《独尊の自覚》 (128) |
- 日時:2015年01月29日 (木) 04時52分
名前:伝統
*「神と偕に生きる真理365章」(P24)より
新たに生まれるとは天地一切のものと共に 自己が天上天下唯我独尊の自覚を得ることである
新たに生まれるとは
「”原罪”その他の諸々(もろもろ)の罪を背負っているけがれたる ”罪の子”の自分であり”罪悪の凡夫”である」 との過去の妄想から目覚めて、
自分が ”神の子”であり、けがれたることなき聖なる存在であるという 新しき自覚に入ることなのである。
釈尊は悟りを開かれた時に、 「山川草木国土悉皆成仏」(山も川も草も木も国土も悉く皆仏如来<ぶつにょらい>の いのちの現成である)との自覚に入られたのであった。
換言すれば、現象の山の形や川の形や草木国土の形やそれを構成する物質分子の形や成分を 釈尊は見られたのではない。
その現象形態や現象構成の奥にあるところの”仏(ぶつ)”観、”如来”を観、 すべての人と物との奥にある”仏如来”又は”神”を見られたのである。
そしてすべての物に、”天上天下唯我独尊なるもの”を見られたのである。 そして御自身がまた”天上天下唯我独尊”であることを観られたのである。
釈尊は、この独尊の自覚を自己の内に観られただけではなく すべての人と物との内に見られたのであるから、それは高慢になる事なく、
天地すべてのものを礼拝する謙遜の心、柔和の心を得られると、 人間を含めて、すべての生物(有情)及び無生物(非情)までも 兄弟姉妹として相互に合掌敬礼する心を得られたのである。
<感謝合掌 平成27年1月29日 頓首再拝>
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