The credit to each image to / NASA /JAXA
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[78]クララ・ハスキル - 投稿者:taro
好きなクララ・ハスキルの愛聴盤 ハスキルのLPはこのほかに二十枚以上所有している。 ハスキルはその天賦の才能を見出され、幼いころからコルトーに師事したが、その生涯をみるとまことに悲惨な境遇を歩んだ。生涯を背中の骨の病気を抱えなくてはならなかったのである。ただし、高名なヴァイオリニストのグリュミオーが懸命に彼女を支え、アメリカをはじめとする演奏旅行を共に行った。 私はそのころのモノラルのLPを数枚所有しているが、これは私の宝物である。 それらはすべてフィリップスから春倍された が音質の素晴らしいこのレーベルから、他では聞くことのできない洗練されたヴァイオリンソナタを堪能することができる。 彼女は不幸な体の病気ばかりでなく、生まれたブルガリア以来、当時のドイツナチによって住まいを転々とするなど、実に苦労を重ねて音楽の道を歩んだ不遇の天才だった。 彼女の貌が映ったLPが何枚もあるが、そのほとんどに彼女の不幸と苦しみを物語るような暗いイメージが付きまとっている。若いころの美人顔も晩年は暗さの染みついたような年寄り貌になったが、そういえば日本人の誰かも恵まれない環境で芸術活動をつづけた女性がいた。ハスキルの生涯はそれよりもずっと暗い人生だったように思える。ヨーロッパを転々と逃げ惑ったのだから。
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2022年01月20日 (木) 10時46分 )
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[77]レコードよもやま話 - 投稿者:taro
レコードコレクターの私は、現在約8,000枚のLP盤を所有している。 そのほとんどが欧州盤であり、DECCAやコロンビア、EMIのメジャー盤のオリジナル盤も500枚くらい揃っている。 8,000枚というと重量がいくらになるか、ざっと計算してみると、1枚250gとして2,000Kgということになる。ただし、古いモノラル盤などは重いのでそれ以上なのかもしれない。
私は一時期これらのレコードをアパートの棚に並べていたが、1LDKの部屋は重量級スピーカーや重量級アンプ類などで、ほとんど寝る場所も限られていた。
こんな有様で長く単身生活を送っていたある日、テレビで見た事件の報道はまさしく私の驚愕する内容だった。そしてその日を境として夜もそのことを思えば寝付かれない日が続いた。その事件というのは、国内のどこか忘れたが、若い男性が集めていた漫画本が余りにも重くて、床が抜けて下の階に転落したと言うのである。 まさしく漫画に等しい出来事だったと思われるが、私の場合も決して他人事ではなかった。いつこのような出来事が起きてもおかしくないのだ。 そうこうしてるうちに、勤めている会社の組織変更が起きて、61歳になったばかりの時に仕事をリタイヤした。そこで、住んでいたアパートを引き払うことになり、他県に住まい委を引っ越すことにした。 しかし、ここまで集めたLP盤を抱えて引っ越しするとなると、これは容易いなことではなかった。他県とは言っても距離にして200km位離れた山間の集落だが、当時使っていた1000ccクラスのライトバンを使って運んだのである。ひとつの段ボール箱に約130枚。これを70箱。1回で10箱も 詰めなかったが、約1週間以上車に積んでは下ろすという作業を続けた。ひと箱30kgである。階段を上り下りしたためか、体は疲労困憊の状態に陥っていた。
ひとつの物事に執着すると、考えもつかないような苦労がつきまとうものである。 レコードコレクターとしてまことに辛い話です。
注)画像のタイトル修正 画像下はキャスリーン・フェリアー が正しい。
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2022年01月19日 (水) 14時05分 )
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[76]こんな短歌いかがかな - 投稿者:taro
自作短歌
● 思ひ切り虫歯を抜きしこの夜は 舌が寂しく歯を探しゐる
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2022年01月17日 (月) 10時55分 )
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[75]驚愕!月面大都市発見! - 投稿者:taro
これはJAXAの撮影した月面のKAGUYA画像 です。初公開画像。オリジナル公開画像からは 一切月面は認識不能です。そこでKAGUYAほー無ページをキャプチャーして画像を解析してみました。ご覧ください! 月面はこのような大都市がいくつもあるのです。これがフェイクだと思う方はホームページを確認して確かめてください。ただし、これは公開直後のカナダ班画像ですから、現在のH/Pはすでに置き換わっているかもしれませんが。
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2022年01月17日 (月) 10時30分 )
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[74]今日の短歌 - 投稿者:taro
● 軒垂るるつららの中に 凍てつきし朝の光が閉じ込められつ
今日はとても寒い朝でした。山裾の自宅の 紺は寒いためなかなか起きる決心がつかず いつもの6;30を過ぎて7;00まで布団の中 で部屋を見まわしていました。
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2022年01月14日 (金) 16時00分 )
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[73]出鱈目国(後半) - 投稿者:taro
?福島震災 これを言うとまるで陰謀論として非難されそうだが、あえて 書くことにする。 実はあの震災のあった日に、気象庁の専門家が偶然にも 口にした言葉を私は記憶している。 その記憶も薄れがちですが、何度も揺れが繰り返したこと について、振動の曲線を見ながらこのような周期的な地震は 「ありえない」と本音を言ったのでした。 地震解析の専門家が、確か3度だったと思いますが揺れ が正確に間をあけて続くなどということは考えられないという のです。まるで、海底に仕掛けた爆発物でもない限りそのよ うなことはありえないと言うことです。 この話には私も驚きましたが、「ああ、やはり..」と思って しまいました。 そのあと、この専門家は一切テレビ顔を出していません。
更に、あの福島の原発のメンテナンスを請け負っていたの はイスラエルの保守会社であったことにもとても大きな疑問を 持っています。日本にはたくさんの大手電機メーカーがある のに、しかも、使用されていた制御機器(ネットワーク機能付 きシーケンサー類)が国内メーカ製であったにもかかわらず、 最も重要な制御部を遠方のイスラエルが本国からリモートで 指図していたとは、それこそが陰謀と思わざるを得ません。 過去のアメリカの汚い計画には、すべてイスラエルの影がち らついていたにもかかわらず、やっぱりこの福島でもそうだっ たのですから、これがおかしくないわけはありません。 戦後の日本では未だにアメリカの植民地が続いていること を気が付いてはいないようだが、そこがそもそもの原点である。 この福島原発事故勃発の問題についてもどちらかと言えば 、アメリカとイスラエルの合作と思う方がより自然に見えてくる。 つまり、あの非常時の出来事は意図的に発電機の電源が 入らないようにリモート操作されていたのではないかと私は思 っているのです。
ここまでやられるとひどいものです。アメリカが何を考えて いるのか。日本人も立ち止まってよく考えるべきです。 日本なんて彼らにとってはただの末端の手下にすぎないと 思っていて、殺すことに罪の意識も感じることのない民族のよ うな気がします。 アメリカ人の本質は、日本の情緒主義とは違って、自らの利 益目標のためなら情緒に縛られることなどありえないのです。
ここで一度、アメリカでこのような陰謀を計画し、あたかも他 国のせいにして事を起こす悪魔的集団のことを考えてみまし ょう。それはあのWブッシュの時代に国の表にはっきりと姿を あらわしたアーミテージ、チェイニー、ラムズフェルトなど軍産 複合体と言われる悪魔悪団です。 前の大統領トランプは最後までこの勢力と戦いましたが、不 正な選挙で敗れたのです。 クリントン、ブッシュなど、彼らこそが、アメリカの大資本家と 結託し、イスラエルのモサドとグルになって世の中を騒がして 居るのです。聞くところによると、彼らはアメリカ国の予算のほ かに、国がつぶれる程の秘密の予算を動かしているそうです。 すでにアメリカの国の地下には想像を絶する程の高速地下 交通網に支えられた基地を準備しており、万一の戦争など何 とも思わない程の準備をしていることが様々な資料に掲載さ れています。 しかも、ブッシュ家とアメリカが追跡したエジプト人首謀者で あったアルカイダのビンラディンとは常日頃のビジネス相手だ ったという事実さえ報道されていました。 しかし、その事実に対してもアメリカ国民は一切の疑問をぶ つけようともしません。要するに彼らは全員「グル」だったこと の証左です。これらの件に対してはここで書ききらないほど問 題が残っていますが、結論的に言うなら、9.11事件は全くの 「茶番」にすぎなかったということです。 そのことを飼いならされたアメリカ国民は「アルカイダの攻撃 を受けた」と信じているのですから。
これはまさに何をかいわんやの類で、言っても無駄です。 これが大衆化の恐ろしさです。 さらに日本国内でも、すべてのマスコミは日本国民に対して、 あえて真実の報道をしてはいません。ここにも飼いならされた マスコミの、アホ化国民洗脳の効果がはっきりと表れています。 真実を語ろうとすると、すぐにそれを「陰謀論」と言って中傷 する機運を彼らが作り上げてしまったのです。 真実のもみ消しにこれほど有効な手はありません。 陰謀と言えば済むのですから。 マスコミを支配する「電通」の後ろでしっかりとアメリカが指 令を与えている事実を茫洋とした日本国民はしらないのです。 そろそろ日本人も気が付いてもらいたいところです。 しかもこの日本がいまだにアメリカの植民地であることには 国民はいまだにほとんどの国民は気がついていません。 例えば「日米合同委員会」の存在について知っている人は どのくらい居るでしょうか。この会合は日本とアメリカの軍事を 含む委員会ではありますが、話し合っているのは軍事だけでは ありません。日本の政治体制から法律まで全てをアメリカ国か ら指示を受けるために存在しているのです。マスコミに登場す る報道番組のコメンテーターも出演者の選択をCIAやアメリカ が行っている事実も知られていないはずです。 とにかく、なにもかにもが、アメリカにお伺いを立てているの です。これが植民地でなくて何なのでしょうか。 このような今の日本の現状を私はとっくの昔諦めていますが、 知性を抜き取られた日本の国民の将来はそろそろ最後が見え 始めてきたようです。大体、学校教育で「踊り」なんぞが教科とし て行われるということ自体が、日本自らが、自分たち国民の弱体 化をこっそりと続けているようなものです。「すぐ踊り出す国民」 というわけです。
?アメリカ国民の大衆化と 追随する日本国民の大衆化
いろいろなメディアで評判になる「自由な国」アメリカの様子 は実に悲観的である。 知り合いに聞けば、日本の基地で働いているアメリカの軍 人を見ていると一般的に思考力が感じられないという。 要するにアホではないかと言うのだ。なにもかもが享楽的で かつ無計画であり、ものごとを深く考えないばかりか人の痛みが わからない。つまり人間としての知性や感性をなくしたアメリカ 人が多いと言う。これはまるで人間の貌をした動物と表現したほ うがいい。これはまるで、あのスィフトによって書かれた「ガリバ ー旅行記」に登場する、「ヤフー」という人間の顔をした忌まわし い動物のようである。アメリカ人も日本人も、そのヤフーになりか けているのか。そこで思い浮かぶのは、かってのあのローマはな ぜ崩壊したのかという問題である。「ローマ滅亡史」を書いた歴史 家のギボンがいみじくも、「崩壊の原因は分からないがその前兆 に「大衆化」があったことを述べている。 まさにアメリカで洗脳の嵐の渦中に置かれている市民は、マス コミの出鱈目な洗脳政策によってその大衆化が浸透している。 それはアメリカばかりではない。日本でもマスコミはアメリカの 狂った戦略によって極端なアホ化が進行している。試しにテレビ の番組に目をとおしてもらいたい。そこにはもはや情報化という名 前を借りたアホ化洗脳が行われていることに気が付くはずだ。な にせ、何の芸も有しないアホ化芸人がタレントとしてHLKに大量 に投入される時代なんですから。 大衆化によってこの世の中を極端な従属的アホ化社会に仕 立てあげようとしているのだ。それこそがこの世を支配する最善 の方法であることは、陰謀論として批判の多い「ユダヤの議定書 」の中で計画されているのである。今の現実を見てみるとあの議 定書は陰謀などではないことがわかるはずだ。 なぜならこの世はそこに描かれた通りに推移しているからだ。 大衆化とは人間の文明の全ての価値を洗い流すのである。芸 術も文学も何もかもが普遍の価値を失うこと、それが大衆化な のだ。 従って、残された快楽主義や欲望が社会を支えようとしても、 それらは何の足しにもならない。こうして文明は潰え去ってしまう のである。
このように考えると、歴史を持たないアメリカは実に悲惨に 崩壊するだろう。歴史を持つ国はヨーロッパを例にとると、自分 たちの文明を歴史に照らして自己を振り返ろうとする知性を持 っている。 おそらくは大衆化が進んでも相反する知性が台頭するだろう。 もちろん日本にも十分な歴史は存在はするが、残念がらアメリ カの植民地では生き残ることは困難であろう。 とにかく、このまま世の中が進展すれば、日本も滅ぶことは間 違いなさそうである。今の日本では個性的な強力なリーダーシッ プの輩出は期待できないからだ。 悲しむべきか、我々の孫子の代では日本がどうなっているか、 まさに想像もつかないほどの兆候を感じてならない。
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2022年01月14日 (金) 15時56分 )
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[72] - 投稿者:taro
今日の1首
●故郷のお悔やみサイトに眼を通す
しぶとき友らいまだ名を見ず
短歌は過去形で詠むべしと教えられました。現在形では詠嘆の感動が残らないから です。もちろん現在形の歌もありますが、基本は過去形。従って語句の最後は、ぬ、つ、 し、などが一般的です。 要するに短歌の目的は感動を相手に伝えることです。従って、短歌自体も感動を伝える 形式でなくてはなりません。作者が自分だけで感動して作った歌が多いのも現実ですが、 歌はどんな歌でもそのことを忘れないように推敲されるべきだと思います。
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2022年01月09日 (日) 15時35分 )
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[70]解析画像 - 投稿者:taro
これはJAXAのホームページ動画をキャプチャー解析した画像です。誰も日本ではこんな画面を見た人はいないはずです。驚天動地の月面画像です。ゆっくり堪能ください。こんな都市は一般的です。
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2022年01月08日 (土) 10時30分 )
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[69] - 投稿者:taro
でたらめな国 アメリカ
あのニューヨークビルの9.11事件を思い出すごとに、つくづくアメリカと いう国の出鱈目さを感じてならない。 実はあの事件の前から私は、アメリカという国は一体どんな国なのだろうと大きな疑問を抱いていたのだった。 それは我々がまだ小学校時代までさかのぼる。私たちは見事に戦後教育という欺瞞の中で教育を受けた世代だった。 その思想の原点はなんといっても民主主義である。何事も数の論理を中心に世 の中が運営されていくこの世の中を私たちは何の判断力もなく頭の中に叩き込まれてきたのだ。あたかもそれがより自然な姿といわんばかりに。
?開拓者精神 あるいは、先住民族を殺しまくったアメリカのフロンティアスピリットにも、誰も疑問を持たずにそれを正義として受け入れてきたのだ。だが、果たして先住民族を殺すのが神の意向に従った故の正義だったのか。 それはまるでヨーロッパでキリスト教を利用して国民を支配した、あの十字軍と考え方は同じ理屈ではないのか。異端は根絶やしにという思想そのものではないか。まるでインディアンは人間ではないので根絶やしにしようとしたのだ。 そのことも知らず、私たちはしょっちゅう街の映画館に入り浸ってジョンウエインの殺人映画に興じたのである。こんな出鱈目はあろうかと私は叫びたいほどだ。
?太平洋戦争 さらに、太平洋戦争のことについても、アメリカは日本に戦争を起こさせるため に色々と意図的に経済の状況を締め付け、最後はあのプロレスの力道山が怒って空 手チョップを繰り出すようにし向けたのである。それは誰も肯定しようとしないが、歴史の状況に照らし合わせてみると如実に真実が浮かび上がる。 しかもである。9.11の事件同様、これも意図的にアメリカ国民を奮い立たせるために、わざわざ真珠湾を日本に先制攻撃させたのだ。
?ベトナム戦争 9.11のブッシュの企みはこのようにアメリカの常套手段なのだ。ベトナム戦争の時も思い出してもらいたい。戦争のきっかけとしたトンキン湾でのアメリカの艦船が攻撃されたという事件も、おそらく、彼らの嘘という常套手段的戦略によって自国の攻撃よって艦船の攻撃を相手にすり替えたのだ。 ここまでをみても、アメリカという国は何と汚い国かと思えてならない。 あれは人間のやることじゃない。そのくらいにひどい嘘を平気で実行する国ななのである。
?広島・長崎への原爆投下 もうひとつ、太平洋戦争には原爆投下というおまけが付いている。 一瞬にして数万人を爆弾で殺すという発想もさきほどの十字軍戦略と同じだ。 私などは、「よくそんなことがやれるな」と恐ろしくなってしまうほどだ。 しかも、原爆は1個で十分な効果があることは誰の目にも明らかだったが、別の 1個を、すでに制作していたドイツから押収して、ロス・アラモスの原爆と比較する ために長崎落としたというのだから、これは悪魔の仕業以外に言いようがない。 ついでに申し上げておこう、アメリカの国民の6割は今なおこの原盤投下を当時の アメリカに必要だったと言い続けている。これは大衆化洗脳の効果である。知性を持 った国民であれば、住宅に原子爆弾をおとす事の善し悪しはとっくの昔に判断できる はずだからだ。アホ化社会なのだ。
つづく..
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2022年01月07日 (金) 11時55分 )
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[67]山内進著「北の十字軍」を読んで欲しい - 投稿者:taro
何のきっかけだったか、50代であの11世紀の十字軍の史実を調べようと思い立った時期があった。結局約10年間は本屋と図書館を調べ回る結果となったが、途中でタイトルの「北の十字軍」という本に出合ったのである。著者は山内進氏。 この本で注目すべき点は、中世のローマ法王による異端弾圧に抵抗して立ち上がった、同じキリスト教国のポーランドとリトアニアだ。 ドイツ騎士修道会を使ってバルト海沿岸の国を荒らしまわるローマのやり方に異を唱えて、ポーランド国王は自分の娘をリトアニアに差し出してまでして同盟を結び、このドイツ修道会に対抗したのである。 それで注目すべきは、この事件際、ポーランド国王が主張した「異端も人間である」という考え方である。当時のバルト海沿岸はそれほど異端に対する弾圧はひどかった。 この異端も人間であるという考えは、キリスト教ではタブ―であり、それを世界で初めて示した事件であったということだ。 結果として両者の戦いが決着がつかなかったため、両者は今度はローマの仲裁のもとに公開の議論を開いたのだが、そこで登場するのが、ポーランドの神学教授「ウラディミリ」だ。彼は先ほどの「異端人間」説を唱え、ローマに正論を持って立ち向かったのだ。 このように、キリスト教からすればとんでもない抵抗を示したのはこれが始めてで、歴史上の出来事として記録されている。
こんな話は日本人にとって全く知らされていない話で、本屋を回ってもなかなか資料を入手することはできなかった。だが、この事件は、当時13世紀のヨーロッパではまさしく画期的な事件であり。歴史に振り回されたポーランド人の正当性を知る上でも重要な事件であった。まさに彼らの歴史は戦いの歴史であり、そのようにして積み上げた国の歴史であることを知る必要があるだろう。
十字軍に対してはまだまだどっぷりつかって 調べた史実があるが、我々日本人のまるで知らないヨーロッパ文明の本質として、この中世のキリスト教がしっかりと居座っていることを知るべきだ。何せローマ法王は当時ドイツ騎士修道会に対し、異端国を「根絶やしにせよ」とまで号令を発したのだから。
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2022年01月06日 (木) 15時07分 )
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[66]この歌がこころに残って離れない - 投稿者:taro
雨の降る窓のかなたに一つ立たつ まづしきけふの日まはりにあふ
二宮冬鳥
どのような現代短歌をもってしても、この冬鳥の歌を超えることはない。この歌はすでに言葉の世界の限界を越えている。言葉で表現できる世界は限られているにもかかわらず、この歌は短歌の目指すこころの領域まで踏み入り、しかも素朴な人間の内なる世界を描いている。 この歌の中の「まづしき」という言葉は簡単に浮かび上がってくることはないが、対象となる向日葵の有様を、わずかにこの一言で言い表している。 こころをつめたくして対象を見つめることのできる歌人しかこんな言葉は生まれない気がする。
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2022年01月06日 (木) 12時53分 )
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[65]オーディオの工夫 - 投稿者:taro
むかし、誰だったかオーディオの専門家という華々しい人が居て、私のようなLPレコードは冬場は聞くことができないと言っていた。LPのビニール材料の関係で気温が下がるとまともな音が出ないというのである。 それが本当がどうかわからなかったが、実はその言葉信じて、今でも冬の間は離れのオーディオ室には出入りすることはない。 部屋は全体で30帖足らずの広くもないところだが、ここに引っ越してきた直後に駐車場の2階に建てた。 いろいろとオーディオルームにうるさい人の注意も聞いたが、結局私の考えで建築してしまった。
それと、今回掲載しているターンテーブル に独自の趣向を凝らしたもの。マニアならわかるが、あらゆる素材には固有の共振周波数が付きまとう。そのため、本来のレコードの案額は使用した素材の影響を受けるのだ。それを防ぐには、空中に浮かすしかない。というのが私の発想の原点だ。 そのため高さ15ミリほどの真鍮の円錐の駒をプラッターの上に、レコード盤を支えるために何個か張り付ける。 この三角錐のとがった頂点によって、工藤モーターの振動が抑えられ、LPレコードは本来の針(カートリッジ)の特性を発揮できる ことになる。この発想は約20年以前のものだが、これまでLPレコードの音質について共振の音の歪みは一切なくなった。 一般にはこのターンテーブルの上に銅板や 真鍮板、やわらかい毛布は動物の皮を敷くのを見かけるが、すべてレコードの音をゆがめてしまう。 従って浮上式というのは理想的である。
発明に関しては、このほかにオーディオとは関係ないが、市販の商品で、窓に貼るプチプチでも実用新案を取得した。 プチプチをそのまま張っただけだと外の様子が見えない。それをなくすため、プチプチの真ん中に15センチの穴を空けるのである。これで雨の様子も部屋の中からまどを 開かずに確認できるというわけである。 発明というのはこんな風に実につまらない ものから生まれるのである。
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2022年01月04日 (火) 12時44分 )
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[64]聖書を聴くこともあります - 投稿者:taro
眼が悪いので聖書はYOUTUBEで朗読を開きます。
「老境の身に染みわたる朗読の新世界訳伝道の書を聴く」
この歌は知り合いのものみの塔の会員の方にお送りして喜ばれました。
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2022年01月02日 (日) 10時25分 )
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[63]KAGUYA 撮影画像の嘘 - 投稿者:taro
KAGUYAが月を周回して撮影して画像を公開したことはご存じのはずだ。しかし、最新の好感度カメラを使った割には画像が前世紀の解像度であったことはよく知られている事実だ。 そこでJAXAのホームページから画像を取り出してお遊びで解析してみた。 おそらく60年代のNASAの画像並みの画質を強制されたのだろうが、最先端の画像を出すとNASAの隠しまくった嘘がばれてしまうからにほかならない。 全くNASAの嘘はひどいもので、ここまでやるのかというほどだ。これは単なる偽善ではすまない。むしろ犯罪である。 日本のJAXAもついにNASAの犯罪に加担されているのである。
画像を3つ準備したが、最初の画像はいつもの隠蔽しまくった上塗りの画像だ。月に山がある、というだけの画像だ。右下のJAXAのマークが光っている。 次の画像は上の画像を解析してみた画像だ。これでもう隠蔽がバレバレだ。 そこで3枚目の画像となる。上の画像をもっと解析を深くした画像だ。 ここには月の街か村かしらないが、明らかに基地としての集まりが見えてくる。 ただし、2,3枚目はあくまで解析画像である。写真ではなく写真を解析した画像だ。そのつもりで見てもらいたい。ごまかしはない。
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2022年01月01日 (土) 13時42分 )
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[62]ある自由主義者のあこがれ - 投稿者:taro
ひとりの自由主義者としての田舎暮らし
1.田舎暮らしへのあこがれ
いつの間にか田舎に移り住んで15年が経った。 すでに私も75祭過ぎようとしているが、あらためてこの「田舎暮らし」が私の思い違いであったことを痛感している。 長い都会生活を続けていると人間は次第に身体ばかりではなく心が疲弊してくる。会社勤めは長い年月を通じて人間に相当なプレッシャーとストレスがかかる 単身赴任で生活したサラリーマンは特に定年退職したあと、病気が噴出してくるといわれている。糖尿病もそのひとつだ。不適切な食生活を送れば必ず身体に異変が起こるのである。
田舎でよく遊んだ幼馴染みの友達も東京の設計会社に勤めていたが、50歳を過ぎて胃がんで亡くなった。子供のころ、多感な人間性を身に着けた純粋な心は、毎日の会社の仕事や押し付けられる規律などで心がもてなくなるのだ。 男はそうした重圧に耐えて定年退職をゴールとして頑張り通さなくてはならない。そのよう都会の会社で生活するものにとっては、今回取り上げた「田舎」という言葉の響きはまさに聖書の神の救いのごとく聞こえてくるに違いない。 そこで彼らは街の生活を切り上げて田舎でのんびりと老後を送ろうと、希望を抱いているのかもしれない。 私の場合もまさに齢60歳になった時から、その「田舎」願望が芽生えてきて、毎日地図を視ながら構想を練ったものである。
当時の考えを細かく述べるつもりはないが、田舎に住んで大音量で好きな音楽を聴き、40代から始めた現代短歌創作をやろうという目的だった。 そして61歳で会社を辞めた私は見当を付けていた農村の山間地に1軒の住宅を入手した。更にこのブログに掲載する収集した大量のLPレコード盤を保管する特別な建物を造ったのだった。もちろん家の近くに音が広がらないように遮音性を考慮に入れた。こうして、世帯数10戸ほどの村に引っ越して来たのである。
2.田舎の本質を知る
ここでの生活は家内と2人の悠々とした田舎暮らしで、コロナ以前は、家内は週に一度自分のビジネスの客先に出かけて仕事を済ませるという生活を14年間問行ってきた。 ここまでは何も問題はなかった。村には公民館という集会場所があり、毎月神社掃除や村の清掃当番を決めて順番にやってきた。 しかし、15年間もそうした生活していると、彼ら農民の考え方が次第にわかって来る。しかもそれらが私の生活に多くの不都合をもたらしていることも事実である。 もう少し掘り下げて申し上げると、彼らの生活のパターンは過去の農村文化の継承が中心であり、文明の進歩など何吹く風で、新しい変化にはとんと関心を持っていないようだ。それはまるで、働いて飯を食って寝るだけの昔ながらの単純な生活である。この表現には多少異論があるかもしれないが、総じて「ものを考えない」生活を過ごしている、と言葉を替えても良いだろう。
さらに、彼らはなかなか理屈を理解しようとしない。彼らを主体的に動かす原動力はいかなる場合でも決して根拠のある「考え方」ではなく、親や先祖代々の教えを引き継ぎ守って行く生き方なのである。生活の改革だとか合理性という改善の方向性を持ち出すと途端に彼らは顔色を変えて否定しようとする。そんな傾向が村にはまん延している。そこには新たな発想や論理的な考えを実行してみようとする考えはない、そんなことを言おうものならすぐに「自分でやれば」という言葉が返ってくる。 まさに正真正銘の保守主義であり伝統主義なのである。 かれらはそのようにして古い過去から自分たちの家族や村の存続を計ってきたのである。従って、村に生活する者はどんなに新しい提案や計画なども決して口にすることはないのだ。
この村の様子は都市の企業経営の考え方とは正反対である。それはあたかも企業存続だけを意識した「守り」の消極的な考え方に過ぎない。企業経営の成果を得るためには、時代に即応した新しい計画が必要であることはもちろん、計画実現のための論理性が求められることが重要だからだ。
3.新たなストレスと孤独感
こうした村の本質が分かってきた頃から、私は胸の中に会社勤務時代とは違った新たなストレスが次第に蓄積されてきた。 最初は価値観の違いだからと割り切ったつもりではいたが、まるで村の人たちとは共通な話題がないのである。年間何度も公民館に集まってささやかな酒宴も行われるのだが、そこでの話題は古い昔話が多く、或いは街でのラーメン店の味がどうだとかいう話が多かった。自分たちの生活問題に繋がる税金問題とかプライバシーに関する話題は一切表に出さない。まるで自分の秘密を人に知られないようにしているかのようである。選挙の前の集まりでも何の情報もでてこない。 しかも、このような農家から文化や芸能などの問題なども話されることはない。 街でサラリーマンを続けてきた人が、このような人的集まりの中で果たして何を考えながら生きていくべきか大いに疑問に思うのである。
4.村八分
1年近く前のことになるが、ついにこの村は分裂状態になった。そしてこの件に関しても農民の社会的に無知なことがおおきな原因でもあった。 結論から申し上げて、自治会入会を巡って村の中で公民館派と自治会派が対立関係に入り、分裂してしまったのである。原因hq他愛のないことだったが、もともと村にあった特定人物への嫌悪感が対立を引き起こしたのだ。 村社会は通常は表に出ないこうした出来事が、時折村民の感情の高ぶりによって騒ぎとなるようだ。この結果先ほどの特定人物は村人の顰蹙を買い約1年間自治会派によって村八分の扱いを受けたのである。
5.田舎暮らしの幻想
テレビでも時折報道される田舎暮らしの印象はいかにも好感の持てるように作られている。だが、その実際はいろいろと困難な問題がなおざりにされているという側面があることも事実だろう。 わたしの場合、ここに来て最初の苦役として、川の中に鎌を持って芦刈りに行かされて大変驚いた。とんでもない作業だった。こんなことを街から来た私が死ぬまでさせられるのかと思うとぞっとした。
田舎暮らしの苦役は原則死ぬまで課せられた仕事と言っていい。なぜなら、村にはそのような苦役を定めた規則など何も存在しないからだ。苦役として定められた作業に参加しなければ村八分になる。 或いは急な石段を上って神社掃除が義務付けられている。老人にはとても危ない石段を上って、境内にたまった落葉を掃き捨てなければならないのである。自分はその神社の氏子でもないと言っても、これは村人の義務だと言われればそれまでである。 更に延々数キロの国道の脇の伸びた草刈りも村人の義務だ。泥と一緒に道脇に積み上げられた草をショベルで書き出してトラックに積むのだから大変な作業である。 こうした仕事を春夏秋3シーズン繰り返すのだが、高齢者しかいない村ではもう限界であった。
先ほどの神社掃除の話だが、日本の憲法に定められた信教の自由なんて、田舎にはないのだ。農民はそんな憲法があることすら知らないのだから。 以上の点から、私は田舎暮らしはまさに幻想だと申し上げる。雪の降る朝に高い山の頂上に妻と上って境内の掃除をすることをイメージしてっみてください。 寒くて、しかも高い石段が危なくて、ケガしても何の保証もない。そんな田舎がどうしてすばらしい世界なのでしょうか。 しかし、誰かがしなくてはならないのです。そうしなくては神社は老朽化して朽ちてしまうのですから。それを責めてもしかたがありません。 要は田舎には住まないことです。それしかありません。
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2021年12月30日 (木) 16時19分 )
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[61] - 投稿者:taro
先日隣の若夫婦が初産の挨拶にきました。 そこで私の短歌一首
●春を待つこころ華やぐ初産の やや子の頬に白桃のあり
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2021年12月28日 (火) 16時20分 )
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[60] - 投稿者:taro
真ん中の丸いデベソみたいなものは地球です。背後に青い影が映っていますが、これは月の生産工場かそれとも巨大なビルと思っています。仮にそれがノイズだとしても、こんなにビルの影みたいに整然とうつるわけはありません。 ブロックノイズならなおさらです。右したにJAZAのマークがありますが、これでこの画像がインチキではないことがお分かりになるはずです。
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2021年12月28日 (火) 16時15分 )
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[59]貧しきクラウンアンプを聴く - 投稿者:taro
今回倉庫の隅から引っ張り出して聴いた写真のアンプ「クラウン D75」はまさに圧巻であった。これまでアメリカ製オーディオ機器はマッキントッシュを除いてほとんど関心を持てなかったが、これは私の見当違いだった。 写真でご覧になれるように、パワーアンプとは言ってもこのアンプは圧さ5センチくらいで、見るものにほとんど何のインパクトがない。まさかこんなちゃちなアンプで大音量の音楽が聴けるとは思うわけもなかった。 しかも、値段がわずか中古で3万円ほどだ。ほとんどの本格的なオーディオマニアのアンプはパワーアンプだけで100万円近くかけていると思われるが、このクラウンは新品でも7万円位だ。したがって、ほんのお遊びアンプと言わざるを得ない。 しかし、使用してみるとこのアンプの実力はとんでもない高音質であった。 私は今回、タンノイのウェストミンスターを聞き直すべく再編成したのだが、その時のタイミングでふと倉庫の隅に置かれたまま20年以上経過したこのアンプが目に入った。そこでモノラル用にテストしてみようと思い立った。ご存じの方も多いはずだが、モノラル音楽はステレオに比べて特に低域の強力な音が要求される。2台の左右のスピーカーから同じ音が出力されるため、オーケストラの発する低域の音はステレオの低域よりもそれなりのパワーを必要とする。 果たして、このちゃちなパワーアンプで大丈夫だろうか、と不安ではあったが、最初にラフマニノフのピアノ協奏曲第1番のオリジナルモノラル盤で聴いた。 ところが、なんと言うことだろう。このアンプは体に似合わず、堂々とオーケストラの低く引き締まった音を引き出すのである。それどころかピアノの音も非の打ちどころのないほど打鍵の力を彷彿とさせて聞き手を魅了する。聴きながら私もブラボーと声を張り上げたくなるほどであった。
次にベートーヴェンの弦楽四重奏曲131番を聴いた。なかなかモノラルでは4人が横に並んで行う楽器の演奏をそのまま一点において聴くのは難しいと思っていたが、まったく心配なく、この名盤を目の前に繰り広げてくれたのである。
ここでベートーヴェンの弦楽四重奏曲のことについて若干付け加えておくと、特に後期作品と呼ばれるこの大フーガの作品の音楽性の高さは私を魅了する。 本ブログの主題を離れるが、いわゆる音楽における芸術性というものは、あくまで人間世界の普遍的美意識のことを指しているのである。従って、大衆的といいう言葉を形作る人間の情緒主義、すなわち喜怒哀楽とは一線を画している。 すなわち、芸術作品にはまず「構想」に始まる確固とした計画と目的が存在するのであって、決して人間のこころを弄ぶようなその場限りの情緒主義を相容れるものではない。 しかも、重要なことは「形式」が存在する。ご存じのソナタ形式もその一例だが、起承転結が整然と実行されることによって、音楽芸術はその目的を果たすのだ。 そのように考えると、この芸術の形式は単に音楽のみに終始するものではないことをご理解いただけるはずだ。あの漱石の「草枕」という小説でも然りだ。漱石はその中で「非人情」という人間の精神状態を 表現しているが、まさしく人情を超えた世界つまり「非人情」の世界にこそ芸術は存在すると主張しているのである。 この点で、わたしがこの数十年にわたり創作活動を行ってきた「現代短歌」の世界でも同様である。 文芸の神髄を表現するには、短歌といえども決して人情を持ち込んではならない。老人会で短歌が詠 まれるのが流行のようだが、これはほとんどが人情論であり、真の文芸には手が届かないことが多い。 明治以来、日本の古い伝統であった紀貫之の古今集などの情緒的和歌を脱却したのはまさに、正岡子規らが真の文芸を復興させるために情緒表現を厳しく規制したからにほかならない。 ただし、古今集より古い万葉集では「正述心緒」「寄物陳思」の原則のもとに歌が詠まれていたのはまことに皮肉で、現代短歌はその流れの中に再生されたのである。 そこで、再びこのベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の話に戻るが、これは古典派とロマン派音楽の中心に立つ音楽芸術として感情的表現はほとんど取り払われてい。あくまでも純粋な音楽表現に終始していることを感じ取るはずである。 従って、この四重奏曲の130番?133番を聴けばわかるはずだが、ここにはすでに人の心に入り込みやすい感情的要素はない。なにか難しい楽器の和声の響きがまるで抽象音楽のように聞こえてくる。ただ、そうしたこと難しい音楽のようには見えても音楽が混じりけのない純粋であるがゆえに聴く人の心に深く訴えかけるのである。
以前、大分の由布院で毎年行われていた「由布院音楽祭」でのことだが、東京芸大OBの演奏するベートーヴェンの先ほどの131番を聴きに行ったことがある。そこでこの曲目の演奏が終わったあと、会場の聴衆の反応はしばらく静まり返っていたことは実に印象深い。あまりの曲の表現の深みに接して言葉を忘れたかの如くである。
ながながと余計なことを書いてしまったが、この131番をテストレコードとして視聴したのである。結果はまさに最高の音楽であった。思わず声をあげたくなった。 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲はこのほかに私のコレクションとして生涯聞ききれぬほど多くの欧州のオリジナル盤を所有しているが、今回のこの貧しき1台のア ンプによって私の余命に最大の喜びを感じることができうると思い、まことに幸せな気持ちになった。
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2021年12月23日 (木) 10時49分 )
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[58]test - 投稿者:taro
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2021年12月22日 (水) 16時36分 )
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[57]信じてもらえるだろうか、これが月の大都市だ - 投稿者:taro
まあ、おそらく誰も信じないはずだが、これが月の裏面にある大都市の光景である。 おそろしいほどのビルが立ち並んでいるのがわかるはずだ。 残念ながらこのサイトを見る人は年にひとりかふたりだろう。しかししっかり記憶にとどめておいてほしい。これが月の裏面であることを。
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2021年12月20日 (月) 16時24分 )
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[56]DENON DL?103 カートリッジ - 投稿者:たろう
これまで長い間私はタイトルのカートリッジを所有はしていたが使用する機会がなかった。これまではオルトフォンのSPUが中心であり、あとはベンツマイクロかラウンデルリサーチくらいのものだった。 今回一時的にベンツマイクロの故障があって、間に合せにこのDL?103を使用した。 針圧は2.2gにセットした。 レコードのタイトルは手元にあっためったに聴くこともないエラートのベートーヴェン6番だった、指揮はガルトナーだったと思う。 まさにカートの試し聞きというつもりだったが、みごとにDL?103にうちのめされてしまったのだった。 このカートの音は割とハイ上がり気味ではあったが、見事にオーケストラの全体を捉えてぶつけてくる能力に長けていた。まるで手づかみの岩を投げつけてくる印象だった。 しかもレコードの溝に刻まれている音の全てをぶつけてくるものだから、こちらの耳というか脳内の整理が遅れると聞き逃してしまうほどの 素晴らしい音だった。 スピーカーはいつもの2万円で買ったビクターのSX?700という今では誰も買わないようなAVスピーカーである。しかし、このカートの前には、このビクターのポンコツも俄然威力を発揮して私がのたうち回るような感動を訴えかけて来るのであった。 もう、これには参ってしまった。カートは値段じゃ無いと誰かが言っていたように記憶しているが、本当にそのとおりだ、一体何のために人は20万円もはたいて高級カートを買おうとするのか。ここまでの103の音でも十分満足じゃないのか。つくづくと思った次第である。
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2021年07月01日 (木) 14時58分 )
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[55]このマーキュリーのLPはまさしく最高の音がする - 投稿者:たろう
前回説明していたが、マーキュリーのLPを聞き続けている。だが、このアンタル・ドラティのチャイコは実に素晴らしい。説明に苦労するが、オーディオファンにぜひ聞かせたいようなしっかりした音であることはもちろん、録音と制作の素晴らしさが聞き手に直に伝わってくる。制作は1970年代だったと思うが、すでにミキシング時代である。従って、音楽の効果を考えた制作がなされたはずだ。 おそらくまーきゅりーには優れた録音とミキシング技術者が揃っていたはずである。そうでなければこのような優れたLPができるはずがない。音に一切の妥協を感じないと言えば言い過ぎかもしれないが。 優れた創作芸術もまたそのようなものである。 芸術家の思いは一般の人にはわからないが、ほんの僅かな妥協が作品をだめにする。
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2021年06月23日 (水) 14時58分 )
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[54]マーキュリーというレーベル - 投稿者:たろう
かって日本には「日本マーキュリー」というレーベルがあった。だが、このレーベルは日本では主に歌謡曲が主体のレーベルで、私の今回の「マーキュリーレーベル」とは関係ない。 実は私はほとんどこのレーベルの曲を聴くことがなかった。理由は特にないが、なんとなくアメリカ盤のイメージがよくなかったせいであろう。だが、このレーベルのレコードは30枚くらいは所有している。有名盤の「火の鳥」なども所有している。 そこで今回聴いたのがほとんどなじみのないハンソン指揮ハンソン作曲の交響曲だ。 ところが、この曲を聴いて驚いたのだ。とても素晴らしい録音だった。私の好きなETERNAでもこんな録音はないと思った。それほどアメリカ盤らしくないかっちりとした正確なレコード作りがなされていた。ちょっと言葉では言えないくらいの確かな音作りだった。曲の方はそれほどの印象はなかったが、オーケストラの演奏がここまでかっちりとできると音楽もなにかよさそうに感じるものである。楽器のひとつひとつがしっかりと表に出てくるような印象で、音にごまかしが感じられないといいう印象だ。素晴らしかった。こんなレーベルはぜひともオーディオマニアの方でしっかりと堪能するほうが良いと思った。 このマーキュリーの音はLPとしては第一級の音ではなかろうか。続けて数枚を聴いた。
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2021年06月14日 (月) 16時02分 )
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[53]録音レコードによる音楽の感動とは - 投稿者:たろう
今日聴いたこのレコード、「ETERNA チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲第一楽章、演奏ダビッド・オイストラフ コンビチュニー指揮ドレスデン交響楽団」 このレコードの演奏始めの針を下す部分は猛烈なプチプチ音があった。これはまさにこのレコードが名盤たるゆえんであり多くの回数が聴かれた証である。レコードの冒頭から猛烈なオケのツッティが鳴り響く。左右のスピーカーからうなり出る音はとてもほかのレコードで聴いたことがないようなエテルナ特有の音だ、 そしてしばらくするとオイストラフの力強い演奏が始まるのだが、ジャケットの写真に載せられたオイストラフの恐ろしいほどの顔が眼に浮かんでくる。それから約20数間続くこの第一楽章は決して聴き手を休ませることはないほどの力のこもった演奏だった。 多くの演奏者の同曲を聴いてきたが、こんなにも音楽の中に引き込まれたことはなかった。 聴きての私がこのような印象だから、実際の演奏者は果たしてどんな顔をしていたのだろうか。とにかくその一音々々を聞き逃すまいと必死だったが、この曲が終わったところで疲れ果ててしまった。それは体力的な問題というより、芸術鑑賞の凄まじい代償でもあったようだ。それほど、このレコードは聴き手にも驚嘆する演奏効果をもたらす。どっぷりと音楽の中に取り込まれたということなのだ。 CDを聴いていてもこんな深い感動が得られることはないだろう。これがまさしくLPレコードが故の効果なのである。 そのあと、PCの前に行って五嶋みどり氏の 同曲を視覚的に視た。これにも驚かされた。 まるで彼女はリングの上でボクシングをしているような姿でバイオリンと格闘していたのである。ウエイビングしながらあるいは身体を前に深くまげて体を振り回しながらバイオリンの音を紡ぎ出してゐいた。ああ、やはりこの曲は黙って突っ立って出てくる音ではないんだとつくづく感じた。まさに「格闘」する音楽なのである。
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2021年05月23日 (日) 15時15分 )
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[52]今日もエテルナ - 投稿者:たろう
昨日に引き続き、今日もエテルナを聴いた。 ステレオとモノラルのエテルナは全部で140枚位所有しているが、まだ聴いていないものもあったので、この機会に、というわけだ。 一体、このエテルナのステレオ盤は他とどう違うのかを考えてみた。とにかくスピーカーから飛び出してくる音の凄さは普通のレコードの音ではない。 その最大の特徴は、まさに「演奏会場のひびき」そのものなのだ。つまり実際の演奏家の演奏がそのまま自分のスピーカーから飛び出してくるという印象だ。しかもその音は実に純度の高い音で聴くことができるのだ。 昨日、ベートーヴェンのトリプルコンチェルトを聴いた。このレコードはカラヤンのEMI盤 など何枚かあるが、なかなか良いレコードがない、というより、どのレコードを聴いても満足するレコードがないため、もしかするとこの曲はベートーヴェンの駄作ではないかとも思っていたのだが、エテルナの盤では少し違っていた。中央右手にあるはずのチェロの音についてもそうだ。この楽器の音はどの盤でも他の楽器の影響で何かくすんだような音で聞こえる。 だがこのエテルナでは初めて明瞭かつ美しいチェロの際立った音を聴いた。というよりエテルナの盤は録音ポリしいのせいか、楽器の音を忠実に取り込んでいるのだろう。チェロの存在がオケの音に埋もれることなく、はっきりと浮かび上がってくるのである。 音質で名高い「フランスコロンビア」やフィリップス盤」など素晴らしいレコードを聴いてはきた私からすると、このエテルナの世界は確かに群を抜いている。かといって、これはジャズファンが喜ぶ、前面に楽器の音が飛び出してくるというラフな感覚ではない。調和のとれた楽器の音なのだ。さらに交響曲を聴けばこれらのレコードの凄さがわかる。それはもう、音は演奏会場そのものであり、私はここまでのリアルな交響曲をレコードで聴いたことはない。しかも第一楽章のテュッティの音の響きは、まさに聴き手を包み込むような印象で、他のレコードの合奏の響きとは違って聞こえることは確かである。やはりETERNAが一番だ。
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2021年05月20日 (木) 18時25分 )
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[51]「ETERNA盤」に改めて驚愕 - 投稿者:たろう
久しぶりに所有のETERNA版を聴いたところその音の良さにあらためて驚嘆した。 YOUTUBEにアンプの音質向上のために鉛のベルトを張り付ける記事があり、私もどんなものか試してみたところ、これが確かに音質向上に有効であることを確認した。 そこでどの程度の効果があったのかと実際にETERNA盤をかけて聴いたのだが、これまで以上のリアルな音質効果が上げられたことを納得したのだった。レコードの中で最高の音質として認めていたこのETERNA盤が、アンプ音の改良とともにまるで限界もないくらい音質が伸びて行くような思いである。 このETERNAの音の良さの秘訣は、ひとえに演奏楽器の音の高い透明性にあるといっていい。その純度の高い音がいかなる背景のオーケストラの中にあっても際立っている。 それはピアノであってもヴァイオリンであっても同様だ。 英国の音響技術の陰にあって、この東ドイツの当時の音響技術は当時の共産圏ソ連の同盟国として、控えめながら相当な実力を身に着けていたに違いない。 録音技術あるいは真空管を含む電気回路技術においても自由主義国の技術をしのいでいたことが容易に推察できるのである。 今日聴いたリヒテルの協奏曲にしてしかり。 他のいかなるレコードもこれほどに美しい音を響かせてくれるものはないと思えるほどだ。 私はCDは聴かないが、この演奏録音はCDでは薄っぺらな音となってただの一般音楽と同様な作品となってしまうに違いない。ところが、レコードでこのくらいの音となると、まさに演奏者の気迫がそのままレコードから押し出されてくる。弾きての力加減が音の中に込められていてその思いが伝わってくるような演奏だった。全くこれだから私はCDを聴かないのだ。メディアが演奏者の心を伝えきれなければただのコンピュータデータに過ぎないのだから。
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2021年05月18日 (火) 16時02分 )
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[50]最近のオーディオ改良点(2) - 投稿者:たろう
前に続いて改良点の説明 4)電源ケーブルの選定 実はケーブルの選定には正直驚いてしまっ た。まさか電源ケーブルでここまでの違いが あるのか ということだったのだ。有名メー カー2本と名の ないメーカー製のケーブル を比較したが、結論は 圧倒的な違いから、 名のないメーカー製を選んだ。それぞれに特 徴があったが、やはり各周波数 ごとのバラ ンスが整って いなければ、いくら高域の音 が出ようが同じ だ。選ばれたのは YAHOOで2本1万 5000円程度 だったがまさに解像度の高さ でずば抜けて いた。 注意しなくてはならないのはプラグの向きを 整えることだ。これにより低域寄りと高域寄 りが全く変わってくる、一体どのくらい聞き 比べただろうか。 5)スピーカーの上にレンガを載せる 今回申し上げたいことはこのレンガの件であ る。ビクターSX?700の頭に10センチ レンガを2ケ載せた結果に驚嘆せざるを得な かった。 スピ^?カーの頭と言えばツイーターのすぐ上 である。ここにレンガを載せることに果たし てどんな意味があるのか、私もわからなかっ たが、実はスピーカーの「音圧」がかなり アップするのだ。例えばピアノのフォルテで 打鍵した音をイメージしてほしい。 これまで改良を重ねて聞こえてきた打鍵の音 がさらに「強く」響くのである。一般的な「音圧」というより「強い音」と思ってもらい たい。それも驚くほど強い音だ。「ダー ン!」という強い音に思わずひっくり返りそ うになることをイメージしてもらいたい。 それだけではない。音場の奥の音と近くの音 の遠近感が出てくる。信じられないほどだ。 要するに奥行きが出るということだ。 私はレコード派なので、その音たるやとにか く激しく思わずボリュームを下げに行ったほ どだ。 実はこれはもうひとつ、フォノイコライザ用 のMCトラン スの下にあの布団の綿をわず かに敷いた時から顕著になった。この「レン ガ」と「綿」が 相乗効果を上げているのか もしれない。 女性のソプラノの声は正面からぶっ飛んでく るように強い音がする。オーケストラのツッ ティなどあまりにも明瞭な音が部屋いっぱい に響いて正直驚いてしまう。
この変化は、ひとつにはツイーターを固定し ているスピ^?カーの補強材が、思いレンガを 載せられたため、それまで以上に解像度を上 げたことにより、ウーファーの周波数に作用 したのかもしれない。その証拠に不思議なこ とにスピーカー の上が「汗」をかいてい た。明らかにツイーターが熱を発したのであ る。 デスクトップスタイルのスピーカーを使用し ている方は、テストして見られたらいかがで しょうか私の場合は大満足でした。
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2021年03月13日 (土) 18時52分 )
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[49]最近のオーディオ改良点 - 投稿者:たろう
誰も見てくれる形跡がないブログに掲載するのも面白くないので、しばらく放置していたが、とりあえず音質改良を数点記載することにする。 いつも聴いているのはオークションで入手した安物のSX?700というスピーカーだ。わずか2万5000円ほどだったと思うが、どうしたことか、このスピーカーの音にとても満足している。 誰かが昔このスピーカー発売時にAV用と言ったことが原因で、こうしたトールボーイは日本のファンに敬遠されたらしい。その証拠に、全く同じ型式でデスクトップ型のビクター製SX?700は今もオークションでは人気がある。 ところで、私がこれまで自分のシステムにちょこちょこと改良してきたいくつかの箇所をここで取り上げてみる。実はこれらが実に効果的にステレオの音質を良好な状態に保っているのである。 1)ターンテーブルの空間保持方式 2)工業用ターンテーブルベルトの採用 3)2種類のスピーカーケーブルの接続 4)電源ケーブルの選択 5)スピーカーにブロックを載せる 大きくは以上の4点の改良を行った。ただし、私はLPレコードの愛好家なので、MCトランスについてはどなたかがおすすめになったアイドリングを1週間行った。 まずターンテーブルの空間保持方式は、このブログの最初の方で述べたが、画像1)に再度掲げて置くことにする。 画像で見られるように、円錐の駒を使ってLPを空間に保持するのである。 これにより、プラッターの材質に絡んだ音質の悪さから完全に逃れることができた。 銅板だとかカーボンだとかあるいは真鍮板だとか、いくら変えてもカートリッジの共振は防ぎようがないのである。 従って、思い切って空間に持ち上げることによりほぼ共振が収まり、本来のカートの音を得ることができることはこれまでの使用において明らかだ。 次の工業用ベルトの使用も大きな改善効果が期待できる。ひ弱なベルトで力のある音が出ることはない。今まで気が付かなかったこのベルトのおかげでオーケストラの音が実に力強く浮かび上がるのだ。次のスピーカーケーブルのつぎはぎの話は信じてはもらえないだろうが本当だ。アンプから引き出したスピーカーケーブルを、接続する30センチ手前で切って、もうひとつの音の良いケーブルを接続するのだ。 すると、スピーカーの音が断然良くなると誰かに聞いてそのままやったところその通りで、今も20年ばかり前から使用している。 この続きはNEXTで...
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2021年03月13日 (土) 17時50分 )
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[48]第3回 驚くような月面都市 - 投稿者:taro
退屈しのぎに時々月面の解析画像を転載さいています。このように詳細な画像はこれまで掲示されたことはありませんが、疑う人も多いかもしれませんがすべて真実です。ただ、ここまで洗脳された地球人にそう言っても結局馬鹿にされるだけですから、見た人の判断で結構です。月面に水が存在することはすでに発表されていますが、その水のことにすら、これまで数十年に亘って秘密にされてきたのです。そのように、月の真実は小出しにして明らかになりつつあります。 私が聞いたところでは、月には地球人が数万人も送り込まれているとこのこと。 結局地球人は何も知らされていないのです。 「陰謀」とか「とんでも話」などと馬鹿にする科学者の攻撃は、まさに真実を知らせない科学一辺倒の考えを地球人に植え付けようとする間違った理屈主義であること私は確信していますが、いかがお思いになりますか。 9.11事件にしても3.11地震にしてもすべては恐ろしい陰謀であることはわかりきっているのです。地球人はすべての真実に目を瞑って生きることを余儀なくされている存在ですからどうしようもないですね。 要するに私たちはそのような虚偽の世界、つまり『人間牧場』にまるで飼われている動物的存在です。陰謀家は古くから計画的にそのような世界を築いてきたのです。従って、月にも火星にも人間が存在するのは、その計画通り我々地球人が管理されているシナリオの過程であると考えるべきでしょう。
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2020年11月20日 (金) 11時56分 )
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[47]すばらしいサンサーンスのヴァイオリンソナタを聞く - 投稿者:taro
レーベル:フィリップス(蘭) タイトル:サンサーンス ヴァイオリンソナタ 演奏:ピンカス・スーカーマン(Vr) マーク・ナイクラグ(pf)
このレコードは多くのコレクションの中でも音質として最も評価の高いLPです。 年代は比較的新しい(1970年代)のLPと思いますが、その透明感漂う音楽の素晴らしさにはただ聴き入るばかりです。 フィリップス盤はご存じかもしれませんが、どの盤も極めて音質がよく、特にオランダ盤は私のコレクションの中でも有料版揃いです。
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2020年11月19日 (木) 14時40分 )
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[46]久々に月の話です - 投稿者:taro
私は月に文明があるかどうかはわかりません。 あくまでも創造の話とは思うのですが、それにしてはよく画像を見るとそれ以外には考えられないような不思議なものを見てしまいます。 本日掲載した画像もそんな画像です。クリックして拡大画像を見てください。 これはアポロ11号の撮影した画像です。 これを見ても月に大量の水があるのは間違いないようですが、今日の画像は建物が見えるんです。 月の交通機関は船であると前に申し上げましたが、その川の中に数階建ての横に長いビルが見えます。 その部分を拡大した画像が2番目の画像です。 それから、三番目の画像を見てください。 信じない人はそれでも結構ですが、月の表面にはこんなにぎっしりと住宅が連なって建てられているようです。驚いてしまいます。
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2020年11月14日 (土) 14時34分 )
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[45]超高音質盤 london盤 - 投稿者:taro
これまでほとんど聞くことのなかったLONDON盤を聞いたが、大変すばらしい音に深く感動した。 安物のビクターSX?700のスピーカーからこんな音が聴けるとは思ってはいなかったので、まさしく感動はひとしおだった。 LPは右の画像をクリックして見てもらいたい。 1975年英国DECCA録音 1977年米国LONDON発売 演奏者ヴァイオリン シモン・ゴールドベルク ピアノ ラド・ルプー モーツアルト ピアノとヴァイオリンのた めのソナタ 演奏はおなじみのモーツアルトのソナタが早いテンポで繰り広げられるいつものソナタではあるが、特にピアノのルプーの演奏が素晴らしい。特にオーディオ好きな人が聴けばこのピアノの早いパッセージの演奏には驚いてしまうことだろうが、実はその音が2つのスピーカーの真ん中で浮かび上がってくるのには驚かれるはずだ。音の粒子が浮かんで目の前を乱舞する、そのような印象である。 私もこんなピアノの音を聞くのは久しぶりであった。しかも、ウーファーに欠陥のあるスピーカーの音とも思えぬほどの美しい音だ。 「良い音」ではない。「美しい音」なのである。芸術の目的である「美しさ」の探求という命題をまさに満足するに足る音楽だ。 音の粒子が空間に浮くという表現が適切かどうかわからないが、まさしくピアノの打鍵した音符が乱舞するような素晴らしさだった。 オーディオファンに是非聞かせたいほどだ。 しかもこれは1975年のレコードの音だ。 当時の英国DECCAの録音技術の素晴らしさを感じさせてくれる1枚であった。
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2020年11月13日 (金) 16時10分 )
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[44]かって全LP8,000枚を撮影した時の話 - 投稿者:taro
私はかって所有するオリジナル盤を中心とした輸入盤のLP盤8,000枚程を全て写真撮影しようと思い立ち、約2年半ほどの時間をかけてこつこつ実行した。8,000枚といえば1枚250g計算で約2トンの重量がある。 これをマンションの壁に並べていたわけだが、ある夜、布団に就いて考えていたら急に大きな不安にかられた。その日のNHKニュースで、どこかで床抜けの事故が発生して、その原因が少年の集めた漫画本が原因となったということだった。 その夜、その事故のことを考えていたのだが、もしかすると私の場合もそのような事故を引き起こすかもしれないと思い恐ろしくなった。 そこで私もLPをどこかに預けなくては、このままではマンションの床が抜けてしまうと思い、次の日から早速その準備にかかった。 全LPの移設をしようということである。 だが、その前にすることがある。かねてよりLP盤のデータベースを作ろうと思っていたのだから、まず、写真撮影が先ということになった。しかし、8,000枚のLP盤とは言っても、ジャケットの裏と表、さらにレコード盤の 3枚のショットにしようとなると全枚数は2万4千枚の写真を撮らなくてはならない。 24,000枚というと、これは大半な枚数であるだけに果たしてどのくらいの期間がかかるのか心配になった。 だが、一応やれるところまでやろうと思い立ったのである。 それかというもの、仕事が終わって帰宅して食事を済まし、風呂にも入って其のあと取り掛かるのであるが、これがなかなか進まない。 第一ジャケットを袋から取り出し、更にもう一枚ビニール袋からLP盤を取り出すという動作ばかりでなく、撮影した後もとの袋にしまい込んで棚に置くまでの動作がかなり手間を食うのである。結果的に1枚当たりの作業時間が約13分少々かかる。 これを8,000枚やるとなると、そう時間は単純計算1.5年となるが。実際には2年6ケ月はゆうにかかった気がする。 この毎晩のでたらめな生活のおかげで、頬はこけて、体調は悪くなり病気寸前になったほどだ。現在は、仕事をリタイアして、倉庫の二階に専用室を作ったため、崩落する心配もなくなったため落ち着いて音楽に接する毎日である。 今考えてみると、このLP盤の撮影の件はわれながらよくやったものだと思う。しかし、聴くことに追われて、実は未だにこれらのレコードをきちんと整理していない現状である。データーベースなどやろうとも思わないほどだ。 まったく、馬鹿な俺だと思っている。人間は愚かな間違いを犯すものである。
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2020年11月11日 (水) 11時47分 )
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[43]マリアカラス/ロッシーニを聴く - 投稿者:taro
いやはや、このマリアカラスのLPには恐れ入っ た。スピーカーは中古2万五千円で買ったビクターのSP?700だが、正面に定位したカラスの声が 目の前に飛び出してくる印象だった。 カートリッジはDENONのDL?303、ただし、シェルを昔のパイニアの数百円の最軽量のものに取り換えた。 というのは、DL?303は針圧が1.26gという軽量針だ。 従って、シェルも相応に軽量にしなくては通常のシェルではパフォーマンスが発揮できないと考えたからだ。 この考えは正解だった。シェルが軽くなると、それだけアームのダンプもよく反応して、音楽のデリケートな部分を表現するようになった。 どちらかといえば、最近シェルの重いやつを中心に使っていたが、この考えは間違っていた。 昔のプラスチックシェルはまんざらでもなかったのである。 カートリッジの取り付けの際、その下に専用の炭素板を敷けばカートの振動が緩和される。
おかげで今日のカラスは最高だった。 両方のスピーカー中心の目の位置に定位した温蔵はピタリと動くこともなくあのカラスの絶唱を聞かせてくれた。 このカラスの声はまさに「楽器」だった。 まさにおそるべしカラスのベル・カント唄法だ。 英国EMI盤のセミサークルだが、最高の音質だった。
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2020年11月10日 (火) 15時20分 )
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[42]月の大都市 - 投稿者:taro
これはアポロ11号撮影画像です。 信じない人はそれでも結構です。 この画像はNASAが公開した画像です。ただあまりにも解像度が低かったため、話題にもなりませんでした。こんな大都市があることを誰が信じることができるでしょうかね。まあ、おもしろ画像ですね。 ※Ctrlキーを押してマウスボタンを回使うと更に拡大します。
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2020年11月02日 (月) 11時02分 )
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[41]VOX盤 シューベルト弦楽四重奏曲 - 投稿者:taro
普段余り聞くことのないシューベルトのSQを聴いた。1960年発売の最初期の古い仏VOX盤だ。 演奏はフランスのエンドレス四重奏団。 5枚の箱入りでレコード番号がVBXー4となっているのでモノラル最初期のLP盤だ。
最初期だからあまり音は良くないだろうと高をくくって聴いたが、これがすごくいい音で感心した。 定評のあるVOXだが、他のベートーヴェンの弦楽と違って真ん中から音が押し寄せてくるような印象だった。 おそらくSP時代の録音技術をそのまま使ったのではないかと想像することができるほどだ。 こんなSQの音は聴いたことがない。 後のモノラル優良盤などとても比較にはならないほどだ。モノラルとは言えこの音の拡がりはただものではない。VOXの技術力を嫌がおうでも知るLPである。 こんなLP聴いているとステレオ盤の魅力が無くなってしまうだろう。ましてやCDなんて音楽とは思えなく鳴ってしまうに違いない。
音楽の喜びはまさしくLPを大音量で聴くことによって実現できるという、私の考えを如実に示す今日の1枚であった。
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2020年10月31日 (土) 15時35分 )
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[40]モノラルLPの音の凄さ - 投稿者:taro
右に貼り付けたプッチーニのラ・ボエーム レーベル:EMI(英国) 2枚組 モノラル 指揮 トーマス・ビーチャム 出演 ヴィクトリア・デ・ロスアンヘレス ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
これはまさしく想像を絶する解像度だった。 聴きながらこれはステレオではないかと思うほど だ。 ジャズではモノラルのこのようなLPもあるようだが、高解像度のクラシックオペラでは、あまりお目にかかれないほどの音質だ。 2枚組LPだったが、主役のミミが死ぬ最後ま でをたっぷりと聴いた。 それにしても、とてもCDでは味わえない音質の良さだった。 やはり、音楽は大音量で聴けばそれだけ感動が高まる。部屋隅で低音量で聴いても、この激しい息づかいなど到底聴越えてこないからだ。 我々はこのような芸術作品を一体何のために聴くのか。それはまさしく感動を得る為である。 それは単に音楽だけではない。全ての芸術や文芸作品に関しても言えるはずだ。 最近の文芸は特に女性の軽妙な作品が多くて、まるで日常の生活を切り取っているだけに過ぎないようだ。私の好きな短歌の世界でもなんだかそんな作品が増えて全く面白くない。 どうか、真の文芸作品を発表する作者が出てこないかと切に願うばかりだ。
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2020年10月29日 (木) 13時30分 )
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[39]月に大量の水があったというNASAの報道 - 投稿者:taro
昨日のインターネットニュースに「月には大量の水があった」という報道があった。 だが、私は少しも驚かなかった。この水のことは今から約20年前に私が主張していたからだ。 当時は誰からも変な目で見られて信用を落とすことになったが、私は確信を持っていた。
ちなみに、右の画像を拡大をクリックして拡大画像を見て欲しい。 そこにkaguyaの写した画像があるはずだ。しかもそれは間違いなくダムの写真だ。 我々はおそらくNASAがこれまで隠し続けてきた真実を今頃小出しで見させられている。 そのように考えるべきだ。
オーディオとは関係ないが、とりあえずここにその情報をかかげておく。
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2020年10月28日 (水) 15時07分 )
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[38]タンノイ ウエストミンスターの音 - 投稿者:taro
◇全体を右の写真のように「安っぽい」システムで構成している。但し、プリアンプ不使用 ◇アンプはどこぞの10万円くらいの真空管アンプ メーカーはサンバレー(キット商品?) マランツの7番のコピーと言っていたが、結構いい音がする。 ◇イコライザーはオルトフォンのEQーA1000だが、これは奥行き表現と前面表現を切り替えられる優れもの。 ◇プリアンプ不使用 パッシブフェーダーの「モーツアルト」という商品使用 プリアンプの余計な音が無い分解像度が効果的に高まり、満足している。 ◇MCトランスに張り込んでパートリッジの 9708を使用 これは文句なく素晴らしい (システム中、これが一番高価だった)
以上、スピーカーに比して極めて安価なシステム構成だ。だが、問題はその音だ。LPレコードを聴くのに大枚はたいて機器を揃えて何になる。 私は決してCDのように高い定位感とか口の開き方がわかるような解像度を求めて等はいない。 音楽の感動とはそんなことで得られるものではないからだ。 このシステムで聴く音楽は完璧とは言い難いものの、まさしく聴き手に音楽の感動をもたらしてくれる。サブスピーカーで使用しているビクターの20センチ×2台装着のスピーカーの音は全く違った音場を目の前に形成する点で比較にはならない。例えばオペラを聴く際もバリトンの歌手のアリアは朗々と目の前で歌い上げる点で、聴き手は圧倒されるに違いない。 もちろん他のジャンルの音楽の聴けるが、例えばこじんまりとした弦楽やピアノソナタなどは、あまりにもスケールが拡がりすぎて聴き手は戸惑ってしまうだろう。 したがって、私は交響曲とオペラに絞ってこのウエストミンスターを聴くのである。
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2020年10月22日 (木) 11時47分 )
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[37]バレンボイム ベートーヴェン26番 - 投稿者:taro
このレコードのジャケットに写っているバレンボイムはかなり若い。おおよそ35歳頃だろう。とすると現在指揮者として活躍するバレンボイムを70歳頃と推定すると、約35年前の最も油の乗り切った頃演奏と言うことになる。 事実、この演奏は凄まじかった。鍵盤を叩く打鍵の音を私の使用しているDENONのDLー305は完全に再生できなかったほどだ。 私はピアノソナタのこんなにも激しい音を聴いたのははじめてだった。 次の日、パソコンのYOUTUBEで同曲を弾くポリーニの演奏を聴いたが、あのバレンボイムの熱情的な演奏には届かなかった。というより、パソコンの前に置いたNHTの小型スピーカーでは最初からあんな音は期待できないのは当たり前だ。 それほどバレンボイムの24番は圧倒的だった。ついでに70歳頃のバレンボイムが同曲を演奏するビデオをパソコンで見たが、やはり昨日のスピーカーの強烈な音の片鱗が見て取れたのである。このLPは私の好きな独EMIのブルーレーベルのボックス入りだが、このレーベルはどれも音がクリーンでとても聴きやすい。 まさにいい音楽を聴けたのは悦ばしい。
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2020年10月21日 (水) 15時19分 )
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[36]大音量でワルターのベートーヴェン - 投稿者:taro
大音量でワルターのベートヴェン7番を聴いた。 コロンビア・シンフォニーオーケストラ 1958年録音盤オリジナル さすがにワルターの演奏は痺れるほどだった。 カラヤンの7番と比べても、小手先のテクニックなど皆無で、まさに正統な7番の音楽を聴く思いがあった。耳が壊れる一歩手前の大音量でこの音楽を聴けば、弟一楽章でギブアップするほどだった。 最近は復刻のCDが発売されているらしいが、あくまで奥行き感溢れるタンノイのウエストミンスターで聴く音の凄さを感じる。左右のスピーカーから演奏会場に自分が居るような雰囲気で、しかもスピーカーから押し出してくる力強い音がぶつかってくるのはLPレコードでなくては味わえないだろう。色々と7番を聴いてきたが、今日の1枚は実にオーソドックスな7番だったと改めて思い直すほどの素晴らしい演奏だった。
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2020年10月21日 (水) 15時02分 )
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[35]胸を打つチェコ ヴラフ四重奏 - 投稿者:taro
眠気を誘うハイドンの弦楽四重奏を聴きながら、その前にかけたベートーヴェンの弦楽四重奏18番の感動の余韻に酔いしれていた。 このハイドンに比べれば、なんと感動的な演奏だったことか。なかなかベートーヴェン演奏の優良盤に巡り合うのは難しいが、この古いヴラフ四重奏の演奏は四人の演奏によって創り出される美の世界を目の前に繰り広げてくれたような気がする。 音楽の美とは実に漠然としているように聞こえるが、それは均衡の取れた音の響きによって、聞き手である人間の精神が「知」の世界に満たされることを言う。浮薄な「情」の世界ではなくあくまで人の精神の中に宿る気高い意識のことを言うのだ。このLPの演奏は1962年といういうステレオのできた初期の録音によるオリジナル盤だが、演奏には決して奇抜さもなく、実に自然なベートヴェンのイメージを作り出そうとしているように感じた。
それに引き比べ、冒頭のハイドンの弦楽の響きはどうしたことだろう。なんとも眠たげに演奏する演奏者のせいというより、ベートヴェンの師であるハイドンが聴衆を唸らせるような音楽創作の意欲が薄れていた頃の作品かもしれない。 私の好きなハイドンのピアノソナタとは雲泥の差がある。
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2020年10月13日 (火) 13時06分 )
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[34]グーグルはプライバシーの侵害だ - 投稿者:taro
これまであまり関心がなかったが、昨日グーグルの情報を見て驚いた。 なんと、私のパソコン操作の記録が全てグーグルに私のDATAとして記録されていたのだ。 「冗談じゃない!」こんな個人情報は一体何のために記録されているのか。 私がPCで何を発言しようが、何を調べようが、そんな記録をどうしようというのか! しかも、法律の「個人情報保護法案」はどうなっているのか。 以前の映画で個人の情報をかんたんに取り出すことのできるアメリカの実情を見たことがあるが、 もうそこまで来ているのだ。我々の個人情報も。 おそらくグーグルを使用しなくても、ヤフーも 裏ではつながっているはずだ。
唯一個人の記録を追求しないというブラウザがあるらしい。早速調べてみよう。
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2020年10月06日 (火) 16時24分 )
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[33]なんの刺激もない田舎暮らしの話 - 投稿者:taro
トランプ大統領が退院した様を詳しくテレビ朝日が中継していたが、我々は外国の大統領の退院の様子をそこまでテレビで見なければならないのだろうか。 最近のマスコミの過剰な報道にはうんざりしているので、そろそろ自宅のテレビを全部廃却しようかと考えていた。 この報道についても、我々日本国民が何も実況中継して見る必要もないはずだ。こんな具合に我々はマスコミに操られて必要もないものを見させられているのだろう。 全く嫌な世の中である。なんのために田舎ぐらしをしているのかわからないときがある。知らなくてもいいものにむりやり注意を惹きつけられている。それが事実だ。そのように考えると、テレビの報道はこんなもんじゃない。一日中つまらないこと、例えば芸能人の私生活の詳細を長時間に亘って見させられるし、一体、芸能人が私の生活に何の関係があるのかと、時々声を上げたくなる。私は原則的にテレビを遠ざけているのだが、一緒に食事する連れ合いがテレビを観るので仕方なく付き合わせされるのだ。 だが、テレビから離れて生活していると、全く離れ島にたどり着いたロビンソン。クルーソーのような味気なさである。山裾の家なのでたくさんの小鳥の声が聞こえてくるので気分が悪いわけはないのだが、1週間ばかり人の話す声を聞かないときはさすがに自分の存在が消えてゆくような気がしてならない。
そこで、気が向いたときに離れのオーディオ室にこもって好きな音楽を、誰に邪魔されずに聴きまくるのである。もちろん、今日が何日か、ときどきわからなくなる。 離れ部屋にいないときはだいたい一日中机に座ってパソコンで好きな音楽を探したりして部屋のダイアトーンを鳴らしているが、コロナウイルスの流行がなくても外に出ることがないので、特段ウイルス感染を意識することがない。
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2020年10月06日 (火) 13時33分 )
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[32]製造国違いのレコードを比べてみた - 投稿者:taro
手元に出てきたBACHのLPの音質を調べてみた。BACH ヴァイオリンとチェンバロのための ソナタ。各2枚入ボックス VN:コーガン チェンバロ:カール・ リヒター 1973年録音 1.日本国内盤 オイロディスクジャパン制作 キングレコード製造 2..英国RCA録音及び製造 ジャケットもも同じレコードではあるが、双方の音楽にかなりの違いがある。 RCAはまるでジャズと変わりがないほどのダイナミックな音だ。まるでヴァイオリンのコーガンが大声でわめいているような感じだ。 リヒターのチェンバロも総じて音が強過ぎる。本来かすかな音であるはずのチェンバロがここではまるでリズムを強調するための楽器と化している。
この曲はバッハの曲の中でもしっとりと演奏されるのが普通なのだが、英国版のRCAの場合、これで果たしてバッハの曲想にあっているのか疑問が残る。まるで作曲家を間違えているような雰囲気だ。 一方、国内盤の方はきちんとした演奏でそれなりの折り目正しい両者の演奏が光っている。 私は国内版はほとんど聞くことはないが、まあ、なんとか最後まで聴くことができた。
もともとの米国版RCAの場合、例のリビングステレオのあまりのレコード制作のまずさに驚いて、これまでほとんど聞くこともなかった。やはり米国人の気質はこうした「モノづくり」には向いていないのだろう。 ジャズレコードを聞く人の中には結構ファンも多いようだが、クラシックをじっくり聴く人間からすると、やたらとドラムやベースで調子を取る音楽は好きになれない。 かって、私はアメリカのジャズ発祥の地と言われるニューオーリンズにもでかけて行ったことがあるが、お祭り騒ぎの街の雰囲気に飲まれてしまった。彼らは音楽を聴くというより楽しむという方が似合っているようだ。そのニューオーリンズの夜の帰り道に小学生位の男の子が、橋の上で、ヴァイオリンを奏でていた。前に立って聴いたらそれはバッハの「無伴奏」だったので大変驚いた。アメリカでバッハを弾く人はこうしてジャズ文化の陰でひっそりと演奏していることを感じた次第である。
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2020年09月29日 (火) 11時18分 )
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[31]久々にバッハの無伴奏ヴァイオリンを聴いた - 投稿者:taro
部屋の棚にはめったに出番のないバッハのいち団が並んでいる。主にテルデック箱入りLPだが、このテレフンケンには全く頭が下がる。 というのは、おそらく日本では好んで聞く人は少ないと思えるオルガン曲を丹念にレコーディングしているからだ。それもバッハの協会音楽は膨大な数があるが、たとえそれがカンタータであろうと細かく見出しをつけて制作されている。 まるで学術資料のようだ。バッハの曲は協会音楽と世俗音楽に分かれるが、一般的には器楽演奏を中心とした世俗音楽が好まれるのは致し方ない。
右のLPボックス3箱にはバッハの数々のlp がぎっしりと埋め込まれているが、このテルデックのダイレクト録音の音の透明感を聴けば誰しも驚くに違いない。 本日聴いたこのレコードの2曲目のクーラントのプレストの凄さは多少粗さもあるが、そのスピードとリズム感は驚嘆に値するほどだ。ここまで聞くと、CDの音などただの電子音に過ぎないと思う。
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2020年09月28日 (月) 17時08分 )
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[29]スピーカー線を繋げばいい音がする - 投稿者:taro
誰かに教えて貰ったスピーカー線の話しです。
1.スピーカーに接続する線を30センチ手前で切断して良質の別の線と接続すれば音が良くなるとのことでしたので、やってみました。 10年近く以前の話しですが、実際にやった処で端しかに良くなった(確信は持てないが)気がして、 未だにタンノイを聴いています。私の思い過ごしかもしれませんが、次の話しを参考にして実験する人もいるかもしれません。
2.スピーカー線は約27センチ感覚で音質のバランスの山と谷がある。高域の音がきついと思う人はそのバランスのことを考慮して、試しに5センチばかり短くして聴いてみたらその「きつさ」がなくなり、低域の側にバランスするはずです。 私はこれを何度もやってみましたが、確かな効果がありました。 この話は1.の電線を「つなぐ」ことにも関係しているようなきがしますが、もしやる人があれば いずれも自己責任でお願いします。
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2020年09月26日 (土) 12時03分 )
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[28]ダイアトーン 2Sー305 あります - 投稿者:taro
今から約40年前に買った2S?305を後生大事に部屋に飾っています。聞けるのかですって? もちろん音はちゃんと出ます。 日本で初めてのモニタースピーカーでした。 このスピーカーは他のメーカーのスピーカーユニットと違って、エッジがコーン紙を使っているので、経年変化が少なく40年経ってもまだいい音がします。 しかも2ウェイ2スピーカー方式とはなっていますが、内部にはネットワークを持っていないところが特徴で、30センチウーファーの上に、あの有名な5センチのツィーターをハイパスコンデンサを介して繋いでいたシンプルなものでした。
記憶では1962年にNHKと共同開発したスピーカーでしたが、その音の美しさは語りぐさと鳴っているほどです。当時のカタログに「2S305を知らない者はオーディオのもぐりである」書かれていたことをおぼえています。 このスピーカーには高さ50センチはあろうかと思う金属製のパイプで作った台が標準で売られていました。従って、フロア型ではあるものの、床の上に直置きするものではなかったようです。 日本で最も名高い評論家の菅野沖彦氏が、かって出版された「音の世紀」の中で日本を代表するスピーカーとしてこのスピーカーを揚げた折り、「これほど、あらゆる点で日本的な美徳を備えたスピーカーはないだろう」と述べていたが、それほどこのスピーカーを持つことは当時のオーディオマニアのステータスだったのでした。 わたしが買った当時の価格は1台18万円だったが、その後20年ほどして観た定価は1台35円となっていました。 時々、部屋で聴くこともりますが、特に高域の美しさはそのまま残っています。オークションでは大変安くで売りにでているようですが、もったいない気がしてなりません。まさに何年経っても珠玉のスピーカーに変わりはありません。
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2020年09月25日 (金) 16時44分 )
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[26]素晴らしいこのエラートの竪琴印マーク (1) - 投稿者:taro
エラート初期の高音質盤はこの竪琴のマークです。 それはもう、透明感で溢れかえった最高の音質で、 フランスを代表するLPと行って言いでしょう。 この竪琴マークは極めて少なく、日本では容易に入手が難しい盤です。次のページにも竪琴マーク盤だけ貼り付けています。
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2020年09月24日 (木) 15時52分 )
[27]エラートの竪琴盤の続きです(2) - 投稿者:taro
エラートの竪琴盤の続きです
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2020年09月24日 (木) 15時59分 )
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[25]マリア・カラスのコレクションです(2) - 投稿者:taro
前ページの残りです。 お気づきになると思いますが、カラスはデッカ盤は出してないみたいですね。 赤い特別盤は素晴らしい音です。所有している人は少ないはずです。赤色のニッパー(犬)など観たこともありません。
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2020年09月23日 (水) 18時50分 )
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