[8775] 四万十・海恋し・幾山河
投稿者:naka
投稿日:2013年07月29日 (月) 22時53分
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四万十に光の粒をまきながら 川面をなでる風の手のひら 俵 万智。
海恋し潮の遠鳴り数えては 少女となりし 父母の家 与謝野晶子。
幾山河越え去りゆかば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく 若山牧水。
☆ やっぱり俵万智さんて歌のセンスがすごいね(*^_^*) ””光の粒をまきながら””とても凡人には出てこない表現です。
””川面をなでる風のてのひら”” これもね〜。
「風の手のひら」見たことないけれど見たことがあるような錯覚にさえなります。 風で生まれるさざなみ、トレモロのような水の表面の姿が浮きあがってきますものね。
詠者が今四万十川のどこにいて、どうしているかなど、 そんなこと全く記して無いのに、はっきり透けて見える。凄い情景描写です。
☆ 晶子の歌、naka子供のころ””海の遠鳴り””を聞きながら眠った経験あるのです。 数を数えることのできる潮鳴りは海から比較的近いところです。
nakaのふるさとは海から3〜4kmも離れたところでしたが「ゴ〜〜〜〜}と連続音で鳴る音、 これが「潮の遠鳴り」連続音「海鳴り」でした。海の波が高い時に現れる現象でしょう。 父母の家は我が家、遠く離れた故郷を子供ながらに潮鳴りの音で思い起こす。郷愁です。
☆ 幾山河はもう何度詠んで味わったことか。 ”白鳥はかなしからずや空のあお 海のあおにもそまずただよふ”と並んで若山牧水の傑作中の傑作ですもの。 人生の旅、心の旅、旅の終わりはない。 「日々旅にして旅をすみか)とす。古人も多く旅に死せるあり」奥の細道、芭蕉の銘文にも似ている。 いくら旅を続けても終わりが無い心の旅路、果てない悩みとなって今日も過ぎてゆく。
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