精神(心)の成長とは、「利他心」の成長 (147) |
- 日時:2015年02月01日 (日) 04時33分
名前:伝統
*「この世にダメな人間なんて一人もいない!!」野田将晴・著(P119~121)より
人は皆、心の中に利己心と利他心を持っています。 どんな聖人君子でも同じです。
違うのは、心の中で「利己心」と「利他心」がぶつかった時に、 どちらを優先させることができるかという一点なのです。
「利己心」が常に優先する人は、結局、誰からも相手にされなくなって 惨めな人生を送ることになります。
反対に「利他心」を優先させることができる人は、 人々から尊敬される生き甲斐にあふれる人生を歩むことができます。
ですから、人生の修養というのは、「利他心」が「利己心」を打ち負かす練習なのです。 つまり、人間にとっての精神(心)の成長とは「利他心」の成長のことだというわけです。
「利己心」ばかり表に出る人は、何歳になっても心はまだ子供のままだということになります。
「利他心」は、権利意識からは育ちません。むしろ「利己心」を増大させるだけです。 「権利」ではなく、「義務」を果すという意識から「利他心」は育ちます。 権利の主張からは心の成長は無いということです。
人は、修養を積んで「利他心」が「利己心」に打ち勝つ回数が増えていったら どうなるかというと、喜びと生き甲斐が得られるのです。
結局、人間は「利己心」だけでは本当の心の満足は得られないのです。 人間の役に立った、世の中の役に立ったという実感こそ、実は「本当の幸せ感」なのです。
日本人は、古くからそのことを知っていました。 だから「働く」という言葉の語源は「傍楽(はたらく)」であり、 「傍」つまり周りの人々を「楽」つまり幸せにすることが「働く」意味だったのです。
<感謝合掌 平成27年2月1日 頓首再拝>
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