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光明掲示板・伝統・第一

 

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或る譬話・寓話からの学び (102)
日時:2015年01月27日 (火) 04時33分
名前:夕刻版

*光明掲示板第三「或る譬話・寓話からの学び」からの継続です。
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=30

・・・

《一寸法師は誰だ》

      *「この世にダメな人間なんて一人もいない!!」
        野田将晴・著(P43~54)より

一寸法師のお伽噺

(お伽噺はご存知だと思いますので、ここでは省略)

念のため、概略は次のWebにて「一寸法師」のお伽噺を確認できます。
 → http://www9.plala.or.jp/riversite/otogi/isun.html



一寸法師は主人公です。
それは「あなた」です。それも「本当のあなた」。

探さないと何処にいるかわからないほど ―― 本当の自分は、一寸法師 ――
小さいけれど、いざとなったら鬼どもを一人でやっつける勇気と知恵と愛の塊です。

次にお姫様は「今のあなた」です。
純真で美しいけれど、ひ弱でいかにも頼りなげ。

そんなお姫様(今のあなた)を襲う鬼たちは、あなたの心の中で大きくなったり
小さくなったりを繰り返している「悪い感情」です。

青鬼は怖くて真っ青になって震えている状態、つまり恐怖や不安や悲しみのことです。

黒鬼は人を憎んだりだましたり嫉妬したりする心、腹黒い奴だというでしょう。あれです。

赤鬼は、「怒り」です。真っ赤になって怒っている状態です。

いつもは「本当のあなた」はお姫様である「今のあなた」の陰に隠れていて、
少々もてあましながらわがままなお姫様を一生懸命お世話をしているのです。
しかし陰に隠れているから何処にいるのかがわかりません。

そのお姫様が鬼に襲われる。
悪い感情が大きくなって「今のあなた」の心を支配しようとするというわけです。

すると陰に隠れていた「本当のあなた」という一寸法師が出てきて、
鬼とお姫様の間にすっくと立って、両手を広げて
「一寸法師ここにあり、お姫様は渡さないぞ」と大声で宣言するのです。

一寸(3センチ)しかない小さな体で、しかも針の刀1本で、
大きな鬼3匹を相手に立ち向かっていく勇気は何処から出てくるのでしょうか。

お姫様への「愛情」から出てくるのです。
愛が勇気と力を与えるのです。
そして存分に知恵を働かせて見事に鬼3匹を退治するのです。

そう、一寸法師というのは「愛と勇気と知恵」の象徴なのです。
そしてそれこそが「本当のあなた」なのです。


《「なりたい自分」になれる》

一寸法師が鬼を退治した後に、「打ち出の小槌」が残されていました。
これを振るとなんでも願い事が与えられるという宝物です。

この打ち出の小槌を何で鬼が持っていたのでしょうか。
その意味を考えてみましょう。

あなたが心の中で何かが不安で心配しているとしましょう。
例えば受験を控えて、自分は合格点を取れないのではないかと不安になって
心配でたまらなくなって、なかなか夜も寝れない。

その状態を、青鬼がお姫様を襲っているシーンとして表現されているのです。

そのとき鬼が打ち出の小槌を持っていますから、
「あなたのその心配を叶えましょう」といって、打ち出の小槌を振るのです。
するとあなたが心配したように試験で合格点が取れないという結果になるのです。


黒鬼は人を憎んだりする感情ですから、
その黒鬼が打ち出の小槌を振るとどうなるかというと、もっと憎く思うことが
次々に起こって、ついには自分自身を憎く思うようになるということなのです。


赤尾には怒りの感情ですから、その赤鬼が打ち出の小槌を振ると、
もっと怒るような事ばかり起こって、
終いには自分自身に腹が立ってたまらなくなるのです。


つまり打ち出の小槌を鬼が持っているというのは、
悪い感情を持つとそれは自分に跳ね返ってくるという世の中の真理を意味しているのです。


『心配すると 心配事が 心配して 心配事を集めて 心配かけに来る』という訳です。


しかし人間誰しも感情がありますから、
不安や恐れ、憎悪や恨みや悲しみ、怒りなどの悪感情が湧いてくる時があります。

そんな時こそ一寸法師の出番です。

鬼として表現されている悪い感情は、
結局は自分自身にはね返ってきて、さらに悪い結果を招くのですから、
一寸法師が頑張って悪い感情を心の中から追い出すのです。

すると、そこには「打ち出の小槌」が残されています。
今度はあなたが打ち出の小槌を振って「願い」を叶える番なのです。

その打ち出の小槌によって願いが叶えられて、「本当のあなた(あなたの本質)」である
一寸法師が大きく成長して「今のあなた(現象のあなた)」と一体となる。

つまり、本質が現象にあらわれるというわけです。

それが、一寸法師が大きくなってお姫様と結婚して幸せになるという、
物語の中に隠された本当の意味なのです。


「今の自分」が、たとえどんなに嫌な自分(お姫様)であったとしても、
「本当の自分」という素晴らしい一寸法師がいるのです。

今は小さくて見えないかもしれないけど必ずいる。

あなたが不安になったり怒ったり悲しんでいるときに、
必ず出てきて心の中でこれらの鬼たちと戦っているのです。


一寸法師にそのとき力を与えるのは「愛」です。
「愛」が勇気と知恵を引き出してくれるのです。

「打ち出の小槌」というのは「言葉」のことです。
言葉には偉大な力があるのです。

言葉は思考です。
最先端の科学である「量子物理学」によって、
宇宙の万物は思考によって創造されたという驚くべき真理が証明され始めました。

言葉はまさに打ち出の小槌なのです。

さて、「打ち出の小槌」を振って願いを叶えるには、
実は次のような法則があります。


(少し文が長くなりましたので、以下は要点の紹介と致します)

(1)「願う」こと。

  ①願うことは、心の中で言葉を思うことになります。
   これが打出の小槌をあなたが手にした状態です。

  ②願う際の注意点として、具体的にリアルに願わなければ叶えようがありません。
   具体的にリアルにイメージすることが重要です。

(2)願ったことが必ず叶えられると「信じる」ことです。

(3)それを言葉に出して「宣言する」ことが大事です。

   「なれる」ではなく、既に「なった!」という宣言です。
   それが打ち出の小槌を振るということなのです。

   音は「空気の振動」(波長)です。言葉の同じく振動なのです。
   その「振動」を「小槌を振る」と表現しているのです。

(4)次に、願い事が叶えられた状態を想像して「喜ぶ」のです。
   思いっきり喜んで感謝するのです。

(5)最後に、頭に浮かんだことを実行する。
   このときの努力は楽しくて仕方がない。


こうして願いが叶えられ、あなたは思ったとおりの人間になるのです。

『喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びが来る』

・・・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (9201)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1744      

(2)「光明掲示板・第二」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (25)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=13   

・・・

<参考>

(1)「この世にダメな人間なんて一人もいない!!」については、
   次のWebで参照できます。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=2060

(2)著者の野田将晴氏については、
   光明掲示板・第一「勇志国際高校の挑戦 (10130)」でご確認ください。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1944


              <感謝合掌 平成27年1月27日 頓首再拝>

巨大な樹木も一粒のタネから (144)
日時:2015年01月31日 (土) 17時39分
名前:伝統

      *Web:「お釈迦さまの“本当”に教えたかったこと」より

その村には、大きな多根樹があった。
天を摩するような高さを誇り、幹太く、
思い思いに広げた枝葉の下には、数百人が遊んでもまだ猶予がある。

自らの重さを支えるように、枝が地に伸びて根ざし、
樹そのものが、ひとつの林のように見えた。

ある日、尊い方がお弟子を連れて村を訪れ、托鉢をして歩かれた。
たまたま、そのお姿を拝した貧しい女が深い尊敬の念を起こした。
「なんと尊いお方だろうか。ぜひ何か差し上げたい」と、布施を志す。

この尊貴なお方こそ、仏陀・釈迦牟尼世尊であることを彼女は知った。

女は世尊に、自分たちの昼食のために用意した「麦こがし」を施すことにした。
大麦を煎って焦がし、うすでひいて粉にしたものである。

鉢に麦焦がしをを差し上げた時、釈尊が弟子の阿難に向かって、
こうおっしゃっているのを聞いた。

「この女は今の尊行によって、やがてさとりを開くであろう」

すると傍らにいた彼女の夫が、おもむろに仏陀に歩み寄り、
腹を立てた様子で食ってかかった。

「そんな出任せ言って、麦こがしを出させるな。
取るに足らぬ布施でどうしてそんな果報が得られるか」

釈尊は、静かにおっしゃった。

「そなたは世の中で、これは珍しいというものを見たことがあるか」

“いきなり何だ”。男は戸惑いつつも、
「珍しいもの」と問われ、村の大樹を思い出した。
「あの多根樹ほど不思議なものはない。
一つの木陰に500両の場所をつないでも、まだ余裕があるからな」

続けて仏陀は問われた。

「そんな大きな木だから、タネはひきうすぐらいはあるだろう。
それとも飼い葉桶ぐらいかな」

「とんでもない。そんな大きなものではない。
ケシ粒のほんの四分の一ぐらいしかない」

「そんな小さなタネから、そんな大きな木になるなんて、だれも信じないね」

釈尊の言葉に、男は大声で反論した。

「だれ一人信じなくても、オレは信じている」

ここで釈尊は言葉を改め、こうおっしゃった。

「どんな麦こがしの小さな善根でも、やがて強縁に助けられ、
ついにはさとりを開くこともできるのだ」

当意即妙の説法に、夫は自身の誤りを知らされた。
直ちに己の非をわび、夫婦そろって仏弟子となったのである。

http://minneko.blog.so-net.ne.jp/archive/c2304293031-1

              <感謝合掌 平成27年1月31日 頓首再拝>

コレラの使命 (213)
日時:2015年02月06日 (金) 17時39分
名前:伝統

       *「超医療セラピー」クローディア・ランヴィル(著)(P253~254)より

昔むかし、ある小さな村に巡礼に行く途中で、賢者がコレラに出会いました。
賢者は、「こんなに朝早く、どこに行くのですか? 」とコレラに尋ねました。

コレラは、「この地上から500人の魂を引き上げる使命を果しに行くのです」と答えました。
そして、「あなたがこれから行こうとしている村は、人口も多いし、衛生状態も悪いので、
私の使命を果すにはとても都合がいいのです」 と言いました。

巡礼を終えてその村から帰る途中で、賢者はこう考えていました。
「あのコレラは、嘘を言った。なぜなら、あの村では、1500人が死んだのだから。
なぜ、嘘を言ったのか、聞いてみたいものだ」

すると、「コレラが歩いているのが目に入いりました。
そこで、賢者はコレラに近づいて、こう尋ねました。

「どうして1000人も余分に殺したのですか? 」

コレラは答えました。

「私が殺したのは500人だけです。
あとの1000人は、恐れが原因で死んだのですよ」


              <感謝合掌 平成27年2月6日 頓首再拝>

幽霊に殺される (240)
日時:2015年02月08日 (日) 17時39分
名前:伝統

       *「超医療セラピー」クローディア・ランヴィル(著)(P284~285)より

   ある時、道に迷った旅人が、王宮にたどりつき、中庭の素敵な木の下で眠りました。

   目を覚ますと、おなかがすいていることに気づきました。
   そこで、こう考えました。

   「ああ、何か食べたいな! 」
   すると、たちまちおいしそうな料理が運ばれてきました。
   ひどくおなかがすいていたので、なぜそんなごちそうが出たのか考えもせずに、
   それを食べました。

   おなかいっぱいになった旅人は、次に、こう考えました。
   「次は、何か飲みものが欲しいな! 」
   すぐに、おいしそうな飲みものが出てきました。

   すっかり満足した旅人は、こう考えました。
   「それにしても、いった何が起ったんだろう? 夢をみているのだろうか?
   いや、幽霊たちがいたずらをしているに違いない」

   すると、幽霊たちが現われました。
   幽霊たちは、とても残酷そうな、恐ろしい様子をしています。
   旅人は震え上がりました。

   そして、こう考えたのです。
   「ああ、もうだめだ。あいつらは、俺を**! 」
   幽霊たちは、旅人を殺しました。



この幽霊とは、まさしく《現実を生み出す考えの鋳型》 ―― これは、《精霊》とも呼ばれます――
にほかならなかったのです。

人間が、この《鋳型》にパワーを与えると、それは人間を殺すことさえあります。

たとえば、広場恐怖症の人を見てみれば、そのことがよく分かるでしょう。
この人は、広場に行くと息が詰まる、と考えていますので、
広場に行けば、実際に息が詰まります。

広場に行って息が詰まれば死ぬ、と考えていれば、実際に死んでしまうでしょう。

ですから、大切なのは、この人が、心の中に恐れを創り出したのは自分である、
という事実に気づくことなのです。


              <感謝合掌 平成27年2月8日 頓首再拝>

お金にまつわる落語のお話から (304)
日時:2015年02月13日 (金) 21時13分
名前:伝統

《高津の富》 

落語にはお金を題材にした噺がたくさんあるのですが、
桂枝雀師匠の「高津の富」(高津の富=現在の宝くじ)は次のような枕で始まります。


   「お金は天下の回りもの。回りものと言いますからどこへでも回っていくのか
   と思いますとそれが違うのだそうです。回る道が決まっているのでございす。
   ルートがあるわけでございますね。

   ・・ですからその道のニアバイ(すぐ近く)にいる人には回ってまいりますが、
   ファーラウェイ(遠く)にいる者には生涯かかっても回ってこんというのが
   お金というもんやそうでございます。

   お金というものは淋しがり屋やそうでございますね。あまり強いもんではございません。
   そりゃそうでしょう。わしゃ一番の大将やと威張っているあの一万円札でもなかなか
   独り立ちはできないのでございます。一枚では立てません。

   ですから例え2、3枚の一万円札を懐にしましたところでそれは仕方がないのでございます。
   1枚や2枚では淋しいのでございます。もっと仲間のたくさんいるところへ、飛んで行こう、
   飛んで行こう。

   お金は、あるところへ、あるところへとどんどん集まるようにできているのでございます。」


と、こんな感じです。

お金は淋しがり屋で、大事にしてくれるところ、仲間がたくさんいるところへ集まるもので、
その道筋にいない者には回ってこない  ・・・たしかにその通りなのかもしれません。

・・・

《千両ミカン》
 
次の「千両ミカン」という落語もお金にまつわるお話です。


   ある大店(おおだな)の若旦那が日増しに衰えていくので、理由を尋ねてみると
   どうしてもミカンが食べたいとのこと。若旦那の身を案じた番頭が方々を探すのですが、
   あいにく真夏のことでありましたのでミカンはなかなか見つかりません。

   やっとの思いで取り置きがあるというミカン問屋にたどり着くと、提示された金額が1個千両。
   理由を問えば、夏場でもミカンを出せるよう、ミカン問屋の意地にかけて大量のミカンを
   とっておくのだが、それでもほとんど腐ってしまう年もあるそうで、腐ったミカンの山の中から
   1個だけ見つかったこのミカンは、千両の価値があるのだとか。

   店に戻った番頭が大旦那に相談すると、問屋の心意気に感じ入り、番頭に千両箱を持たせ
   1個のミカン買いに行かせます。こうして手に入れたミカンを、格別の感慨もなく
   10房のうち7房を食べた若旦那は、残りの3房を「おとっつあんとおっかさん、
   それにお前で食べておくれ」と番頭に渡します。

   ミカン3房を手にした番頭は考えます。1個千両なら、1房で百両、とすると
   今手にしているのは3百両になる。これだけあれば一生楽に暮らせると思った番頭は
   出奔してしまったそうです。

   
1房百両で購入したミカンかもしれませんが、その金額で買ってくれる人がいなければ
百両を手にすることはできません。しかも時が経てばミカンは腐ってしまいます。

いつまでも価値が変わらないと思ってしまったこの番頭さんの出奔ですが、示唆に富むお話です。


              <感謝合掌 平成27年2月13日 頓首再拝>

きたの神 (354)
日時:2015年02月17日 (火) 20時04分
名前:伝統

むかし、むかし、北の地に暮らしている神さまがおりました。
北の神さまは、南の神さまの娘と結婚することになっていたので、
南の地の神さまを訪ねる所でした。

日も、とうに暮れ、北の神さまは泊まる所を探していました。
しばらくすると、立派な門構えの大きな家が見えてきました。
主(あるじ)はお金持ちのようで、北の神さまは門をくぐると玄関を開けました。

「ごめんください。」
すると、豪華な着物を身に着けた男の人が出てきました。
男は、金持ちのくせにけちで、みすぼらしい身なりのよそ者をちらっと見て、
男はこう言いました。

「お前のようなよそ者と話す必要はない。」
そう言うと、男は戸をばたんと閉めてしまったので、北の神さまは、途方に暮れ、
あちこち歩き回っていると、まもなく、わらぶきの小屋が見えてきました。

戸を叩くと中から声がしたので、北の神さまが戸を開けると、
そこには粗末な着物を着た男がいました。神さまは男に言いました。

「ごめん下さい。今夜、眠る所を探していますが、一晩泊めてもらえないでしょうか。
土間の隅でもかまいません。」

「お入りなさい。見ての通り、むさくるしい所ですが、よろしかったらお泊まり下さい。」

実は、この親切な男はあの欲深い男の弟だったのです。
弟夫婦はやさしく神さまを招き入れました。
妻は神さまに言いました。

「さぞお腹がすいていることでしょう。温かいうちにこのお粥(かゆ)を召し上がって下さい。」

「心温まるご親切ありがとうございます。いただきます。」

北の神さまが、親切な夫婦の家に泊まってから数年経ちました。

それからある日、北の神さまは南の神さまの娘と結婚し、
妻と八人の子供を連れて、あの親切な男の家を再び訪れました。

「むかし、私はこの家で温かいもてなしを受けました。」

「私は北の地に帰るところです。今日は以前私をもてなしてくれた
お礼を言いに寄らせていただきました。」

「とんでもない。さあ、中に入って休んで下さい。」と親切な男は迎えてくれました。

男の妻は冷たい水を出してくれました。
暑い日ゆえ、それは最高のもてなしでした。

「うまい!お礼に、良いことを教えてあげましょう。
わらで輪を作って、腰に巻きなさい。
それから、表の戸に名前を書いておきなさい。

そうすれば、近所で疫病がはやっても、不幸な出来事が起こっても
何事もなく暮らしていけるでしょう。」

そう言うと、北の神さまとその家族は立ち去りました。

まもなく、近所に疫病がはやりました。
あのけちな金持ち一家も病気になりましたが、腰にわらの輪を巻き、
表の戸に名前を書いたあの親切な夫婦は、いたって健康でした。

それ以来、村人たちは、そのうわさを信じ、夏になるとわらの輪を作って腰に巻き、
表の戸にそれぞれの名前を書いた、と言うことです。

http://www.douwa-douyou.jp/contents/html/douwastory/douwastory2_25.shtml

・・・

よく似た民話というより、
元は同じ民話と思われる「牛頭天王と蘇民将来」があります。

こちらでは、「きたの神様」が「牛頭天王」、
腰にぶらさげたのが「蘇民将来」と書かれた木のお札となっております。

  → http://www.futami-somin.com/somin.htm

              <感謝合掌 平成27年2月17日 頓首再拝>

王子と蜜蜂 (433)
日時:2015年02月23日 (月) 18時08分
名前:伝統

         *「叡智の断片」(P37~38)より

ギリシヤのお伽噺にこんなのがある。

蜜蜂を愛していた王子は、蜜蜂が終日遠いところまで
蜜を集めに行くのは可愛そうだと考えて家来に命じて蜜蜂の翅を切り、
遠くから花を集めさせ、毎日毎日巣の中に花を満たせてやったのである。

王子の考えでは遠くまで行って花蜜を集めるよりは
その方が沢山花蜜を集められると考えたのである。

然るに蜜蜂は一向花蜜を集めないで巣の中には一滴も蜂蜜はたまらなかった。


王子から見て幸福だと思える事柄が、蜜蜂から見て一向幸福ではないのである。

蜜蜂にとって幸福は、遠くまで行く労苦がなくなることではなくて、
自由に遠くまで飛べる翅を有っていて、いつでも好きなところへ
自由に飛べると云うことである。

              <感謝合掌 平成27年2月23日 頓首再拝>

7人のサンタクロース (519)
日時:2015年03月02日 (月) 19時37分
名前:伝統

          *「『情熱思考』夢をかなえた45人の物語」是久昌信・著より

クリスマスの夜、
ある人が人生に限界を感じ
もう死にたいと泣きながら眠りについた。

すると、様々な人と話をする夢を見た。


「聞いて下さい。
私は倒産しました。
恋人も失いました。
選挙に8回も落選しました」


「私もだよ。それが何か?」
―第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーン



「聞いて下さい。
私は言語障害です。
入試に3度も落ちました。
選挙に2回も落選しました」


「私もだよ。それが何か?」―イギリス首相ウィンストンチャーチル



「聞いて下さい。
私は知能が低いと言われました。
仕事を2度もクビになりました。
ある研究で1万回も失敗しました」


「私もだよ。それが何か?」―発明王トーマスエジソン



「聞いて下さい。
私はなかなか言葉が話せず、読み書きを覚えるのにも時間がかかり、
妄想癖があり、どこの学校にも入れてもらえませんでした」


「私もだよ。それが何か?」―20世紀最大の天才アルバートアインシュタイン



「聞いて下さい。
私はお店も、資産も失いました。
息子も亡くしました。
新しい仕事の売り込みは、1000人以上に断られました」


「私もだよ。それが何か?」―伝説の企業家カーネルサンダース



「聞いて下さい。
私は7回も事業に失敗しました。
5回も破産しています」


「私もだよ。それが何か?」―自動車王ヘンリーフォード



「聞いて下さい。
私は想像力が貧しく、アイデアにセンスがないと会社を解雇されました。
何度も破産を繰り返しています」


「私もだよ。それが何か?」―アニメの神様ウォルトディズニー



その人は夢の中で
7人の偉大なる凡人に出会った。

彼らからどんなことにも傷つかない心とあきらめない勇気をもらった。

成功するまで
何度失敗してもつきることのない情熱をもらった。

人生に限界はない。
失敗を恐れてはいけない。

成功は
偉大なる失敗の連続から生まれる結果だから。

情熱を持って
偉大なる失敗を繰り返せる凡人が世界を変える。


「Merry X'mas !」


              <感謝合掌 平成27年3月2日 頓首再拝>

「二河白道の喩え」 (720)
日時:2015年03月21日 (土) 17時22分
名前:伝統

「二河白道(にがびゃくどう)」の喩え

         +中国の高僧善導大師の著書『観経疏(かんぎょうしょ) 』より

 
一人の旅人が、東から西への旅路を歩いています。突然前方に河があらわれました。
立ち止まって後を振り返ると、盗賊や猛獣・毒蛇が襲いかかってきます。

旅人は窮地に陥りますが、西へ延びる白い細い道を見つけます。

しかし白道の左の方(河)には猛火が燃えさかり、右手(河)は急流が押し寄せてきます。
進むも死、戻るも死と、全くの絶望状態です。旅人は躊躇していました。

すると、迷っている旅人の耳に、

「心を決めてその道を渡りなさい。信じなさい。河を恐れることはない」と声がします。

その声に勇気付けられ旅人は西に進みますが、今度は背後から盗賊や猛獣・毒蛇の声が。

「早く引き返しなさい、その道は通れない、行けば死ぬだけだ。
我々はあなたを殺したりはしない、引き返しなさい」

旅人はその誘惑に乗ることなく白道を進み、ついに向こうの岸に到達することが出来たのです。



この話で東は現世(此岸)、つまり今いるところ。
西にあるのが極楽浄土(彼岸)で旅人の目的地。


盗賊や猛獣・毒蛇は私たちの心に住む煩悩を、
猛火は怒りの心、押し寄せる急流は貪りの心を意味しています。

白道は彼岸に到ろうとする清浄な心、最初の声の主は仏さまの声なのです。
 
怒りや憎しみの業火に焼かれることなく、欲望に流されず、
我愛、我見、疑い、迷い、慢心といった煩悩を振り切って進んだ先に
目的地があるということの譬えなのです。


<参考Web:紙芝居『二河白道物語』
       → http://o-demae.net/blog/archives/79.html >

              <感謝合掌 平成27年3月21日 頓首再拝>

笑い話としての「桃太郎」前段の作り話 (759)
日時:2015年03月25日 (水) 17時30分
名前:伝統

むかしむかし、あるところに。
不妊に悩んでいる赤鬼と青鬼の夫婦がいました。

まわりの夫婦は次々に子供を授かっているのに、なぜ私達だけが・・・
鬼夫婦は、悩んでいました。


そんなとき、人間の村にある kibi-dangoを食べると、
子を授かりやすいという噂を聞きつけた、
旦那青鬼は島から、○○と呼ばれる村をめざしと旅にでました。


「kibi-dangoはないかね~kibi-dango~」

青鬼は島からこっそり持ち出した金の鬼棒を手にしながら、
kibi-dango~と金を交換してオニ~と大きな声をだしながら、村中を歩き回りました。


しかし、初めて鬼を見た、人間達。
恐怖におおののき、逃げまわります。


まっておに~~~。

鬼は逃げ回る人間を追い回し、
なんとか自分の願いをきいてもらおうと必死です。


みんなが逃げ回るなか、
ひとりの老人が、鬼に近づきます。

「きびだんごはいらんかね?」

「 kibi-dango ???」


鬼は、満面の笑みでkibi-dangoをうけとります。

土の上に直に坐り、平伏して座礼を行いました。


DO! GEZA。    (~土下座)


そして、もってきた鬼の金棒をお礼として。
村の入り口に2本の金棒をぶっさして、島に帰っていきました。


村では、たちまちこの話しは伝説となり、

どんなに凶悪、性悪な生き物も、
きびだんごを与えることで、
邪気を払えるという言い伝えにつながりました。


そして、月日がすぎ。

きびだんごの効果があってか、
鬼夫婦に待望のあかちゃんが生まれました。


しかし。。。。。


待望の出産。



あかちゃん鬼をみつめる、夫婦の悲しい目がそこに。

オギャーオギャー!

元気に泣く赤ちゃん鬼の頭には、なんと。


角が生えていませんでした。


鬼ヶ島の掟では、
角の生えていない子供は、1歳になるまえに殺さなくてはならない。
島に災いをもたらすから。

まさか、自分達のこどもに角が生えていないなんて・・・・


長い年月子供を待ち望んだ鬼夫婦にとって、
自分達の子供を殺すことはできませんでした。

かといって、島に災いをもたらすという言い伝え。。。

仕方なく、鬼夫婦は決断しました。

この子を島流しにしよう。


もし、この子に強い生命力があれば、どこかの島にたどり着いて、生きてくれるだろう。

海鳥から守ってきれるように、頑丈な桃の皮におおわれた、
鬼仕様のベビーベッドに子供をいれて、海へと流しました。


どんぶらこ、どんぶらこ。


これが、最後の別れ。

誰もがそう思った、このお話し。


(この後の展開は、昔話「桃太郎」へつづきます)

              <感謝合掌 平成27年3月25日 頓首再拝>

行者と毒蛇 (821)
日時:2015年03月31日 (火) 18時01分
名前:伝統

         *「人生読本」(P65~67)より

<平等にして差別があるのが大調和>


或る時、一人の行者が仏様の教えをきいて悟りました。
本当は悟ったと思ったのです。

どう悟ったかといいますと、生きとし生けるものは、ことごとく仏の子であるから、
どんなものでも兄弟だと思い、深切にしなければならぬと思ったのでした。

そう思って、或る朝庭に立って見ておりますと、
一匹の毒蛇がにょろにょろとその行者のところへやって来ました。

行者は、生きとし生けるものはみんな兄弟であるから、
深切にしてやらねばならぬと思って、座敷の上へ上げてやり、
食物を与えて大切に飼っておきました。

すると一人の友人が来て、

「君は毒蛇を飼っているそうだが、
人間は人間、畜生は畜生であるからいっしょの待遇をしてはならぬ。
ことに毒蛇などと一緒の生活をしたら、しまいには噛み殺されてしまう」

と、深切に忠告してくれました。

しかし行者は答えました。

「生きとし生けるものは、みな兄弟であるから、深切に平等の扱いをしなければならない。
君のように差別的なことを言うものは迷っているのだ。」

友人は自分の忠告がきかれないのを、悲しく思いながら帰って行きました。

その後しばらく、行者は毒蛇と仲よく暮らしておりましたが、
或る日食物を集めるために、やや遠いところへ旅をしました。

1週間も家を明けて帰って来ますと、毒蛇は餌(え)を与える人がないので、
行者を待ちかねていましたので、

行者が「そら蝮(まむし)さん、さぞひもじかっただろうね」と言って、
餌を口のところへ持って行ってやりますと、毒蛇はあまりにもお腹が空いていましたので、
あわてて餌と間違えて行者の指先に咬みつきました。

見る見る行者の指先から毒が廻り、
腕が腫れ、身体ぜんたいが赤紫に腫れてしまって死んでしまいました。


・・・・・生きとし生けるものが平等だということは、
生きる命はみんな神様の力でやどっているのであるから、
どれも皆同じように尊いということである。

しかし形の世界では、その神様の力のあらわれ方がみんな異う。
平等にして差別ありの真理を知らねばならぬ。

人間はみんな尊いが、
人と時と処の三つの相応(ちょうどよい)ということを知らねばならぬ。
この相応を得たときにすべてのものが大調和するのである。

蛇を座敷へあげるというようなやり方では、この行者のように、
遂に毒蛇に咬み滅ぼされてしまうものです。

              <感謝合掌 平成27年3月31日 頓首再拝>



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