発見!火星人面岩彫刻                                                

 

                                                     The credit to each image to / NASA /JAXA

 

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[105]Nordost Odin スピーカーケーブル - 投稿者:たろう

写真のケーブルを使ってみた。実はもう1本あって計2本買った。
スピーカーケーブルで音が変わるとは知っていたが、まさかこうまで変身するとなると早く変えてみればよかったと思っている。
写真のケーブルはモノラル専用に使用しているが、とにかく音の切れは驚くほどである。私は弦楽や声楽を大音量で聴くのが好きだが、昨日聴いた「フィガロ」の声にはまさにひっくり返るほどに驚嘆した。
YOUTUBEで電気技術の専門家が、電線で音は変わらないと科学技術を前にいつもの抵抗やコンデンサの計算を示しで勝ち誇っていたのをみたことはあるが、ああいうのはまさに現代科学技術の犠牲者のよういな気がしてならない。
電線によって音は変わることは確かなのであるが、変わる理由を貧しい電気技術だけでしか説明できないため、そのことにばかりこだわるのである。
これはUFOが飛ぶのを科学技術の観点から「いない」と云うのと同じだ。
 だが、目の前に見えるものは錯覚でなければ必ず存在する。「いない」というのはそれを証明する技術がいまだに解き明かされていないだけの話だと思っている。
要は人間の感じることが真理であり正解なのだから。

 話は少し逸れるが私はUFOに縁があって、これまではっきりとその姿を目撃したことが何度もあった。この話はこれまで人に話すことは避けてきたが、中でも4回は同時に複数の人と目撃したことからこれを錯覚とは思っていない。ついでにその目撃談を紹介する。先ず最初は鳥栖から久留米方面へ向かう直線の高速道路での白昼の出来事だった。前方の空を視るとまるで太陽を思わせる大きな円形の輝きが浮かんでいたのである。UFOはゆっくりと右に移動していた。私は慌てて路肩に車を寄せてその光を眺めながら走った。気が付いてみると下車するつもりのインターを通りこしてしまった。それはまぶしいほどの光の玉だったが不思議なことに、高速を走る他の車のドライバーは誰も気が付いている様子はなかった。案外と人は目の前に浮かんだ大きな火の玉でさえ眼に入らないものらしい。その後私は仕方なく久留米のインターで降りて鳥栖に後戻りした。

 もうひとつ、九州の大分に玖珠という町があるが、その高速道路の入り口の狭い坂道を上ったところで空を視ると「でかい葉巻型のUFO」が大きな光を発して西の空に向かって飛んでいた。葉巻型と言ったのはその光の形が葉巻型そのものだったからだが、同乗の妻は私の声に一体何事かとぼんやり眺めていて私から怒鳴られたのだった。目撃数の少ない葉巻型UFOを見たのは実にラッキーだったが、まだ携帯電話の普及前のことでカメラを思いつかなかったことが悔しかった。

 次の目撃は、まさに驚愕するようなUFOだった。福岡から唐津の海辺のバイパスで15分間くらい眺めたことがある。
バイパスの坂道を車で上るととても高い空になにか白いサッカーボールのような形状のものがゆっくりと西の方角へ向かって飛んでいたのだ。そこで知人と二人で外に出てしばらく観察したが、明らかに超高空と分かるほど動きが緩く、まるで昼空に残る残月のような薄白い物体だった。おそらくその物体は飛行機の大きさから推定するに全長1000mはあろうかと思われた。それが翼の端に光を点滅させて飛んでいたのだ。「ゆっくり飛ぶ」というのはその物体の高さが相当に高空であるということになるが、その形状はこれまでのUFU情報で取り上げられた形状からかけ離れていたのは本当に驚きゐだった。この物体は実は次の日の夕方にも同じく西の方角に向かって飛んでいるのを見たことを付け加えておく。

 最後に街の屋根の上を飛ぶUFOの話だ。単身で生活していたアパートの2階の部屋での目撃談である。掃除を済ませ窓を開けてベッドに腰を下ろした時、台所のガラス戸に「真っ赤な光」が映って見えた。あれっと思ってガラスを拭き直そうとしした途端、その赤色は向かい合った窓の外に浮かぶ「真っ赤な光」であることに気が付いた。よく見ると街の瓦屋根の数十メートル上を通り過ぎて行くのである。この光はまさに燃えるような真っ赤なひかりで私の部屋と1キロくらいの距離だったと思う。UFOはこんな低空で街を抜けているという現実にたまたま遭遇した貴重な経験だった。

 話は横にそれてしまったが、先ほどの電線で音は変わらないという話に戻そう。
 その評論家の「変わらない」とはあくまで電気抵抗あるいはコンデンサを使った回路上のデータによって変化のないことを証明したつもりらしかったが、彼はこれが当世の科学の限界であることに気が付いていない。聴けば明らかに音質が違っているのにも関わらず彼は計測データだけで比較して「電線を替えても音は変わらない」という。となると音が変わると感じる私が錯覚しているということになるのだが、それは間違いと思われる。なぜかと言えば人間はまさにセンサーであるという考えからすればスピーカーのコーン紙を震わせて聞こえて来る音の中に明らかな違いをキャッチしているのかもしれない。あるいはその原因は電線の素材の特性にあるのかもしれないし、通常の計測機では計測できない、つまり人間が感じ取ることのできる周波数特性というものがあるのかもしれない。従って、人間の感受性は人によって違いがあることから、錯覚ではない真実を見極める人の耳には、あくまでそのものを「感じる」というのは確かなことなのである。人間は科学者の考えよりももっと繊細で、自然の深奥を感じ取ることができるのだ。これは例えば短歌や俳句に没頭してみればわかるだろう。短歌では道に転がる路傍の石すらも自分に訴えて来ることを察する能力を備えていることからもわかる通り実に鋭敏な生きものなのだ。あるいは空に飛ぶ鳥も雲も何もかもが人間に語りかけてくる。人間の感性を研ぎ澄ましていれば目の前の事物そのものが何らかの情報を与えてくれる。従って、たかが電線の音を聴き分ける位はその集中力において容易いことなのだ。さてそうした事実から、誰かが電気計測データをもとに電線に音の違いはないと言ったとしても、私の過去の体験からそのようなことは信じるに値しない。科学的にはおそらくはまだ我々の科学が解き明かしていない周波数の事象が存在するものと私は考えている。要するに人々は未だに稚拙な科学論を振り回しているだけに過ぎないのだ。
ヨーロッパで18世紀後半に始まった産業革命以前、サイエンスは単に「知識」と呼ばれていた。それを科学者が「科学」という言葉に独占したのだと、昔誰かが主張していたと聞いたことがある。

( 2023年04月01日 (土) 16時32分 )
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