[90] 87.「観行の功徳」の問題点②本当の観行が説かれていない |
- 信天翁 - 2023年03月03日 (金) 20時57分
1.「持戒」戒律を守ることは、現在意識の悪化を防止するためのものですから、それだけで悟ることは出来ません。
2.「禅定」は、現在意識を調和させますから、内在された本来の素晴らしい心と一時的に調和することができます。
でも、現在意識はそのままですから、一時的に調和しても、いずれは元に戻ってしまいます。
従って、禅定のみで本当に悟ることは出来ないと思います。
お釈迦様が単なる禅定の行をやめられたのはそのためだと思います。
3.以上のことから考えれば、「観行」は、現在の自分の意識が本当の自分の心ではないという事を観る事だと思います。
お釈迦様は、「中道」という基準を元に、過去のご自分の心を見つめられ、本来ならどうあるべきであったを観られ、本来のご自分の心に還られたのだと思います。
「観行の功徳」に書かれているように、単に、「自分の体が食物の連鎖に過ぎず、衰退し、消耗・分解・崩壊するのが本質であると知ること」ではありません。
こんな観行をして、悟ることはあり得ません。
本当の「観行」とは、現在の自分の心が本当の自分の心ではないこと、本当の自分の心は神に等しい素晴らしい心である事を観る事だと思います。
そして、その素晴らしい心を元に、現在の心を反省することにより現在の心を浄化して、本来の素晴らしい心と同化する事によって、初めて悟り得るのだと思います。
その境地に至って初めて六大神通力が出てくるのでは無いでしょうか。
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