創刊当時の思い出~谷口輝子先生 (524) |
- 日時:2015年03月03日 (火) 04時44分
名前:伝統
*光明掲示板・第二「立教85年」(消滅しておりますが)からの転写。
創刊当時の思い出NEW (6011) 日時:2014年03月01日 (土) 09時54分 名前:童子
谷口輝子先生著 『めざめゆく魂』 65頁~
前年の昭和四年に、二度目の泥棒にはいられたのを転機として、 夫は 「今起てよ、今起たん」 との決意のもとに 『生長の家』 の創刊にとりかかった。
余裕の少ないサラリーマンとして、雑誌の発行は大きな冒険であった。 私の心の中には一抹の不安があった。 そして口に出して夫にも言ったものであった。
けれども夫の決意はもうどうにもならないほど強固なものであった。 よしそれほどまでお心ならば、私も全霊をかたむけて協力しようと、 身の引きしまる思いをして誓ったのであった。
ヴァキューム・オイル・カンパニーから帰宅されて、夕食をすまし、 それからがいよいよ執筆である。
体のあまり丈夫でなかった夫は、一日の精神労働でふらふらになって家庭に帰って来るのであった。 けれども家庭に於いてくつろぐ暇もなく、夜半にかけての執筆であった。 それは来る日も来る夜もきびしい寒夜の連続であった。
全身が凍えてくるので、夫は寝床に腹這いになって徹夜して書きつづけられる日も たびたびであった。 インスピレーションを感じてくると、 寒さも空腹も明日の勤めのことも忘れて、ひたすらに筆を走らせていられるのであった。
翌朝はかならず五時には起床して近所の銭湯へ行かれる。 その留守の間に、私はお掃除と炊事をして待つのであった。
八歳の一人っ子の恵美子と、親子三人きりの朝食をすますと、 夫は阪神電車へと急ぐのであった。
一冊分の原稿がまとまった時の夫の喜ばしそうな顔は、妻にとっても同じ喜びと安心とであった。 有効社印刷所の小林為兄さんが校正刷りを持って来て下さる。
お台所を片づけたばかりの冷たい手で、夫の眼を通した校正刷りを取上げて 私も赤インクのペンを運ばすのであった。 夫も妻も、一日の仕事の疲れも忘れてハリ切っていた。
出来上って来た創刊号一千部、ああ何という喜びであろう。 純白の紙、ハッキリとした印刷、表紙に描かれた筋肉隆々とした裸身の男の立姿、 その手に高々とかざす灯(あかり)の光よ。その表紙絵こそ内容にふさわしいものであった。
一文一字、真理の言葉に輝いていた。
この誌を読む人の上に魂の喜びあれ。 この誌を読む人々の生活に光明あれ、 と祈る夫の願いを、神よみそなわし給えと深く祈るのであった。 ・・・・・・
<感謝合掌 平成27年3月3日 頓首再拝>
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