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無記名さん |
2013年04月27日 (土) 16時06分 記事 No.1276 |
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学校のことがよく新聞に出てくるけれど 小中高のことは人間よく記憶に残るものだ。 いじめたことは忘れてもいじめられたこと 教師の暴力暴言は忘れない。 相手が子供だと足元見ない。自分の感情で暴力を振るっても先生だからよしとする時代があった。近頃 子供が黙っていないというより親が黙っていない。それは時々 親自身の記憶にも関係している。
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たんたんパンジー |
2013年08月14日 (水) 07時15分 記事 No.1327●● |
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これは一部のふとどきな教師に対してのことです。誹謗中傷でないですか? 私の子どもの学校の先生は大変熱心で親や子どもの相談に親身になって聴いてくれます。 多くの先生はそうだと思います。 どこの組織だってできの悪い人間はいます。常滑市議会には、井上議員のようなす議長を暴行して平然としている人間がいます。 一部の不祥事をおこした教師がいるだけで、全員がだめみたいな書き方は誹謗中傷でないのですか?
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無記名さん |
2014年01月01日 (水) 23時15分 記事 No.1334●● |
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そうではない先生に対して全部の先生が暴力教師だと言ったら誹謗中傷です。もちろん過去におけるあの教師とあの教師とあの教師。被害者は自分だけではなかったけれどひどかったとおもいますよ。先生はそれでも正しかったということになって、よくできる子はすぐに先生の側についてそっちからもいじめられた。人間そこに原点があるとしたら社会に出てもそうなる。近頃より少し前、校長の言動におかしいぞ。といったこがいて、親もでて変だということになった。新聞に記事に出たが 校長がおかしい。教育者であるのに子供の成長をゆがめるような言動をしていた。つまり社会を浴していくには学校がよくなければいけないということ。
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無記名さん |
2014年03月29日 (土) 23時51分 記事 No.1335●● |
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何十年前、団塊の世代だった。教師の言うことは正しいということになっていた。 そうでなければ学校は収まらない。暴力があっても理不尽に子供の好き嫌いをあからさまに表に出してもじぶんはよくて、子供には幼い子に傷をつけるような言動をした。当時オールドミスは世間から色めがねで見られていた。そのストレスを弱い子供に当たっていたのだろう。子供は自分が悪かったのだと思う。それからその後子供があばれるようになった。校内暴力だ。教師は力をつかった。大人と子供では親が出てきても教師に軍配があがる。そしてそれからイジメが今進行している。教師の強い立場で自分をまもり、子供によりがくる。先生も当たり外れでいい先生もある。相性というものもある。しかし社会生活をするうえでとんでもない人間でも校長職にもなれるというのがふしぎ。
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