節分とは『悔改めの日』です (173) |
- 日時:2015年02月03日 (火) 03時20分
名前:伝統
*『愛と光との生活』(P139~141)より
《「鬼は外」と言って自分の年の数だけ豆まきをする意義について》
(1)「これは時間空間の相対的計数の世界を捨ててしまって、無時間無空間の 一点の世界に立ち永遠に老いないところの金剛不壊の自分にまで『我を置換え』、 悔改めるところの行事、これが追儺(ついな)の行事であります」
この行事には「相対時間」の鬼がやってきて 「お前は何十歳であるから、もう間もなく死ぬぞ」と「朽ち果つべき人間」である ことを強調するのに対して、
そんな「相対時間」で数えるような年齢を豆と共に悉く投げ捨ててしまって
「『無原罪の受胎』せるもの、『神聖受胎の神の子』なるもの、永遠に生きて老いない ところのもの、死なないものが人間であると云う自覚にまで生れ変って、墓穴の方から 出て来ている死魔、即ち『鬼』を追い払ってしまえと云うことを、形に現してする」
意味がある。
(2)また、この鬼の姿は「執著」と云うものが人格化したものであり、 鬼を追い出すために握っていた豆を捨てるということは、「執著」を捨てることである。
「豆ばかり抛(な)げて見ても『握った我』と云うものを抛げ棄てなければ 駄目であります。執著している姿そのものが鬼の姿であります。 執著していたら喧嘩をします。
角を生やし、角を突き合わして、鬼見たいな顔をして真赤になったり、 真青になったりして畏れるのであります。そう云うように執著している姿が それが鬼の姿であります」
「善人で執著が起ればそれが悪に変ずるし、悪人は悪人で欲張り根性で物を 欲しい欲しいと把むと、把むと云うことそれは執著であるから、執著に執われると 自らそこに悪魔の姿が出て来るのであります。
(中略)
何でも執著したら、その姿が鬼の姿、悪魔の姿であります。 生長の家は『ねばならぬ』を解放する宗教だと云う風に説かれて居りますが、 『是非こうせねばならぬ』と把んでいるところを解放した時に、吾々はそのまま 自由自在な天国浄土に生れると云うことになるのであります」
(『愛と光との生活』は手元になかったため、以下のWebから抜粋いたしました。 → http://www.geocities.jp/taka19602001/ESSAY2.htm )
・・・
<参考:追儺の始まり → http://www.ffortune.net/calen/setubun/tuina.htm
(1)文武天皇の世、慶雲3年(706)に疫病がはやり多くの百姓が死んだため、 「土牛」を作って疫気を祓ったという記事が続日本書紀に出ています。 これが追儺の行事の始まりであるとされています。
(2)そもそも「鬼」という字は「おに」と読んでいる訳ですが、 「おに」という日本語はもともと「おん」つまり「陰」のことです。
目に見えない気、主として邪気のことを「おに」と言ったわけですが、 十二支の丑というのも陰陽でいうと陰になります。
ちなみに鬼が牛の角を付け、虎の皮のパンツをはくようになったのは後世のことです。 このときも鬼門が丑寅の方角なので、牛と虎に関したものを身につけるようになった 次第です。
(3)平安時代の宮中の追儺の儀式では陰陽師が祭文を読み、 黄金の4つ目の怖い面をつけた方相氏が矛と盾を持ち、 その矛を地面に打ち鳴らしながら「鬼やらい、鬼やらい」と言って宮中を歩き回ります。
そしてその後には殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続くのです。 桃や葦にも古来より邪気を祓う力があるとされていました。 >
<感謝合掌 平成27年2月3日 頓首再拝>
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