神想観の注意 (135) |
- 日時:2015年01月30日 (金) 04時46分
名前:伝統
*『真理』第九巻「生活篇」(P287)より
神想観は先ず教えられた通りの基本的神想観のやり方から入って行かなければなりません。
心がそれによって神との一体感に慣れてきますと、危急の場合、神想観も祈りもする 余裕がなくて、唯一語「神様」といっただけで、神との一体感を得、そのために 自動車や汽車に、はね飛ばされたが身に微傷だも受けなかった実例がでて来ます。
毎日同じ言葉を念じていると退屈になり、却って雑念が浮かんで来て、 精神統一が失われて来るような場合には、如意宝珠観や、普賢菩薩観や、浄円月観を行うと 不思議に精神が統一するものである。
神想観を修するには、同一の言葉を念じても 常に新鮮な感情をこめて念ずるように心掛けなければならない。
言葉がただ形式や、何の意味も感じも起こらない呪文的繰り返しに陥らないように 溌剌たる意味をもって念ずることが大切です。
<感謝合掌 平成27年1月30日 頓首再拝>
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