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光明掲示板・伝統・第一

 

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寛容と忍耐 (161)
日時:2015年02月02日 (月) 03時00分
名前:伝統

*光明掲示板・第一「「寛容」というリーダーの資質」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1442

・・・

《寛容の徳をもつこと》

        *『生長の家』誌 昭和40年新年号より

あなたは寛容の徳をもたなければならない。

人を狷介に審くものは、自分も人から偏狭に審かれ、
人を寛大に容れてやらない者は自分も容れられずに排斥せられることになるのである。

すべて自分の心が環境に反映し、
自分が人を遇した通りに、自分も遇されることになるのである。 

自分の境遇はかくの如くして、悉く自分の心と行為の所産であって、
決して偶然に自分の運が悪いのでもなければ、悪い星の下に生まれたのでもないのである。

しかし、寛容の美徳だなどといっても、それは私的な関係や、自分に対する相手の行動、
公けに関係しないことで自分に不快を与えたような事や、相手の無知や、
行届かないことから来る失敗に関してのみ、寛容であれというのであって、

相手が公けな問題で間違った事をやろうとしたり、
間違った教えを真理の如く宣布して人をまどわしたり、
国家をくつがえすような陰謀をやろうとしている際には

寛容にほっておいてはいけないのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/17864837.html

・・・

<参考>

《徳とは?》

        *「生命の實相」第38巻(P69)より

「徳」とはなんであるか、
その文字の組立てによれば「直心(じきしん)を彳(おこ)なう」ことである。

直心とは素直な心である。
そのまま素直にありがたく受けて、与えられたる条件において
与えられたる使命を彳(おこ)なうことが「徳」である。

不幸は一方で一つの形を押し込んで隠せば他の形で他方に顕われる。
そのまま素直に受けきったとき光明化するのである。

・・・

<関連Web:本流宣言掲示板「忍 (5072)」
        → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1067 >

            <感謝合掌 平成27年2月2日 頓首再拝>

理解と、寛容 (296)
日時:2015年02月13日 (金) 04時24分
名前:伝統

         *「人を動かす」デール・カーネギー・著(P17~18)より

死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえおればよろしい。
その批評が当っておればおるほど、効果はてきめんだ。

およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。
相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動する
ということをよく心得ておかなければならない。

英文字に光彩を添えたトマス・ハーディが小説を書かなくなったのは、
心ない批評のせいであり、
英国の天才詩人トマス・チャタトンを自殺に追いやったのも批評であった。


若い時は人づき合いが下手で有名だったベンジャミン・フランクリンは、
後年、非常に外交的な技術を身につけ、人が扱うのがうまくなり、
ついに、駐在米大使に任命された。彼の成功の秘訣は

「人の悪口は決していわず、長所をほめること」だと、みずからいっている。

人を批評したり、非難したり、小言をいったりすることは、どんな馬鹿者でもできる。
そして馬鹿にかぎって、それをしたがるものだ。

理解と、寛容は、すぐれた品性と克己心をそなえた人にして初めて持ちうる徳である。

英国の思想家カーライルによれば、「偉人は、小人物の扱い方によった、その偉大さを示す」
ものだという。

人を非難するかわりに、相手を理解するように努めようではないか。
どういうわけで、相手がそんなことを仕出かすに至ったか、よく考えてみようではないか。
そのほうがよほど得策であり、また、面白くもある。

そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれ出て来る。
すべてを知れば、すべてをゆるすことになる。

英国の偉大な文学者ドクター・ジョンソンの言によると

「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」

まして、われわれが、それまで待てないはずはない。

                <感謝合掌 平成27年2月13日 頓首再拝>

《何物をも包容しつつ、強く大きくしっかりと生きる》 (426)
日時:2015年02月23日 (月) 03時48分
名前:伝統

          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(P29)より

交友を選ぶことは生涯のうちで最も大切なことである。
悪しき友と交わってはならぬ。

悪しき人間は《本来ない》けれども、
方向のまちがった側へ進む者を「悪しき人間」と仮に言う。

生命(いのち)の本質の栄えのことを思わず、外面の虚栄に心を奪われ、
五官の快楽のことにのみ心を引かれて悪しき者と交わるならば、
その人は人生で一番大切なものを見失う時が来る。

かく言えばとて、
決して一日中一室に閉じ籠っている憂鬱な友達を選べという意味ではない。

明るく生きることは人生の一つの美徳である。
強く生きることも一つの美徳である。
大きく生きることはさらにまたもう一つの美徳である。

何物をも包容しつつ、強く大きくしっかりと
生命(せいめい)の大地を踏みしめて行くことは常によい。

外面(がいめん)の虚栄や五官の快楽には強さがなく、
大いさがなく、広さがなく、包容性がなく、
それが常に狭く個人的なものになりたがるから低卑なのである。

孤独ということも、それが個人的なかぎりにおいては
人の生長を害(そこな)うものである。

            <感謝合掌 平成27年2月23日 頓首再拝>

辛抱と寛容の心 (561)
日時:2015年03月06日 (金) 04時06分
名前:伝統

          *『道をひらく』松下幸之助・著(P106~107)より

どんな人がいい人で、どんな人が悪い人か、それは一概にはいえないけれども、
国の法を犯す人はもちろんのこと、おたがいによくない人だと思う人々は、
浜の真砂(まさご)のつきざる如く、昔も今もいっこうになくなりはしない。

万物すべてかくの如し。

真善美を求めるのは、人みなの思いだが、どんなに求めても、
美ならざるもの、正ならざるものは、やはりなくなりはしない。

それはいつの世にも美なるものと相まじわって存在し、美醜とりまぜて、
それでこの自然が成り立っているのである。
この世の中が動いているのである。

だからこそ、おたがいに辛抱ということが大事なのである。

寛容の精神が大事なのである。

いい人もいるけれども、よくないと思う人もなかなかなくならない。

それが世の中というものであるならば、辛抱と寛容の心がなかったら、
いたずらに心が暗くなるばかりで、この世の住みにくさを嘆くだけであろう。

人と人が相寄って、毎日の暮らしを営み、毎日をすすめているのである。
いい人ばかりではない。

いろんな人がいる。

だからおたがいに、いますこし辛抱と寛容の心を養いたいものである。

           <感謝合掌 平成27年3月6日 頓首再拝>

「寛容なる心」 (649)
日時:2015年03月14日 (土) 04時39分
名前:伝統

           *谷口清超先生・著「美しい人生のために」(P130~131)より

世の中には、自らの狭い心で、人の寛容の心を拒絶し、逆うらみしている人もあります。

寛容をうけいれることの出来る人は、寛容の心をもつ人のみであるということが出来る
のであります。審(さば)く者は、その審き心で、自分が審かれます。

私達は、もう少し寛容の徳の偉大さに眼を開かなければなりません。

人間は、《ゆるし》の徳によって、自らをゆるさぬ者が、
果たしてどのような徳の持主であり得るでしょう。

我が国の人々は、もう少し、ゆるしとなぐさめの心をゆたかに養うように致したいものです。
せまいワクを設けて、その柵の中でキリキリ舞いをする生活をすてましょう。

もっともっと、自らをゆるし、そしてひとをゆるし、一切のものをあたたかい愛の心で
おおいつつ徳をつまねばならぬと思います。

           <感謝合掌 平成27年3月14日 頓首再拝>

忍ということの真意 (743)
日時:2015年03月24日 (火) 04時15分
名前:伝統

        *谷口清超先生・著「美しい人生のために」(P136~137)より

或る時阿修羅王と呼ぶ一人の婆羅門が、
王舎場の郊外の釈尊のもとに怒鳴り込んで来たことがあります。

それは彼の弟子の一人が逃げ出して釈尊の弟子として入門した事にふんがいしたからでした。
さんざん罵倒の言葉をなげかけられても、釈尊はただだまっておれれるだけでありました。

そこで阿修羅王は「お前は負けたのだぞ、私の言葉に圧倒されたのだ」と
ほこらしげに申しました。そのとき釈尊は、

「荒々しき言葉をかたり、愚者は勝てりと思う。
されど、真の勝利はよく堪忍を知る人のものなり。」

とお説きになって、有名な「忍」の説法をなさいました。

この堪忍という徳が智慧の心をもって法を知り法に安んじ、
一切の現象の不完全な姿に心が動かされない人の徳なのであります。

真の勝利とは、現象世界の勝利ではないのであって、
絶対不敗不滅の浄土の喜悦のことであります。


そのような不滅の悦びは、自己の感情に翻弄されることなく、
自己心中の虎にうちかつことの出来た人のものであります。

           <感謝合掌 平成27年3月24日 頓首再拝>



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