかったのである。
カートリッジの取り付けの際、その下に専用の炭素板を敷けばカートの振動が緩和される。

おかげで今日のカラスは最高だった。
両方のスピーカー中心の目の位置に定位した温蔵はピタリと動くこともなくあのカラスの絶唱を聞かせてくれた。
このカラスの声はまさに「楽器」だった。
まさにおそるべしカラスのベル・カント唄法だ。
英国EMI盤のセミサークルだが、最高の音質だった。

( 2020年11月10日 (火) 15時20分 )
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[42]月の大都市 - 投稿者:taro

これはアポロ11号撮影画像です。
信じない人はそれでも結構です。
この画像はNASAが公開した画像です。ただあまりにも解像度が低かったため、話題にもなりませんでした。こんな大都市があることを誰が信じることができるでしょうかね。まあ、おもしろ画像ですね。 ※Ctrlキーを押してマウスボタンを回使うと更に拡大します。

( 2020年11月02日 (月) 11時02分 )
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[41]VOX盤 シューベルト弦楽四重奏曲 - 投稿者:taro

普段余り聞くことのないシューベルトのSQを聴いた。1960年発売の最初期の古い仏VOX盤だ。
演奏はフランスのエンドレス四重奏団。
5枚の箱入りでレコード番号がVBXー4となっているのでモノラル最初期のLP盤だ。

最初期だからあまり音は良くないだろうと高をくくって聴いたが、これがすごくいい音で感心した。
定評のあるVOXだが、他のベートーヴェンの弦楽と違って真ん中から音が押し寄せてくるような印象だった。
 おそらくSP時代の録音技術をそのまま使ったのではないかと想像することができるほどだ。
こんなSQの音は聴いたことがない。
 後のモノラル優良盤などとても比較にはならないほどだ。モノラルとは言えこの音の拡がりはただものではない。VOXの技術力を嫌がおうでも知るLPである。
 こんなLP聴いているとステレオ盤の魅力が無くなってしまうだろう。ましてやCDなんて音楽とは思えなく鳴ってしまうに違いない。

 音楽の喜びはまさしくLPを大音量で聴くことによって実現できるという、私の考えを如実に示す今日の1枚であった。

( 2020年10月31日 (土) 15時35分 )
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[40]モノラルLPの音の凄さ - 投稿者:taro

右に貼り付けたプッチーニのラ・ボエーム
レーベル:EMI(英国) 2枚組 モノラル 
 指揮 トーマス・ビーチャム 
 出演 ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス
 ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団 

 これはまさしく想像を絶する解像度だった。
 聴きながらこれはステレオではないかと思うほど だ。
 ジャズではモノラルのこのようなLPもあるようだが、高解像度のクラシックオペラでは、あまりお目にかかれないほどの音質だ。
 2枚組LPだったが、主役のミミが死ぬ最後ま でをたっぷりと聴いた。
 それにしても、とてもCDでは味わえない音質の良さだった。
 やはり、音楽は大音量で聴けばそれだけ感動が高まる。部屋隅で低音量で聴いても、この激しい息づかいなど到底聴越えてこないからだ。
 我々はこのような芸術作品を一体何のために聴くのか。それはまさしく感動を得る為である。
 それは単に音楽だけではない。全ての芸術や文芸作品に関しても言えるはずだ。
 最近の文芸は特に女性の軽妙な作品が多くて、まるで日常の生活を切り取っているだけに過ぎないようだ。私の好きな短歌の世界でもなんだかそんな作品が増えて全く面白くない。
どうか、真の文芸作品を発表する作者が出てこないかと切に願うばかりだ。

 

( 2020年10月29日 (木) 13時30分 )
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[39]月に大量の水があったというNASAの報道 - 投稿者:taro

昨日のインターネットニュースに「月には大量の水があった」という報道があった。
だが、私は少しも驚かなかった。この水のことは今から約20年前に私が主張していたからだ。
当時は誰からも変な目で見られて信用を落とすことになったが、私は確信を持っていた。

 ちなみに、右の画像を拡大をクリックして拡大画像を見て欲しい。
 そこにkaguyaの写した画像があるはずだ。しかもそれは間違いなくダムの写真だ。
我々はおそらくNASAがこれまで隠し続けてきた真実を今頃小出しで見させられている。
 そのように考えるべきだ。

 オーディオとは関係ないが、とりあえずここにその情報をかかげておく。

 

( 2020年10月28日 (水) 15時07分 )
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[38]タンノイ ウエストミンスターの音 - 投稿者:taro

◇全体を右の写真のように「安っぽい」システムで構成している。但し、プリアンプ不使用  
◇アンプはどこぞの10万円くらいの真空管アンプ メーカーはサンバレー(キット商品?)
 マランツの7番のコピーと言っていたが、結構いい音がする。
◇イコライザーはオルトフォンのEQーA1000だが、これは奥行き表現と前面表現を切り替えられる優れもの。
◇プリアンプ不使用 パッシブフェーダーの「モーツアルト」という商品使用
 プリアンプの余計な音が無い分解像度が効果的に高まり、満足している。
◇MCトランスに張り込んでパートリッジの   9708を使用 これは文句なく素晴らしい
(システム中、これが一番高価だった)

 以上、スピーカーに比して極めて安価なシステム構成だ。だが、問題はその音だ。LPレコードを聴くのに大枚はたいて機器を揃えて何になる。
私は決してCDのように高い定位感とか口の開き方がわかるような解像度を求めて等はいない。
音楽の感動とはそんなことで得られるものではないからだ。
 このシステムで聴く音楽は完璧とは言い難いものの、まさしく聴き手に音楽の感動をもたらしてくれる。サブスピーカーで使用しているビクターの20センチ×2台装着のスピーカーの音は全く違った音場を目の前に形成する点で比較にはならない。例えばオペラを聴く際もバリトンの歌手のアリアは朗々と目の前で歌い上げる点で、聴き手は圧倒されるに違いない。
 もちろん他のジャンルの音楽の聴けるが、例えばこじんまりとした弦楽やピアノソナタなどは、あまりにもスケールが拡がりすぎて聴き手は戸惑ってしまうだろう。
 したがって、私は交響曲とオペラに絞ってこのウエストミンスターを聴くのである。



( 2020年10月22日 (木) 11時47分 )
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[37]バレンボイム ベートーヴェン26番 - 投稿者:taro

 このレコードのジャケットに写っているバレンボイムはかなり若い。おおよそ35歳頃だろう。とすると現在指揮者として活躍するバレンボイムを70歳頃と推定すると、約35年前の最も油の乗り切った頃演奏と言うことになる。
 事実、この演奏は凄まじかった。鍵盤を叩く打鍵の音を私の使用しているDENONのDLー305は完全に再生できなかったほどだ。
私はピアノソナタのこんなにも激しい音を聴いたのははじめてだった。
次の日、パソコンのYOUTUBEで同曲を弾くポリーニの演奏を聴いたが、あのバレンボイムの熱情的な演奏には届かなかった。というより、パソコンの前に置いたNHTの小型スピーカーでは最初からあんな音は期待できないのは当たり前だ。
 それほどバレンボイムの24番は圧倒的だった。ついでに70歳頃のバレンボイムが同曲を演奏するビデオをパソコンで見たが、やはり昨日のスピーカーの強烈な音の片鱗が見て取れたのである。このLPは私の好きな独EMIのブルーレーベルのボックス入りだが、このレーベルはどれも音がクリーンでとても聴きやすい。
まさにいい音楽を聴けたのは悦ばしい。

( 2020年10月21日 (水) 15時19分 )
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[36]大音量でワルターのベートーヴェン - 投稿者:taro

大音量でワルターのベートヴェン7番を聴いた。
コロンビア・シンフォニーオーケストラ
1958年録音盤オリジナル
さすがにワルターの演奏は痺れるほどだった。
カラヤンの7番と比べても、小手先のテクニックなど皆無で、まさに正統な7番の音楽を聴く思いがあった。耳が壊れる一歩手前の大音量でこの音楽を聴けば、弟一楽章でギブアップするほどだった。
最近は復刻のCDが発売されているらしいが、あくまで奥行き感溢れるタンノイのウエストミンスターで聴く音の凄さを感じる。左右のスピーカーから演奏会場に自分が居るような雰囲気で、しかもスピーカーから押し出してくる力強い音がぶつかってくるのはLPレコードでなくては味わえないだろう。色々と7番を聴いてきたが、今日の1枚は実にオーソドックスな7番だったと改めて思い直すほどの素晴らしい演奏だった。

( 2020年10月21日 (水) 15時02分 )
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[35]胸を打つチェコ ヴラフ四重奏 - 投稿者:taro

眠気を誘うハイドンの弦楽四重奏を聴きながら、その前にかけたベートーヴェンの弦楽四重奏18番の感動の余韻に酔いしれていた。
このハイドンに比べれば、なんと感動的な演奏だったことか。なかなかベートーヴェン演奏の優良盤に巡り合うのは難しいが、この古いヴラフ四重奏の演奏は四人の演奏によって創り出される美の世界を目の前に繰り広げてくれたような気がする。
音楽の美とは実に漠然としているように聞こえるが、それは均衡の取れた音の響きによって、聞き手である人間の精神が「知」の世界に満たされることを言う。浮薄な「情」の世界ではなくあくまで人の精神の中に宿る気高い意識のことを言うのだ。このLPの演奏は1962年といういうステレオのできた初期の録音によるオリジナル盤だが、演奏には決して奇抜さもなく、実に自然なベートヴェンのイメージを作り出そうとしているように感じた。

 それに引き比べ、冒頭のハイドンの弦楽の響きはどうしたことだろう。なんとも眠たげに演奏する演奏者のせいというより、ベートヴェンの師であるハイドンが聴衆を唸らせるような音楽創作の意欲が薄れていた頃の作品かもしれない。
 私の好きなハイドンのピアノソナタとは雲泥の差がある。

( 2020年10月13日 (火) 13時06分 )
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[34]グーグルはプライバシーの侵害だ  - 投稿者:taro

これまであまり関心がなかったが、昨日グーグルの情報を見て驚いた。
なんと、私のパソコン操作の記録が全てグーグルに私のDATAとして記録されていたのだ。
「冗談じゃない!」こんな個人情報は一体何のために記録されているのか。
私がPCで何を発言しようが、何を調べようが、そんな記録をどうしようというのか!
しかも、法律の「個人情報保護法案」はどうなっているのか。
以前の映画で個人の情報をかんたんに取り出すことのできるアメリカの実情を見たことがあるが、
もうそこまで来ているのだ。我々の個人情報も。
おそらくグーグルを使用しなくても、ヤフーも
裏ではつながっているはずだ。

唯一個人の記録を追求しないというブラウザがあるらしい。早速調べてみよう。




( 2020年10月06日 (火) 16時24分 )
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[33]なんの刺激もない田舎暮らしの話 - 投稿者:taro

トランプ大統領が退院した様を詳しくテレビ朝日が中継していたが、我々は外国の大統領の退院の様子をそこまでテレビで見なければならないのだろうか。
最近のマスコミの過剰な報道にはうんざりしているので、そろそろ自宅のテレビを全部廃却しようかと考えていた。
この報道についても、我々日本国民が何も実況中継して見る必要もないはずだ。こんな具合に我々はマスコミに操られて必要もないものを見させられているのだろう。
全く嫌な世の中である。なんのために田舎ぐらしをしているのかわからないときがある。知らなくてもいいものにむりやり注意を惹きつけられている。それが事実だ。そのように考えると、テレビの報道はこんなもんじゃない。一日中つまらないこと、例えば芸能人の私生活の詳細を長時間に亘って見させられるし、一体、芸能人が私の生活に何の関係があるのかと、時々声を上げたくなる。私は原則的にテレビを遠ざけているのだが、一緒に食事する連れ合いがテレビを観るので仕方なく付き合わせされるのだ。
だが、テレビから離れて生活していると、全く離れ島にたどり着いたロビンソン。クルーソーのような味気なさである。山裾の家なのでたくさんの小鳥の声が聞こえてくるので気分が悪いわけはないのだが、1週間ばかり人の話す声を聞かないときはさすがに自分の存在が消えてゆくような気がしてならない。

そこで、気が向いたときに離れのオーディオ室にこもって好きな音楽を、誰に邪魔されずに聴きまくるのである。もちろん、今日が何日か、ときどきわからなくなる。
 
 離れ部屋にいないときはだいたい一日中机に座ってパソコンで好きな音楽を探したりして部屋のダイアトーンを鳴らしているが、コロナウイルスの流行がなくても外に出ることがないので、特段ウイルス感染を意識することがない。


( 2020年10月06日 (火) 13時33分 )
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[32]製造国違いのレコードを比べてみた - 投稿者:taro

手元に出てきたBACHのLPの音質を調べてみた。BACH ヴァイオリンとチェンバロのための
ソナタ。各2枚入ボックス 
    VN:コーガン チェンバロ:カール・       リヒター 1973年録音
 1.日本国内盤 オイロディスクジャパン制作
   キングレコード製造 
 2..英国RCA録音及び製造 
ジャケットもも同じレコードではあるが、双方の音楽にかなりの違いがある。
RCAはまるでジャズと変わりがないほどのダイナミックな音だ。まるでヴァイオリンのコーガンが大声でわめいているような感じだ。
リヒターのチェンバロも総じて音が強過ぎる。本来かすかな音であるはずのチェンバロがここではまるでリズムを強調するための楽器と化している。

この曲はバッハの曲の中でもしっとりと演奏されるのが普通なのだが、英国版のRCAの場合、これで果たしてバッハの曲想にあっているのか疑問が残る。まるで作曲家を間違えているような雰囲気だ。
一方、国内盤の方はきちんとした演奏でそれなりの折り目正しい両者の演奏が光っている。
私は国内版はほとんど聞くことはないが、まあ、なんとか最後まで聴くことができた。

もともとの米国版RCAの場合、例のリビングステレオのあまりのレコード制作のまずさに驚いて、これまでほとんど聞くこともなかった。やはり米国人の気質はこうした「モノづくり」には向いていないのだろう。
ジャズレコードを聞く人の中には結構ファンも多いようだが、クラシックをじっくり聴く人間からすると、やたらとドラムやベースで調子を取る音楽は好きになれない。
かって、私はアメリカのジャズ発祥の地と言われるニューオーリンズにもでかけて行ったことがあるが、お祭り騒ぎの街の雰囲気に飲まれてしまった。彼らは音楽を聴くというより楽しむという方が似合っているようだ。そのニューオーリンズの夜の帰り道に小学生位の男の子が、橋の上で、ヴァイオリンを奏でていた。前に立って聴いたらそれはバッハの「無伴奏」だったので大変驚いた。アメリカでバッハを弾く人はこうしてジャズ文化の陰でひっそりと演奏していることを感じた次第である。

( 2020年09月29日 (火) 11時18分 )
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[31]久々にバッハの無伴奏ヴァイオリンを聴いた - 投稿者:taro

部屋の棚にはめったに出番のないバッハのいち団が並んでいる。主にテルデック箱入りLPだが、このテレフンケンには全く頭が下がる。
というのは、おそらく日本では好んで聞く人は少ないと思えるオルガン曲を丹念にレコーディングしているからだ。それもバッハの協会音楽は膨大な数があるが、たとえそれがカンタータであろうと細かく見出しをつけて制作されている。
まるで学術資料のようだ。バッハの曲は協会音楽と世俗音楽に分かれるが、一般的には器楽演奏を中心とした世俗音楽が好まれるのは致し方ない。

 右のLPボックス3箱にはバッハの数々のlp
がぎっしりと埋め込まれているが、このテルデックのダイレクト録音の音の透明感を聴けば誰しも驚くに違いない。
 本日聴いたこのレコードの2曲目のクーラントのプレストの凄さは多少粗さもあるが、そのスピードとリズム感は驚嘆に値するほどだ。ここまで聞くと、CDの音などただの電子音に過ぎないと思う。

( 2020年09月28日 (月) 17時08分 )
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[29]スピーカー線を繋げばいい音がする - 投稿者:taro

誰かに教えて貰ったスピーカー線の話しです。

1.スピーカーに接続する線を30センチ手前で切断して良質の別の線と接続すれば音が良くなるとのことでしたので、やってみました。
10年近く以前の話しですが、実際にやった処で端しかに良くなった(確信は持てないが)気がして、
未だにタンノイを聴いています。私の思い過ごしかもしれませんが、次の話しを参考にして実験する人もいるかもしれません。

2.スピーカー線は約27センチ感覚で音質のバランスの山と谷がある。高域の音がきついと思う人はそのバランスのことを考慮して、試しに5センチばかり短くして聴いてみたらその「きつさ」がなくなり、低域の側にバランスするはずです。
私はこれを何度もやってみましたが、確かな効果がありました。
この話は1.の電線を「つなぐ」ことにも関係しているようなきがしますが、もしやる人があれば
いずれも自己責任でお願いします。

( 2020年09月26日 (土) 12時03分 )
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[28]ダイアトーン 2Sー305 あります - 投稿者:taro

今から約40年前に買った2S?305を後生大事に部屋に飾っています。聞けるのかですって?
もちろん音はちゃんと出ます。
日本で初めてのモニタースピーカーでした。
このスピーカーは他のメーカーのスピーカーユニットと違って、エッジがコーン紙を使っているので、経年変化が少なく40年経ってもまだいい音がします。
しかも2ウェイ2スピーカー方式とはなっていますが、内部にはネットワークを持っていないところが特徴で、30センチウーファーの上に、あの有名な5センチのツィーターをハイパスコンデンサを介して繋いでいたシンプルなものでした。

記憶では1962年にNHKと共同開発したスピーカーでしたが、その音の美しさは語りぐさと鳴っているほどです。当時のカタログに「2S305を知らない者はオーディオのもぐりである」書かれていたことをおぼえています。
このスピーカーには高さ50センチはあろうかと思う金属製のパイプで作った台が標準で売られていました。従って、フロア型ではあるものの、床の上に直置きするものではなかったようです。
日本で最も名高い評論家の菅野沖彦氏が、かって出版された「音の世紀」の中で日本を代表するスピーカーとしてこのスピーカーを揚げた折り、「これほど、あらゆる点で日本的な美徳を備えたスピーカーはないだろう」と述べていたが、それほどこのスピーカーを持つことは当時のオーディオマニアのステータスだったのでした。
わたしが買った当時の価格は1台18万円だったが、その後20年ほどして観た定価は1台35円となっていました。
時々、部屋で聴くこともりますが、特に高域の美しさはそのまま残っています。オークションでは大変安くで売りにでているようですが、もったいない気がしてなりません。まさに何年経っても珠玉のスピーカーに変わりはありません。

( 2020年09月25日 (金) 16時44分 )
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[26]素晴らしいこのエラートの竪琴印マーク (1) - 投稿者:taro

エラート初期の高音質盤はこの竪琴のマークです。
それはもう、透明感で溢れかえった最高の音質で、
フランスを代表するLPと行って言いでしょう。
この竪琴マークは極めて少なく、日本では容易に入手が難しい盤です。次のページにも竪琴マーク盤だけ貼り付けています。

( 2020年09月24日 (木) 15時52分 )
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[27]エラートの竪琴盤の続きです(2) - 投稿者:taro

エラートの竪琴盤の続きです

( 2020年09月24日 (木) 15時59分 )

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[25]マリア・カラスのコレクションです(2) - 投稿者:taro

前ページの残りです。
お気づきになると思いますが、カラスはデッカ盤は出してないみたいですね。
赤い特別盤は素晴らしい音です。所有している人は少ないはずです。赤色のニッパー(犬)など観たこともありません。

( 2020年09月23日 (水) 18時50分 )
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[23]マリア・カラスのコレクションです(1) - 投稿者:taro

あのベル・カント唱法の第一人者だったカラスのレコード。歌の旨さでは多くの名歌手が揃っているイタリアオペラ界にあって、それでもカラスは貫禄の
違いが感じられます。おまけにこれだけの美人もそう滅多に居るものではありません。これらのLPも
私の宝物です。

( 2020年09月23日 (水) 18時39分 )
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[22]私の宝物 クラブ・フランソア 仏盤 - 投稿者:taro


余り馴染みのないレーベルかもしれませんが、私が大切にしているフランス版のクラブフランソアです。このレーベルの音は繊細で透明感が高くフランスならではの澄み切った音です。
たくさんのフランソアレーベルの中で、このジャケットの優れたデザインもフランス盤の特徴です。
レコードのコレクションは、何も盤面の音だけにあるものではありません。まさに美しいジャケットや絵画的デザインに注目してコレクターはジャケットを特に大切にしています。

( 2020年09月22日 (火) 16時19分 )
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[20]これがシャルランのオリジナル盤 - 投稿者:taro

滅多に見ることのないシャルランのオリジナル盤です。私はシャルラン盤を20枚ほど所有していますが、その中の3枚がオリジナル。(アルファベット文字が太いのが特徴)
左右1個づつ使って録音するワンポイント録音の有名なシャルランによって作られた数少ないLPです。最高の音質なんですが、当初入手して聴いた時の乾燥はがっかりでした。最悪の音だったんです。
ところが、その原因が自分の音響システムのせいだと知って以来、何とかしっかりした音で聴けるまで、あらゆる点検と改善を行いました。
このレコードを掛けた人はほとんどの方が、「音が良くない」と乾燥を述べます。
しかし、それはまさしくシステムの方がおかしいのです。LPはまさに美しいワンポイントの響きを奏でるのですが、それに届かないのです。

シャルランを日本に持ち込んだ当時トリオの役員の方が(名前を忘れましたが)単行本を出されて
います。当時のフランスと電源の周波数が違って居たため、トリオで作る時に苦労したということだったように記憶しています。
 中でも、最高のLPが「ヴィバルディとバッハの曲の入った1枚」ということでした。ステージに並んだ楽団の音が一列に聞き取れるほどの音質と述べておられました。
私の画像の最初にそのレコードを掲げておきます。ワンポイント録音は、70年代以降のマイクを多く使うミキシング時代とは違って、左右の音を単純に取り込むだけの録音なので、全体にステレオ録音の楽器の一がわかりやすい。
マルチ録音ではマイクの音を集めて調整する必要があったため、何となく音が不自然だった。
 レコード会社はワンポイント録音の失敗を恐れてマルチ録音に切り替えたこと。
 そしてこのシャルランが、自分が録った録音テープを前金の肩に没収されて、税関が後に海に登記して大切な原盤テープを無くしたと本にはかいてあった。なお彼はハイドシェックが好きで
何度もレコーディングした。
 とても貴重なレコードです。

( 2020年09月21日 (月) 15時47分 )
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[17]初期盤なんでしょうか? - 投稿者:taro

昨日久しぶりに「ETERNA」のサイトを拝見させて頂いたら数枚の気になる初期盤の画像がありました。
あれっ、と思って手持ちのレコードを調べてみたところ右の画像の盤がありました。
まさか、私の手元にそのような初期盤がある訳がないと思いながら、ご確認をお願いできたらと、ここに書き出ししてみました。
 VOX盤のVBX12濃緑色はフランス表示はありませんが、文字はフランス語です。
 さらにディスコフィルの番号1番はご指摘のとおりカーブがRIIAではありません。実はほかの盤と比べて何故これだけ特性が違うのかなと不思議に思って聴くのをやめていました。
それから、VBXの方は1枚だけ加えて表示しておきましたが、赤色のドイツ音源USA製作というのがあるようです。その他USA音源製作もあと数枚ありました。
 小生、フランス版が特に好きでほかにも300枚程度所有しています。

( 2020年09月16日 (水) 15時47分 )
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[18]お返事 - 投稿者:エテルナトレーディング 高荷

お返事が遅くなりました。写真を拝見したところVBX12の赤い盤は米国盤と思われます、緑色はフランス盤真美しれません。写真が小さくはっきり断定できかねます。以上ですがお役に立てず恐縮です。エテルナトレーディング 高荷

( URL 2020年09月19日 (土) 16時53分 )

[19] - 投稿者:taro

エテルナさんからご返事頂きましたが、一体何のことかわかりません。
これはエテルナのサイトに最初期盤として表示されていた2枚のLPについて、その真偽を確認するためにお送りしたものです。
まず、1枚目のディスコフィルのレコード盤番号はご覧になって分かるとおり「1}盤となっています。エテルナでは「2」盤の画像をたてて、これより古い盤はないと書いてありました。ついてはその確認をお願いしたものです。
そのご返事が「緑色はフランス盤真美しれません」と何の意味かわからない誤字で表示されています。しかも私の掲示している画像はクリックすれは大きく拡大するにもかかわらず、それも無視されて「写真が小さくはっきり断定できかねます」などという回答です。
もうひとつのVOXについても、赤色はただの参考画像であり、その上の画像にVBX12と明確に記されていて、このVX盤についても先方はVBX43が最も古いとサイトに記載されています。赤の盤はアメリカ盤であることはよくわかっていますが、私が指摘したのはこの濃緑色のVBX12のほうであることは画像をクリックしたら分かるはずなんですが。
要するに意味が全く通じていないということで残念な回答を頂きました。 

( 2020年09月21日 (月) 12時48分 )

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[16]素晴らしいレコードだった - 投稿者:taro

久しぶりに目の覚めるような演奏を聴いた。
リムスキー・コルサコフ ロシア管弦楽集
クリュウイタンス指揮 フランス公共管弦楽団(
 古ぼけたジャケットでリムスキーコルサコフと聞けばあまり気が進まない方も多いかも知れないが、とにかくこのパテのレコードは実に歯切れが良く聴き手を魅了する演奏だ。今まで棚に並べていたのがもったいなかった。

 もう一枚フランスコロンビアのオリジナル盤で、これも楽団は同じ公共楽団をクリュイタンスが指揮した一枚。これも目の覚めるような名盤だ。
 モノラルレコードの本領発揮というか、決してステレオではこの気迫のある演奏はあまりみられないようなレコードだ。

 実はタンノイは現在使用を休んで居るが、代わりになるわけもないビクターのsx?700の凄さを感じた。タンノイには負けないような音だ。
先日オークションで2本2万5千円で出ていた。
誰も買う人がいなかったのはもったいない。


 

( 2020年09月10日 (木) 16時41分 )
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[15]レコード洗浄 - 投稿者:taro

長年思考錯誤を続けてきたレコードの最良の洗浄方法は結局「水洗い」だった。
「VPI洗浄機」を持っているが、あらゆる洗浄液は結局のところ、効果があるかどうかわからなかった。
水道で洗うにしても、実のところあちこち持って廻って乾燥まで行き着くのも大変で、あるところからこれも実用上無理と判断した。
 そこで現在は仕方なく、VPI付属のブラシを2つ接着して丁寧に盤面をなぞっている。ブラシを使用するときは、なるべく押さえつけず自然な重みを書けること。
圧力をかけると、ブラシの先が曲がって溝からはみだしてしまうからだ。
 それでもノイズが取れないときは、最後に洗面所に行って低い温度の温水をかけながらスポンジで流すと効果がある。
 最後はバキュームを聴かすことになるが、更にヘアードライヤーの冷風で乾かせば一連の作業は割と簡単に終わる。
 このやり方で決め手となるのは「低い温水」を使用することだ。
 皆さんはほとんど水を利用しているらしいが、温水の方がその効果が高いいことに気がつくはずである。
 


( 2020年09月09日 (水) 12時34分 )
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[14]昨日のLP - 投稿者:taro

昨日聴いたのは右の2枚。
但し、どちらも3枚/1箱になっていて、その中の1枚づつ。
1)DECCAの米盤オリジナル盤でロザリン・トレックのバッハ平均率クラビーア曲集 
 DECCAの米盤というと敬遠しがちだが、そうでもない。クラビーア曲はもともと音量の小さい音だが、このトレックのピアノを聴くとなんだかアメリカ盤だからか、モノラルの強い響きがジャズのような音で聞こえてくる。悪くはないが、繊細な響きがないので、アメリカ的ということだ。
2)続いてもう一枚のバッハはフランス盤だけあって同じボックス盤ではあるが、きっちりと作られたヂュクレテ・トムソン盤の素晴らしい響き。同じモノラル盤でも、このフランス盤は左右の拡がりを持った素晴らしいLPである。

( 2020年09月04日 (金) 16時58分 )
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[13]何だか変な世界があるもんだ - 投稿者:taro

暑さが厳しいので外に出ることは滅多にないが、あれこれと工夫しながら夏の過ぎ去るのを待っている有様である。

 ところで、先日見たインターネット画像に不思議な画像があるのを見て驚いた。
 「異世界」というタイトルなんだが、ある時不思議な世界に迷い込んだ少年がそこで現れた老人に貰ったという文書の画像だ。
 閉じたサイトを後で捜しても再度見つける事が出来なかったので、ご本人にはことわりなく掲載することになって申し訳ないと思うが、右の画像にその文書を掲載することにする。
 そのサイトを読んだところでは、記載した人もその文書の訳が分からないようだ。よくこの文書を拡大して確かめたところ、この文字は明らかに日本の神代文字(あひるくさ文字?)のようにも見える。

 しかし、すでに日本ではその真偽を否定されているはずの古代文字で書かれた文書など存在するのだろうか?
 しかも、そのyoutubeサイトは、ある人が無意識のうちに迷い込んだ異世界でもらったものだと言う。だが、その異世界というのは何なのだろうか。あながち嘘とは言えないようなその話を聞けば大変興味深く、さらに、調べたとこではそうした体験を綴ったサイトがとんでもなくたくさんあることに驚いた。
 
 そこで興味に任せてそれらのサイトを手当たり次第に読んでみた。
すると、我々の周囲に思いも寄らない「並行世界」が存在するということにはたまた驚いたのである。
 これまでそんな並行世界などは、あくまで科学の理論上の存在としてしか考えていなかったが、実際に我々の日本で日常的にそういう出来事がおきているのを我々はどのように考えたらいいのだろう。
 しかも、その体験者が成功世界で出逢った呂相手から、前述の神代文字文書をもらって戻ってきたとなると事は大変複雑になってしまう。

 もうひとつ、そのサイトとは別に異世界を写した写真を公開した人があるという。
 早速調べてその写真をキャプチャーした。
画像は動画として駅から外の通りまで歩いて出たコースが順に捉え等れている。
右に中の一枚を掲示してみる。や、や、や、これは一体なんだ。撮影者の撮ったこの動画の実際の場所は知らないが、明らかに日本であることに間違いなさそうだ。しかも人の姿は無いところが実に不気味だ。
 最も不思議なことは、駅のホームに掛けられている案内板の文字だ。これは日本語ではない処を見ると、異世界では我々の日本語と違った文字が使われているのだろうか。そう言えば以前福岡市地下鉄で写された画像にあった入り口の案内板の文字もこれと似た変な文字だった。

 暇に任せてWEBで検索掛けて異世界を調べてみた。ところが、実に不思議なことがある。
 以前あれほどあった異世界のサイトが一部を除いて消え去っているのだ。グーグルも片っ端から意図的としか思えないほど、異世界関連情報をもっともな理由を付けて消してしまっているではないか。
 そう言えば、過日NHKのテレビでまで報道した昭和65年製の1万円コインの話しはどうなったんだ。あの後、札幌で偽銀貨使用の罪で逮捕した犯人のその後の成り行きは何も報道しないではないか。あの話しは誰もがおかしいと思っているに違いない。あんな立派な1万円コインを偽銀貨として作って、使用もされない現代のコンビニの店意図的に使用するわけは無いのだ。
 ごく自然に1万円銀貨が異世界で使用されていたとしか考えられないではないか。
 そんな事実を調べもしないで、日本の警察もマスコミも単に偽銀貨使用事件として「うやむや」にしてしまう。マスコミも調べようともせずに知らん顔だ。だから彼らは信用できないんだ。
 
 おそらく、インターネットの情報が錯綜する現代になって、ついに並行世界が現実のものとして浮かび上がってきたのだろう。
 警察もマスコミも政府も、一斉にそういう事実を覆い隠そうとしているに違いない。
 もう、驚いたなー。

最後に、さきほどの神代文字の件と、パラレルワールドの変体文字の件は深く調査する必要がある。

( 2020年09月02日 (水) 14時58分 )
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[12]私の好きなモノラルソ連盤 - 投稿者:taro

私はレコードジャケットが大好きである。
中でも演奏者の顔が印刷されているジャケットを見れば、何か過去の時代が彷彿と湧き上がってきて、しばらくは見とれてしまうことが多い。
特に掲載のジャケットは演奏者の顔の中に捉えられた強固な意志がそのまま顕れていて見るたびに彼の音楽が心に中に湧き上がって来る。
ソ連の演奏家と言えばやはりバイオリニストのオイストラフとコーガンを揚げることができる。
オイストラフのスラブ系のふてぶてしい顔立ちは何とも言えず逞しい。
一方のコーガンは顔の表情のどこかに神経質なぴりぴりしたものが感じられる。
オイストラフはメロディア盤以外にも英仏コロンビア及びETERNA盤など多くのLPを所有しているが。どれも素晴らしい演奏ばかりだ。
一方のコーガンも棚の中にはたくさんのLPが待機していてなかなか聴く時間がとれないほどだ。
 彼らは当時の社会主義国家ソ連の厳しい政策の眼をかいくぐりながらこんなにも多くの芸術作品を世に遺したのである。

( 2020年08月24日 (月) 11時27分 )
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[11]フランスのフィリップ盤には頭が下がる - 投稿者:taro

添付のLPはフランスのフィリップ盤である。
厚手の表紙ではあるが、暗く薄汚れたような古い絵柄が印刷されている。
私の棚に20年近く眠ったままだった。
取り出して調べるとフランスのベルサイユ宮殿で行われた豪華な演奏会の模様のようである。
作品は18世紀の作曲家のバイオリン協奏曲風な曲で丁度バッハと同時代の音楽である。バロックではなく宮廷音楽として作曲されたものらしい。
 早速取り出して聴いてみたが、ヴァイオリンの音がきつかったが、昔の宮廷で演奏された雰囲気が伝わって来る。
 盤はフランス版だが、もともとフィリップスはオランダが本拠地である。どちらの盤も非常に音質が良いことで有名だが、このフランス版はオリジナル盤だけに、なにかしら威厳のある作りになっていた。
 そこで思ったのだが、こんな古い音楽を現代1970年代に際限したことは分かるが、果たしてこの盤は売れたのだろうか。おそらく古い宮廷時代の旋律を聴きたい人など多くはなかったはずだ。だが、仏フィリップス社はあくまでこんな過去の遺産めいたレコード盤を豪華に作って売りに出した。現代の企業ではちょっと考えられない。

それは経済的価値が全てという考えが現代の文化に波及しているところから、売れもしない製品を作ることはしないはずだ。
 だが、さすがフランスである。歴史の中のひとこまであったサロンの演奏会の模様を再現したレコードをあえて売りに出したのだ。

彼らは当時の暴君によって国民が支配された歴史とは言っても、おそらくそれは現在の自分たちが歩んできた「道」のワンシーンとして捉えているに違いない。
 古い文化も文明の遺産として後世に遺すべきだという考えである。
 だが、日本人である我々はどうか。著名な歴史家が、日本人にとって歴史とは単なる「思い出」に過ぎないと書き残していた。その国民性の違いはフランス人との間に歴然としている。フランス人は自らの思想を貫き、争って歴史を築き上げてきたという自負があるが、日本人にはそうではない。何事も事なかれ主義の日本人にとって、歴史はそれほど価値のあるものとは思えないのだろう。

( 2020年08月23日 (日) 16時27分 )
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[10]電源プラグを磨いたら驚いた - 投稿者:taro

10年ぶりにオーディオの電源プラグを磨いた。

アンプの電源コンセントプラグ
コネクターボックスのコンセントプラグ
プリアンプの電源プラグ
フォノイコの電源プラグ

等々パワーアンプ3台分を全て洗浄液を付けて磨いた。結構大変な作業だったが、結果は見違えるほどの輝かしい音になった。上級アンプに交換したような音で、LPの音が引き立つ素晴らしい成果だった。だが、これは電源ケーブルのプラグだけだ。
それだけでこんなにも音が変わるのは驚きだ。

◇S/Aラボのケーブルの性能を再認識
ついでに電源ケーブルを取り替えて音を確かめた処、20年以上前に買ったS/AラボのWHITE HORSEの音の究極の素晴らしさを身に染みて感じて、早速取り替えた。
とにかく音のパフォーマンスが全然違うのである。クラシックを聴く私の喜びとなる音の奥行き感がなんとも言えないほど改善され性能がよかった。
高域のヒステリックな響きもなく、低音の引き締まった音はあまりにもほかのケーブルのパフォーマンスと違っていた。
オーディオファンがアンプだのスピーカーだの次々に買い換えていい音を聴こうとしているが、本当は既存の器機も安物でも音が良いのを知るべきである。値段でそんなに音は変わりはしない。業者にだまされて高額の機械を買わされた結果、いつのまにかメーカーも業者も息切れしてしまい、国産の機械を作っているメーカーなんてほんのわずかだ。あわれなオーディオの末路というべきか。
そう言えばケーブルだけでこんなにも音が改善出来ることを誰も教えてくれなかったなー。

( 2020年08月22日 (土) 13時46分 )
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[9]ぶっ飛ぶような音を聴いた - 投稿者:taro

今朝聞いたカラヤンのベートヴェンは凄かった。
交響曲集の弟2番ニ長調作品36
これを大音量で聴くと目の前のスピーカーから凄まじい音がぶっ飛んでくるという印象
右の画像に付けた仏盤カリオペのベートーベンピアノソナタも最高の演奏だった。
 おそらくこのような演奏ではピアノが長持ちしないはずだ、

上の画像にあるが、1セット2万5千円で買ったかなり古いビクターのSX?700とかいう当時から人気の無いスピーカーの話しだ。
昨日書いた通り、電源をきっちりと合わせたらこんな音が出るのかと驚かされるような音だった。
しかも大音量で聴くと本来のスピーカーの能力が発揮され、横のタンノイも顔負けのパーソナリティを発揮する。
 ただし、レコードで大音量の交響曲を堪能するには最近の繊細なCD向けのスピーカーではだめだ。
 1年前まで小型スピーカーを聴きたくなって、右のビクターの小型スピーカーの音を聴いていた。たしかに音は透明感のある整った音だった。だが、LPレコードの低音部の再生には絶えられず半年て、低域がびりついて聴くに堪えないようになってしまったのだ。LPレコードの独特の音の響きはCD時代のスピーカーには無理があった。頑丈に作られた昔のスピーカーでないと、大音量のLPレコードの響きは長持ちできないのだ。 

◇オーディオ機器の値段が高すぎる
 何処とかのメーカーのスピーカーで「モーツアルト」という商品がある。そのスピーカーをベスト電器で聴かせて貰ったことがある。
 本体ももちろん細かったが、音があまりに繊細で、私の聴くLPレコードの交響曲はとても無理だろうと思って引き上げてきた。
 CDを聴いている人達の場合は、音の輪郭に拘るあまり次第に音が細くなってしまったのかと想像するが、私の部屋で聴く大音量の音を聴いたら驚かれることだろう。
 そうしたスピーカーは驚くほど値段も高い。中古で2万5千円のビクターに比べると、20倍以上の値段だったと記憶している。
 そんなに値段を高くするから、次第にオーディオファンが少なくなってしまって、いまでは国産の本格的なスピーカーを作っているメーカーはいなくなってしまった。

◇いくら古いレコードでも音がよくないとだめだ。
 音楽通の人がSPレコードを持ち出して喜んでいるのをみたことがある。 彼はそのSP盤が稀少盤であることに大変満足している顔をしていたが、私はあんなのはどうかしていると思っている。
 私はたくさんのLP盤を所有しているが、骨董屋ではない。従って、音の良いレコードしか聴かない。音の悪い音楽を聴いて感動することなどあり得ないからだ。
 しかるに、古いレコードを喜んでいる人達の中には、骨董的趣味の人達が多く存在している。同時に彼らはもしかすると、「幻の巨匠の音楽」を所有する喜びに支配されているのかもしれない。
 昔、まだソニーの社長がオペラ歌手だった頃、カラヤンが大変なオーディオマニアであることを語っていた。そのことを今思えば、カラヤンは自らが演奏した音楽が後々の世において世界で再現されるための「再生音楽」のことが頭にあって、いい音の音楽を遺そうと考えていたのかもしれない。事実、今朝私は約50年も前の彼の演奏した素晴らしい音質のベートーヴェンの交響曲を聴き、大変な感動を味わったのだ。

◇我々は音楽の何に感動するのか
 大きな疑問だが、演奏家でもない我々素人が音楽を聴いて一体何に感動するのか、考えてみたことはあるだろうか。
 評論家でもない素人に演奏家の演奏技術の理解などできるわけがない。
 そして演奏家の表現する音楽の評価も、さらにはその音楽そのものの評価すらできる訳がないのだ。つまり我々は彼ら演奏家の表現する音楽の何を根拠に「良い」とか「良くない」とか決めつけたり、評価したりしているのか。
 結局、我々は何も分からないで音楽に対峙し、何も分からずにその音楽を評価しているようである。従ってブラームスが良いとか、マーラーが良いと思う理由の根拠は誰しもが意外に漠然としているのかもしれない。それはつまり、ある日ステレオで聴いた曲がたまたますんなりと耳に入って来て、例えば知人の部屋で聴かされたマーラーの7番弟2楽章の美しさが絶品だった、とかの経験によって全てのマーラーの交響曲が好きになったり、そうしたことが「良かった」の根拠となっているのだろう。それほど再生音楽というのは、曲の印象を決める「装置」の表現力に依存しているのかもしれない。

 とすると、音楽というのは例えそれが古典音楽であれ、ロマン派後期であれ、それらはすなわち自分のオーディオ装置によって再生する音楽そのものなのでである。
 ステレオの音が悪ければ、聴く音楽が良い音楽である訳はないのだから。
 すなわち、我々音楽ファンにとって先ず「良い音のメディア」が必要なのであり、次にそのメディアの音楽を我々の耳に再生する「良い音のオーディオ装置」が必要であるということになる。
 そうした装置を持たない人が例え評論家とは言え、CDの裏面の説明に、このCDの音楽は素晴らしいと書きまくってもとても信じることはできないだろう。素晴らしいかどうかは、素晴らしく聴くことの出来るステレオ装置があっての話しであるからだ。

 こうした考えをもとに、毎日ステレオの前に座って音楽を聴いている私は、ひとまず音楽を正面から聴くことができる環境にある。しかし、かといってそれは音楽の感動を正しく理解していると
いうことではない。音楽の感動はあくまで私の内面の問題であり、同時に理解力に委ねる問題だ
。私なんざ、未だに音楽を「あーよかったなー」と感じるだけのレベルの存在である。

( 2020年08月14日 (金) 16時42分 )
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[8]電源でスピーカーの音が変わる - 投稿者:taro

電源の昨日設定したステレオの音が、今朝聞いたら満足な音ではなかった。
昨日確かに納得したはずなのに、実はあの音は思い過ごしだったのか。
そういう経験をもつ人は結構多いだろう。
色々原因はあるにしても、今日は臨時でその話しをしてもみよう。

◇コンセント周りで音がかなり変わる
・差し込みプラグでこんなに変わるとは
 ?コンセントに差し込むプラグの相を入れ替えるだけで変わるのだ。
 しかし、言葉でいうのは簡単だが、単純にひっくり返すといってもそうはいかない。
 なぜなら、私の場合電源とは入っても、ひとつのシステムではパワーアンプ、プリアンプ、フォノイコ、ヘッドアンプと何本か電源線が出ているので、単純にテスターで相の電圧を確かめながら祖の入れ替えはてまがかかる。さらに私は自分の耳で音を聴いてコンセントのプラグを入れ替えるので良い音、悪い音の実感がつかめる。
 ?音にも色々ある。
 電源線をコンセントに繋いで出てくる音にも色々あって、相が間違っている場合、スピーカーの音は高域に偏ってしまう。ヴァイオリンの音が
妙に高いと思うときは大体間違っている。
 但し、パワーアンプの電源が正相でプリアンプのおとが逆相の場合は一定の低域は出るが、その音に力がない。高域は修まっているが..。
 パワーアンプの相を入れ替えてもまだ不満足の時は、思い切ってプリアンプの電源の相を入れ替えることだ。
 双方が正相になった時の音というのは、音だしをしてすぐわかる。低域の低域らしい音が溢れ出て、しかも全体の音の迫力がステレオらしい音になるからだ。
 だから、後々のためにその時の音の響きを覚えておかなければならない。ややもすると聞いていうる内にその音をわすれてしまう。

 ?3pのプラグの場合でも変わる
 最近のアンプの電源コードは3Pとなっているが、これをコンセントに正しく差し込めば正相に差していると思うだろう。だからプラグの差し替えは必要ないと。
 だがそれは間違いだ。家庭用100vは昔は2線式だったが、今は単層3線式200Vの引き込みを100vに分けて引き込みから家庭内に分配している。
 つまり、2線式とはいっても、2本の線のどちらかがグランドアースに落ちている。さらに、3pのプラグを使う場合も2pのどちらかが真ん中のアースに繋がっているのだ。
従って、このプラグの2pが正しく正相に接続されているとは限らない。特に手作りの電源ケーブルの場合、正しく2pのグランド接続側を守っているのかどうか疑問がある。これが守られてないと、アンプ側の3pのコンセントで、2pのグランド側が逆になるはずだ。
 スピーカーの音が悪い原因はこうした処にも存在することを推して知るべきだ。3Pプラグのアース側の間違いは確かめ無くてはならない。
更に、それは電気工事の際のコンセント接続のところにも注目すべきで、オーディオ設備を持っている人は設置工事とコンセント工事の2線式分配線100vも確認する必要がある。
 もうひとつ電源線入れ替えは当然アンプ入力時の逆位相を引きおこすはずだ。従ってプリアンプ部から出力するRCA信号にも影響がでてきて、音質によっては正相への調整が必要となるはずだ。
 オーディオに置けるビジネスを営む者はこうした電源周りのことを積極的に素人であるユーザーに伝えるべきである。
 何もせずに音が悪いことを器機類のせいにばかりしてはオーディオファンは少なくなってしまうだろう。


( 2020年08月13日 (木) 15時21分 )
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