三角の部屋 レコードコレクション 

                                            

 

                                                     The credit to each image to / NASA /JAXA

 

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[62]ある自由主義者のあこがれ - 投稿者:taro

ひとりの自由主義者としての田舎暮らし


1.田舎暮らしへのあこがれ

 いつの間にか田舎に移り住んで15年が経った。
 すでに私も75祭過ぎようとしているが、あらためてこの「田舎暮らし」が私の思い違いであったことを痛感している。
 長い都会生活を続けていると人間は次第に身体ばかりではなく心が疲弊してくる。会社勤めは長い年月を通じて人間に相当なプレッシャーとストレスがかかる
 単身赴任で生活したサラリーマンは特に定年退職したあと、病気が噴出してくるといわれている。糖尿病もそのひとつだ。不適切な食生活を送れば必ず身体に異変が起こるのである。

 田舎でよく遊んだ幼馴染みの友達も東京の設計会社に勤めていたが、50歳を過ぎて胃がんで亡くなった。子供のころ、多感な人間性を身に着けた純粋な心は、毎日の会社の仕事や押し付けられる規律などで心がもてなくなるのだ。
 男はそうした重圧に耐えて定年退職をゴールとして頑張り通さなくてはならない。そのよう都会の会社で生活するものにとっては、今回取り上げた「田舎」という言葉の響きはまさに聖書の神の救いのごとく聞こえてくるに違いない。
 そこで彼らは街の生活を切り上げて田舎でのんびりと老後を送ろうと、希望を抱いているのかもしれない。
 私の場合もまさに齢60歳になった時から、その「田舎」願望が芽生えてきて、毎日地図を視ながら構想を練ったものである。

 当時の考えを細かく述べるつもりはないが、田舎に住んで大音量で好きな音楽を聴き、40代から始めた現代短歌創作をやろうという目的だった。
そして61歳で会社を辞めた私は見当を付けていた農村の山間地に1軒の住宅を入手した。更にこのブログに掲載する収集した大量のLPレコード盤を保管する特別な建物を造ったのだった。もちろん家の近くに音が広がらないように遮音性を考慮に入れた。こうして、世帯数10戸ほどの村に引っ越して来たのである。

2.田舎の本質を知る

 ここでの生活は家内と2人の悠々とした田舎暮らしで、コロナ以前は、家内は週に一度自分のビジネスの客先に出かけて仕事を済ませるという生活を14年間問行ってきた。
 ここまでは何も問題はなかった。村には公民館という集会場所があり、毎月神社掃除や村の清掃当番を決めて順番にやってきた。
 しかし、15年間もそうした生活していると、彼ら農民の考え方が次第にわかって来る。しかもそれらが私の生活に多くの不都合をもたらしていることも事実である。
 もう少し掘り下げて申し上げると、彼らの生活のパターンは過去の農村文化の継承が中心であり、文明の進歩など何吹く風で、新しい変化にはとんと関心を持っていないようだ。それはまるで、働いて飯を食って寝るだけの昔ながらの単純な生活である。この表現には多少異論があるかもしれないが、総じて「ものを考えない」生活を過ごしている、と言葉を替えても良いだろう。

さらに、彼らはなかなか理屈を理解しようとしない。彼らを主体的に動かす原動力はいかなる場合でも決して根拠のある「考え方」ではなく、親や先祖代々の教えを引き継ぎ守って行く生き方なのである。生活の改革だとか合理性という改善の方向性を持ち出すと途端に彼らは顔色を変えて否定しようとする。そんな傾向が村にはまん延している。そこには新たな発想や論理的な考えを実行してみようとする考えはない、そんなことを言おうものならすぐに「自分でやれば」という言葉が返ってくる。
 まさに正真正銘の保守主義であり伝統主義なのである。
 かれらはそのようにして古い過去から自分たちの家族や村の存続を計ってきたのである。従って、村に生活する者はどんなに新しい提案や計画なども決して口にすることはないのだ。

 この村の様子は都市の企業経営の考え方とは正反対である。それはあたかも企業存続だけを意識した「守り」の消極的な考え方に過ぎない。企業経営の成果を得るためには、時代に即応した新しい計画が必要であることはもちろん、計画実現のための論理性が求められることが重要だからだ。

3.新たなストレスと孤独感

 こうした村の本質が分かってきた頃から、私は胸の中に会社勤務時代とは違った新たなストレスが次第に蓄積されてきた。 
 最初は価値観の違いだからと割り切ったつもりではいたが、まるで村の人たちとは共通な話題がないのである。年間何度も公民館に集まってささやかな酒宴も行われるのだが、そこでの話題は古い昔話が多く、或いは街でのラーメン店の味がどうだとかいう話が多かった。自分たちの生活問題に繋がる税金問題とかプライバシーに関する話題は一切表に出さない。まるで自分の秘密を人に知られないようにしているかのようである。選挙の前の集まりでも何の情報もでてこない。
しかも、このような農家から文化や芸能などの問題なども話されることはない。
街でサラリーマンを続けてきた人が、このような人的集まりの中で果たして何を考えながら生きていくべきか大いに疑問に思うのである。

4.村八分

1年近く前のことになるが、ついにこの村は分裂状態になった。そしてこの件に関しても農民の社会的に無知なことがおおきな原因でもあった。
 結論から申し上げて、自治会入会を巡って村の中で公民館派と自治会派が対立関係に入り、分裂してしまったのである。原因hq他愛のないことだったが、もともと村にあった特定人物への嫌悪感が対立を引き起こしたのだ。
 村社会は通常は表に出ないこうした出来事が、時折村民の感情の高ぶりによって騒ぎとなるようだ。この結果先ほどの特定人物は村人の顰蹙を買い約1年間自治会派によって村八分の扱いを受けたのである。

5.田舎暮らしの幻想

 テレビでも時折報道される田舎暮らしの印象はいかにも好感の持てるように作られている。だが、その実際はいろいろと困難な問題がなおざりにされているという側面があることも事実だろう。
 わたしの場合、ここに来て最初の苦役として、川の中に鎌を持って芦刈りに行かされて大変驚いた。とんでもない作業だった。こんなことを街から来た私が死ぬまでさせられるのかと思うとぞっとした。

 田舎暮らしの苦役は原則死ぬまで課せられた仕事と言っていい。なぜなら、村にはそのような苦役を定めた規則など何も存在しないからだ。苦役として定められた作業に参加しなければ村八分になる。
 或いは急な石段を上って神社掃除が義務付けられている。老人にはとても危ない石段を上って、境内にたまった落葉を掃き捨てなければならないのである。自分はその神社の氏子でもないと言っても、これは村人の義務だと言われればそれまでである。
更に延々数キロの国道の脇の伸びた草刈りも村人の義務だ。泥と一緒に道脇に積み上げられた草をショベルで書き出してトラックに積むのだから大変な作業である。
 こうした仕事を春夏秋3シーズン繰り返すのだが、高齢者しかいない村ではもう限界であった。

 先ほどの神社掃除の話だが、日本の憲法に定められた信教の自由なんて、田舎にはないのだ。農民はそんな憲法があることすら知らないのだから。
 以上の点から、私は田舎暮らしはまさに幻想だと申し上げる。雪の降る朝に高い山の頂上に妻と上って境内の掃除をすることをイメージしてっみてください。
寒くて、しかも高い石段が危なくて、ケガしても何の保証もない。そんな田舎がどうしてすばらしい世界なのでしょうか。
 しかし、誰かがしなくてはならないのです。そうしなくては神社は老朽化して朽ちてしまうのですから。それを責めてもしかたがありません。
要は田舎には住まないことです。それしかありません。

( 2021年12月30日 (木) 16時19分 )
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