三角の部屋 レコードコレクション 

                                            

 

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[59]貧しきクラウンアンプを聴く - 投稿者:taro

今回倉庫の隅から引っ張り出して聴いた写真のアンプ「クラウン D75」はまさに圧巻であった。これまでアメリカ製オーディオ機器はマッキントッシュを除いてほとんど関心を持てなかったが、これは私の見当違いだった。
 
 写真でご覧になれるように、パワーアンプとは言ってもこのアンプは圧さ5センチくらいで、見るものにほとんど何のインパクトがない。まさかこんなちゃちなアンプで大音量の音楽が聴けるとは思うわけもなかった。
 しかも、値段がわずか中古で3万円ほどだ。ほとんどの本格的なオーディオマニアのアンプはパワーアンプだけで100万円近くかけていると思われるが、このクラウンは新品でも7万円位だ。したがって、ほんのお遊びアンプと言わざるを得ない。
 しかし、使用してみるとこのアンプの実力はとんでもない高音質であった。
 
 私は今回、タンノイのウェストミンスターを聞き直すべく再編成したのだが、その時のタイミングでふと倉庫の隅に置かれたまま20年以上経過したこのアンプが目に入った。そこでモノラル用にテストしてみようと思い立った。ご存じの方も多いはずだが、モノラル音楽はステレオに比べて特に低域の強力な音が要求される。2台の左右のスピーカーから同じ音が出力されるため、オーケストラの発する低域の音はステレオの低域よりもそれなりのパワーを必要とする。
 果たして、このちゃちなパワーアンプで大丈夫だろうか、と不安ではあったが、最初にラフマニノフのピアノ協奏曲第1番のオリジナルモノラル盤で聴いた。
 ところが、なんと言うことだろう。このアンプは体に似合わず、堂々とオーケストラの低く引き締まった音を引き出すのである。それどころかピアノの音も非の打ちどころのないほど打鍵の力を彷彿とさせて聞き手を魅了する。聴きながら私もブラボーと声を張り上げたくなるほどであった。

 次にベートーヴェンの弦楽四重奏曲131番を聴いた。なかなかモノラルでは4人が横に並んで行う楽器の演奏をそのまま一点において聴くのは難しいと思っていたが、まったく心配なく、この名盤を目の前に繰り広げてくれたのである。

 ここでベートーヴェンの弦楽四重奏曲のことについて若干付け加えておくと、特に後期作品と呼ばれるこの大フーガの作品の音楽性の高さは私を魅了する。
 本ブログの主題を離れるが、いわゆる音楽における芸術性というものは、あくまで人間世界の普遍的美意識のことを指しているのである。従って、大衆的といいう言葉を形作る人間の情緒主義、すなわち喜怒哀楽とは一線を画している。
 すなわち、芸術作品にはまず「構想」に始まる確固とした計画と目的が存在するのであって、決して人間のこころを弄ぶようなその場限りの情緒主義を相容れるものではない。
 しかも、重要なことは「形式」が存在する。ご存じのソナタ形式もその一例だが、起承転結が整然と実行されることによって、音楽芸術はその目的を果たすのだ。
 そのように考えると、この芸術の形式は単に音楽のみに終始するものではないことをご理解いただけるはずだ。あの漱石の「草枕」という小説でも然りだ。漱石はその中で「非人情」という人間の精神状態を
表現しているが、まさしく人情を超えた世界つまり「非人情」の世界にこそ芸術は存在すると主張しているのである。
 
 この点で、わたしがこの数十年にわたり創作活動を行ってきた「現代短歌」の世界でも同様である。
 文芸の神髄を表現するには、短歌といえども決して人情を持ち込んではならない。老人会で短歌が詠        まれるのが流行のようだが、これはほとんどが人情論であり、真の文芸には手が届かないことが多い。
 明治以来、日本の古い伝統であった紀貫之の古今集などの情緒的和歌を脱却したのはまさに、正岡子規らが真の文芸を復興させるために情緒表現を厳しく規制したからにほかならない。
 ただし、古今集より古い万葉集では「正述心緒」「寄物陳思」の原則のもとに歌が詠まれていたのはまことに皮肉で、現代短歌はその流れの中に再生されたのである。
 
 そこで、再びこのベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の話に戻るが、これは古典派とロマン派音楽の中心に立つ音楽芸術として感情的表現はほとんど取り払われてい。あくまでも純粋な音楽表現に終始していることを感じ取るはずである。
 従って、この四重奏曲の130番?133番を聴けばわかるはずだが、ここにはすでに人の心に入り込みやすい感情的要素はない。なにか難しい楽器の和声の響きがまるで抽象音楽のように聞こえてくる。ただ、そうしたこと難しい音楽のようには見えても音楽が混じりけのない純粋であるがゆえに聴く人の心に深く訴えかけるのである。

 以前、大分の由布院で毎年行われていた「由布院音楽祭」でのことだが、東京芸大OBの演奏するベートーヴェンの先ほどの131番を聴きに行ったことがある。そこでこの曲目の演奏が終わったあと、会場の聴衆の反応はしばらく静まり返っていたことは実に印象深い。あまりの曲の表現の深みに接して言葉を忘れたかの如くである。

 ながながと余計なことを書いてしまったが、この131番をテストレコードとして視聴したのである。結果はまさに最高の音楽であった。思わず声をあげたくなった。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲はこのほかに私のコレクションとして生涯聞ききれぬほど多くの欧州のオリジナル盤を所有しているが、今回のこの貧しき1台のア ンプによって私の余命に最大の喜びを感じることができうると思い、まことに幸せな気持ちになった。
 

( 2021年12月23日 (木) 10時49分 )
- RES -

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