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No.210 おはようございます。  投稿者:ごんパパ   投稿日:2017年01月30日 (月) 09時16分 [返信]

昨日は完全休養日でした。
掛かり付けの先生から「趣味を持ちなさい」と云われます。
全くの無趣味です。

与太郎さんは何かお持ちですか?

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No.212 趣味ですか・・・・・・・・  投稿者:与太郎    投稿日:2017年01月30日 (月) 10時09分

堅気の頃は「サッカー」「ガーデニング」「パチンコ」「競輪」など一通りの趣味はあったのですが、この体になって出来る趣味がなかなか見つからなくて・・・ezweb emoji

ただ堅気の頃には見向きもしなかったパソコンいじりが唯一の趣味と言えば趣味かなオタクのようで暗い趣味になったよ。ezweb emoji

なんか趣味を持たないと早く認知症になるらしいけど、何かこの体でも持てる趣味は無いのもですかねsoftbank emoji

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No.214 今晩は。  投稿者:ごんパパ    投稿日:2017年01月30日 (月) 20時22分

いま考えているのが絵手紙です。
しかし、全く絵は下手なので二の足を踏んでいます。

与太郎さんは絵はどうですか。

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No.215 絵手紙・・風流で良いですね  投稿者:与太郎    投稿日:2017年01月30日 (月) 22時03分

小生は絵だけは駄目なんです。

学生時代も美術は毎回、欠点で困ったものです。

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No.208 みーみさんに  投稿者:ごんパパ   投稿日:2017年01月30日 (月) 05時57分 [返信]

倒れた時の事ですね。

当時単身赴任で愛知県にいました。
徐々に左の腕が重くなり「夜勤明けで疲れだろう」と思っていたら、今度は脚の感覚が無くなりヒザがガクっと折れ、救急車搬送され直ぐにCT検査で「すごい出血ですから、このまま入院です」とドクターに云われたところまでは覚えていますが、ICUを出2人部屋に移ったその日までの、おおよそ3週間は全く記憶が有りません。愛知県に4カ月入院し宮崎に転院し、1ヵ月入院していました。

もう22年前ですが、愛知と宮崎の医療の格差に愕然としました。
退院後は、一人で黙々とリハビリに励み、発症から4年後に社会復帰し10年間勤務し、今は年金生活ですよ。

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No.194 お返事ありがとうございます。  投稿者:みーみ   投稿日:2017年01月27日 (金) 14時50分 [返信]

与太郎さんリハビリお疲れ様です。
返信はご無理なさらないで下さい。
なんとなく誰かに、わかる方に聞いてもらいたかっただけなんです。

父が亡くなってから「脳幹出血」について
ネットでたくさん検索していました。
書いてあるのが「予後不良が多い」とばかり・・

くも膜下出血なんて「3分の1は即死、また3分の1は
重い後遺症、そのまた3分の1は社会復帰」
なんて書かれている事が多いですね。

脳幹出血なんて脳内出血のほんの数パーセントって
書いてありますし、発症する人も実際少ないのかどうなのか・・・

当時、父は14時頃母に発見され、うめき声をあげていたそうです。
私は15時過ぎぐらいに伯母さんから連絡を受けました。
その時は「みーみちゃんのお父さんが倒れたんだって!」ってそれだけで・・

倒れる前日まで父も与太郎さんのようにハードスケジュールでした。
私が入籍して一か月も経っていない時、
引っ越し日はあらかじめ決まっていましたが、
田舎の法事が急遽決まり、父だけ出席する事に・・・
泊まりになると、私の引っ越し作業ができなくなる為、(父に車で運んでもらう事になっていたので)
父は日帰りで帰ってきてくれました。
その時、引っ越し日をずらしていれば・・
もっと父の事を労わってあげていれば・・
何度後悔してもしきれません。

伯母さんから連絡を受けた時、すごく嫌な予感がしました。
(くも膜下出血じゃないだろうな!?と
なぜかその時思いました)

最後に父と会話をしたのが私でした。
12時過ぎに電話で話したのが最後・・
少し疲れた声で、父はすぐ切ってしまったから・・

父は高血圧、(上が180)
たばこも吸うし、お酒も飲みます。
会社を早期退職してからたばことお酒の量は増えたと母が言っていました。

それと、歯が抜けてもすぐ歯医者に行きませんでした・・(父は大の病院嫌い)
そういうのを放置しておくと脳梗塞になる危険性が
高まると歯科医院の壁に貼ってありました。

「色んな原因が積み重なったのよ・・」と今では
母も納得しております。

生前、父に「父さん死んだらどうすればいい?」と
聞いた事がありました。
それがまさかこんなすぐ活かされる事になるとは・・
(車の処分とか、葬儀の事とか延命治療有無)
ちなみに父は延命治療を拒んでました。

先生との治療の話し合いで、「延命治療はしません」と、母と一緒に言ったのを覚えています。

声が聞こえていたかなんて当の本人しかわかりませんよね・・変な事を聞いて申し訳ありませんでした。

でも聞こえていたと思います。
一周忌の時、母に「ありがとう」と言いにきたそうです。(母がお風呂場にいた時、どこからか声が聞こえてきたと言ってました)

四十九日が終わった時、田舎の法事で一緒だった父の弟さんが
「兄貴に、泊まっていけ!って言ったけど、
”大事な用があるから・・”って断られたんだよ」
って言われた時は号泣しました。

長々とすみませんでした。
書いていてちょっとすっきりしました。
(周りの人にこんな事言っても重いだけですからね)

与太郎さんリハビリはどんな事をされているんですか?

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No.201 遅くなりました!  投稿者:与太郎    投稿日:2017年01月29日 (日) 07時58分

実は小生も自分で調べたり、専門家に尋ねたりしましたが、「脳梗塞」「クモ膜下出血」などの一般的な脳卒中は脳卒中そのものが原因で死に至るようですが「脳幹出血」は致死率は多いですが脳幹出血が原因というか、「脳幹」生命維持に大切な役割をしているようで、「脳幹出血」で呼吸が出来なくなり死亡するなど死因が殆どみたいです。

全ての病気に言える事なのでしょうが、他に比べて「クモ膜下出血」は結構怖くて、「軽くてすぐに社会復帰できる」「半身/全身麻痺でほぼ寝たきり」「寝たきりの植物状態」になる「帰らぬ人となる」が結構ハッキリと別れているらしいです。

いずれにしても「脳卒中」は恐ろしいですね、小生もほんの30分前までは皆とワイワイ飲んでいたのですから。それが気がついたら身体障害者でやっと生きているのですからezweb emoji

ところでリハビリですが小生みたいに発病後10数年が経つとなかなかリハビリもなくて他訪問リハの「PT/OT」と相談して自分でメニューを考えるって言った感じです。

いろいろとメニューはあるのですが、「起立台」に一回15分立つを一日3セットする。階段の昇り降りを一日十数回などなど・・・・

起立台に一日数十分も立つのは足首を伸ばし、内反した足を元通りに近づけるためです。

しかし半身麻痺になって十年以上も経てば何をしてもどんなリハビリをしても元には戻らないですよ。これ以上の悪化を防ぎ、残された機能をいかに上手に使うかの訓練等ですね。

なので健常者との生活全てがリハビリなのです。施設などのバリアフリーでは障害者が生活しやすいように出来ていますが、健常者と(前の自分など)の生活ではバリアアリーで障害者には生活しやすくは出来ていません。

小生たち中途身体障害者は一般社会での生活全てがリハビリと思うのですよ。

最後に話は戻りますが、お父上の意識が無い時に声が聞こえたか聞こえなかったかは正直お父上でなければわかりませんが、みーみさんが懸命に声を掛けて「多分聞こえたはず」と思っていれば聞こえてるんですよ。そのように信じましょう。

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No.193 お早うございます。  投稿者:ごんパパ   投稿日:2017年01月27日 (金) 09時39分 [返信]

晴天の日は、風が吹いていなければ歩くと汗が滲みます。帰ってアイスを食べるのが楽しみです。

週末は何処かにお出かけされますか?
僕はゴルフ中継でも見て過ごします。

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No.195 いかがお過ごしですか?  投稿者:与太郎    投稿日:2017年01月27日 (金) 14時55分

週末のお出掛けですか・・・・・
小生はまだ冬眠中なので何処へも出かける予定は無いですな。

まだ冬眠中なのでお出掛けは必要不可欠な各病院への通院のみですな

寂しい人生です。昔は週末は殆ど「アレジン・スタート」でしたよezweb emoji

「アレジン・スタート」なんか意味がわからないですよねezweb emoji

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No.196   投稿者:みーみ    投稿日:2017年01月27日 (金) 15時18分

ごんパパさん初めまして
書き込みありがとうございます。

ごんパパさんも脳内出血でしたか・・
倒れた時の事覚えていらっしゃいますか?

大きな手術をされたんですね。
意識を取り戻されて今では身の回りの事を
自分でされてるなんてすごいですね!
入院生活は長かったですか?

今は同じ病院にずっと入院できませんから
転院になるとまた大変ですよね・・

質問ばかりで申し訳ありません。。

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No.197 みーみさん 今日は。  投稿者:ごんパパ    投稿日:2017年01月27日 (金) 16時25分

倒れた時の事ですね。

当時単身赴任で愛知県にいました。
徐々に左の腕が重くなり「夜勤明けで疲れだろう」と思っていたら、今度は脚の感覚が無くなりヒザがガクっと折れ、救急車搬送され直ぐにCT検査で「すごい出血ですから、このまま入院です」とドクターに云われたところまでは覚えていますが、ICUを出2人部屋に移ったその日までの、おおよそ3週間は全く記憶が有りません。愛知県に4カ月入院し宮崎に転院し、1ヵ月入院していました。

もう22年前ですが、愛知と宮崎の医療の格差に愕然としました。
退院後は、一人で黙々とリハビリに励み、発症から4年後に社会復帰し10年間勤務し、今は年金生活ですよ。

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No.189 度々サイトを拝見させて頂いていました。  投稿者:みーみ   投稿日:2017年01月25日 (水) 15時29分 [返信]

「脳幹出血」で検索をしたら、ここのサイトに辿りつきました。

私の父は2013年7月に62歳で亡くなりました。
脳幹出血でした。

それまで「脳内出血」や「くも膜下出血」なら聞いた事はあったのですが、脳幹出血の事は知りませんでした。

父は、倒れる前日、私の引っ越しを手伝ってくれて、
次の日、母が外出中にお風呂場で倒れていたそうです。
その時の先生の話しでは「もって1週間」と言われました。
が、その日の20時過ぎに亡くなってしまいました。

宣告時、「手術はできない」と先生に言われ、
まるでドラマのワンシーンのように
心臓のモニター音しか聞こえないICUで、父がベッドに横たわっている光景が
今も目に焼き付いています。
もっと何か助かる方法はあったんじゃないかと
今も考えます。

先生は「苦しむ暇もなかったと思います。」
と最後に申されました。

与太郎さんの倒れた経緯を見て、父は倒れる時どんな感じだったのか、何を考えていたのか、苦しんで
家の中には一人で、怖くて孤独と戦っていたんじゃないかと考えました。

「耳は聞こえているので話しかけてあげてください」
先生がそう言ったので、
ベッドに横たわる父にたくさん話しかけました。
すると涙を1粒こぼしていました。
父は人口呼吸器も、喉を切開する事もなく、
最後まで自発呼吸で頑張りました。

父は私の大親友でもありました。

与太郎さんにお聞きしたいのですが、
意識がない中でも人の声って聞こえていましたか?
私達の声が父に届いていただろうか・・


今でもあの時の光景を思い出すと涙が出そうになります。
与太郎さんのように奇跡的に意識を取り戻して
生活をされている方もいるとわかり、
なんて言ったらいいのかわかりませんが、
私の父だったら無理だと思いました。
プライドが高かったので・・・

重い障害を背負って頑張っている与太郎さんのお姿は
脳内出血で倒られた方々の希望の星と思います。
言葉だけですととても簡単ですが・・

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No.191 訪問ありがとうございます  投稿者:与太郎    投稿日:2017年01月26日 (木) 21時56分

みーみさん、返信が投稿の翌日になって遅くなりました。昨日はリハビリの日でリハビリが終わった後にパソコンを開く気にもなりませんでした。リハビリがハードなのですが、(健常者の頃には運動と思えないくらいの簡単な運動です)

ところで早速ですが、小生も「脳幹出血」などと言った病名は後から聞いたわけで「脳幹出血」どころか「脳幹」も知りませんでした。一般に「脳梗塞」「脳内出血」「脳卒中」などは聞いたことがありましたが、人間は自分に関係のない事は興味が無いせいか全く気にも止まりませんよね。

小生は「ICU」に約一ヶ月居たのですが意識が戻ったのは三週間目位だったそうです。戻ったと言っても意識が戻ったり意識が無くなったりの繰り返しだったそうです。意識が無い時もなんか苦しい夢を見ていたのですが、その夢の中で何処からともなく小生を呼ぶ妻の声が聞こえてきたのです。声が聞こえたら嫌な夢から覚めたようにも思います。

なので声が聞こえてきた時に小生が意識不明だった時なのか意識が戻っていた時なのかは定かではありません。

なので「お父上も声が聞こえていたと思います」とお答えしたいのですが、確実にお答えが出来ません。

こんなお答えで恐縮ですが、不確実な事を適当にお答えするとは出来ないので、覚えている事実をお答えしました。

これに懲りずにまた何か疑問に思うことがありましたらいつでも書き込んでくださいね。

※難しい質問なので何度か書き換えました。

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No.192 読ませて頂きました。  投稿者:ごんパパ    投稿日:2017年01月27日 (金) 09時33分

みーみさん 初めまして。

僕は1994年2月に脳内出血を発症し、来月で丸22年になります。
運動神経の側で、「自然に血が引くのを待ちましょう」との事だったのですが、容態が急変しドレナージ術・シャント術を施し、およそ3週間ICUのいました。意識が戻ったのもその少し前です。
 
左半身にマヒがありますが、毎日のリハビリで今は身の回りの事は自分でやっています。

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