「ある障害を背負った赤ちゃんと、その両親のお話」 (170) |
- 日時:2015年02月03日 (火) 03時04分
名前:伝統
*鈴木秀子(文学博士)~『致知』2011年2月号 より
いまでも忘れられない話があります。 かれこれ三十年ほど前になるでしょうか。 私はあるご夫婦と知り合いました。
そのご夫婦はともに東北の出身で、 集団就職でやってきた東京で知り合い結ばれました。 下町にある小さな町工場で真っ黒になって働き、 決して豊かとは言えないながらも、仲睦まじく生活していました。
二人はやがて一人の男の子を授かりました。 しかし、出産後、医師はなかなか赤ちゃんと会わせようとしてくれません。 しばらくしてご主人は医師に呼ばれて、こう告げられました。
「落ち着いて聞いてください。 お子さんは重い障害を抱えて生まれてきています。 おそらくそう長くは生きられないでしょう」
赤ちゃんを見せられたご主人は、きっと言葉を失ったのではないかと思います。 目の前にいたのは、頭部が極端に小さい無脳症という 先天性の病気を抱えた子だったのですから。
その頃、私はシスターとして、 死が近づきつつある人たちや重い病気の人たちを お訪ねして希望を与える活動を続けていました。 ご主人も私のことを本で読まれていたらしく、 「障害のある子を授かりました。 命が尽きてしまう前に、鈴木先生に一度会っていただきたいのです。 他に身寄りのない私たち夫婦の願いです」 と連絡してこられました。 私はすぐに駆けつけました。 そして病院までの道中、両親はさぞかし泣き崩れていることだろう、 どのような言葉をかけて勇気づけてあげようかと、 ずっとそのことばかり考え、心の中で神様にお祈りしていました。
私が病室をお訪ねした時、 奥様が毛布にくるまれた赤ちゃんを抱き、 ベッドの脇でご主人が座っておられました。
しかし、驚いたことに、病室の雰囲気はとても明るいのです。
二人は私の訪問をとても喜んでくれました。 そして赤ちゃんに向かって一所懸命笑顔で語りかけていました。
「鈴木先生が来てくださったよ。本当にありがたいね」
「いまあなたを抱いているのがお母さん。 横にはちゃんとお父さんもいてくれる。 だから安心してちょうだいね」
「お父さんも、お母さんもあなたが生まれてきてくれて本当に幸せ。 お母さんのお腹の中に十か月も一緒にいてくれたものね。 毎日毎日がワクワク、ドキドキだった。 たくさんの勇気をくれたあなたのことが大好き。 何があっても守ってあげるからね」
障害のある赤ちゃんには、両親の言葉は聞こえなかったかもしれません。 しかし、その病室は、子供が生まれた後、 どの親も見せるような笑顔や大きな喜びに溢れていました。
身寄りのない東京で厳しい労働に明け暮れ、 貧しい生活を強いられている二人は、様々な人生の苦労を味わっていました。 虐げられたり、嘲られたり、孤独に打ちのめされそうになったり、 人に言えない思いをたくさんしてきたに違いありません。 そんな二人にとって、我が子の誕生はただ一つの明るい希望でした。
首を長くして待っていた我が子の誕生。 しかし、その我が子は重い障害を背負って生まれてきた……。 普通であれば精神的などん底に突き落とされたとしても不思議ではありません。 しかし、この両親は悲しみに暮れることなく、 長くは生きられないであろう我が子に喜びを語り、限りない愛情を注ぎ続けていたのです。
…………………………………………………………………………………… ■赤ちゃんは両親を選んで生まれてくる ……………………………………………………………………………………
赤ちゃんは両親を選んで誕生してくるといわれています。 魂の成長に必要な両親を自分で選び、 この世に生を受けて様々な出来事を体験し、多くの大切な人に出会って魂を磨き、 再び魂の故郷へと帰っていく。
それが人生なのだと私も考えています。
この両親も、魂が永遠であることを確信し、そのような人生観をお持ちだったようです。
「あなたは、こんなに貧しく学歴も何もない私たちを 親として選んでくれたんだね。ありがとう。
お医者さんからは、この子は短い命で この世からすぐに去っていく運命だと聞いているけれども、 たとえあなたがこの世から去ったとしても、私たちにとっては大事な大事な我が子。 いつまでもいつまでも愛し抜いていくからね」
このように二人の口から出てくるのは、深い愛情と溢れるばかりの感謝の言葉です。 恨みめいた言葉は一言も聞くことがありませんでした。
そして二人は 「あなたには何もしてあげられることがない。 だから私たちが一番大切なものをあげましょう」 と言って、それぞれの名前から一字を取って 赤ちゃんに名前を付けてあげました。 そのことで我が子への永遠の愛の証を刻み込もうとしたのです。
…………………………………………………………………………………… ■目の当たりにした人間関係の原点 ……………………………………………………………………………………
私は何も言葉を発せられないまま家族の様子を見守っていたのですが、 愛に満ち溢れたその場の雰囲気に魂が震え、感動を抑えることができませんでした。
我が子は間もなく死んでいくのに、 限られた時間を嘆きや悲しみで汚染してしまうこともできるのに、 その限られた時間に一生分の愛情を注ぎ続けていこうとする両親の愛が 私の心に強く伝わってきたからです。
この両親はエリートでもなければ、お金持ちでもありません。 社会の隅で目立たず静かに生きている人です。 その名もなき人が愛に満ちた、 この上ない濃密な時間を過ごしている様子に接して、 真に人間らしい生き方を教わった気がしました。
人間関係の原点である愛は、 地位、名声、お金といったものは一切関係がない。 目の前で繰り広げられている、まさにこの両親の姿なのだ、との思いに駆られたのです。
我が子が自分の胎内に十か月いてくれたことを感謝する奥様の姿を見ながら、 『旧約聖書』の「詩篇」の一節がふと頭をよぎりました。
主よ、あなたは私の希望。 ヤーウェ(神)よ。あなたは私の若い時からのささえ。 母の胎から生まれた時から、 あなたは私のよりどころ。
『聖書』には「あわれみ」や「慈しみ」という言葉がたびたび登場しますが、 もともとのヘブライ語は「母の胎」の意味です。 神の慈しみは、母親の胎と同じだというのです。
母親は子供を宿している時、無条件に深い愛情を注ぎ、 胎内の子供もまた、そういう母親の愛に満たされながら 成長を遂げていきます。 そこに一切の打算や損得勘定はありません。 神様と人間の関係も、そのようなものであることを『聖書』は教えています。 私はバッグの中から『聖書』を取り出し、 「イザヤ書」の次の言葉をカードに書き写して両親に渡しました。
女がその乳飲み子を忘れ、その腹の子をあわれまないことがあろうか。 たとえ彼女らが忘れることがあっても、私はあなたを忘れることはない。
この言葉に両親の思い、 そしてそれを見守る神様の思いが 凝縮されていると感じたからです。
悲しいことに、この赤ちゃんは5日間で天国に召されます。 しかし、この両親にとってわずか5日間の親子の触れ合いは、 本当ならその後何十年にも及んだであろう 親子関係で築かれる絆以上のものがあったに違いありません。
そして、二人の言葉を借りれば、
その後の両親は私が与えたカードの言葉を常に心の支えにしながら、 人間が生かされている存在である喜び、人と人とが繋がって生きている喜びを 深く噛みしめるようになっていったといいます。
私は、どんなに貧しく厳しい環境にあっても 明るく真面目に生きている両親の姿勢を通して、 人間の幸福、愛の原点というものについて目を開かされました。
もう三十年も前の話なのに、とても強烈に印象に残っているのは、 名もなき人の中にこそ神様の姿があることを知ったからだと思います。
<感謝合掌 平成27年2月3日 頓首再拝>
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