恐怖が生理作用に及ぼす影響 (171) |
- 日時:2015年02月03日 (火) 03時12分
名前:伝統
*『生活と人間の再建』(P163~164)より
世の中で最も不必要なものは恐怖心なのである。 恐怖心は不信仰より来たる。
恐怖心は人間を神よりひきはなして人間のとやかくの想いわずらいの世界に引き込むのである。 我々が恐怖する時我々は神の子の位から滑り落ちる。
我々が恐怖する時我々は神の子の位から滑り落ちる。 そしてアダムの子となるのである。 楽園から追放せられ「汝は苦しみて食を得ん」と宣言せられる。
恐怖は恐怖を呼び、雑音と噪音(そうおん)とに波長を合わした ラジオ・セットの如くなるのである。
我々が恐怖心にとらわれる時、全身の生理作用は悉く病的方面に向かおうとするのである。
(中略~生理作用として現れる具体的な負の影響の事例)
(多くの人々は、恐怖による内攻したエネルギーを消耗することができない)
その内攻したエネルギーの《はけ場》として肉体のどこかに盛り上がるぶつぶつや、 頭や背中や腰などの痛みを生産せしめなければならないということになるのである。
元来恐怖心は信仰の欠乏から生ずるのであって、 過去のことを思いわずらう持越苦労、未来のことを思いわずらう取越苦労 及び現在の事に不満足なる感謝欠乏の心によって成りたっているのである。
そしてその奥には、過去、現在、未来にわたって生ずる所の色々の現象は、 何れも皆自分の心の影であって、自分の心でどうにでも変化し得るという真理を知らない ことが根本になっているのである。
一切の現象が、肉体でも境遇でも皆自分の心でどうにでも変化し得るものということが わかれば、誰でも恐怖する必要がないことがわかるのである。
<感謝合掌 平成27年2月3日 頓首再拝>
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