「万世一系」の史実 (449) |
- 日時:2015年02月24日 (火) 18時26分
名前:伝統
(2)「万世一系」の史実
この史実を踏まえて、支那を世界の中心とし周辺諸国はすべて野蛮であるとする 「中華思想」から日本人を覚醒させたのが、山鹿素行の『中朝事実』である。
この書は吉田松陰など幕末の志士に影響を与え、明治維新の思想的原動力となった。
そこでは『日本書紀』などを引用しながら、その意味を論じているが、 『日本書紀』も素行の論考も漢文のため、現代人には近寄りがたい。
しかし最近、出版された『山鹿素行「中朝事実」を読む』では 読み下し文がついており、我々にも読めるようになった。
たとえば、「万世一系」について素行は次のように中国や朝鮮と比較している。
そもそも外朝支那は、易姓革命が30回近くおこり、そのうえ夷狄(周辺諸民族) の侵入王朝も数世に及んでいる。春秋時代240余年の間、臣下が国の君主を 弑(ころ)した例もまだ25回に及んでいる。
ましてやその先後の乱臣賊子の数は、いちいち挙げて数えることもできないほど多い。
朝鮮も、箕子が王となった後、4王朝が交替した。国が滅びて支那の郡県(直轄領) となったり、あるいは、高氏絶滅する事2世、あの李氏28年の間に王を弑すること 4度であった。 ましてやその先後の乱逆のさまは、まるで禽獣が傷つけ合うようであった。 (荒井桂『山鹿素行「中朝事実」を読む』p78)
それに比べて我が国では、天皇が殺される「弑逆の乱」は指で数えるほどしかなく、 また武士の世になっても、一部に心得違いの者はいたが、 「王室を貴んで君臣の義は存続した」。 (荒井桂『山鹿素行「中朝事実」を読む』p78)
世界は大きく、諸外国が広くとも、 中洲たるわが国の天皇統治の成果に匹敵する国は見当たらない。 (荒井桂『山鹿素行「中朝事実」を読む』p79)
(つづく)
<感謝合掌 平成27年2月24日 頓首再拝>
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