聖典『生命の實相』の読み方について (149) |
- 日時:2015年02月01日 (日) 04時41分
名前:伝統
*『生命の實相』第四巻生命篇下(P2<巻頭の言葉>)より
なぜわれらが「生命の実相」の扉をひらく時、 医術などではとうてい及ばない驚くべき自然療能が発揮されるかと申しますと、 人間は本来、神の子としてつくられているという真理を見いだすからであります。
人間の本質は神であり霊的実在である。 「神なる人」こそ人間自身の実相であります。 自由自在の霊性こそ人間自身の本来の面目であります。
われらの本来の面目は神本来の面目にひとしいのでありますから、 われらは自己の全本在のすみずみまでも完全であり、万徳円満であり、 自由自在で不悩不苦であるはずであります。
この真理を知ることは、人をして、あらゆる束縛から解放せしむることになるのであります。
しかも真理は、人の生命の実相に穿ち入る者には何人も知ることができるのであります。 人の生命の実相に穿ち入るにはこれを霊的に理会することが必要であります。
頭で真理を理会するということは、真理の周囲を堂々巡りして真理の外的な姿を知るに 過ぎませんが、霊的に真理を理会するということは、「生命」の実相そのものに 全身全霊をもって貫き入り力の本源をつかむことになります。
全身全霊をもって、生命の実相につらぬき入るには、この書を頭で読もうとせず、 全身全霊で読む、黙読する、朗読する、目で読み、声で読み、声のリズムの中に 自分を溶かし込んで読む、
そして静かに端坐して「神想観」を行じ、行じ終わって動き出すとき神(愛)の生活を活きる。 かくする時、知恵と愛とのそろった生活が実現するのであります。
<感謝合掌 平成27年2月1日 頓首再拝>
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