《7時間海中に浸りながら聖経の中身が濡れなかった神秘》 (218) |
- 日時:2015年02月07日 (土) 03時31分
名前:伝統
*新講『甘露の法雨』解釈(P305~308)より
昭和38年11月22日、日本大学講堂で生長の家大講習会があった時、 それは私が海外旅行から帰朝しての第一声であったので、 無量一萬人近くの聴講者が集って非常に盛大であった。
その時東京都葛飾区鎌倉町465に住んで入れる樺山滋人(かばやましげと)さん―― この人は料理学園園主であり、東京都の民生委員をしておらる方ですが、戦争中、広島の 広町にあった海軍将校官舎でお目にかかった人で、次のような体験をお話になりました。
『皆さんありがとうございます。私は終戦の時まで26年間海軍に生活致しまして、 爾後追放令該当者に指定され、或いはブラジルに行って開拓をやり、つぶさに 辛苦をなめて参った者でございます。
去る5月、谷口先生がハワイにおいでになられまし後を私は追いまして、家内同伴で ハワイに参り約2週間、かの地に滞在いたしました。先生の御人気の素晴しさ、 これを身近に聞きまして私達は非常に嬉しい気持ちで日本に帰って参りました。
ロサンジェルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ブラジル各地、いずれも私達の 曾遊(そゆう)の地でございまして、私の子供4人ブラジルに移住しておりますが、 かの地からのの便りによりまして谷口先生御夫婦の御巡錫の地、到るところ歓声が 湧き起って大変なものであったという事、私の子供も先生のお出でになるのを 首を長くして待っていたのでございます。
先生も思い出して下さると思いまするが、ちょうど昭和19年、先生が呉軍港に御巡錫 にならりました砌(みぎり)に、私は同僚の黒田君と先生を宿舎にお招きしまして 当時の戦争中の貧しい晩餐をつきあって頂いたのでございます。
その時に私は、太平洋戦争の初期に起きました私の体験を申し上げまして、 「甘露の法雨」の功徳をお話し致しましたのでございますが、その時先生は、 それは当り前の事だというようなお話をなさいまして、 私に「一切万事我より発し我に帰る」という短冊を書いて頂いたのでございます。
先程の先生のお話を承りますると、将に私に頂門の一針を与えて下さったんだろうと 思います。皆さん「甘露の法雨」と申しまするが、これは印刷した紙と表紙の布で 何とか纏(まと)め上げた“物質”と申すようなものではございません。
私は“物質”ではないと申しているのでございます。これは「甘露の法雨」という名に よって、谷口哲学の神髄の「生命の實相」を代表する“神”であります。 “紙”ではありません。ペーパーではありません。ゴッドであります。
私はこの神様をいつもと同じに、 戦争の時にはひしと心深くだきしめまして決戦場に出て行きました。
吾は神の子なり。吾は神の子、神と偕にあれば、吾が魂は常に平安なり。 弾(たま)は或いは人間の肉体を傷つけるでありましょう。 しかし神様を傷つけることは出来ないのであります。
私はソロモン海戦並びに南支那海におきまして二度乗艦を撃沈されまして、何とか 救(たす)かって海中に投げ出されたのであります。鱶(ふか)の生息する海面をただよう事 7時間、かくして救けられました時、先ず私は懐から「甘露の法雨」を出しまして 拝みました。
表紙はずたずたに海水にぬれておりますが、ひとたび中味を開きました時には、 一滴も海水はしみていない。唯今私はここに持っています。 (ポケットから『甘露の法雨』を出して聴衆に示す)
表紙は糊がはがれてもうボロボロでございます。 これは私がもう昭和10年から持っておる『甘露の法雨』でございます。(拍手) この中身は御覧の通り昔のままでございます。一滴も海水は入いっとらん。 7時間も海の中を泳ぎましてこういう状態、これを皆さん奇蹟とおっしゃいます。
人間の五感で認識する縦横厚みの三次元の世界を遥かに超越したところの無限次元の 世界、即ち神様の世界におきましては真実のみが存在します。奇蹟はございません。
私は唯今東京都民生委員児童委員の職を仰せつかりまして働いておりますが、 近頃非行少年がふえつつございます。 これは少年が神から離れた哀れな姿でございます。
皆さん、青少年を神から離れた姿に放ってはおけません。どうぞどの家庭も神から 離れた姿には放置できないのであります。社会環境が神から離れた姿でないように 持ってゆこうではありませんか。
生長の家の個々の力の積み重ねが、その努力によってやがては全世界の平和を確立 すると、私は確信するものでございます。
この場で、この理意義深い大講習会に、ここに所見を申し述べる機会を与えて下さい ました事に対しまして、深甚の謝意を表しますと共に、この機会に本当に生長の家の 信徒が一団となり、尚かつ生長の家以外の人でも志を同じくし、目的を同じくする者は、 大きな力となり一団となって世界平和をかちとるという事が、この講習会を最も意義 あらしめる事であると確信致します。有難うございました。』
このような『甘露の法雨』の奇蹟的体験は無数にあるのであります。
奈良教区方面の生長の家の幹部である太田英夫(ひでお)さんは、 戦争中輸送船が敵の魚雷で撃沈され、千数百名の兵隊及び軍属と共に、 渦巻きながら撃沈し行く船体と共に海底に吸い込まれましたが、
その時携帯せる『甘露の法雨』のお陰で、浮かび上がる船の破片木材を手に握って、 浮かびあがることが出来、炎天の照りつけられと4時間漂流後救われたとて 表紙のボロボロになった当時の『甘露の法雨』を見せられたことがあるのであります。
樺山さんの如きは鱶が沢山泳いでいる海中に7時間も漂うて無事だったことと 全く一対の奇蹟というほかはないのであります。
<感謝合掌 平成27年2月7日 頓首再拝>
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