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(一月)の法語・言葉  (16)
日時:2015年01月17日 (土) 04時46分
名前:伝統

*光明掲示板・第三「(一月)の法語・言葉 (2621)」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=515

・・・

【十七日の法語・言葉(1月17日)】

(1)《新鮮なる生命感に満ち溢れよ》

   新しい環境は新しい飛躍を生むのである。

   今汝の心を開いて新しき世界に対処せよ。
   新しきものを拒絶する勿れ。
   新しきものは汝を新しく生かさんが為に神から遣わされたところの天の使いである。


・・・

(2)《光への道》

   世俗のことに心を捉われず、世俗のことにそのまま熱心になれるのが悟りである。

   光への道は最も手近の道である。
   光への道は最もやさしき道である。

   虚名はわれわれの魂をくらまし、虚利はわれわれの魂を空虚にする。


・・・

(3)《環境浄まる日》

   【菩薩心浄ければ、その土また浄し。(『維摩経』『生命の實相』第十二巻)】



・・・

(4)《明るい表情の美徳》

   『生命の實相』の〃聖詩篇〃に明るい表情の美徳を讃えた
   「光明と暗黒」と題する詩がある。


      また君は絶えず光明を撒いて歩く
      愉快な人間を見たことはないか。
      君は絶えずその唇に
      幸福な微笑をただよはし、
      逢ふ人毎に
      幸福をうつして歩く人間を見た事はないか。
      君は表情が
      どんなに伝染力の強いものかを
      経験したことはないか。


      君は与へるもがないことを
      歎いてはならない。
      君は与へるものがなくとも
      幸福な表情を与へることが出来るのだ。  (下略)


・・・

(5)《貧乏を駆逐するための想念》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月17日 頓首再拝>

【十八日の法語・言葉(1月18日)】 (29)
日時:2015年01月18日 (日) 04時58分
名前:伝統

(1)《恐怖は神から離れた時に起る》

   神の霊、自己の内に宿り給う。
   自分は何事が出て来ようとも決して恐れはしないのである。
   神と共にある者の心は常に平和である。

   もはや吾が行く所の道に横たわる如何なる危険も困難も自分は恐れない。
   困難よ消え失せよと吾念ずれば困難は消え失せるのである。
   危険よ消え失せよと念ずれば危険は直ちに消え失せるのである。


・・・

(2)《自分の生命(いのち)がどれだけ生きたか?》

   毎日何事か《人のためになる》仕事をせよ。
   その《ためになる》部分だけが自分の《生きた》生命である。

   何よりも自分に深切であることである。
   そして自分に深切であるには、常に振り返ってみて、人のために何事をなしえたか ――
   それによって自分の生命(いのち)がどれだけ生きたかを反省しなければならぬ。


・・・

(3)《高く騰(のぼ)る日》

   【御利益の真諦は「既にあるところの実在」である。(『生命の實相』第十七巻)】


・・・

(4)《常に心に太陽をもつ生活》

   「諸君よ、吾々は、輝く太陽の日のみ記録する日時計〈注、太陽時計ともいう〉
   のようになろうではないか。」

   『若し、諸君が不快な考えに捉われるような事があるならば、若し諸君が他の人に
   対して憎しみや、怒りや、嫉妬や、復讐を感じるような事があるならば、

   諸君は自己の心の中に盗賊が忍び込んで幸福のダイヤモンドを奪おうとしている
   のだという事を自覚しなければならぬ。
   諸君は靴を一足盗みに這入った盗賊でも逐い出すではないか。

   それだのに心の中にあなたの最も高貴な幸福のダイヤモンドを盗みに這入った
   盗賊をば何時までも何故歓待しようとするのであろう(下略)』 
                         (『生命の實相』第七巻30頁)


・・・

(5)《汝、無機物と成る勿(なか)れ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月18日 頓首再拝>

【十九日の法語・言葉(1月19日)】 (34)
日時:2015年01月19日 (月) 04時55分
名前:伝統

(1)《神への無条件降伏は無条件幸福》

   吾は神に吾が周囲に起るあらゆる事件をうち委(まか)すのである。

   神の智慧にのみすべての事物の解決をまかせるのである。
   神への無条件降伏は人間の無条件幸福となる。

   吾常に心神に向かう。
   神は吾が城であり吾が砦である。

   吾全能の神の導きを信じて吾が弱きが故に最も強いのである。


・・・

(2)《心清き人になる》

   心が清くなることを心がけよ。

   心を清くするには悪を思ってはならない。
   特に他人(ひと)の悪を思ってはならない。
   他人(ひと)の悪を思ったら、他人(ひと)の悪が入って来る。

   心を汚(けが)すのが唯一の罪であり、唯一の穢(きた)ないことである。
   それでも他人(ひと)の悪が自分の心の中へ毒薬のように入って来たならば、
   その毒薬の害毒を避ける道は、赦すことである。

   腹を立てたり、興奮してはならない。
   その人が善に立ち戻ることができるように静かに祈り、
   かつその人のために考えてやらねばならぬ。


・・・

(3)《万物有り難く合掌する日》

   【そのままで既にその本来相が仏であり神の子である。(『生命の實相』第六巻)】


・・・

(4)《われらの新生し得る理由》

   『信仰の科学』の四八頁に「吾らは如何にして新生し得るか」と題する一章がある。

   『われわれは絶えず新生しつつあるのであるとわれわれはいう。
   しかしながらいかにしてわれわれは毎日生まれるのであろうか。

   われわれが絶えず新たに生まれるということは、〃われわれの実相〃〈実に在る
   ところの本質〉から常に生命が泉み出でることである。

   これが「新しき神の都エルサレムが花嫁の如く着飾りて‘天より’降り来る」
   という聖句の意味するところである』

   (さらに)『信仰の科学』はつづいて次の如く説いているのである。 ――

   『われわれが〃自分の実相はいかなるものか〃を悟るとき、まさにその瞬間より、
   〃久遠の生命〃が内より開花して、決して枯れ朽ちることのない至上の美花を
   われわれに見せてくれるのである』


・・・

(5)《過去 と 持越苦労 と 他(ひと)の罪を捨てよ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51



           <感謝合掌 平成27年1月19日 頓首再拝>

【二十日の法語・言葉(1月20日)】 (44)
日時:2015年01月20日 (火) 04時49分
名前:伝統

(1)《神常に吾に宿り給うと信ぜよ》

   吾は吾が中に宿る神のもよおしに対していと素直にそれに従うのである。
   神よりの導きは内からも外からも来るであろう。

   吾は素直に外の導きにも内の導きにも従うのである。
   吾はあらゆるものにすなおに喜びをもって従うのである。


・・・

(2)《悪はあるように見えても本来ない》

   悪は《ある》ように見えても本来無い。
   この真理が人間の魂に沁みこんでしまうまでは人間は本当には幸福にもなれないし、
   本当に赦すこともできないものである。

   毎朝起きた時および、何事か起こったときには必ず
   「悪はあるように見えても本来ない 」と10遍ずつ唱えるがよい。

   これはどんな禁厭(まじない)の言葉よりも
   人間を光へ導く神呪(しんじゅ)である。


・・・

(3)《幸福の感染する日》

   【心に善き言葉を食して心を幸福にすれば肉体は健康化し運命は良化する。
                            (『生命の實相』第一巻)】


・・・

(4)《人間の実相は大生命の最高顕現である》

   「自分の実相」とは何であるかというと、人間の生命そのものが
   〃全宇宙に充満するところの大生命〃そのものの延長であり、単に延長である
   ばかりでなく、最高の自己顕現であるということなのである。

    その事を本当に自覚できるならば ―― 

   「全ての男も女も、あらゆる家庭も、ことごとく全く新しき存在へと
   変貌してしまい、以前とはすっかり異なる新しき男、新しき女、新しき家庭が
   再創造せられることになるのである」

   この事を『黙示録』には『われ一切(すべて)のものを新たならしめたり』
   また『前の天と地とは過ぎ去り』という風に表現しているのである。

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )


・・・

(5)《心を平静にするには反省せよ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51



           <感謝合掌 平成27年1月20日 頓首再拝>

【二十一日の法語・言葉(1月21日)】 (50)
日時:2015年01月21日 (水) 04時06分
名前:伝統

(1)《神常に吾を生かし吾を導き給う》

   神のすべてを生かし給う生命、吾が内に吾が心の内に、吾が魂の内に、
   すべての事件の内にあらわれて生かし給う。

   今この瞬間このわが頭の先からわが爪先に到るまで
   輝く神のいのちに満たされているのである。

   完全に健康であるほかあり得ないのである。


・・・

(2)《病は本来無し》

   病は《ある》ように見えていても本来無いという思想は人間を光明に導く。
   生長の家がこの思想を発明してから実に多くの人が救われている。

   《ある》と思えば恐れられ、恐れれば生命力は萎縮し、
   生命力が萎縮すれば病気は治らないのである。

   病める人は病は《ある》ように見えても本来《ない》。
   この言葉を常住坐臥唱えよ。

   病が本来ないという思想が、あなたの心の中に徹底したならば、
   ほとんどすべての病は地上から姿を消すにちがいない。


・・・

(3)《笑門福来七宝充満の日》

   【類は類を招ぶ。類でないものは反発する。(『生命の實相』第一巻)】


・・・

(4)《感謝は実相の詳福を現実化するための反射鏡》

   「感謝は実相の生命原理を形ある世界に実現するための一つの方法」
   〈『信仰の科学』二六五頁〉 である。

   〃実相〃に於ては既になくてはならぬ必需品はことごとく、
   〃神の子〃たる吾らには、神から与えられているけれども、
   それを受けるに必要な〃感謝〃の心をもって応答しないと、

   その神から既に与えられているものが現実化しないのである。

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )


・・・

(5)《感覚の錯誤に惑わされるな 》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月21日 頓首再拝>

【二十二日の法語・言葉(1月22日)】 (58)
日時:2015年01月22日 (木) 04時45分
名前:伝統

(1)《困難、困難に非ず》

   あらゆる見せかけの困難はすでに困難ではないのである。

   すべての困難は吾が魂を鍛え上げる鍵である。
   吾が魂を磨く《やすり》である。

   吾が魂が鍛えられ、磨かれ、光輝燦然と輝く様になった時、
   もはやそのようなあらあらしい砥石は自分の魂に不必要になって来るのである。
   従ってそのような困難は消えてしまう。


・・・

(2)《「悪は本来ない」「この世は感謝すべきもののみ」と知れ》

   病は本来ない ―― と知ってなお病気の治らない人は、
   病気の症状(かたち)に相応(ふさ)わしい心を持っているのである。

   腹を立てれば眼は三角に角立ち、不平なれば面(かお)おのずから膨れるがごとく、
   肉体は心の反映であるから、

   「病はある」という病気そのものの直接観念がなくとも、《病的な心の状態》が
   頻繁にその人の生活に継続するときにはそれは具象化(かたちにあらわれ)て
   病気となるのである。

   《病的な心の状態》とはすべて正常を失った心的状態である。
   恐れる心、怒りの心(その圧抑されたものが不平である)、感謝の足らぬ心
    ―― は病的な心の最大なるものである。

   病的な心を取り去る道は「悪」は《ある》ように見えてもなんら存在しないもの
   であって、「この世に存在するものはただ感謝すべきもののみである」ことを
   知ることである。


・・・

(3)《九族生天踊躍(しょうてんゆやく)の日》

   【吾らは初めから如来であり、成仏している。(『生命の實相』第一巻)】


・・・

(4)《求むるものを先ず心の中に受けて感謝せよ》

   聖書にはイエスが「汝ら祈りて何事にても求むるとき、既にそれを受けたりと信ぜよ。
   乃(すなわ)ち汝はそれを得ん」と教えていられるのである。

   私は、そのイエスの語に「感謝」を追加して『信仰の科学』の本には
   次の如く書いておいたのである。


   『感謝は実相の生命原理を形ある世界に実現するための一つの方法なのである。
   聖書は「汝ら祈るとき、既に受けたりと信じて“感謝せよ”」と教えているのである』

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )


・・・

(5)《既にある恵みに感謝せよ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月22日 頓首再拝>

【二十三日の法語・言葉(1月23日)】 (69)
日時:2015年01月23日 (金) 04時23分
名前:伝統

(1)《在(あ)るものはただ神のみと思念せよ》

   人々よ、よき言葉を語れ。
   悲観的なことばを発するな。
   ことばは種であるから悪しきことばは言わぬがいい。

   悪しきことばを聞いたならば直ちに心の中でそれを打消すことである。
   人もし悪しきことばを語るともその人を非難するな。

   人の悪しきことばは吾が心の中にある隠れたる所の想念の影であると思いて
   自ら明るくなるように反省せよ。

   神のみが實在であるから悪しきものは存在しないものだと否定せよ。


・・・

(2)《富と幸福》

   心の平和を得ることが幸福の本である。
   幸福は富の有無ではない。
   しかしわれわれは富を排斥するのではない。

   多く人の場合は「富」を得るときそれに捉えられる。
   俗人は「富」をもてば増殖したくなるであろうし、
   それが奪われざらんことを欲して守りたくなるであろう。

   ここに、人が現象に捉えられて、自己の内にすでにある「無限の富」を
   忘れがちとなる危険がひそんでいるのである。
   誰でも必要以上に富をもつことは人生に不要な重荷を背負い込んだことになる。

   無限供給というのは飽食の意味ではなく、
   必要なだけ食膳に上(のぼ)るということである。

   このことは食物に限らず「金(かね)」でも同じことである。


・・・

(3)《寒菊競い開く日》

   【十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするのが日本の使命である。
    (『秘められたる神示ー神示講義<秘の巻>』「久遠天上理想国実現の神示」)】


・・・

(4)《あなたは人間として生まれたことを喜ばねばならぬ》

   人間の‘いのち’は 〃神のいのち〃 の自己顕現であるから、
   そして 〃神〃 は創造者であり表現者であり‘何らかの生物’となって
   自己表現せずにはいられないのであるから、

   もし「人間」という 〃親〃 を媒介として、あなたに宿っている 
   〃神のいのち〃 が自己表現する機会にめぐまれなかったならば、あるいは、
   もっと下等な生物の親を媒介として 〃あなたのいのち〃 は自己表現して、
   豚や、犬や、鼠などに生まれていたかも知れないのである。

   その事を考えて見るならば、神が、あなたに宿る 〃神のいのち〃 
   (それがあなたの生命だ)を人間であるあなたの両親を通して、「人間の形」で
   此の世に出現せしめられたことが、こんなに有りがたいことかがわかる筈なのである。

   両親に感謝せよ。 両親に感謝せよ。

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )

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(5)《環境に振廻(ふりまわ)されず 実相を観(み)よ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月23日 頓首再拝>

【二十四日の法語・言葉(1月24日)】 (80)
日時:2015年01月24日 (土) 04時51分
名前:伝統

(1)《天地に遍満する神の恩恵を知れ》

   人間は神の子であり神より出ずる総てのよきものにとりまかれているのである。
   神の恵みは吾々をとりまいていて一分一厘の逃れる隙間もないのである。

   人間の力にて打ち勝ち難い困難が出て来たならば、
   心の中に次の言葉を繰り返して念ぜよ。

   「之は私が解決するのではない、神が解決するのである」


・・・

(2)《人類の病気、不幸、貧乏を半減させる道》

   貧乏や不幸や病気が「善」であれば、それから人を救い出そうとする努力は、
   人を「善」から追放する罪悪となるであろう。

   しかし、何人(なんぴと)も、病気や不幸や貧乏から人々を救い出すことを
   善事だと認めずにはいられない。

   そうしたならば、病気や不幸や貧乏は「悪」であり、
   神の欲し給わないものであることにまちがいはない。

   では、病気や、不幸や、貧乏は人々が苦しいとして避けるものであるがゆえに
   尊いという誤れる迷信を捨てなければならぬ。

   人類が、病気や、不幸や、貧乏を真に尊敬しなくなり、
   それを口実にして同情を求めなくなり、
   悲劇を深刻だというような迷信から醒めるようになったとき、

   人類の病気、不幸、貧乏は今よりも半減するであろう。


・・・

(3)《妙音囀(てん)ずる日》

   【「汝(な)と我(あ)と天(あめ)の御柱(みはしら)を行きめぐりて国生み
   なさんと思うは如何に?」と如何にも天地の《いのち》の交流の厳かさが
   見えるようではありませんか。これを誰も卑猥に感ずる者はない。
                          (『生命の實相』第二十巻)】


・・・

(4)《父母に感謝の誦行をする功徳》

   もしあなたの病気が医者にかかっても、なかなか治らないような場合には、
   神から来る生命の流れは、祖先 → 父母 というパイプを通してあなたに
   来ているのであるのに、

   祖先に感謝せず、祖先の供養を怠り、父母に感謝せず、むしろ父母を恨んだり、
   憎んだりしていたために、神からの 〃生命の流れ〃 が、パイプの中の
   「忘恩の思い」で詰っているから、

   あなたの 〃生きる力〃 が底をついているのであるから、
   祖先供養をして祖先の霊にお詫びし、聖経『甘露の法雨』を祖霊の向上のために
   読誦供養し、病臥のままでよいから間断なく 

   「お父さん、お母さん、ありがとうございます」 の語を繰返すとよい。

   これによって不思議に、神の生命の流通パイプがひらかれ、
   重病が治る実例があるのである。

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )

・・・

(5)《現象を改善する智慧は 神霊の導(みちびき)に得よ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51



           <感謝合掌 平成27年1月24日 頓首再拝>

【二十五日の法語・言葉(1月25日)】 (89)
日時:2015年01月25日 (日) 04時58分
名前:伝統

(1)《一切を神ゆだねよ》

   あなたの描く理想が如何に不可能な単なる夢に見えようとも、
   何をあなたが心の中に描こうとも、それは必ず実現するのである。

   それが実現する為にはある時間経過を要するかもしれない。
   種を蒔けば発芽を待たねばならないのである。

   やがて大いに伸びる時が来るのである。
   それまではその芽をいたわれ。

   人の蒔く夢は人に宿る神の蒔く夢である。
   神は必ずその夢の実現するように助け給う。


・・・

(2)《深刻と暗黒とを混同するなかれ! 》


   深刻とは深切と同じ意味の言葉であって、人間の 魂 の深奥から
   湧き出でるところの、深々とした生命(せいめい)の表現、
   叡智の表現、法愛の表現が、深切であり深刻であるのである。

   深切とは時として峻厳な統制であり、
   仮借(かしゃく)することなき規律である。

   人類の 魂 の《深》奥から《切》実に深々として湧き出でるかぎり、
   どんな明るいものでも深刻である。
   人類は深刻と暗黒とを混同する愚(ぐ)から避けねばならぬ。


・・・

(3)《光明充満する日》

   【自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、
    性欲が汚れたものに見えて 来るのです。(『生命の實相』第二十巻)】


・・・

(4)《人間として生きている事のよろこび》

   人間は、人間としてただ生きているというだけで、純粋に悦ばねばならぬのである。

   私は人間としてここに生きている。生きてそして考えている。
   人間として美を感ずることが出来る、善を考えることが出来る。
   宇宙の真理を探究することができる。

   父母を愛することができる。
   良人を愛することができる、妻を愛することができる。
   子供を愛することができる。孫を愛することができる。祖父母を愛することができる。

   みんなに感謝することができる ―― それは人間としての特権である。
   あなたが、そしてわたしが、人間であるということは何と素晴らしいことであろうか。


    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )

・・・

(5)《内部の神の導きを得るには》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51



           <感謝合掌 平成27年1月25日 頓首再拝>

【二十六日の法語・言葉(1月26日)】 (96)
日時:2015年01月26日 (月) 05時00分
名前:伝統

(1)《最早吾生くるに非ず》

   吾は歓びの歌をうたう。
   神に感謝する歌を唱(うた)う。
   神を讃美する歌を唱う。

   あらためて私は自分の全生命を神に捧げるのである。
   神に導かれ神と共になすのである。

   此の世界は神の世界である。
   神を無視して出来ることは何一つないのである。
   又神に於いて不可能なことは何事もないのである。

   吾空(むな)しければ吾は神のパイプである。


・・・

(2)《『さび』と渋味の中には「生命の悠久」の美がある》

   《さび》と渋味とは日本人のみ知る深刻なる美である。
   それは感覚の刺激を超えて、実相に突入する美である。

   《さび》と渋味の中には生命(せいめい)の悠久の美がシンボライズされているが、
   五官的刺激は瞬間を追わしめて「生命(せいめい)の悠久」をツツミ蔽(おお)う
   ばかりである。


・・・

(3)《万事和する日》

   【生長の家とは建物の名ではない、「和」の名であり、「愛」の名である。
                   (『一流の人・妻・子を作るには』)】


・・・

(4)《新生の悦びの歌》

   われにいのちを与えたまひしことを
   神に感謝します
   
   神がわれを選びて
   わがいのちとして宿り給ひしことを感謝します

   天の与えたまひし何よりも優るこの悦び ―――
   ただわれ生きてあることの悦び
   ああ、われ生きてあることの悦び!

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )

・・・

(5)《心を平和にして座(すわ)れ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月26日 頓首再拝>

【二十七日の法語・言葉(1月27日)】 (105)
日時:2015年01月27日 (火) 04時53分
名前:伝統

(1)《一切に感謝せよ、奉仕せよ》

   この世の中には宿命というものもなければ僥倖というものもないのである。

   吾如何ほどに人々に深切をつくすかその程度に従ってその人は成功するのである。
   吾如何ほどに人々を拝むかその程度に従ってその人は成功するのである。
   吾如何ほどに人に感謝するかその程度に従ってその人は成功するのである。

   あらゆる成功の鍵はあなたの心の掌中にあるのである。


・・・

(2)《すべての人と仲よく交わる》

   孤独は《ひとつ》の徳であるが全部の徳ではない。
   他人と仲の悪い孤独は悪徳でさえある。
   さらに家族と仲が悪いにいたっては度すべからざる罪人(ざいにん)である。

   すべての人と仲よく交わることの中に 魂 の生長があり、家庭の和楽があり、
   人間らしい歓びがあるのである。


・・・

(3)《久遠皇位を胆(きも)に銘ずる日》

   【火にも焼けざる皇位の久遠無窮性を立証せんが為に、
    火を着けて皇子をお生みになったのです。 (『驀進日本の心と力』)】


・・・

(4)《つねに悟りを深める言葉を念ぜよ》

   白隠禅師でさえも、「大悟十八回、小悟は数知れず」だったといわれている。

   一回『生命の實相』全巻を読んで、もう 〃人間・神の子〃 の真理を悟った
   と思っても、その悟りが、どの程度、潜在意識の底の底まで徹底しているか
   どうかは疑問である。

   だから常に、その真理を、少しでも暇ある毎に念ずるがよいのである。
   たといあなたが何処にいようとも、たった一人でいようとも、
   或いは群集の真っ只中にいようとも、この 〃内なる真理〃 の自覚を
   次の如く歌わしめるがよいと『信仰の科学』は説いているのである。

     〃わたしは霊である
      わたしは魂である
      わたしは生命である
      わたしは「個」の姿に顕現した神そのものである〃

   幾回でも多く、真理の言葉を吟誦または黙誦すれば、
   その 〃真理の言葉〃 が種となってあなたの潜在意識に蒔かれ、
   やがてそれが発芽して天空に巨樹として聳えるごとき大業を成就し得る時が
   来るのである。

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )


・・・

(5)《大胆にして細心なれ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月27日 頓首再拝>

【二十八日の法語・言葉(1月28日)】 (120)
日時:2015年01月28日 (水) 04時10分
名前:伝統

(1)《常に己の心を清むべし》

   人をさばくこと勿れ。
   人はそのことばや行ないによってさばいてはならないのである。
   實相に於いて彼を見なければならないのである。

   あらゆる人間にキリストなるものが宿り、佛性が宿り、すべての人間が神の子であり、
   佛の子であることを自覚する時どこにも悪しき人はいないのである。


・・・

(2)《「肉体本来なし」の喝は、人を生かす》

   生長の家で説く「肉体本来なし」の喝は、その「■」さえも粉砕する。

   「■ぬ」べき「自己」、「■ぬ」べき「肉体」さえも、
   もすでに葬(ほうむ)り去られた喝である。

   「■」の言葉には、まだ「自己」があり、「肉体」がある。
   「自己」を滅ぼし、「肉体ありの観念」を滅ぼしたものには、
   もう「■」はないのである。

   生き通しだぞ!  もう不■だぞ!  こういうしか仕方がない。


・・・

(3)《一切人間を礼拝する日》

   【既に善があってそれが出て来る。その善と云うものが存在の本体であり、
                     自分の本体なんです。(『驀進日本の心と力』)】


・・・

(4)《愛があなたを護ってくれる時あなたは新生したのである》

   明るい新たな世界が、今此処にあるのである。

   次の詩を繰返し読んで自覚を深めるとよいのである。


      わが内なる心の眼は光を観る
      而して今や私は愛の法則を知るのである

      わたしが愛の法則をまもるとき
      今度は愛がわたしを護ってくれるのである

      物質がわたしを護ってくれると思っていた時
      常に物質はわたしの魂の進歩を妨げたが

      愛の法則がわたしを護ってくれると悟ったとき
      わたしは 〃新たにうまれた〃 のである

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )


・・・

(5)《思念は行動の代用にはならぬ》
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           <感謝合掌 平成27年1月28日 頓首再拝>

【二十九日の法語・言葉(1月29日)】 (127)
日時:2015年01月29日 (木) 04時45分
名前:伝統

(1)《神にのみ頼れ》

   吾はもはや吾自身に頼らないのである。
   吾はただ神にのみ頼るのである。

   誠を以って祈れば神は必ずその祈りに答え給う。
   神は求むるに先だちですでになくてはならぬものを知り給う。

   唯われは神を愛するが故に、神の名をよばずにはおれないのである。


・・・

(2)《何事にも引っかからぬのが「生長の家の生活」》

   悪はないのである。
   引っかかるのが悪である。

   柳は緑。花は紅(くれない)。
   あるがままにして美しく、あるがままにしてそのままよいのである。

   引っかかるを悪と言う、そのままを善と言う。

   天気明朗よし、降雨霪々(こうういんいん)もまたよし、
   風凪(な)ぐもよし、暴風もよし。
   《よし》と言いて、《よし》に捉われて対応策を講ぜぬのも引っかかったのである。

   そのまま《よく》、そのままそれに対応して、自然法爾の作(はたら)きが
   できるのが引っかかっていないのである。

   そのままでその人の生活は屈託はない。
   ただありがたいばかりである。
   恐れもせねば呟きもせぬのである。

   これが生長の家の生活である。

   淀まぬ生活である。
   悩まぬ生活である。
   病まぬ生活である。


・・・

(3)《心朗かなる日》

   【病気は自己を顧る好機会だ。顧みて迷を去るものは幸いなるかな。
                             (『生命の實相』第五巻)】



・・・

(4)《暗黒を突き破る真理の光》

   『信仰の科学』は次の如くかいている。

   『真理の光線が突然迷妄の暗黒を突き破って入り来り、名状し難き真の平和の想念
   にて自己の魂が満たされるのは、われわれが影の存在を否定して真理を念じている時
   である。

   何ら実体のなきところの影は消滅し、われわれはパウロの如く、
   「われの周囲にも、われと共に旅する人々の周りにも、輝きわたる明るき太陽にも
   優りて、さらに明るき光を観る」のである。

   ・・・・あなたが癒されたと感ずるのは、正しくかかる信仰的昂揚の瞬間である
   ように思われる。その時には、あなたの悩みは消滅し、あなたの憂鬱は消散し、
   あなたの信仰が復活する。

   あなたは最早、悩み苦しむことはなくなるのである』

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )


・・・

(5)《商売繁昌も健康も心の問題である》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月29日 頓首再拝>

【三十日の法語・言葉(1月30日)】 (136)
日時:2015年01月30日 (金) 04時48分
名前:伝統

(1)《愛は最も強力なる力なり》

   愛は最も強力なる力である。
   如何なる説き伏せも、如何なる議論も、如何なる懲罰も相手を説伏せしめる
   ことは出来ないが、愛のみ相手を説伏することが出来るのである。

   愛は議論をこえて、一切の憎しみを克服するのである。
   愛は議論をこえて一切の対立を消滅するのである。

   最も強きものは愛である、
   愛されて和やかにならないものは一人もないのである。
   敵を殺すよりも、敵を愛するのが敵を征服する道である。


・・・

(2)《何物をも包容しつつ、強く大きくしっかりと生きる》

   交友を選ぶことは生涯のうちで最も大切なことである。
   悪しき友と交わってはならぬ。悪しき人間は《本来ない》けれども、
   方向のまちがった側へ進む者を「悪しき人間」と仮に言う。

   しかし、決して一日中一室に閉じ籠っている憂鬱な友達を選べという意味ではない。

   明るく生きることは人生の一つの美徳である。
   強く生きることも一つの美徳である。
   大きく生きることはさらにまたもう一つの美徳である。

   何物をも包容しつつ、強く大きくしっかりと
   生命(せいめい)の大地を踏みしめて行くことは常によい。


・・・

(3)《美点を見る日》

   【憂欝になって来た時哄笑(こうしょう)を爆発させよ、
    之(これ)が健康と若さを保つ秘法である。(『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《性悪説を支持する日本青年が多い理由》

   近頃、どこかで催された国際的なアンケートによると、日本の青年が、
   最も多く人間の性悪説を信じているという回答が出て来たということを聞いて
   私は驚いたのであるが、併しそれは無理はない。

   日本では学校では宗教教育が禁じられているので、神を教えられないで、
   日本の青年は幼少時代から無神論で教育せられているからである。

   唯物論の結果するところは、肉体の快不快と物質的利益不利益が人間の行動を
   左右するところの原理となるから、人間は肉体の苦痛や困難をきらって、
   快楽に走り、人を傷つけても自分の利益と快楽を求めることになる。

   そして彼らはそのような傾向を 〃悪〃 だとみとめる 〃良心〃 が幾分か
   残っているものだから、そのような傾向を有する人間を 〃悪〃 だとみとめ、
   人間の性悪説を支持するようになっているのである。

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )


・・・

(5)《神のみ声をきくには》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月30日 頓首再拝>

【三十一日の法語・言葉(1月31日)】 (143)
日時:2015年01月31日 (土) 04時49分
名前:伝統

(1)《常に善念を把持すべし》

   神は人間に完全なる自由を与えたのである。
   幸福も不幸も健康も病気もその外(ほか)なにものでも
   諸君は心に描くことが出来るのである。

   心に描けば法則が自働して心に描いたものを形に現してくれるのである。
   諸君は自分の運命の構図を書くことが出来る。

   全ての人々に愛念を起こすべし。
   すべての悪を否定せよ。
   善のみ汝の心を集中せよ。善のみ来(きた)るであろう。


・・・

(2)《時処相応の真善美の生活》

   事件に巻き込まれてはならない。
   また時処(じしょ)に超然としてもならない。
   生命(せいめい)は時処を超越しながら時処の中に美しき華を開く。

   生命(せいめい)の「真」の世界においても
   無数の生命(せいめい)の行き方があるが、
   その中で、ただ一つだけ「時処相応」がある。

   常に「時処相応」の生活をしている人は生活の名人である。
   
   常に神の叡智の導きに耳を傾けよ。
   そこから本当の時処相応の真善美の生活が顕われてくるのであろう。


・・・

(3)《絶対善を悟る日》

   【善くしてやろうと云う想念は相手を害し、既に善いとの想念は相手をよくする。
                              (『生命の實相』第七巻)】


・・・

(4)《唯物論者の新生する道》

   (唯物論者が)間違っているのは人生観及び世界観が唯物論であって、
   物資や生産物の配分の統制によって人間の幸福が招来されるものだと思って、
   彼らの心のはたらき及び行動の向き方が、物質の方向にばかり向いているからである。

   彼らを救う道は、彼らが〝神の子〟であり、人間の幸福は、唯物論的方向からは
   かち得られるものでなく、人間の実相は〝神の子〟であり、性善であるから、
   その性善をあらわすようにすれば地上天国が実現するのだという、

   実相哲学を知らせてあげるほかはないのである。
   そのような青年たちに読ませてあげたいのは『生命の實相』であり、
   『信仰の科学』であり、『いのちの革命』というような反唯物論哲学である。

    (→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809 )


・・・

(5)《汝(なんじ)、これを信ずるや》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


・・・・・

<参考>

(1)『 光明法語<道の巻> 』(一月の法語「神霊に導かれて」)の全文は
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=53 でも
      確認できます。(谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)


(2)『 生命の實相 』第三十七巻幸福篇(一月「新たに生まれる」)の全文は、
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1013 
    でも確認できます。 (光明掲示板・第ニ)  
              

(3)『 光明道中記 』(一月「いのち立つ春」)の全文は、
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=883
    でも確認できます。(光明掲示板・第二)


           <感謝合掌 平成27年1月31日 頓首再拝>



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