《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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仮説が大手を振って歩いています (9196)
日時:2018年04月08日 (日) 20時12分
名前:中仙堂

聖徳太子といえば、歴史の教科書で必ず登場するなど、日本の歴史を考える上で欠かせない重要人物ですよね。十七条の憲法や冠位十二階などの政策が有名です。
そんな聖徳太子ですが、実はいなかったのではないかと最近言われています。
どうして、いなかったという説が浮上しているのでしょうか?
 
聖徳太子と呼ばれているのは厩戸皇子のことです。日本書紀が誕生したときに、聖徳太子という名称に変更されており、それが今では当たり前となり伝わっていますよね。
 
この厩戸皇子という人物が実在したというのは、書物などで確認ができます。しかしこの人物が聖徳太子と同じなのかどうかという点では、疑問が残っているのです。
 
厩戸皇子の実績で確かだと言われているのが、十七条の憲法と冠位十二階のみです。随書に記載されている事柄ですが、その随書には推古天皇や厩戸皇子については一切記載が見られません。
 
日本書紀においても、厩戸皇子のことは記載がされてはいないのです。聖徳太子というのは、そう考えるといなかったのではないかと考えられます。
 
 聖徳太子がいなかったとされる説には、「肖像画が本人ではない」という研究がされているからです。
 聖徳太子の肖像画といえば、日本最古と呼ばれ1万円札にも描かれているなど、誰もが知っていますよね。
 
実はこの肖像画は聖徳太子では無いと最近は言われているのです。その根拠は頭に被っている冠と衣服、さらにシャクも聖徳太子が生きていたとされる時代には存在しなかったものだと考えられているのです。
 大化の改新以降のもので、顔に描かれるヒゲも後から誰かが付け足したものだとされています。
十七条の憲法も、本当に厩戸皇子が存在している時期に作られたものなのか、疑問視する声も聞こえます。
 役人の呼び方や内容等に、当時ではあまり用いられていない後世の考え方などが含まれているというのです。
 あとから、十七条憲法の内容が足されたのかは不明ですが、日本書紀にしか十七条の憲法の記載が無いとうのも少し不自然です。
 
 http://history.monovtube.com/entry18.html   引用

と我が国では現在先人の偉業から、先人そのものを居なかったと云う仮説が大手を振って歩いています。
(神武天皇不在説もあります)

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それで釈迦牟尼如来は印度に生まれた佛さまである
とこう云う様に考えて居りますと間違いである訳であって、何処の國へでも出てこられる訳なんです。
大体この大乗仏教は釈迦此れを説かずと云うのが、これが学者的な立証的な何処にこう云う証拠が有って、釈迦牟尼如来が何時死なれて、その記録がどう成っておって、そしてこのお経は何時発生して、釈迦牟尼如来が亡く成られてから何百年後にこのお経が出來たので有ると、そう云う立証的な方面から言うと大乗仏教は釈迦此れを説かずと云う事なっているのでありますけれどね、しかし肉体の釈迦だけが釈迦では無いのであって
餘國に衆生の恭敬し信樂する者あれば、我復彼の中に於いて、為に無上の法を説く。
と云う様にですね他所の國にでも、釈迦牟尼如来の説法を聞きたいと切願する者があったら其処へまた姿を現して法を説く。
と云う様な見地から云いますと、釈迦牟尼如来は決して印度だけに嘗て生まれた佛様じゃ無くてそれからも色々な姿に於いて何遍も生まれて居られて、そして今もまた或る所に生まれて法を説いて居られるとこう見る事も出切る訳なんです。
其れで大乗仏教である処の「法華経」で有るとか「大無量寿経」で有るとか云うお経がですね、其れが釈迦滅何百年後に説かれたと云う様なそう云う立証が有って、此れが釈迦の近郊から出て来た処の宗教じゃ無いんだと、教えじゃ無いんだと、こう云う立証が有った処が、それは肉体の釈迦の口から出た教えで無いと云うだけの事であって釈迦牟尼如来の命が餘國に、他所の國にですね、適当な時に適当な姿を現して、そして大乗仏教を編纂する人と成って出て来たと、こうして見ます場合は矢張り大乗仏教は釈迦牟尼如来が此れをお説きになったもので有るとこう見る事が出来る訳で有りましてね、別にそれは不思議な事も何も無いと思うのであります。(大聖師谷口雅春先生のご講話より引用)

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と多少内容が異なった話題では有りますが、宗教学にしろ、日本史にしろ、神聖な先人達の偉業や、その存在さえも破壊しようと云う一部の学者等が横行します。実証主義は学問も文化も歴史も破壊する恐れがあります。
特に上述の聖徳太子に対する不敬は将来の日本人社会に仇為す左翼思想の片割れだと思われます。
尊師の教えにも…と云う信徒に眞理に対して疑問を植え付ける思想も許せません。祖師の業績を踏みにじる者は結局、眞理を破壊(眞理は破壊するモノではありませんが)する者、教団を実質破壊する者であります。

皆々八岐大蛇(赤き龍の智恵)であります。

あらゆる文化が崩壊すると云うもの。 (9198)
日時:2018年04月09日 (月) 05時39分
名前:中仙堂

「中華コンプレックス」を超えて
 ――これからの日中関係を考えるうえで『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』で展開されたような思想史を振り返ることは、どんな意味をもつでしょうか。
 石 中国からさまざまな影響を受けてきたことは間違いありませんし、それをことさら否定する必要はありません。しかし、これまで述べたように、日本人はそのなかでも独立した精神を培ってきました。こうした歴史に学び、是々非々で中国と対等に渡り合うことこそ、これからの日本に求められることなのです。
 ――まさに、聖徳太子に学べと。    

http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2099

確かに聖徳太子に直にお会いした方は当然居ない筈。
しかし、キリスト、釈迦、マホメットにしても、実在した人物かは実証出来る筈も有りません。

姑息な理論で証拠を突きつめて行けば、あらゆる文化が崩壊すると云うもの。



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