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投稿者:ちば@東北大学
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投稿日:2017年07月28日 (金) 21時20分
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千葉です。
今まで駄文ばかりだったので最後くらい「真面目に」書きます。本当の最後にはならないと思うのですが。最後のつもりで書きました。思ったより真面目になりました。
1年時は台風で流れ、2年時は補助員でいっぱいいっぱい。僕がマトモに七大戦に向き合えたのは3年時が初めてでした。
2年のときの七大戦、中距離パートは得点することができませんでした。僕は、当時の中距離の先輩をすごく尊敬していて、でもそんな先輩方でも七大戦、勝てなくて。 その直後、僕はPCになりました。 当時の正選手がごっそり抜け、明らかに戦力ダウンした状態。PCとして「七大戦得点」という目標を掲げてやってきた去年一年間は、この目標は本当に現実味のある内容なのか、僕はこのチームを強くできるか。常に不安と戦っていた思い出があります。
PCでありながら、僕自身には実力もなく、対校戦となると他人頼りでした。その中で自分に心がけていたことがありました。それは、完全に試合を他人任せにしない、ということです。 どんなレースでも、悪いところがあれば指摘し、いいところがあれば褒める。くよくよしてたら激励する。緊張してたら声をかける。レースの結果に関わらず、対校選手には「ありがとう」を伝える。 「思いだけでもいい。僕もトラックの上で、彼らと一緒に戦えないか。」 そう考えた結果、自分が出来ることを尽くしました。
去年の七大戦、結果は中距離パート得点なし。数字だけ見れば2年時と同じ結果でしたが、自分には全く同じ結果には思えなくて、色々な感情が爆発して、涙した記憶があります。
PCを終えて、今日までの一年間。 僕は部でどう振る舞うべきかを考えました。 PCが終わったら自分のペースでのびのびと練習しよう、などと考えていた時期もあったのですが、いざPCを終えてみればそんな自分はいなくて、この得た自由を何とかして部に還元出来ないか、と考えるようになっていました。出来るだけ、中距離なんて狭いコミュニティでなくて、もっとみんなへ。
昔、ある先輩が「応援というのは声量じゃなくて、一緒に過ごした時間」などとおっしゃっていたのですが、僕はそれに強く納得しました。それと同時に、「この部に還元した時間が多いのであれば、きっと僕の応援が、選手にも届くはずだ。みんなから応援される選手になれるはずだ」とも思ったからです。
例えば、合練に来る。飲み会も出る。評定を掃除する。PVを作る。駐車場補助員にお菓子を与える。後輩とご飯食べる。休日も遊ぶ。鍋を企画する。他人の相談を聞く。愚痴も聞く。全日応援する。球技大会も出る。Tシャツを作る。応援団長に立候補する。掲示板を書く。その上でPBを出す。
他人から見たらまるでボランティアで、「誰かがしてくれる仕事」程度のものかもしれませんが、その「誰か」に僕はなりたくて、この一年間やってきました。
こうして積んだ徳は、試合のときに自分のもとに還ってきます。 「他人から応援してもらえる」、「僕の応援を力に換えてくれる人がいる」。 みんなとともに戦える。 誰かが出したPBも、自分の喜びになる。自分が出したPBも、誰かが喜んでくれる。 みんなとともに戦える。
「思いだけでもいい。僕もトラックの上で、彼らと一緒に戦えないか。」
僕は確かに対校戦の舞台には立っていなくて、陣地にいます。試合に出るのは、確かに、確かに、実力のない、自分じゃなくて。ただ、気持ちだけでも、僕はみんなとともに競技します。それが応援団長の責務であり、僕のラストイヤーの集大成です。
メガホンは死んでも離しません。いや、死にません。マイルまで声は枯らしません。でも、声枯らすくらい、声を出します。ただの大声じゃなくて、僕の4年間をぶつけます。途中で気持ちが高ぶって泣いても、僕は叫び続けます。 なので、陣地の皆さん、着いてきてください。お願いします。
まずは明日、対校戦ハンマー投、OP種目から。 全員で、七大戦。楽しみましょう。アツくなりましょう。 そして、勝ちましょう。笑顔で。みんなで。 |
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